元幸福の科学の会員で1987年より三十数年間、在籍し、活動をしてきました。その間を振りかえります。

最初は勉強会だったのに大川隆法氏は1991年に突然に自分は地球神・エルカンターレだと宣言し、宗教法人となった。

慰安婦問題で河野氏と朝日社長の証人喚問要求 !

2014-01-29 20:47:53 | 日記

素晴らしい。河野を証人喚問すべきです。日本にとって、どれだけ国益を
損ねたのか自覚させるべきです。そして河野談話は全くウソであったことを全世界にむけて発表させるべきです。

『慰安婦問題で河野氏と朝日社長の証人喚問要求 維新が署名活動へ

産経新聞 1月29日(水)18時35分配信

 慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の「河野洋平官房長官談話」をめぐり、日本維新の会は29日、河野氏に加え、河野談話の見直しに否定的な朝日新聞社社長の国会への証人喚問を求める署名活動を週明けに開始する方針を決めた。

 維新の「歴史問題検証プロジェクト・チーム」(座長・中山成彬元文部科学相)の事務局長、杉田水脈衆院議員が29日の党代議士会で明らかにした。中山恭子元拉致問題担当相ら女性議員が署名の呼びかけ人に名を連ねる予定だ。

 


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韓国が反日包囲網を形成中? 自らの首を絞めていることに気づくけ!!!

2014-01-29 19:11:46 | 日記

韓国が反日包囲網を形成中? 自らの首を絞めていることに気づくべき
http://the-liberty.com/article.php?item_id=7308

韓国が歴史問題をめぐる反日攻勢をエスカレートさせている。日韓間だけの懸案として歴史問題を扱うのではなく、米国や国際機関など第三者を巻き込んで国際的な"反日包囲網"を形成しようとする姿勢を見せている。

日本の初代総理大臣であり初代韓国統監となった伊藤博文を暗殺した安重根をたたえる記念館を中国・ハルビン駅に開館するなど、韓国は歴史問題をめぐって中国との連携を強めてきた。

中国だけにとどまらず、アメリカにも対日圧力の継続を求めている。朴槿恵・韓国大統領は25日、訪韓していた米共和党のマルコ・ルビオ上院議員との会談で、日韓の歴史問題に対する米国政府・議会の対応は相当な意味があると高く評価した。これは、安倍晋三首相の靖国神社参拝に米政府が「失望」を表明したことを評価しての発言と考えられる。

また、元慰安婦の証言記録の「世界遺産登録」も目指し始めた。韓国の女性家族省は15日、「元日本軍慰安婦の証言記録」をユネスコ(国連教育科学文化機関)の「世界記憶遺産」登録させるために、申請に向けた手続きを進めると発表した。登録を目指すのは、元慰安婦の証言記録や元慰安婦らが自らの体験を描いた絵画、ソウルの日本大使館前で22年あまり続く集会の記録などだ。中国や東南アジアなど元慰安婦がいるとされる国との協力も検討しているという。

さらに、同省は27日、従軍慰安婦関連の2014年度の事業予算を昨年比2.3倍の45億8700万ウォン(約4億3400万円)に増額したことを明らかにした。予算の約7割に当たる33億8300万ウォンは、「被害者の名誉回復、歴史意識の向上事業」に配分され、国内2カ所に慰安婦関連施設も建設するという。

他方、日本に対して朴槿恵大統領は27日、在日韓国人女性の代表らと会った際に、「一日も早く日本の政界が正しい道に戻ってほしい」と発言。安倍政権が韓国に対する姿勢を変えない限り、首脳会談には応じないと強調している。

こうした朴槿恵大統領の反日攻勢は、常軌を逸していると言わざるをえない。最近韓国では、慰安婦動員は強制でなかったことをソウル大学のアン・ビョンジク教授が指摘したり、従軍慰安婦が存在したことを示す拠り所となっている河野談話が日韓合作であったことが明らかになるなど、日本を攻撃する論拠も危うくなっている。

中国が覇権主義を強め、北朝鮮の核の脅威もある中で、本来は日本と協力体制を築くべきところだが反日感情から抜け出せず、韓国はもはや八方塞がりになっている。朴槿恵大統領がつくろうとしている"反日包囲網"は、逆に韓国自身の首を絞めている。「正しい道に戻る」べきは、むしろ韓国であることに気づくべきだ。(飯)

【関連記事】
2014年1月20日付本欄 安重根記念館が開館 テロリストを英雄視するのは自滅への道
http://the-liberty.com/article.php?item_id=7240

2014年1月12日付本欄 韓国国民が朴大統領の外交政策を批判 日韓関係における日本の優位はもはやゆるがない
http://the-liberty.com/article.php?item_id=7212



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記特攻の精神~特攻に散華した英霊に畏敬の念を込めて!

2014-01-29 19:06:35 | 日記

零戦と日本人――特攻の精神~特攻に散華した英霊に畏敬の念を込めて(2)[HRPニュースファイル896]

 文/岐阜県本部副代表 河田成治

 【特攻に込められた想い】

 ◆大きな戦果を挙げた特攻

戦後、特攻はほとんど効果がなく、まさしく「犬死」で無駄な攻撃であったという説は根強くあります。しかし、当時の記録を調べてみると驚くべき事実が出てきます。

アメリカ太平洋艦隊司令長官ニミッツ元帥は、「沖縄戦で米海軍がこうむった損害は、戦争中のどの海戦よりもはるかに大きかった。その大損害は、主として日本の特攻攻撃によるものであった」と振り返っています。

