夏原 想の少数異見 ーすべてを疑えー

混迷する世界で「真実はこの一点にあるとまでは断定できないが、おぼろげながらこの辺にありそうだ」を自分自身の言葉で追求する

「国民の多くが反対の東京五輪に、新聞が中止しろと書かないのは、新聞社がスポンサーのせい」

2021-03-06 11:28:29 | 政治


朝日新聞の例
新聞は国民の意向を無視
 東京五輪の今年開催には、すべての世論調査で延期または中止という意見が多数を占める。政府に近い読売新聞でさえ「58%が開催望まず」という結果が出ている(3月3日)。しかし、新聞紙上では、組織委員会の人事や観客をどうするのか、という記事ばかりで、中止すべきという意見は、社説は勿論、「識者」コラムですら載せていない。新聞各社は、民主主義社会は国民の意向を重視すべきだという日頃の「ご託宣」は、すっかり消え、国民を一切無視、自分たちが言うところの「民主主義」に完全に反している。その理由は、明らかに直接的には、新聞社が五輪のスポンサーだからである。
 東京五輪のスポンサー企業には、1「ワールドワイドオリンピック パートナー」、2「オリンピック ゴールドパートナー」3、「オリンピック オフィシャルパートナー」、4「オリンピック オフィシャルサポーター」の4種類があるが、上から順に、それぞれの権利とスポンサー料が異なっている。
全国紙では、朝日、読売、毎日、日経がそろって、3番目の「オフィシャルパートナー」となっている。この場合のスポンサー料は、「五輪公式応援サイト」によれば、推定で20億円程度だという。

新聞はスポーツ大会スポンサーの常連
 新聞社がスポーツ大会の主催または協賛している例は数多い。高校野球は夏は朝日、春は毎日が主催し、正月の箱根駅伝は競技連盟と読売が共催している。その他、サッカー、マラソン、ゴルフと多くのスポーツに協賛している。
 新聞社の意図は、スポーツは健全な文化であり、それを振興するのは社会の重要な役割であると認識しているからである。確かにそれは、通常の状況なら、好ましいことだろう。しかし、現在は通常の状況ではないのである。

 メディアの狙いは、スポーツ大会で購買者・視聴率の増加新聞社はスポーツ大会の主催やスポンサーになった時、その報道ぶりがどう変化するのか、調べた研究がある。朝日新聞が、2002年サッカーワールドカップのスポンサーになった時の研究がある。
「朝日新聞にみる、スポンサーシップによる報道の差について」http://www.waseda.jp/sports/supoka/research/sotsuron2011/1K08A148.pdf
 これによれば、朝日新聞は、「スポンサーとして大会を盛り上げる、人の興味をワールドカップへ向けようとする取り組みがみ られた。具体的には、報道数自体が増加し、大会に絡めた時事問題ではなく、選手・チームの魅力である人柄や 経歴、おいたちを報道する記事が増加した。」
 つまり、新聞記事が「人の興味を」スポンサーとなったスポーツ大会に「向けようとする取り組み」に変化しているのである。もはや、報道機関としての客観性はなく、「大会を盛り上げる」宣伝広告のようなものになっている、ということである。
 このようなことは、朝日新聞だけではないのは、誰でも想像できる。スポンサーになって、大会を「盛り上げる」のは極めて自然な形で行われているのである。そうでなければ、企業である新聞社は、何のために協賛金を出したのか、意味がなくなるからだ。むしろ新聞社は、「盛り上げ」なくればならなものを、「中止にしろ」とは、書けないのは当然である。
 東京五輪のスポンサー企業は数多く、新聞社がメインになっているわけではない。しかし、それでも、スポーツ大会が中止になるかならないかで、営業としての利益に影響する。特に、新聞各社の系列テレビ局は、中止になれば、五輪という最大の高視聴率番組を逃すことになる。(この件に関しては、NHKも同様である。)
 マスメディアは、営業利益を失っても、ジャーナリズムとしての報道ができるのか? 今のところは、まったくその意思は見られない。


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