図書館協議会を傍聴しました。
前回も、たまたまその日の朝に市役所ロビーの掲示を見て、急遽傍聴しました。
今回も、たまたま前日の夜、友人が知らせてくれて、急遽、予定を変更して傍聴しました。
市のホームページにも、広報にも、会議開催のお知らせはなかったと思います。
傍聴席も、傍聴者用の資料も用意されていましたが、開催の告知がなければ、傍聴することはできません。
公開を前提とした会議であれば、そう苦労しなくても一般の市民が知ることができるようにして欲しいと思います。(と、静かに言いますが、実は相当怒ってます)
会議の内容は、2時間たっぷり充実したものでした。
委員のお一人が「ここにくると勉強になります」とおっしゃっておられましたが、傍聴していても、勉強になります。予定を変えて、少々無理をして傍聴してよかったと思います。
市民公募の委員さんも、しっかり発言してくださっていました。
「読書に関わる様々な市民団体があり、旧図書館で活動していた。そういう人たちの力も発揮していただいて、講座やイベントの開催も考えて欲しい」という提案は、私自身の思いでもありました。
今年度の事業予定が議題のひとつでした。
数多くのイベントの企画一覧が資料で掲載されていましたが、どんなコンセプトをもって、どんなプロセスで企画されたのか?よくわかりません。
「何をしたいの?」という???が頭の中に渦巻きます。
私が一貫して、図書館法では努力義務であって、必置ではない図書館協議会の設置を求めてきたのは、図書館の運営が市民にとって開かれたものであって欲しいと思うからでした。
年度ごとの「事業計画」をオープンなものにし、そして市民目線で検証しながら、充実させていく。市民が創り、育てる、文字どうりの「知の拠点」として。
今日示された「事業予定」というのは、「2022年度企画」の一覧だけ。
今日のタイトルを、「シープラはどこへ向かうのか?」とした所以です。
「旧図書館の方が読みたい本があった。」という声も一人ならず聞いています。
「カードを作ったけれど、2度と行かないと思う」という声もあります。
蔵書整備の方針について、一行の記述もなく、配布された資料が不備なのではないか?と思いましたが、そうではなかったようです。
「子どもの読書活動推進計画」についても、テーマのひとつでした。
「考え方」として、書かれたペーパーの中に、以下の記載がありました。
「・・・家庭には『家読』を推進し、家庭での絵本や読み聞かせに週1回以上取り組むことや親子読書を一日30分取り組むなどを目標としその割合の変化を指標とする」
親の長時間労働、ワンオペといわれる現実、家族が食卓を一緒に囲むことが難しい現実がある。そういう家族にも、日々の慌ただしさの中でも、だからこそ子どもと一緒に絵本を楽しむひとときを持って欲しい。けれど、「週1回以上」「1日30分」と、「計画」に書くことで何かが変わるのだろうか?
「割合の変化」をどうやって検証するのか?
委員から「家庭のなかの事に介入することには慎重であるべきでは??」「図書館行政の役割は『本に親しむ環境』を整える事」という趣旨の発言がありました。もっともだとと思いました。
読書の喜び、1冊の本との出会いは、生きる喜びのひとつ。大変大きな要素だと私は思っています。
たくさんの子ども達に、その楽しさを経験して欲しいと思うので、チャンスがあれば、子ども達と絵本をつなぐ活動にも参加してきました。
けれど、何を生きる喜び、生きる力とするのかは、押し付けるものでも、押し付けられるものでもない。
「本に親しむ環境を整える」という委員の発言に深く共感し、そのために何ができるのか?何が足りないのか?を考えていきたいと思った今日の傍聴体験でした。