ひげ爺さんのお散歩日記-3

日々新た、今日は今日、明日は明日の風が吹く

「ソシンロウバイ(素心蝋梅)」 ロウバイ科 

2023-01-26 14:13:47 | 日記
   「ソシンロウバイ(素心蝋梅)」 ロウバイ科 ☆1月2日の誕生花☆
          花言葉は… 慈愛・純愛・ゆかしさ・慈しみ




1月26日(木)和泉市の今日の天気予報は “雨か雪のち曇” です
 今朝の最低気温は1.0℃、最高気温は5.5℃でした。
 昼前から昼過ぎにかけて霙混じりの雨がふりました。
 記録的な寒波は少し緩んだとはいえ、まだまだ寒いです。
              朝、布団から出るのが辛いですね。 15分寝坊 しました
  明日の予報は “雨か雪のち曇” です。最低気温は0.5℃、最高気温は5.6℃の予想です。
  今日とほとんど変わらない空模様、気温のようです。 寒波が過ぎてもなかなか暖かくなりませんね。

いま紅白歌合戦を見ています(いや、バックグラウンドミュージックとして聞いているだっけです。
ほとんど知らん歌手ばっかりだもん。 そしてグループでの出場が多くなりました(しかも皆んなカタカナ
昨日見た五木ひろしの “人生歌がある・5時間SP” のほうがよほど見ごたえがあったわぁ  


   “「和泉市・市民文化祭 子供絵画展」”
   今日の絵は6年生の男の子が描いた「浮世絵と機械」です。 


うん? どこが浮世絵? でもよ~く見るとそれぞれの所作(しょさ)に見覚えが…
検索していくうちに、左が東洲斎写楽の「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」、中が菱川師宣の「見返り美人」、
右が歌川国芳の「相馬の古内裏」だと分かりました。 この3枚を1枚の絵に描いたんですね。
それにしても浮世絵を機械にしてしまうなんて、なんて発想だ

           ⇩ 元絵になった3枚の浮世絵 ⇩
  


             ⇩ おまけの2枚? ⇩
 中学2年生が描いた「ご当地ナンバープレート」です。

左は横浜のナンバーです。 横浜と言えば港横浜、鎌倉の大仏。 ん?あれは崎陽軒のシウマイ?
そして右の大阪ナンバーには… ひげはこういうの知らないんですよねぇ



 今日の花は 「ソシンロウバイ(素心蝋梅)」 です。





ここ泉州では “梅” に先駆け、年が明けて最初に咲く花が 「ロウバイ(蝋梅)」 です。
早い場所では昨年末から咲き始めているところも有ります。
よく見掛ける 「ロウバイ(蝋梅)」 には2種類あります。
花の中心部が暗褐色のものを “ロウバイ(蝋梅)” と云い)、
花弁全てが黄色の花を 「ソシンロウバイ(素心蝋梅)」 と呼び分けています。





 によると…〖庭木などで親しまれるソシンロウバイ…
ロウバイの園芸品種とされます。黄一色で、花びらが丸っこくて芳香が強いのが特長です。
花色が濃くて遠目からでも目立ちます。公園や庭先などによく植えられており、
通常のロウバイより見る機会が多いのではないかと思います。
こちらを通常のロウバイと思っている方も多いかもしれません。
ソシンは素心と書き、本来は複数色になる花色が単色になった品種のことを指します〗



〖中国原産の落葉低木で、花の少ない真冬に花を咲かせます。透き通るような質感と鈍い光沢のある、
ロウ細工みたいな花びらと嫌みのない芳香が特徴的です。
日本には江戸時代に入ってきて、庭木や生け花として親しまれています。
花の咲く時期は早生種で12月頃、晩生種では2月頃になります〗





漢名の 「素心蝋梅」 を音読みした物だそうで、中国で “素心” とは花の中心まで同じ色と云う意味だそうです。
“蝋梅” は中国名も “蝋梅” で、蝋で出来たような梅の花、が由来になっています。
また、臘月(旧暦の12月)に咲き、花が梅に似ているからという説もあります。
原産地は中国奥地で、日本には江戸時代に渡来したそうです。 



 花の蝋梅とは関係ありませんが、中国の「満足が臘梅に戯れる」という逸話…
【昔、或る北の村に李という長者の屋敷がありました。
長者の屋敷の前には河があり、橋が架かっていました。
その河は毎年冬になると凍り、人々は橋の下の氷の上を往来していたのです。
或る年の冬、1人の乞食が橋の下を通り掛かると、焚き火のあとの灰の中に
火種が残っているのを見つけて、火をおこして暖をとりました。
乞食は久しぶりの暖かさに思わず 「満足だ、満足だ」 と声を上げました。



 その声を聞いた長者が屋敷から出て来て、乞食に 「何が満足なのか」 と尋ねました。
乞食は、「3年間乞食をしているが、こんなに暖まったのは初めてで満足した」
と答えました。 乞食の名前は常楽で、寅年の7月15日生まれで、65歳でした。
長者は生まれた年と月が同じだったので貧乏な乞食に同情し、乞食を自分の屋敷に
住まわせ、名前を “満足” と改めさせました。



 満足は楽な暮しが出来るようになりましたが、諺に 「食足りて、不善をなす」 と
あるように、或る日、自分の世話をしてくれている女中の “臘梅” の手を撫でて
しまいました。 臘梅はそのことを李長者に話したが、長者は何も言いませんでした。
満足は咎められなかったのを良い事に、翌日は臘梅を抱いてキスしようとしました。
臘梅がそのことを長者に話すと、長者は手紙を書きました。



 翌朝、李長者は満足を呼んで、「この手紙を江南にいる私の従兄弟に届けてくれ」
と言い、馬1頭と銀50両を渡しました。
満足は手紙に記された江南の小さな町で李長者の従兄弟を捜しましたが、見つからず、
お金を使い果たし、馬も売ってしまいました。
途方に暮れた満足は手紙を開けてみましたが、字が読めなかったので、人に頼んで
読んでもらいました。 そこにはこんな詩が書かれていました。
   “満足、橋下の灰を忘れ、臘梅に戯れる 
         江南に我が従兄弟無し、汝、江南より帰ることなし 
                全てを使い果せし、汝に残されしは飢え”

満足は泣いて悔やみましたが、既に手遅れで、また元の乞食になってしまいました】
コメント (10)
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