元幸福の科学の会員で1987年より三十数年間、在籍し、活動をしてきました。その間を振りかえります。

最初は勉強会だったのに大川隆法氏は1991年に突然に自分は地球神・エルカンターレだと宣言し、宗教法人となった。

男性恐怖症を克服!「理解」と「尊敬」で幸せをゲット

2016-01-05 18:17:08 | 日記

http://voicee.jp/201405018937

男性恐怖症

私は25歳で結婚し、今は幸せな結婚生活を送っています。でも、もともとは「男性恐怖症」で、ごく最近まで恋愛ができませんでした。

男性恐怖症を克服できたのは社会人になってから、職場の上司や父への見方が変わったことがきっかけでした。

職場では、直属の男性上司が自分の思い通りにいかないとすぐに機嫌を損ねて嫌味を言う方で、当時の私はそれが生理的に受け付けず、嫌悪感を抱いていました。

しかし幸福の科学の教えを学んでいた私は、「嫌悪感を抱いてばかりでは何も変わらない。まずは自分が変わらなきゃ」と、上司の良い面を見る努力をしたのです。

すると男性が社会で責任を背負って働くことの大変さが見えてきて、上司を少しずつ理解できるようになりました。そこで感謝や尊敬の言葉を伝えるようにすると、上司の態度がガラッと変わり、きつく当たってくることはなくなっていきました。

父への反省と感謝の気持ちが生まれた

そのことがあってから、父への見方も変わりました。

父は板前で無口。家族とはほとんど会話をせず、母との関係も冷え切っていました。

また、両親は「授かり婚」な上に共働きで、小さい頃からあまりかまってはもらえず、「私が生まれなければ、両親にはもっと違う人生があったの?」とか、「どうせ私のことなんてどうでもよくて、邪魔なだけなんでしょ?」などと思っていました。そうした自分を責める気持ちや、寂しいという思いから、父に対して徐々に不満と軽蔑を抱くようになってしまったのです。

しかし上司との一件があったことで、父との関係を振り返るきっかけが得られ、私はあることに気がつきました。

それは、父が家では仕事の弱音や愚痴をほとんど漏らさない人だったということです。後に母から聞いたのですが、父は家族に言わなかっただけで、実は職場で毎日のように調理長から激しい罵倒や時には暴力を受けていたというのです。それを聞いて、何も言わず家族のために一生懸命働いてくれていた父に申し訳ない気持ちと、感謝の思いが込み上げてきました。

こうして父や上司への理解と尊敬の思いが生まれていくにつれて、男性恐怖症も徐々に薄らいでいったのです。

私は次第に男性の良いところを見たり、「理解しよう」と歩み寄っていく自分に変わることができました。すると、ちょうどその頃、主人に出会ったのです。

理想の男性に巡り合えた

彼は優しく誠実で、いつも人を理解しようとする姿勢があります。

これまで、「弱い自分を見せたくない」という気持ちから、負けじと必要以上に片意地張っているところがありましたが、彼の人柄に触れ、寛容さや自然体でいることの大切さが分かり、一回り成長することができました。心の余裕ができ、よく周りからは、「前より柔らかくなったね」と言われます。

冷え切っていた父と母との関係も、幸福の科学の教えを実践することで、今はとても円満になっています。

私もこれから主人と二人、両親のような円満な夫婦関係を築き、幸せな結婚生活を送りたいと思います


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父のDV、シングルマザー……辛酸を乗り越え父を許すまで

2016-01-05 18:07:46 | 日記

父のDV、シングルマザー……辛酸を乗り越え父を許すまで

http://voicee.jp/201402218584

漬物で飢えをしのいだ中学校時代

中学校2年生の春、私たち家族は、父の仕事の都合で引っ越すことになりました。調理師の父が、仕事を転々としたのち、居酒屋を始めることになったのです。

母は、私が3歳のころ、父と離婚して家を出ていったので、家族といっても父と2つ下の弟と私の3人です。

引っ越し先の狭いアパートには、風呂も電話もありません。転校後、担任からクラスの電話連絡網を渡されると、私の番号のところだけが空欄でした。

「恥ずかしい!電話がないなんて、うちだけだ!」

ご飯のおかずはいつもキュウリの漬物だけ。幸い学校で給食が出たので、私たち姉弟は、それだけを楽しみに毎日学校に通いました。

父の恐ろしい形相

幼いころから父の暴力に怯えながら育った私たちは、父を”アイツ”と呼んで、いつも2人で家を出る相談ばかりしていました。

父の暴力は、私たちが物心ついてすぐのころから始まりました。父は怒ると、木刀のようなもので容赦なく私たちを叩きました。

ある時、お金を盗んだと疑われ、めった打ちにされたことがありました。私は頭から滴り落ちる血をぬぐうことすらできず、父の許しを請うために、なけなしの小遣いを差し出しました。

「そんなんで、足りるか!」

そのときの父の恐ろしい形相は、深く私の心に焼きつきました。

結婚、出産、そして転機が訪れて……

結局、居酒屋はたちゆかず、父は再び転職。弟は、中学校を卒業すると、ある日突然、黙って家を出ていきました。私も、卒業目前で高校を中退し、友人とルームシェアをして暮らしました。

19歳のとき、別の友人の紹介で結婚、3年後には長女・Rを出産しました。出産の翌年の1992年、転機は訪れます。ある日、高校時代からの親友・Sさんの家に遊びにいくと、背表紙に「大川隆法」と書かれたたくさんの書籍が、大切そうに並べられているのが目に留まりました。

「これ、何?私に貸して!読んでみたい!」

私はSさんに何冊かを借りて帰宅し、さっそく大川隆法先生の『愛の原点』という書籍を開いてみました。

「愛の意味とは、結局のところ、本来、一つであったものが、お互いを呼び合い、結びつけ合い、さらに大きな幸福を生み出そうとしていくところにあるのではないかと思います」

それまで、一度も読んだこともないような言葉の響き……。なぜだか分かりませんが、私は感動のあまり、声をあげて泣いていました。

Sさんに連絡すると、数日後、幸福の科学の支部まで連れていってくれ、私は、その場で信者となったのです。

シングルマザーの孤独

娘が3歳になったころ、私は離婚してシングルマザーになりました。夫が手を上げたから、と、私から一方的に離婚を申し出たのです。私は父の虐待が原因で、電車などで近くに男性が立つだけで、「早くあっちへ行って!」と思うほどの男性恐怖症でした。

離婚したあと、一緒に暮らした男性は、とても優しい人でした。けれど、少しして、彼が薬物中毒だと分かったのです。ある幸福の科学の友人が心配して、「Hさん一人に働かせるなんて、そんな関係は絶対におかしい」と一喝してくれ、私は初めて目が覚めたのです。

29歳のとき、その男性との間に長男・Tを授かりましたが、1歳になる前に、泣く泣くその男性とも別れました。

そんな私にとって、幸福の科学の支部のみなさんのあたたかさは救いでした。毎月ポストに月刊誌を入れてくれる近所の女性。父親のいないTをいつも肩車してくれる中堅の男性。多くの愛に支えられていました。

“アイツ”に感謝なんて無理!

