こんにちは! ただち恵子です

政治と社会、日々の暮らしの小さな喜び。思いつくままに綴ります。

親ばかバンザイ

2011-09-24 23:58:57 | 大きくな~れ
娘が暮らす国では、1歳のお誕生日をとても盛大にお祝いします。

きっと昔は、1歳のお誕生日を迎える前に小さな子どもたちがいろんな病気で亡くなったのでしょう。それはこの日本の国でも。

日本の七五三のように、子どもの成長を喜び「どうか元気で育ってほしい」と願いをこめる伝統の儀式なのだと思います。

今は家でお祝いをする家族もあり、ホテルで結婚式並みに親戚、友人がたくさん参加して豪華にするのも珍しくないようですが、娘たちはその中間で、親戚とごく親しい方たちを招待しました。それはそれは暖かく楽しいひとときでした。

入り口には、両親の手作りのアルバムを置いて、皆さんが手にとってくださっていました。



少しもじっとしていない暴れん坊が、なぜか神妙に座って自分が主役のスライドショーをいっしょに見て、みんなが拍手してくれたら一緒に拍手・・・そのタイミングのよさに、また拍手をもらっていました。



テーブルも丸く、上に飾られたものも丸い。「仲良く円満に生きていってください」という意味なんだそうです。糸を束ねたものをネックレスのように首にかけてあげるのは、二人のハルモ二(おばあちゃん)の役割でした。「長く長く生きてください」という意味だそうです。

ものの考え方、習慣、価値観・・・ひとつひとつの違いに娘は戸惑い、苦しんでいることもありました。ある時、自分の感じ方が理解されないことがあり、「理解できない人に理解しろというのは無理なんだとは思う。でも、私だってあなたたちのことが理解できないこともあるっていうことも認めて欲しいっていうのはぜいたくなん?」と、ふとつぶやいていました。
自ら選んだ道とはいえ、娘が背負ったものの重さを感じました。

娘は日本語講師としてその国で働き、そして夫となる人に出会い、母となりました。
「お互いがわかりあえる言葉」を、見つけながら仲良く暮らしてほしいと願っています。

日本の侵略の歴史、その傷跡は深くまだ解決できない問題も残されているのが事実。
縁あって娘が暮らす国、可愛い孫が生きていくその国のことをもっと知りたいと思います。

それはおそらく、私たちの国のことをもっと知ることにもつながることでしょう。

きょうは、娘たちの家族と近くの公園でゆっくり過ごしました。
そのときの会話。孫の父親である人は「○ちゃんの笑顔が一番!」と言います。娘は「親ばか」と笑います。「でもお店の人もみんなそう言ってくれました」と彼は言い、「そういうのを社交辞令っていうの。お金払ってるお客さんなんだから」と娘は冷静に言い、「いいや、違う」と彼は言い、そこで○ちゃん、満面の笑み。「やっぱり一番」で落ち着いた、「親バカ+ばばバカ」でした



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3 コメント

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Unknown (ハリー)
2011-09-25 09:16:46
私も日本語教師です。韓国は反共で、現在保守政権ですが、共産党員の田立さんは、韓国で何か規制や不自由はないのでしょうか?それとも韓国は、民主化されたので特に問題はないのでしょうか?
 日本は、保守派(民主党でなく、自民党やたちあがれ日本に行くべきと思うが)の野田内閣になったので、日本と近隣諸国との関係が悪化しないことを願うばかりです。ただ、今までの政権は、中国や拉致問題にたいして弱腰だったので、強気で言ってほしいと思います。それにしても、野田首相に、タカ派の前原政調会長とまるで、安倍内閣や麻生内閣のようですね。
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Unknown (ただち恵子)
2011-09-28 08:16:55
ハリーさんへ

毎日決算審査の準備に追われていて返信が遅くなってすみません。

年に1~2回、韓国に行きますが「規制や不自由」を感じたことは一度もありません。
むしろ昔からの友達・・・のような親しさを感じます。「日本」という国に、どんな感情を心の奥底では持っておられるのか?「日本」について、子どものときはどんなことを教えられてきたのか?
いつか、娘の夫である人と本音で話ができたらいいな、と思っています。

日本語と韓国語は似ている単語も多く、おもしろいですね。

娘は日本語講師の資格をとっても、日本では仕事がほとんどなく韓国へ行きました。
「就職氷河時代」といわれた時に卒業した娘たちの同年代では、今でも苦労している方がおられます。娘もそのひとり、日本語講師として自立していくのも大変・・・日本へ帰ってもう少し勉強したいと言っていた矢先に、結婚しました。でも、仕事はとっても楽しいようです。
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Unknown (ハリー)
2011-10-02 10:08:11
ありがとうございます。私は、一人暮らしですが、親の持ち家なので、家賃は無料。世帯主ですが、親は生きているので、セールスが来ると、『主人』でなく、『息子』ということで断っています。橋下知事と同世代ですが、彼も私も若く見えるので、『息子』と言うごまかしがききます。私の甥っ子もお孫さんと同じくらいの年の男の子(来月1歳)ですが、『お兄ちゃん』と呼ばせます。伯父さんと呼ばせない。
 私は、フリーの日本語教師ですが、家賃がタダで、借金もないので何とかやって行けます。東京では、工事現場などで、警備員をしていました。警備会社なのに、百貨店で循環バス(無料の送迎バスのようなもの)の案内や駐車場の料金係といった接客業もしました。共産党は『代々木』といわれますが、駅近くに本部(中央委員会)があり(千駄ヶ谷だが、代々木駅に近い)、都の委員会が代々木で最寄り駅も代々木ですね。脱線しましたが、東京では、教師の就職は難しく、就職できても、フリー(派遣の単発バイトのようなもの)なので、他の仕事をやらざるを得ませんでした。泉大津での生活は特に困っていませんが、東京の便利さや、にぎやかさが懐かしく感じます。野党代表の頃の鳩山さんや、海江田さん竹中平蔵さんら、有名人や大物を偶然見たり、握手したり、東京はすごいなと思いました。小池さんは、参議院議員でしたが、小池さんは、残念ながら、テレビでしか見たことはありません。事務所の近くを通ったことはあります。前の住所は新宿区なので、代々木の近くでした。私は関西人ですが、関東出身の田立さんは、同じ関東在住経験者として身近なものを感じます。
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