昨日の続きの話です。
2017年、5年前に策定した「公共施設適正配置基本計画」は、将来の人口減少を見越して、「公共施設の総床面積15%縮減」を掲げています。
当初から、「なんで15%?」と疑問は持っていました。
「同じ人口規模の自治体に比べて総床面積は大きい」という記述もありますが、「大きかったら何が悪いのか?」と思います。「公共施設」を、お荷物のように邪魔者扱いするなら、維持管理にかかる経費も無駄遣いと考えるかもしれない。それでも、経費の問題なら、単純に「総床面積」の縮減というより、省エネルギーなど考えることはありそうに思います。そして、経費の問題にするなら、人件費の大幅な削減がすでに実施されてきました。(現行の図書館以外は)
この5年間、この「計画」を何度も読み返してきました。
そしてますます「15%」を、目標に掲げることに疑問を抱きます。
目標とすべきは、「公共施設を効果的に活用し、効率よく整備すること」ではないのでしょうか?
浜幼稚園は園児減少で廃園にして4年。
図書館は、駅前に移転のために閉館して2年。
これらの活用については、今、パブリックコメント実施中の「教育施設再編計画」(案)には、触れられていません。「どんな検討がされたのか?」質問しました。
「旧浜幼稚園については、教育施設の再編にあたり、その敷地等の活用について庁内で様々な検討を行いましたが、・・・活用する施設として、対象にならなかったものでございます」(教育部長答弁)に対して、残念ながら「なぜ?」と問い返す時間はありませんでした。
旧図書館についても「教育委員会といたしましては、・・・敷地等も含めた検討をいたしましたが、旧図書館の施設を活用する考えはございません」(教育部長答弁)に対して、これまで繰り返し「旧図書館施設の活用は全庁的に検討」と言われてきたのだから、「全庁的な検討は?」と問い返したいところでしたが、これも時間が足りませんでした。
図書館は、「公共施設適正配置基本計画」の策定時、建物評価では、耐震性も老朽度も基準をクリアし、「使える施設」としての位置づけでした。
使えるはずの施設が使われずに、放置されている。何年も。質問の中では「市内のあちこちに、まるで屍のように」と言いました。
人が集い、出会い、学ぶ。文化創造の拠点として活用されていたときは「生きていた施設」が、見捨てられたように、雑草が生い茂る中にある姿は悲しいものです。「公共施設の屍」が、無秩序に点在する。それはたとえ、「10年待ったら、すばらしい施設ができます」と言われたとしても、「移り住みたいまち」「住み続けたいまち」になるでしょうか?
大きな疑問符が心に残ります。