私は、結婚のことも、子供たちのことも、一切、父には知らせませんでした。

息子が2、3歳のころの、ある日。突然、父が私の家を訪ねてきました。私はとても緊張し、まともに父の顔を見られませんでした。会話らしい会話もなく、帰り際、父は私の連絡先を手帳に書き留め、そそくさと帰っていきました。

大川隆法先生は、「人は、天上界で自分の人生計画を立て、親になる人とも約束して生まれてくる」と、説かれています。

私は、「そうなんだ!」と驚きつつも、一方で、「あんな酷い人と約束してきたなんてありえない。離婚したのも何もかも、”アイツ”のせいだ」と、心から納得はできませんでした。

私は友人に、「心が楽になるよ」と勧められ、幸福の科学の総本山・正心館で、「両親に対する反省と感謝」の研修を受けることにしました。研修では、両親からしてもらったことを、一つひとつ思い出し、感謝を深めていきます。周りの人が涙をすすり、嗚咽して感謝するなか、私は何も思い出すことも、感謝することもできませんでした。

「父のことも、母のことも、何も思い出せない。やっぱり両親に感謝するなんて、私には無理だ。うちは、ふつうの家庭ではないもの……」

私の心が原因?

2013年春、私は体調を崩して出血し、病院に行くと、数年前からあった子宮筋腫が、かなりの確率でがん化している疑いがあると診断されました。

幸福の科学で、「子宮の病気は、夫婦や親子関係の葛藤が原因であることが多い」と学んでいた私は、「私の心が原因だ。今度こそ、父とのことをしっかり反省したい!」と、強く思いました。

ちょうど転職を考えていた私は、思い切って休職し、北海道正心館で雲水修行※をしながら、心を深める決意をしたのです。

北海道正心館の職員は、「すぐに感謝できなくても、『自分を見捨てずに、育ててくれた』だけでもいいので、毎日、お父さんのことを思い出すようにしてください」と、アドバイスしてくれました。

その通りに実践していくと、「忙しいなか、お風呂に入れてくれた」「お弁当を詰めてくれた」など、父にしてもらったことが、少しずつではありましたが、心に浮かぶようになりました。

※雲水:人生の一時期、精舎に住み込み、世俗からいったん離れて、作務や座禅などの修行に打ち込む修行のことです。自らの心を見つめて、高い精神性を築くことを目指します。これは、在家の会員信者に開かれた「宗教的自己研鑽の道」でもあります。

無言で土下座した父

講師のアドバイスに従って毎日反省を続けていると、いろいろなことが思い出されました。

中学2年生のとき、転校する前の学校で、私が親友を殴り、大怪我を負わせてしまったときのことです。私は些細なことから彼女を殴ってしまったのです。

父に伴われ、自宅に謝罪にいくと、彼女の父親は、すごい剣幕で怒りをぶつけてきました。

すると、父は黙って額を地面に押しつけ、土下座したのです。

私は、帰宅したら、父にめった打ちにされると覚悟しました。けれど、父は殴るどころか何も言いませんでした。

引っ越しが決まったのは、その事件の直後。仕事のこともあったのでしょうが、父は、私が同じ学校に通い続けるのを不憫に思い、転校させてくれたのでは……。そう気づいたのです。

「あのとき、父は何も言わなかった。けれど、本当は、こんなにも私のことを思ってくれていたんだ!」

私は望まれて生まれてきた!

そして、数週間後。私は、満を持して、再び「両親に対する反省と感謝」の研修を受けました。

礼拝堂で心を鎮めていると、ある情景が鮮明に心に蘇りました。

それは、私が保育園のころのことでした。

当時、ホテルで料理人をしていた父は、保育園が休みの日には、私を連れて仕事にいっていました。その日、私は、ホテルの庭を散歩したり、湖の白鳥を見たりして、父を待っていました。

そこへ父が、焼き上がったばかりのチキンレッグを、私に持ってきてくれたのです。

「おいしい!」

一口食べた私は、満面の笑みで父を見上げています。私は本当に嬉しくて、食べきれないチキンレッグを、ずっと手に持って離しませんでした。その姿を見ている嬉しそうな父の笑顔……。

熱い思いが込み上げ、涙がこぼれました。

さらに、父の顔を心に思い浮かべていると、その横に、母らしき女性の顔が浮かんできました。母らしきその女性と若き日の父は、生まれたばかりの私を見つめ、微笑んでいます。

「お母さんだ!」

私は、写真でも見たことのない母の顔を、はっきりと心のなかで見たのです。仏の慈悲によって見せていただいたのだと思いました。

「私は誰にも望まれずに生まれた子。私は要らない子。ずっとそう思ってきた。でも、私は、父と母に望まれて生まれてきたんだ!」

ありがたくて、嬉しくて、涙が、あとから、あとからあふれました。

明るい未来を心に描いて

父への感謝が深まるにつれ、父を責める思いがうそのように消え、何ともいえない、しあわせな気持ちが心に広がっていきました。

心配していた子宮筋腫も、7月に診察を受けると、がんではないと、はっきり診断されました。

雲水修行を通して、たくさんの心の気づきもいただき、いつも、どこか寂しく重苦しかった私の心が、毎日毎日、軽くなるのを感じています。男性に対する恐怖心も、すっかりなくなりました。

そして何よりも、自分の未来を悲観的にしか考えられなかった私が、「未来は明るい」と、心から信じることができるようになったのです。

書籍『未来の法』に説かれている、「思いの力で未来は拓ける」ということを実体験したからです。

私は、次に父に会ったら、心から、「ありがとう」を言いたい。

弟とも必ず再会して、この真実の教えを伝えたい――。

私の心を覆い苦しめ続けた、父への憎しみという巨大な黒い雲。私はそれを、幸福の科学の教えによって、感謝に変えることができました。教えがなければ、私は今でも父を憎み続けていたと思います。

私は今後も精進を続け、自分の心に起きた、この「奇跡」を、多くの人に伝えていきたいと思います。


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亡き息子への念いを込めて「自殺防止」を訴えています!

