国民救援会をご存知ですか?
正式名称、「日本国民救援会」。
私は永年の会員の一人で、「救援会」と言って親しみを感じてきましたが、初めて目にし、耳にする方にとっては、ものものしい響きかもしれません。
「何を救援するのか」と言えば、無実の罪に問われた冤罪被害者など「人権を侵害された犠牲者とその家族」(規約第3条)
今日、大阪府下で36番目の支部として、泉大津支部が誕生しました。
私を含めて、これまで点在で会員であったものが、準備会を重ね、仲間を倍以上に増やして、今日を迎えることができました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/30/b3be36a71d32df775cc8d3503af39037.jpg)
岸和田支部で、救援会活動に熱心に取り組んでおられる絵手紙ライター、T・Nさんが、元気なひまわりで、文字どおり会場に「花をそえて」くださいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/8e/b0d7aa5f6d201e9809a8ba583046ef55.jpg)
「経過報告」をするのは、泉大津コンビニ窃盗冤罪事件被害者、ミュージシャンのSUN DYUさん。誤認逮捕で300日間の拘留、のちに無罪判決。NHKのドキュメンタリー「逆転人生」で反響を呼びました。会の事務局長を引き受けてくださいました。
参加した全員が、一言の自己紹介。
永く会員であった人は、「へ~、そんなこともあったのか」という体験や歴史を、結成大会を前にして入会した新しい仲間、「なぜここにきたのか」の想いを。
泉大津在住の弁護士、南部秀一郎さんの最後の挨拶を、以下に掲載します。少し長いですが、私達のみんなの気持ちがぎゅっと詰まっていますので。
私たちは、本日、国民救援会大阪府下36番目の支部を、ここ泉大津の地で結成しました。泉州地域では5番目の支部です。
私たちが、支部を結成した理由、それは、ここ泉大津で起こった冤罪事件にあります。そして、この事件で、無実であるのに長期間勾留されたのが、誰あろうここにいるSAN-DYUさんです。ご参集の皆様も、地元でこのような事件が起こったということに大変驚かれたと思います。さらに、同じ2012年には、複数の警察において冤罪事件が発生し、相次いで無罪判決が出ています。この狭い泉州エリアで立て続けに無実の罪に問われた人がいるのです。異常な事態です。この冤罪の被害者とも呼べる人たちを救わなければならない。それも、地元の人たちが支えなければならない。これが支部を作った理由です。
国民救援会は、1928年4月7日結成されました。当時の日本は、アジア諸国への侵略と戦争の政策をすすめていた政府が、治安維持法などの悪法のもと国民に対する過酷な弾圧を強化していました。また、警察権力は、糾問主義、弾劾主義のもと、十分な弁護がないまま、拷問まで用いて自白を強要し、多数の獄死者を出しました。日本国民救援会は、この暗黒な時代に権力による弾圧の被害者を救援するために生まれました。
戦後、日本は日本国憲法により民主主義の国となり、不当な身柄拘束からの自由や黙秘権など被告人の権利が憲法に詳細に明記されました。しかしDNAをはじめとした科学捜査が発達した今でも、戦前からの自白強要は変わらず、多数の冤罪被害者が生まれています。国民救援会はこの間一貫として冤罪被害者を救援する人々の団結により活動してきました。そして、白鳥事件で再審による救済の道を開き、数多くの無実の人々を救いました。その中には、死刑判決から再審無罪となった免田事件をはじめとする四つの事件、そして、最近では記憶に新しい東住吉事件もあります。これらは全て国民救援会が支援の輪に加わり、再審無罪を勝ち取ったものです。
泉州では今、冤罪事件が相次いで発生しています。その背景には、警察の能力不足、人権に対する意識の欠落がありますが、人々の意識の変化、特に警察権力を恣意的に用いようとする勢力が存在することも否定できません。特定秘密保護法、共謀罪、安保法制と、悪法が成立し、声を上げ活動する人々の権利を脅かしています。国民救援会は、そのような悪法に対し、人権と民主主義のセンターとしての活動を行います。私たちもこの泉大津で、選挙、言論・表現活動に対する妨害、干渉、弾圧を許さぬよう、様々な活動に取り組みます。
本日、この会場には、志をもって救援会の会員が集まりました。しかし。この人数はまだまだ足りません。救援会の歴史を踏まえつつ、若い力で新たな活動を行えるよう、私たちは救援会の輪を広げていくことを目指します。
2018年7月13日
南部 秀一郎
正式名称、「日本国民救援会」。
私は永年の会員の一人で、「救援会」と言って親しみを感じてきましたが、初めて目にし、耳にする方にとっては、ものものしい響きかもしれません。
