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my diary

単なるバラマキは、何の効果をもたらすのだろうか。

2021年11月06日 | 日記
 公明党が公約で掲げていた、18歳以下の子供に一人10万円を給付するという政策が実現しそうだ。しかし、本当に、これが「未来応援給付」の効果を持つのだろうか。バブル崩壊後のこの30年間、欧米などと比較して、日本の消費者購買力は低下し、アベノミクスの金融緩和で貧富の格差は拡大してきた。ここに於いて、選挙対策のバラマキ政策が実現してしまうことは、今後、選挙のたびにバラマキ公約を掲げてさえいれば、一定数の票を獲得できるということになってしまいかねない。我が国が、金融緩和などで誤魔化して、規制改革などの痛みを伴う改革に本気で取り組んでこなかったことが、我が国の経済力の低下を招いてきたが、ここに至っても、まだ、後世の若者に負担を残すだけのバラマキを続けるのだろうか。与党議員達と、それを喜んでいる一部の国民の良識を疑わざるを得ない。なさけない国に成り下がってしまったものだ。

※※※
 戊辰戦争に敗れた長岡の人たちの暮らしは、その日の食事にも事欠くありさまだった。そんな中、小林虎三郎は「どんな苦境にあっても教育をおろそかにできない」と主張し、明治2年(1869)5月1日から、焼け残った長岡城下四郎丸村の昌福寺の本堂を仮校舎として、国漢学校を開校した。
 翌年5月、長岡の窮状を見兼ねて、支藩の三根山藩から見舞いとして、米百俵が送られてきた。藩士らは、当然分配されるものと待った。しかし、小林虎三郎は、分配しても一人当たりいくらにもならないこの百俵を元にして学校を建てることが、戦後の長岡を立て直す一番確かな道だと説いた。そして、反対する藩士らを説得し、米を売り、その代金を国漢学校の書籍や用具の購入に充てたのである。

 上記の史実と、今回のバラマキ政策を比較してみようではないか。10万円の効果は、米百俵を一時的に消費してしまうことで終わるのか、それとも、「未来応援給付」の意味を持つのだろうか。国庫は無限では無い。政府が無駄にお金をバラマク一方で、我が国の財政上の信頼は失われ、購買力平価などは低下していく。
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今朝の散歩

2021年11月06日 | 日記
 昨日は眼科に自転車(15分程度)で行っただけなので、今朝は少し多めに散歩しようと、いつもの公園内から川沿いに西進し、かちどき橋を通って新町川沿いを両国まで行き、シャッターが目立つ商店街のアーケードを経て、寺町辺りを散策し、帰りは、新町川の対岸を歩いて、警察署の解体現場を見て感慨にふけりつつ、公園の黄色く色づいた木の葉を見つつ帰宅した。約2時間で歩数計は12,934歩であった。

 昼からは、野球中継(阪神-巨人戦)を見ながら、「糸」という映画をアマゾンプライムで見た。
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