2016-01-05 17:50:28 | 日記

亡き息子への念いを込めて「自殺防止」を訴えています!

http://voicee.jp/20131204361

自殺したら10倍苦しむ

 私は福井県に住んでいます。毎月、福井市内で自殺防止の街頭キャンペーンを行なっています。道行く人にチラシを渡し、自殺防止に関するアンケートを取り、自殺者の魂の行方や、勇気を持って生き抜く方法などを話したりするのです。

 アンケートに答えてくれた高校1年生の女子が「中学のとき、彼氏と自殺未遂したことがある」と言うと、「自殺したら、生きているときの10倍苦しむし、家族にも悲しい思いをさせるんよ。自殺だけはやめようね!」と訴えています。

亡き息子への念いも込めて

 実は、私には東京に赴任していた28歳の息子が、仕事の疲れや身辺のトラブルから、自ら命を絶ってしまった過去があります。まさか自分の子がこんなことに


──悲しみに泣き暮れ、親として自分を責める私を、「息子さんの供養の意味でも、今こそ頑張って、自殺防止を訴えなければ」と仲間が励ましてくれました。

「そうだ。これも自分の人生の問題集かもしれない。悲しんでばかりいるより、同じ不幸をなくすために行動するほうが、息子も喜ぶに違いない──」

 以来、キャンペーンにかける念いは倍化しました。

 「両親が離婚して、生きててもいいことない。あの世なんてないと思う」と言う女子高生に、語りかけています。

「あなたの気持ち、分かるよ。でも、親が勝手に生んだわけじゃない。人生は一冊の問題集で、親子は修行のためにあの世で約束し合って生まれてくるんよ。だから、もっともっと自分を大事にしてね」

 亡き息子への念いもこめて、「自殺者を減らそうキャンペーン」を続けていきます。


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過食症、ウツ……母との葛藤を克服して 

2016-01-05 17:42:07 | 日記

過食症、ウツ……母との葛藤を克服して 

http://voicee.jp/201310196903

幼い日のピアノ・レッスン

「そこ! 左手の音、違ってる! 何度言ったらわかるの?」

母のヒステリックな罵声が浴びせられ、次の瞬間、私は床に倒れこんでいました。
幼稚園の年長から習い始めたピアノ。
その毎日の練習に、母は欠かさずつきあい、ぴったりと私の横に座って、厳しく指導していました。

うまく弾けないと、容赦なく私を叩き、胸ぐらをつかんで床に押し倒しました。
私は、涙でぐしゃぐしゃになりながら、「早くこの時間が過ぎ去りますように……」と、ただただ、そう願うことしかできませんでした。
母の厳しいピアノのレッスンは、私が小学校3年生でピアノをやめるまで続いたのです。

1980年、私は横浜市に生まれました。
父は努力家で、一流大学卒のエリート銀行マン。

母は名家から父のもとに嫁いできました。
両親とも教育熱心で、私が何か習い事をしたいと言えば、すぐに何でも習わせてくれました。

けれども、ボーッとしたタイプだった私は、学校の成績は今ひとつ。
にもかかわらず、小学校5年生になると、友人たちの影響から、私は中学校受験をしたいと両親にせがみ、塾に通うことになったのです。

中学受験

塾の勉強だけでは足りないからと、父が理科と算数を、母は社会と国語を担当し、つきっきりで私の勉強を見てくれました。

そして、またしても母のスパルタ教育が始まったのです。
父が異動になり、単身赴任すると、母の厳しさはいっそうエスカレートしていきました。

一問一問私に問題を解かせ、私が解けないと、「昨日、塾でやったでしょう! 何でできないの!」と怒鳴っては私を叩き、床に倒れて泣いている私をさらに何度も蹴りました。

私は、リビングに敷き詰められた絨毯(じゅうたん)に頬をぴったりと押しつけて、絨毯にこびりついている染みや汚れをぼう然と見つめながら、「ああ、一日でいいから、一人で勉強させてほしい……」と、心のなかで叫んでいました。

結局、成績はそれほど伸びず、私立のミッション系中高一貫校にかろうじて補欠合格した私は、その学校に進学しました。

私って価値のない人間?

中学入学後も、成績が悪いと、母は私を叩き、体罰は、私の体格が母のそれを追い越すようになるまで続いていたように思います。

さまざまな情報から、母の行為が「虐待(ぎゃくたい)」に近いということを初めて知った私は、母に対して反抗的になっていき、来る日も来る日も、母との激しい言い争いが続きました。

そんななか、私は絵を描くことの楽しさに目覚め、美術部に入部。
そのうちに、「美術大学に進学して、美術の教師になりたい」という夢を抱くようになりました。

けれども、父からは、「美大なんてだめだ! まともに勉強をしない人間に価値なんかない。お前は人間としての価値が低い」と、美術の道に進むことを猛反対され、目の前が真っ暗になりました。

「勉強ができることだけが、すべてなの? 美術を志す私には価値はないということ?」

私は両親が押しつけてくる価値観に対して、強い疑問を感じました。

こうして、中学校・高校時代は、両親、とりわけ母との衝突が絶えず、私はやることなすことのすべてを否定されて、もう、いっそ死んでしまおうかと思うことがよくありました。

反対する両親を何とか説得し、私は1年浪人して、美術大学に進学しました。
美術の道を選んだ私を、両親にも認めてもらいたい――その一心で、大学入学後は、絵にも学業にも真剣に取り組みました。


「学費は全額は出せない」と父から言われていたため、私は奨学金を得て、さらにアルバイトもして学費を稼ぎました。

けれども両親は、そんな私の努力を評価しようとしないばかりか、2人の妹たちと私とを、何かにつけて比較しました。
2人とも同じ中高一貫の有名私立進学校に通い、私より学校の成績が良かったからです。

「私はこんなに頑張っているのに……。何で私だけ認めてもらえないの?」

私は激しい憤りを覚えました。
このころ、私が外出先から帰宅すると、母と妹たちは、よくリビングでヒソヒソ話をしていました。
実は、すでに高校2年生のころから、私には軽い「過食症(かしょくしょう)」の症状があり、夜中にこっそり台所へ行っては、母が買い置きしてあった大量のお菓子を全部食べ尽くしていたのです。
そのことを、3人で噂していました。

「私だって食べたくて食べてるわけじゃない! やめられずに苦しんでいるのに……」

外ではアルバイトで疲れ果て、家はまるで針のむしろ――。
私の心は崩壊寸前になっていました。

心身のバランスを崩して

そして、大学2年生のある日。
突然、幼いころ母から浴びせられた「あんたなんか、生きる価値がない!」という言葉が、そのまま耳元でリフレインされ、頭が割れるように痛みました。
いわゆる「幻聴(げんちょう)」でした。


