2.日曜日休業令が迫ってきている!
これまでアメリカの最高裁判所は、日曜日に休まなければならないという法令が、合法的で公平な法であるという見解を示してきました。このような最高裁の見解は、すべての州で日曜日休業法を制定できる扉を開いたことになります。もちろん、このような立場は個人の自由が国家によって侵害されることを認めることになります。しかし、大多数の国民と国家の利益のためには、少数者が譲歩しなければならないという論理で、日曜日休業法を制定できるのです。さらに、犯罪と不道徳が日に日に深刻になっていく中で、日曜休業法は青少年や国民を教会へと向けさせる良い方法だと考えるのです。日曜休業法は、最初は非常に柔軟な形で施行されるかもしれませんが、次第に強力な本性を現すはずです。
この点を決して忘れないでください。預言によれば、日曜休業法はアメリカが主導権をとって進められていきます。そして最終的には安息日に関する問題は、アメリカだけなく全世界の人々にとって、試金石になります。すべての人は、日曜日礼拝か土曜日礼拝かのどちらかを選択しなければならなくなります。獣の刻印は、神様の戒めにはっきりと示されている安息日を犯すことを選んだ者たちに押されるのです。日曜日礼拝を支持することで、反キリストである教皇権に忠誠を尽くし、神様の創造と権威を象徴する第七日目安息日を拒絶するのです。
3.決断は今しなければならない
ある人々はこのような質問をすることでしょう。「しかし、これが私とどんな関係があるのですか?」。これは非常に重要な質問ですが、この質問に対する答えはさらに重要なものです。私たちは聖書の最後の預言が実現する直前に生きています。安息日を遵守する問題には、私と皆様の永遠の生命がかかっているだけでなく、神様とサタンとの最後の大争闘で、どちらが神様に従う正しい道なのかという問題もかかっているのです。安息日に関する問題は、生活の便利さや不便さを超越する問題です。私たちは神様ご自身が直接記録された十戒に関する問題を扱っているという点を忘れてはなりません。故意に、計画的に罪を犯す人々は救われません。最後の時代に安息日は神様に捧げる私たちの従順と愛を試すテストとなるのです。「人が、なすべき善を知りながら行わなければ、それは彼にとって罪である」(ヤコ ブ4:17)。
サタンは、最後の時代の大闘争のために、数世紀前から準備してきました。サタンは教皇権を通して、中世時代にすでに「時と律法とを変え」、全世界を深い欺瞞の中へと追いやったのです。しかし、神様は預言を通してサタンのそのような計画を暴露し、アメリカの出現と変身についての預言を与え、神様の聖徒たちがそのような誤りから逃れる道を用意してくださったのです。今、全世界は二つの旗の下に分けられつつあります。
キリストとサタンの間で起きた大闘争の歴史が、今その最後の局面を迎えようとしています。宗教合同運動によって、多くの教団が真理を妥協しながら、一つにまとまりつつあります。このような形で一つにまとまった教団にとって、神様の聖なる安息日に従うかどうかは、大きな問題ではないとして扱われるでしょう。そのような時に、もう一つの群れが、真理の旗を掲げて立ち上がります。彼らは「神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒」たちです(黙示録 14:12)。
今後、この日曜休業法の問題は深刻さを増していくことになります。各人は神様の命令か、人間の作った伝統か、どちらに従うかの決断を迫られます。神様の安息日を守ることで神様の印を受けるのか、獣が作り出した偽の安息日を守ることで獣の刻印を受けるのか、決めなければなりません。黙示録が提示している最後の戦いは、神様の戒めを守る者たちと獣の刻印を受ける者との間で繰り広げられることになります。今、私たちは、この問題を深く考え、決断しなければならない時なのです。
「いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである」(黙示録 22:14)。