また、空母部隊を率いたスプルーアンス提督も、「日本の自殺航空攻撃の技量と効果、および艦艇の喪失と被害の割合がきわめて高い」と報告しています。

米軍の機密文書には、特攻に出撃した戦闘機の総数の内、約2割が命中したが、途中で敵戦闘機に撃墜されないで、空母や戦艦までたどり着いて特攻攻撃を仕掛けた航空機としては、実に56%もの命中率であったと示されています。(?文雄著「日本人はなぜ特攻を選んだのか」)

 ◆米軍は、特攻をどう見たか

このような凄まじい攻撃に、米軍の兵士はノイローゼになったり、戦意喪失した者も多かったといわれています。

空母「タイコンデロガ」艦長のキーファ大佐は、アメリカに帰国後の記者会見で、「特攻機は通常の航空機の4倍ないし5倍の命中率をあげている」と語りました。(デニスウォーナー著「ドキュメント神風」)

空母「サンガモン」のパイロット、マックガン大尉は、炎上中の特攻機を海中に投棄するのを手伝いました。戦後、彼は日本軍パイロットを賞賛して、「わが艦の飛行甲板を突き抜けたあの男は、私より立派だ。私には、あんなことはやれなかっただろう」と語っています。(デニスウォーナー著「ドキュメント神風」)

昭和26年のある日、元日本海軍大佐は、横須賀基地に所属する米軍の若いパイロットと、つぎのような問答を交わしたといいます。

「君らは神風特別攻撃隊をどう思うか?」
「10人の内7人は感激の涙をもって見、あとの3人はむしろ憎しみをもって見ている」
「君はどちらの方か?」
「僕は7人のうちの1人です」

戦後、アメリカ将兵のなかで、特別攻撃を身をもって体験したり、僚艦が攻撃を受けるのを見たことのあるものは、異口同音に、「真一文字に突っ込んでくる日本の特攻機を目のあたりに見ると、その意気に呑まれて、身の毛がよだった…」と語っています。(河出書房 猪口力平/中島正著「神風特別攻撃隊」)

 ◆世界が見た特攻

フランスの文化大臣だったアンドレ・マルローは、特攻について次のように語っています。

「日本は敗戦したが、かけがえのないものを得た。それは世界の誰にもまねの出来ない特別攻撃隊である。彼らには権力欲とか名誉欲などはかけらもなかった。

ただ祖国を憂う尊い情熱があるだけだった。代償を求めない、純粋な行為、そこに真なる偉大さがあった。私はフランス人にいつも言ってやる。

『母や姉や妻の命が危険にさらされるとき、自分が死ぬと承知で暴漢に立ち向かうのが男の道である。愛するものが殺られるのを、だまって見過ごせるものだろうか』と。

私は、祖国と家族を想う一念から全てを乗り越えて、潔く敵艦に体当たりをした特攻隊員の精神と行為のなかに、男の崇高な美学を見るのである」(神坂次郎「特攻-還らざる若者たちへの鎮魂歌」)

ある日本人大学教授の体験。「昭和35年、パリの映画館で一人、太平洋戦争のドキュメンタリー映画を見ていると、沖縄戦で特攻機突入のシーンがあった。翼がバラバラになり、海に落ちて行く。対空砲火が全画面を覆う。

火を噴いて海に突っ込む。初めて見て息を呑んだ。そのとき低空で突っ込んだ一機が敵艦の腹に命中、猛烈に爆発した。その瞬間、驚いた。全館のフランス人がワッと拍手したのだ。(篠沢秀夫著「愛国心の探求」文春新書)

日本の特攻を、フランス人は自分たちの騎士道精神と重ね、そこになんともいえない共感と畏敬の念を感じたのではないか…、と私は思います。

 ◆特攻隊員の遺書

まさしく、特攻に出撃する若者の心にあったのは、武士道精神であり、国や家族への純粋な愛だった思います。

私は学生の頃から、日本各地の特攻記念館で、特攻隊員の遺書を拝見する機会に恵まれました。そのとき目にした、10代後半から20代前半という年若い青年の搭乗員の遺書や辞世の句は、まぶたに焼き付いて離れません。

そこには、狂気や洗脳、集団ヒステリーとはほど遠い、家族や新婚の妻、幼きわが子への愛情に満ち溢れた言葉で埋め尽くされていました。一つだけご紹介します。

「戦いは日、一日と激しさを加えて参りました。父母上様、長い間お世話になりました。私も未だ十九才の若輩で、この大空の決戦に参加できることを、深く喜んでおります。私は潔く死んでいきます。

今日の海の色、見事なものです。決して嘆いて下さいますな。抑々海軍航空に志した時、真っ先に許され、そして激励して下さったのは、父母上様ではなかったでしょうか。既に今日あるは覚悟の上でしょう。

私も魂の見立てとして、ただただ大空に身を捧げんとして予科練に入り、今日まで猛特訓に毎日を送ってきたのです。今それが報いられ、日本男子として本当に、男に花を咲かせるときが来たのです。この十九年間、人生五十年に比べれば短いですが、私は実に長く感じました。数々の思い出は走馬燈の如く、胸中をかけめぐります。

故郷のウサギ追いしあの山、小鮒釣りしあの川、皆懐かしい思い出ばかりです。しかし父母様にお別れするに当たり、もっと孝行がしたかった。そればかりが残念です。随分暴れ者で迷惑をおかけし、今になって後悔しております。

お身体を大切に、そればかりがお願いです。親に甘えた事、叱られた事、皆懐かしいです。育子、昌子の二人は私の様に甘えたり叱られたり出来ないかと思うとかわいそうです。

いつまでも仲良くお暮らし下さい。私も喜んで大空に散っていきます。平常あちこちにご無沙汰ばかりしておりますから、何卒よろしくお知らせ下さい。お願いします。御身大切にごきげんよう。」

神風特別攻撃隊 大和隊 一飛曹 塩田 寛 18才 昭和19年10月26日 レイテ沖にて戦死


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