さらに、母から叩かれているときの光景がフラッシュバックして、心がしめつけられるように苦しくなりました。

何も手につかなくなって、私は学校のカウンセリングルームに通い、何とか心を立て直すことができました。
けれども、私がどん底のときにも積極的に助けてくれようとはしなかった家族に対しては、冷ややかな感情がこみあげてきました。

「もう、この家には居場所がない……」

大学3年生の夏ごろから、私は友達の家を転々として家には帰らず、4年生の春、アパートを借りて一人暮らしを始めました。

大学卒業後は、経済的に早く自立しようと、昼間は知的障害者の作業所で働き、夕方から深夜まで、居酒屋でアルバイトをしました


家を出たことで、両親と衝突することがなくなり、幻聴などの症状は消えていきました。

居酒屋のバイト仲間や常連客と交わす会話だけが、寂しさを紛らわせてくれました。
しかし、ハードな生活がたたり、私は再び心身に変調をきたし、心療内科で、「軽度のウツ」と診断されたのです。


新しい生命の誕生

そんなとき、親身になって支えてくれたのが、現在の夫、Sさんでした。

「胸に鉛の塊が入っているように苦しい。起き上がるのも辛い……」

そんな私を心配したSさんは、「静岡に転勤が決まったから、僕と結婚して、静岡で一緒に暮らそう」と言ってくれました。
そして、両親の大反対を押し切って、翌年、彼と結婚。
ほどなく長女が誕生し、静岡の地で新生活がスタートしました。

義母は、本当に優しく私を迎え入れてくれました。
訪ねてきた義父の親友までもが、「いい嫁をもらったなぁ。ご両親にもちゃんと許してもらえるといいなぁ……」と心配してくれるのを聞いて、何てあたたかい人たちなんだろうと涙が出ました。
主人の家族や親族の愛情に包まれて、私のウツの症状は徐々に快方に向かっていったのです。

しかし、出産後の子育ては、想像以上に大変でした。
娘が泣きやまないとイライラして、つい「うるさい!」などと怒鳴ってしまうこともありました。
幼い彼女は、とても不安な表情を見せ、おびえています。

すると、幼い私を叱っていた母の姿と、自分のそれとが二重写しになり、「母を責め続けてきたけれど、私も同じことをしている……」と愕然としました。

「母が私を虐待したように、私もこの子を虐待してしまうのでは……」と、子育てが不安で不安でたまらなくなりました。
思いあまって、私は、美大受験のときに予備校で知り合ったNさんに話を聞いてもらおうと、東京に住む彼女の自宅を訪ねてみることにしたのです。

幸福の科学の支部を訪ねて

Nさんは、幸福の科学の熱心な信者で、その日、私は、彼女に誘われて、初めて幸福の科学の支部へ行きました。

支部長と面談していただき、自分がいかに母に不当に扱われてきたか、どれほど辛い思いをしてきたか、延々と訴え続けました。

「あなたは、『私はあの母親に育てられ、ひどいことをされたから不幸になった』と思って、お母さんを恨んでいるでしょう? でも、恨み心で恨みは解けないのですよ。『人を呪わば穴二つ』とも言うように、恨み心は、相手を不幸にするだけでなく、あなた自身をも不幸にするのです」

「え? 私がこんなに苦しいのは、母のせいじゃなくて、私が母を恨んでいるからなの?」

私はとても驚きました。
さらに支部長は、「親子には深い縁があって、子は親を選んで、あの世で約束して生まれてくるんですよ。あなたが、お母さんの子供として生まれてきたのにも、必ず意味があるのです」と、教えてくれました。

「自分がよりによって、あの母を選んで生まれてきたなんて……。いったい、なぜ?」

私は母を、「勝手に産んだくせに!」と責め続けてきました。
そして、大学を浪人したのも、過食症やウツになって苦しんだのも、すべて母のせいだと思ってきました。
しかし、支部長の語る言葉には力があって、最後は前のめりになって聴き入っていました。

そして、母と調和できないと、よい子育てはできないこと。まず、私の心を善念で満たすこと。そして、母にも善念を向けてみること――そうアドバイスしていただきました。

私は、「この子を幸せにするためにも、支部長のアドバイスを信じて実践してみよう」と決意して、支部を後にしたのです。

母への善念

そのころ、母とは1週間に1回程度、電話で話をしていました。
長女が生まれたことで、育児の話などをするようになっていたのです。
けれども、愚痴っぽい母の話に嫌気がさし、いつも最後は喧嘩になっていました。


私は、「母に善念を向けるなんて、とても無理だ……」と思いましたが、まず、「お母さんと仲良くなりたい!」 と、一日に何度も思うようにしてみました。

そして、喧嘩してしまった日は、電話を切ったあとに心を落ち着かせて反省し、勇気を出して私のほうからかけなおして、「さっきは、ごめんね」と謝るようにしました。

すると、母も「私も、ごめんね……」と言ってくれるようになったのです。

過去のことまでは水に流すことはできませんでしたが、ガチガチの石のように頑なだった私の心が、しだいにやわらかくなっていくのを感じました。
私は、少しずつ少しずつ、母を受け入れられるようになり、母との言い争いの頻度は、みるみる減っていったのです。

幸福の科学へ入会

ある日、以前Nさんからもらって、ずっと、そのままになっていた幸福の科学の本を、ようやく真剣に読んでみようという気持ちになり、ページをめくってみました。
そこに書かれている一つ一つの教えが心にしみこんで、いつも不安で自信がなく、不幸感覚ばかりが強かった私の心が、どんどん元気になっていきました。


夢中で10冊ほど読み終えたとき、「本を読んだだけで、こんなにも心が救われた。支部へ行ってみたい!」そう思っていると、主人が、「お前が一生懸命本を読んでいる幸福の科学の建物が、近くに建っているぞ」と教えてくれたのです。

勇気を出して電話をしてみると、「近々、支部の落慶式があるので、来てみませんか?」と誘われ、思いきって参加しました。
そして、その日、私は入会をしたのです。

愛の貸借対照表

あるとき、支部に精舎(しょうじゃ)の講師が来られ、愛についての講話をされました。
その講話のなかで、講師は、「愛の貸借対照表」についてふれられました。
ノートを左右に分けて、 今までの人生で「人からしてもらったこと」を左側に、「人にしてあげたこと」を右側に、それぞれ書き分けていきます。


そして、「自分がいかに多くのものを与えられてきたか」を発見して、与えてくれた人への感謝を深めていくというものでした。

「『私は、誰からも、何もしてもらっていない』と思う方もいるでしょう? でも、赤ん坊として生まれたあなたは、何もできなかったはずです。ミルクもオムツも、何もかも、お母さんにしてもらいましたよね?」

講師の話に、私は、ハッとしました。
母からこんなこともされ、あんなことも言われた……と恨んでばかりで、母から与えてもらったことなど、考えてみたこともなかったからです。

