ロシア軍に攻撃された学校跡 ドネツク州クラマトルスク BBC
8月12日の朝日新聞に、早稲田大学教授の豊中郁子が「ウクライナ 戦争と人権」という寄稿文を載せている。豊中は「犠牲を問わぬ地上戦 国際秩序のため容認 正義はそこにあるのか」という副題で、ウクライナでの現実の地上戦での人々の犠牲を心の底から嘆いている。
豊中はこの中で、ヨーロッパのシンクタンク、欧州外交評議会が 行ったヨーロッパ諸国10か国のウクライナの戦争に関する、極めて興味深い世論調査を引用している。
それは、6月15日に公表されたもので、日本のメディアではNHKが報じている。NHKによれば、ロシア・ウクライナ戦争に関し、
「和平派」=「できるだけ早期に戦闘を停止し交渉を始めるべきで、戦争終了のためにはウクライナ側が多少の譲歩をするのもやむを得ない」と
「正義派」=「ロシアに侵略の代償を払わせ、ウクライナは国土を取り戻すべきで、戦闘の長期化や負傷者の増加もやむを得ない」
に分け、どちらに近いかを調査したものである。
これで分かることは、ヨーロッパ10か国全体の世論は、「和平派」が35%と「正義派」22%を上回っていることであり、多くの国民は、「早期に戦闘を停止し交渉を始めるべき」だ望んでいることである。「正義派」が「和平派」を上回るのは、指導者レフ・ヴァウェンサ(ワレサ)で知られる「連帯」によって、旧ソ連体制に激しく抵抗し、ロシア嫌いが徹底しているポーランドだけである。
人命より「正義」の西側政府
ここで重要なのは、「正義派」は、上記の豊中の言葉を借りれば「犠牲を問わぬ地上戦」を「国際秩序のため容認」するというものであり、ゼレンスキーの徹底抗戦を支援し、大量の武器供給を行っている西側政府の方針を表していることである。その武器供給量は、その国の以前からのロシアとの抗争の大きさに比例し、アメリカが最大であり、その次が英国である。そしてそれは、少なくともヨーロッパ諸国においては、世論とは完全に異なっているということである。
侵略者を撃退するために侵略された側に大量の武器を供給し、ウクライナを助けるのは、道義的に正しく、「正義」である。しかし、現実には、ロシア軍をウクライナ領土から完全に放逐するためには、ウクライナ人の膨大な数の人命(同様に膨大なロシア兵の人命も)が失われることになる。西側政府と主要メディアは、ウクライナ軍と米英軍事当局の「大本営発表」を鵜呑みにして流すが、その情報が真実だとしても、戦闘は一進一退を繰り返しており、ロシア軍がウクライナ領土から撤退する気配はまったくない。それを撃退するまで戦うとは、犠牲者は無限に増え続けるだけである。
「正義派」とリベラルの結びつき
日本で、和田春樹などのロシア・東欧研究者が、「即時停戦の呼びかけ」を提唱した時に、それがロシア寄りとして「ロシアの撤退が先」という反発が一斉に上がった。その声は、概ね、右派からではなく、いわゆるリベラル派からである。リベラル派とは、厳密な定義などないが、重視する立場(自由は往々にして平等と対立する概念であるので、その対立がある時に、平等を優先するのが左派である。例を挙げれば、大資本、大金持ちの自由を規制し、平等なシステムを作れ、と左派は言う。)と言っていい。香港の北京政府による言論弾圧を非難するのも、このリベラルの立場からである。「ロシアの撤退が先」というのは、とりもなおさず、ロシアの侵攻が自由、民主主義、人権を破壊している、という思いからだと思われるが、「ロシアの撤退が先」とは、「撤退しないロシアを撃退すべきで、安易に停戦すべきではない」という論理になり、当然、ウクライナへの軍事支援強化を生む出す。
この「正義派」とリベラルの結びつきは、日本だけではない。概ねリベラルな中道右派と中道左派のヨーロッパ各国政府が、反ロシアで一致しているのに対し、ハンガリーの反リベラルのオルバン右派政権が、対ロシアには融和的であるのは、その象徴的なものと言える。アメリカでも、常に武力行使を厭わないタカ派色の濃い共和党はもとより、バイデンの民主党主流派も停戦など眼中になく、ウクライナへの強力な武器供給を推し進めている。
そしてこの「正義派」と結びつくリベラルな論理が、各国の軍事力増強を容認することに繋がっている。ロシア撃退のためのウクライナへの軍事支援は、それだけに止まらない。ウクライナへの軍事支援をしながら、自国の軍事力を強化しないことは、矛盾するからである。リベラルな国際秩序を破壊するロシアや中国の「悪い国」から自国の平和を守るための軍事力強化に反対できないのである。戦争に反対だと言いながらも、「悪い国」からの自国に対する侵略を抑止するための軍事力強化を黙認せざるを得ないのである。
このリベラルと結びついた「正義派」の論理は、西側主要メディアの論調を支配している。それがNATOの強化、日本では米軍と一体化した軍事力のさらなる拡大を後押ししているのである。日本のメディアもこの論理で貫かれており、核軍縮は進めるべきとしながらも、通常兵器の軍拡はやむを得ないものとみなしている。
実際、ウクライナへの軍事支援強化への対応は左派内部でも意見が割れており、ドイツSPDや英国労働党のように、中道左派は強化容認、元労働党首のジェルミー・コービンのような明白な左派は反対と、対応は様々となっている。
終わらない戦争に、一般庶民の厭戦気分は増大する
西側の経済制裁は、ロシアの侵略を辞めさせる効果は、今のところまったくない。確かに、ロシア国民を困窮させる効果はあるが、それが却ってロシア国民の対西側への憎悪を生み、結束させるという逆効果になっている。むしろ制裁は、それをしている側の生活困窮の方が大きくなっているのである。ヨーロッパ諸国の、燃料費を始め、著しい物価上昇は、庶民階層を激しく痛めつけている。上記の世論調査は、それを反映している。
リベラルなどの思想的基盤が強くない一般庶民にとっては、終わらない戦争による自分たちの生活困窮や、現実にウクライナ・ロシア双方の多くの人びとの死の方が身近に感じられるからである。それが、世論調査に反映しているのである。そしてこの「できるだけ早期に戦闘を停止し交渉を始めるべきで、戦争終了のためにはウクライナ側が多少の譲歩をするのもやむを得ない」という厭戦気分は、ますます増大していくだろう。
いずれにして、侵攻が始まって半年になる終わらない戦争への西側各国政府の対応は、増大する庶民の厭戦気分を無視できないものとなる。生活が困窮する傍ら、ウクライナへの軍事支援には、莫大な税金が投入されていることなども批判されるだろう。戦争さえ収まれば、それも済むのである。ロシア軍を撃退するまで戦争は継続すべき、という西側政府の方針は、遅くない時期に、方針転換を迫られるのは間違いない。
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