「何を救援するのか」と言えば、無実の罪に問われた冤罪被害者など「人権を侵害された犠牲者とその家族」(規約第3条)
今日、大阪府下で36番目の支部として、泉大津支部が誕生しました。
私を含めて、これまで点在で会員であったものが、準備会を重ね、仲間を倍以上に増やして、今日を迎えることができました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/30/b3be36a71d32df775cc8d3503af39037.jpg)
岸和田支部で、救援会活動に熱心に取り組んでおられる絵手紙ライター、T・Nさんが、元気なひまわりで、文字どおり会場に「花をそえて」くださいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/8e/b0d7aa5f6d201e9809a8ba583046ef55.jpg)
「経過報告」をするのは、泉大津コンビニ窃盗冤罪事件被害者、ミュージシャンのSUN DYUさん。誤認逮捕で300日間の拘留、のちに無罪判決。NHKのドキュメンタリー「逆転人生」で反響を呼びました。会の事務局長を引き受けてくださいました。
参加した全員が、一言の自己紹介。
永く会員であった人は、「へ~、そんなこともあったのか」という体験や歴史を、結成大会を前にして入会した新しい仲間、「なぜここにきたのか」の想いを。
泉大津在住の弁護士、南部秀一郎さんの最後の挨拶を、以下に掲載します。少し長いですが、私達のみんなの気持ちがぎゅっと詰まっていますので。
私たちは、本日、国民救援会大阪府下36番目の支部を、ここ泉大津の地で結成しました。泉州地域では5番目の支部です。
私たちが、支部を結成した理由、それは、ここ泉大津で起こった冤罪事件にあります。そして、この事件で、無実であるのに長期間勾留されたのが、誰あろうここにいるSAN-DYUさんです。ご参集の皆様も、地元でこのような事件が起こったということに大変驚かれたと思います。さらに、同じ2012年には、複数の警察において冤罪事件が発生し、相次いで無罪判決が出ています。この狭い泉州エリアで立て続けに無実の罪に問われた人がいるのです。異常な事態です。この冤罪の被害者とも呼べる人たちを救わなければならない。それも、地元の人たちが支えなければならない。これが支部を作った理由です。
国民救援会は、1928年4月7日結成されました。当時の日本は、アジア諸国への侵略と戦争の政策をすすめていた政府が、治安維持法などの悪法のもと国民に対する過酷な弾圧を強化していました。また、警察権力は、糾問主義、弾劾主義のもと、十分な弁護がないまま、拷問まで用いて自白を強要し、多数の獄死者を出しました。日本国民救援会は、この暗黒な時代に権力による弾圧の被害者を救援するために生まれました。
戦後、日本は日本国憲法により民主主義の国となり、不当な身柄拘束からの自由や黙秘権など被告人の権利が憲法に詳細に明記されました。しかしDNAをはじめとした科学捜査が発達した今でも、戦前からの自白強要は変わらず、多数の冤罪被害者が生まれています。国民救援会はこの間一貫として冤罪被害者を救援する人々の団結により活動してきました。そして、白鳥事件で再審による救済の道を開き、数多くの無実の人々を救いました。その中には、死刑判決から再審無罪となった免田事件をはじめとする四つの事件、そして、最近では記憶に新しい東住吉事件もあります。これらは全て国民救援会が支援の輪に加わり、再審無罪を勝ち取ったものです。
泉州では今、冤罪事件が相次いで発生しています。その背景には、警察の能力不足、人権に対する意識の欠落がありますが、人々の意識の変化、特に警察権力を恣意的に用いようとする勢力が存在することも否定できません。特定秘密保護法、共謀罪、安保法制と、悪法が成立し、声を上げ活動する人々の権利を脅かしています。国民救援会は、そのような悪法に対し、人権と民主主義のセンターとしての活動を行います。私たちもこの泉大津で、選挙、言論・表現活動に対する妨害、干渉、弾圧を許さぬよう、様々な活動に取り組みます。
本日、この会場には、志をもって救援会の会員が集まりました。しかし。この人数はまだまだ足りません。救援会の歴史を踏まえつつ、若い力で新たな活動を行えるよう、私たちは救援会の輪を広げていくことを目指します。
2018年7月13日
南部 秀一郎
「日本共産党系」という言葉にどんなイメージを持たれたいるのか・・・わかりませんが。
国民救援会は、政党とは別の独立した組織です。その意味では「党派とは無関係」です。
最近では再審開始の判決が出た日野町事件など、多くの冤罪事件の被害者と家族を支援する活動をしています。詳しくは会のHPなどをご覧ください。