私は、母について「愛の貸借対照表」を書いてみることにしました。

しかし、子供のころのことを思い出そうとしても、母からされた仕打ちばかりが脳裏に甦ってきます。
叩かれて泣いていたこと、成績が悪いと言っては厳しく叱られたこと、「生きる価値がない!」とまで言われたこと……。
思い出しても悔しくて涙が出てきます。

「書き続けていると、書けるようになって、感謝できるようになるよ」という友人のアドバイスを信じて、私は引き続き、「愛の貸借対照表」を書いてみることにしました。

すると、比較的最近のできごととして、家を飛び出したあと、父に黙って私のアパートを訪ねてきて、そっとお金を渡してくれたときの心配そうな母の姿を思い出しました。
小さいころのことも少しずつ思い出しましたが、やはり、母への感謝の思いはなかなか出てきませんでした。

精舎の光のなかで

しばらくして、主人と娘といっしょに、箱根精舎に参拝し、礼拝堂で母とのことを静かに反省していたときのことです。
母と、ずっと同居していた姑とが、言い争っている光景が、心に浮かんできました。

「そういえば、母は、よく祖母の悪口を言っていたなぁ。祖母は厳格な人だったから、お嬢様育ちの母は、苦労していたっけ……」

思えば母は、姑と同居しながら、3人も子供を育てたのです。

「一人を育てるというだけで、私はこんなに大変なのに……。きっと母は、祖母に遠慮して、自由に昼寝もできなかったんだろうなぁ。私には、優しい夫と優しい姑もいるけれど、父は亭主関白だったから、母は、何もかも全部一人で抱えていたんだろうな。

一人ぼっちで、どんなに大変だったろう……」

今まで忘れていた母の苦労を思い出すうちに、胸が熱くなってくるのを感じました。
すると、幼いころの母との思い出が、ありありと心に甦ってきました。

まだ私が小さかったころ、「絵を描いて」とせがむと、「絵は苦手だから」と言いながら、「ちびまる子ちゃん」みたいなかわいい絵を描いてくれた母。


小学校入学のときには、上履きにレースを縫いつけて、きれいな刺繍をしてくれた母。
喜んで学校に持っていくと、みんなにひやかされ、次の日には、新しい上履きを買ってもらったっけ……。
給食袋や体操着袋は、すべて母の手作りで、クラスの誰のものよりも手の込んだ刺繍がしてあって、私は母のことが自慢だった。

私と妹たちに、焼き菓子の作り方を教えてくれた母。
そのときの母は、とてもうれしそうで、キラキラと輝いていた。


下の妹の愛子が生まれて、寝かしつけるとき、よく「ゆりかごの歌」を歌っていた母。
「きっと私にも歌ってくれていたんだろうな……」と思うと、とっても幸せな気持ちになったっけ……。


そこまで思い出した時、涙がとめどなく溢れてきました。

「私は今まで、母からされた嫌なことばかりを思い出し、繰り返し心の中で反芻しては、母への憎しみを深めていた。でも、本当は、母からこんなにも与えられていたんだ!」

憎しみという眼鏡を取って見た母の姿は、娘たちに懸命に愛を与えようとする優しい母の姿だったのです。
さらに――。

「母はなぜ、受験や職業のこととなると、 あんなに必死になりパニックになっていたのだろう。私にだけ厳しかったのは何でだろう……」

そんな疑問が湧いてきました。
すると、娘の姿が心に浮かんできました。


娘は幼いころの私に似て、どことなく要領の悪いところがあり、私は、つい先回りして、手を出したり、注意したりしてしまいます。

「母もこんな気持ちで私のことを育てていたのかもしれない……」

母の家系は、何でもそつなくこなす頭の良い人が多いなか、母だけが、おっとりした性格で要領もよくなかったときいています。

「母は、3人の娘のなかで1番自分に性格が似ている私のことが心配で、しっかり勉強させようと必死だったんだ。そして思い通りにならない私に苛立っていたんだ……」

お母さん。
お母さんの厳しさは、ほんとうは私への愛だったんですね。
私はそれがわからずに、ずっと恨んでいました。
でも、今、やっとお母さんの愛情がわかりました。


お母さん、ごめんなさい――。
そのとき、心のなかの母への憎しみが、静かに消えていったのです。

それから、しばらくたったある日のこと。
私は、電話で母に、「育ててくれて、ありがとう」と小声で言ってみました。
母は、「何よ、突然……」と、ぎこちない返事。


でも、ためらいがちにひとこと言ってくれました。
「せっかく美大を出たのに、個展のひとつも開いてあげられなくて……ごめんね」――私は、受話器を持ちながら、声を出さずに泣きました。


母と、母娘になったほんとうの理由は、今の私にはわかりません。
でも、親子の縁は、今世だけでなく、永い永い縁。


母とは、いつもお互いに学びあってきたのだと思います。
母にも仏法真理を伝えて、幸せになってもらいたい――今、心からそう願っています。
そして、それが、縁あって母の娘となった私の、最大の親孝行だと思っています。


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寿命を20年延ばす薬!? 「死んだら終わり」ではない"実学"も大事

2016-01-05 11:36:56 | 日記

寿命を20年延ばす薬!? 「死んだら終わり」ではない"実学"も大事
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10724

「アンチエイジング薬」が、「生涯現役人生」への起爆剤となるか。

米食品医薬局(FDA)がこのほど、寿命を延ばすとされる薬の臨床試験を世界で初めて許可した。この試験は、今冬から米国内で始められ、70〜80代のがん、心臓病、認知症を患っている人、もしくはいずれかの病気のリスクが高い人、計3000人を対象に、5〜7年間実施される予定だ。


◎糖尿病の治療薬が細胞を活性化

臨床試験に用いられる薬は「メトホルミン」という糖尿病の治療薬。この薬を用いたベルギーの研究者らによるマウスの実験で、最大で40%寿命を延長する効果があることが確認されたという。人間に置き換えると、60歳で亡くなる人が、84歳まで生きることに当たる。

実際に、英カーディフ大学の研究では、メトホルミンを投与された糖尿病患者は、投与されていない患者と比べて、平均で8年間長く生きたという結果が示されている。

こうした寿命延長は、メトホルミンの細胞活性効果によるものとされている。

メトホルミンは細胞内の酸素分子をわずかに増やす効果がある。酸素分子を増やしすぎると、細胞を傷つけ、老化を促進してしまうが、少量ならば、逆に細胞を活性化させ、人間の老化を20年遅らせる効果があるというのだ。

こうした医学の進歩により、健康が促進され、長生きできる人が増えるならば喜ばしい。寿命が延びるだけではなく健康も促進されるなら、社会保障費や医療費などの財政問題解決の糸口にもなり得る。

健康的な高齢者が増え、仕事や趣味などを通じて、自分の生きがいを見出すことができれば、生涯現役社会にもつながっていく。


◎肉体に執着すると死後、迷ってしまう

ただ、こうした研究を進める上で理解しておかなければいけないのは、「人間は死んだら終わりではない」ということだ。

人間の本質は魂であり、魂を磨く修行場としてこの世に生を受ける。肉体はあくまでも「乗り物」に過ぎない。そうした霊的真実を忘れて、この世の命を長らえることが最高の目的と考え、肉体に執着すると、死んだ後に自分が死んだことに気づかず、上手に天国に還れず、この世で迷って家族などにさわりを起こすことになる。

大川隆法・幸福の科学総裁は、著書『エイジレス成功法 〜生涯現役9つの秘訣〜』でこう指摘している。

「宗教を学んでおかないと、あの世に渡るときに実際に損をするので、そういう意味での『実学』であるわけです。晩年の総合的学問としての宗教は、どのような業種の人、どのような系統の学問に進んだ人にとっても、天国に入るための"入学試験"の準備として必要なものです。宗教は、あの世において必要になることを数多く説いているので、『宗教を学んでおかないと損である』ということを述べておきます」

転生輪廻の過程で、様々な国や時代に肉体に宿り、異なる宗教、文化を経験することで、人間の魂は向上していく。永遠に滅びない肉体がいいわけではない。死は、あの世を含めた人生観から見たら、魂の新生の時に当たり、神仏から与えられた慈悲とも言える。

アンチエイジングが人間を幸福にするには、「魂」「あの世」などの霊的知識が必要になってくる。(冨野勝寛)

【関連書籍】
幸福の科学出版 『エイジレス成功法』 大川隆法著
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1547

幸福の科学出版 『生涯現役人生』 大川隆法著
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=837

【関連記事】
2015年8月29日付本欄 日本は「健康寿命」で世界一 これが財政問題解決の糸口
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10115

2015年1月24日付本欄 50歳から偉人になった人々
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9117

2015年1月2日付本欄 若いと感じている人は長生き!? アンチエイジングの鍵は「イメージング」
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9005


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サウジアラビアでシーア派指導者処刑 混沌とする中東情勢

2016-01-05 07:55:10 | 日記

サウジアラビアでシーア派指導者処刑 混沌とする中東情勢
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10722

国民の8割超がイスラム教スンニ派を占めるサウジアラビアで2日、47人の囚人が処刑された。

その中に、イスラム教シーア派の指導者ニムル・アル=ニムル氏が含まれており、中東で物議を醸している。47人中、43人はアルカイダに所属していたとされるスンニ派の人物であり、ニムル氏を含むシーア派の4人は、銃撃や爆撃で警察官を殺害した罪を問われて処刑された。


◎深まる宗派間の対立

サウジアラビア政府は、宗派を問わず、「公平」に刑を執行したつもりかもしれないが、同国で排斥されているシーア派側から厳しく糾弾されている。

ニムル氏の処刑を受けて、シーア派の大国である隣国のイランでは、怒った市民がサウジアラビア大使館を襲撃し、建物内部から火の手が上がった。シーア派が率いる隣国のイラクでも、有力な宗教・政治指導者たちがサウジアラビアとの国交断絶を求めた。

また、同じスンニ派の「イスラム国」も、スンニ派の人物が処刑されたことを受け、サウジアラビアの軍や警察に対する報復を呼びかけている。

キリスト教国である欧米側も、宗教指導者であるニムル氏の処刑が、「宗派間の対立を早急に沈静化させるべきときに、それを激化させることになるかもしれない」として、サウジ側に慎重な対応を求めた。

サウジ側は、主にスンニ派による国内テロを抑止するために今回の処刑を行ったと言うが、それが中東のスンニ派とシーア派とイスラム教同士の対立を激化させるだけでなく、国内にさらなるテロを呼び込むことになるかもしれない。

国を転覆しようとするスンニ派の武装集団や、台頭するイランとの対立を懸念するサウジ側としては、頭が痛いところだろう。


◎複雑化する中東の紛争

中東の紛争は、宗派間、民族間、そして国家間の利害や主張が複雑に入り乱れ、混沌としている。

スンニ派とシーア派の対立だけでなく、欧米側はイスラム圏から波及するテロを懸念する一方、イスラム圏側は、キリスト教国である欧米による介入や、宗派間の分断に対する警戒心もあるだろう。

これらの対立を根本までたどっていくと、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の違いや、イスラム教のスンニ派・シーア派の教義の違いに行き着く。

今こそ、それぞれの教えに共通する普遍的な価値を再確認すべきであり、現代にも通用する新しい思想が必要となっていることに気づくべきだろう。(中)

【関連書籍】
幸福の科学出版 『正義の法』 大川隆法著
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1591

【関連記事】
2015年12月31日付本欄 【2016年、国際政治の展望】国際秩序の乱れは変わらず、イスラム国問題は続く
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10710

2015年12月8日付本欄 オバマ大統領が演説でテロ非難 日本はイスラム国問題解決に向けた考え方を示すべき
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10591

2016年2月号 欧米から見た日本と「イスラム国」 - 誤解だらけの「イスラム国」Part.1
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10664


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マイナンバー・共通番号制度は世界でも問題だらけ

2016-01-05 07:35:57 | 日記

 ◆共通番号制度は世界でも問題だらけ

第一に、何といっても「マイナンバー制度」に対する懸念が挙げられます。(既に具体的提言を行っておりますので、詳しくはそちらをご覧下さい。「マイナンバーの『のぞき』政策化に歯止めを」http://hrp-newsfile.jp/2015/2459/)

もともと、民主党政権下に提出された法案で、その後誕生した自公政権によって一部修正された法案が13年5月に可決、更に2018年から任意で預金口座等にも活用範囲を拡大する改正案が本年成立されています。

「海外(先進国)では番号制度は常識」が推進派の建前でありましょうが、日本のような「共通番号制度」は実はまだ事例が極めて少ないというのが真実です。

具体的に、イギリスでは「共通番号制度」の構想自体はありましたが制度廃止に追い込まれています。(イギリスでは、2006年に「国民IDカード法」が成立。しかし、2010年に誕生した保守党と自由民主党による連立政権が、プライバシーに問題があるとして廃止を決定。)

また、フランスでは社会保障番号はあれども共通番号としては用いないのがルールとなっており、更にドイツでは共通番号制度は「憲法違反」となっています。

共通番号が導入されている米国では番号漏えいによる「成りすまし犯罪」が横行し、韓国では2011年に中国のハッカーによって国民の約7割の3500万人もの個人情報が盗まれるという事件が起こり、制度自体の是非を問う議論が高まっているそうです。

海外の先例から考えても、マイナンバー制度は国民の自由を促進するどころか、経済的自由権や個人情報保護の観点から、国民の自由を大きく侵害する可能性の非常に高い悪法と言えるでしょう。
http://hrp-newsfile.jp/2015/2478/文/幸福実現党・山形県本部副代表 城取良太


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イランとの航空便停止=聖地巡礼に支障も―サウジ

2016-01-05 06:04:57 | 日記

【カイロ時事】サウジアラビア航空当局は4日、イランとサウジを結ぶ全ての航空便を停止することを決定した。

イランのイスラム教徒が重視する聖地メッカへの巡礼については認める方針だが、直行便がなくなれば渡航に支障が出る可能性が高い。イランから一層の反発を招く恐れがある。

 国営サウジ通信が伝えた声明によれば、全便停止について当局は「3日に表明したイランとの断交を受けた措置」と説明している。また、ジュベイル外相はロイター通信に対し、サウジ国民のイラン渡航や、イランとの通商も禁止する考えを示した。


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韓国財閥が大慌て、「このままでは潰れる!」 サムスンはバイオなど新事業確立に注力

2016-01-05 06:01:52 | 日記

韓国を代表する企業たちの動きが尋常ではない。「このままなら潰れてしまう」という危機感が覆い、すべての大企業が大規模な構造調整を始めている。

政府からの圧力からそうしているのではない。主力事業以外を果敢に切り取り、グループ会社の統廃合や大規模な人員削減さえ実施するなど、体質改善に集中している。また、不確実ではあるが将来の収益源に対する投資にも積極的だ。

財界の構造調整では、サムスングループが一歩抜きん出ている。サムスン電子の李在鎔(イ・ジェヨン)副会長が「ニュー・サムスン」を唱えて始まった変化だ。

サムスン電子を中心にIT、金融、バイオがニュー・サムスンの3つの軸になる。特に、新事業として最近目立つのは「スマートカー」と呼ばれる自動車電装部品事業。サムスンSDIはドイツのアウディと次世代電機SUVを共同開発することを決めている。

■サムスンはバイオ、現代自はスマートカーに注力

また、サムスングループが「将来の収益源」とアピールするバイオ医薬品事業への投資も加速している。

同社は2020年までにバイオ分野で1兆8000億ウォン(約1800億円)の売上高を達成するのが目標だ。さらに2015年12月、仁川(インチョン)にサムスンバイオロジックス社の第3工場の起工式を行った。

2018年9月にこの工場が完成すれば、サムスンバイオロジックス社は生産規模36万リットルの世界最大のバイオ医薬品生産施設を持つことになる。

規模で見ると、26万リットルの生産規模を持つスイスのロンザや24万リットルの独べーリンガーインゲルハイムを上回る規模になる。

現代・起亜自動車は、主力の自動車産業の技術力をさらに強化するため、長期的で大規模な投資を決定した。完成車の品質競争力の向上と将来の成長エンジンの拡充、ブランド価値の向上、自動車中心のグループ間のシナジー効果の最大化が課題だ。

同社は環境に優しいスマートカー分野において、将来のコア技術を確保するために2018年までに81兆ウォン(約8.3兆円)を投資する計画だ。投資額全体の76%を韓国内に集中して行う。この投資には、建設や物流など自動車産業の関連部門でシナジー効果を最大限発言させるための投資、ということだ。

現代・起亜自動車は、将来のコア事業はエコカーと見なしている。2018年までに総額11兆3000億ウォン(約1.2兆円)を投入し、プラグインハイブリッド、ハイブリッド車や電気自動車専用モデル、水素燃料電池自動車の拡充など環境に優しいさまざまな車種を開発する目標だ。また、モーターやバッテリーなど主要部品関連のコア技術を確保し、環境に配慮したブランドへの変身を図る。


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サウジとイラン、対立激化の背景 2国とも計算ずくか

2016-01-05 05:59:36 | 日記

 3日にイランと断交したサウジアラビアのジュベイル外相は4日、イランへの民間機の発着や国民のイラン渡航を禁止し、経済関係も断絶する考えを明らかにした。

ロイター通信が報じた。サウジに続き、4日にはバーレーンとスーダンもイランとの断交を宣言。アラブ首長国連邦(UAE)も駐イラン大使の召還など、「外交関係の格下げ」を表明した。

サウジによるイスラム教シーア派指導者の死刑執行をきっかけに先鋭化した中東の2大国の対立は、周辺諸国を巻き込んで深刻化している。


 バーレーンとスーダンはサウジが昨年3月に始めたイエメンへの軍事介入に参加するなど、サウジと緊密な関係にある。特にスンニ派の王政ながら、シーア派が住民の過半数を占めるバーレーンは、反政府デモが広がるたびに「イランが関与している」と主張。

2011年にはサウジを中心とする合同軍がデモを鎮圧した。

 対立の発端は2日、テロ活動に従事した罪で14年に死刑判決を受けたシーア派指導者ニムル師を処刑したと、サウジが発表したことだ

。同じシーア派の指導者が国を治め、同師を処刑しないよう要請してきたイランは猛反発。最高指導者ハメネイ師が「サウジアラビアは神の報復に直面するだろう」との声明を出した。イランにあるサウジ大使館や領事館は、暴徒化した群衆に襲われ、放火された。

 一方でサウジから見れば、ニムル師は体制転覆を唱えた「危険人物」。宗派対立をあおっているのはイランの方だ。ジュベイル外相は過去のイランでの外国公館襲撃事件にも触れ、「イラン政府が黙認している」と批判した。

 ともに保守的なイスラム教国で産油国のサウジとイラン。両国は衝突と融和を繰り返してきた。共和制でシーア派を国教とするイランと、その影響力の拡大を防ぎたいスンニ派の王制国家サウジの覇権争いだ。

 両国関係は、11年に中東に広がった民主化運動「アラブの春」で、一気に険悪化した。サウジなど湾岸諸国は、国内のシーア派住民によるデモを「背後から手引きした」とイランを非難した。

 さらにサウジで昨年1月に即位したサルマン国王は、イエメンへの軍事介入などタカ派の姿勢が目立つ。メッカで昨年9月、巡礼中のイラン人464人が死亡する事故が起きるなど、対立が深まる事案も続いた。

 両国政府が、「敵国」の存在を国内の引き締めに利用しているのも事実だ。カーネギー中東センターのレナド・マンスール客員研究員は「両国とも、相手の反発を十分に計算した上で行動している。両国とも、この『冷戦状態』の継続を望むだろう」と指摘する。

 ただ両国の対立は、スンニ派とシーア派が混在する中東全体の分断を招く。イラクでは3日、スンニ派のモスクを狙った爆弾テロ事件が相次いで発生。宗派対立をあおって勢力の拡大をめざす過激派組織「イスラム国」(IS)などの活動を活発化させかねない事態になっている。(ドバイ=渡辺淳基)

朝日新聞


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バーレーン、スーダンも断交=対イラン、UAEは大使召還―サウジに同調、情勢緊迫

2016-01-05 05:39:22 | 日記

カイロ時事】バーレーンとスーダンは4日、イランとの外交関係を断絶すると相次いで発表した。アラブ首長国連邦(UAE)も同日、駐イラン大使を召還するなど外交関係格下げを表明した。

各国の国営通信などが伝えた。サウジアラビアが3日、イランとの断交を表明したことに同調した形で、中東情勢はサウジとイランの対立を軸に一段と緊迫化する様相を呈している。

 バーレーン政府は、同国に駐在するイランの外交官に「48時間以内の国外退去」を要求。断交の理由として、イランでサウジの大使館や領事館が暴徒に襲撃された事件のほか「イランによるテロリストや過激派の支援」を挙げた。

 バーレーンは、イランと同様にイスラム教シーア派が国民の多数を占めるが、ハリファ王家など指導者層はスンニ派で、サウジを後ろ盾としている。

2011年の民主化要求運動「アラブの春」ではシーア派が主体となって反政府デモを展開したところ、サウジ主導の湾岸協力会議(GCC)軍に鎮圧された経緯もある。

 一方、スーダンとUAEはいずれも国民にスンニ派が多く、サウジとの関係も深い。

スーダン外務省は声明で、イランがサウジ大使館などの襲撃を防げなかったことを非難。断交の理由について「イランの脅威に直面するサウジと連帯する」と説明した。

 サウジのジュベイル外相は3日の記者会見で「他国もテロ支援国家(イラン)との関係を続けるのか、真剣に考えるべきだ」と述べていた。 

[時事通信社]


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「アルマゲドン」的地球の危機、小惑星より怖いのは?

2016-01-05 05:31:41 | 日記

英バッキンガム大学の天文学者グループが、王立天文協会の「Astronomy & Geophysics(天文学と地球物理学)」誌12月号に発表した論文で、巨大彗星が地球に衝突して生命に危機をもたらす可能性は、小惑星が衝突するより高い、と警告した。

 過去20年にわたる観測により、直径50キロメートル以上の巨大彗星が、木星から海王星の間の外部太陽系に存在していることがわかった。

これらの惑星の重力によって軌道が変わった巨大彗星が、火星より近い内部太陽系に入り込み地球の軌道と交差する可能性を、天文学者グループは4万年から10万年に1回と計算している。

これは、火星と木星の間にある小惑星が地球軌道に入り込んでくる確率より高いという。

 そして巨大彗星は小惑星と違い、地球に直接衝突しなくても、砕け散って細かいチリや小さな破片になることで、回避不可能な危険域を作り出す。

 地質学的および古生物学的証拠から、紀元前1万800年から紀元前2300年まで、日本では縄文時代に当たる時期は、気候が大きく変動したことがわかっている。この事実は、巨大彗星に関する仮説を裏付けるだろう。

 また、アポロ計画による月面探査で、月の岩に残された1ミリメートル未満の微小クレーターが過去3万年以内のものだと示されたことも、巨大彗星が残したチリの痕跡と解釈できるとしている。

さらに遠い過去、恐竜などが絶滅した6500万年前の異変、いわゆる大絶滅にも当てはまるかもしれないと、この論文は警告している。

 論文の主著者であるビル・ネイピア教授は、「我々は過去30年間、小惑星と地球との衝突に注意を向けてきたが、今回の論文は、新たに木星以遠にも目を向ける必要が出てきたことを示している。

我々が正しいならば、巨大彗星をもっと理解する必要がある」と述べている。


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〔米株式〕NYダウ急落、一時413ドル安。上海株、急落で取引停止

2016-01-05 05:21:01 | 日記

 【ニューヨーク時事】連休明け4日午前のニューヨーク株式相場は、中国株式相場の急落や米経済指標の悪化を背景に、優良株で構成するダウ工業株30種平均は前営業日終値比で一時413ドル超下落した。

ダウは午前10時10分現在、前営業日終値比385.77ドル安の1万7039.26ドル。ハイテク株中心のナスダック総合指数は同134.15ポイント安の4873.26。


 英調査会社マークイットと中国メディア「財新」が同日発表した2015年の12月の中国製造業購買担当者景気指数(PMI)は48.2と前月から0.4ポイント悪化した。

景気判断の節目となる50を下回ったのはこれで10カ月連続。中国国家統計局が1日公表した製造業PMIも5カ月連続で50を割り込んでおり、今年の中国経済への懸念が強まった。

投資家心理が冷え込む中、中国株式市場は急落後にこの日導入したサーキットブレーカーが発動され、最終的に取引が停止された。

リスク回避の売りの流れはアジア、米欧の市場にも広がり、年明け初取引のダウは寄り付きから一気に値を消した。さらに、12月の米サプライ管理協会(ISM)製造業景況指数が48.2と前月、市場予想をともに下回ったため、ダウは一段安となった。


 個別銘柄では、ダウ平均30種構成銘柄は全面安。シスコシステムズ、ボーイング、アメリカン・エキスプレス(アメックス)などが3%以上下落している。(了)


【上海時事】今年最初の取引となった4日の上海株式市場の株価は急落し、相場の急変動を抑える目的でこの日から導入された「サーキットブレーカー」制が発動されて通常より約1時間半早く取引が打ち切られた。

市場全体の値動きを示す上海総合指数は前年末比242.92ポイント(6.86%)安の3296.26と、約2カ月半ぶりの安値で終了した。

 この日発表された2015年12月の中国製造業購買担当者景況指数(PMI)が市場予想を下回り、中国景気への懸念などから売り注文が膨らんだ。


 サーキットブレーカー制では、上海、深セン両市場の有力300銘柄で構成する「CSI300指数」が前営業日終値から5%変動した場合、取引を15分間停止する。変動幅が7%に達した場合はその日の取引を打ち切る。


 上海証券取引所は制限値幅を超えたため、午後1時(日本時間同2時)すぎにいったん、取引を15分間停止。再開後も下落が続き、同1時半すぎにこの日の取引を打ち切った。


 昨夏の株価急落を受けて上場企業の大株主を対象に導入された、株式売却禁止措置が近く期限切れとなるのを前に、投資家が売りを出したことが4日の株安の一因との指摘もある。




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