『“楽しみな食堂” のお婆ちゃん』
今朝の最低気温は夜中0~7時の7.0℃。 最高気温は午前11時の9.0℃。
10時前から小雨が降り始めました。 少し小寒い一日です。
明日は雨も止み、良いお天気になる予報で、気温も15℃ほど、暖かくなりそうです。
プロ野球オープン戦 中日×広島 を見ています。 新型肺炎の影響で無観客試合です。
投球を受けるミットの音、打球音が大きく響いています。
ヒットを打っても、点が入っても、ホームランを打っても声援は無く… 変な雰囲気です。
3月20日開幕の予定ですが、ちゃんとお客さんを入れて開幕する事が出来るのでしょうか。
と言う事で、特に書く事もなく、新しいブログ友達にも “楽しみな食堂のお婆ちゃん” を
知ってもらいたくて、これまでの日記を拾い集めました。
もう何度も紹介しているので、以前からのお友達はご存じでしょうが、どうか付き合い願います。
「楽しみな食堂のお婆ちゃん」 はこんな人でした。
『楽しみな食堂』
この食堂に初めて入ったのは平成15年、初孫が生まれた時に河内長野に住む娘の所から
観心寺まで、散歩に行って訪れた時です。 それからもう十数回行っています。
そばに立派な食堂も有りましたが、気後れしそうなのでその食堂を選びました。
店内に入ると正面に全国の名所の菅笠(お遍路さんが被る日除け笠)が30個あまり
飾ってありました(笠には天竜川下りとか東尋坊とか墨で書かれています)。
ガラスのショーウインドー内には、雑多な土産物に混じって何故か干支の焼き物、
手芸で作ったような毛糸のお人形も。 そして小さなテーブルにパイプ椅子。
テーブル上のガラスコップに紫陽花の一輪挿しが印象的で、なんか私が子供だった頃に
タイムスリップしたような懐かしい空間でした。
2009年9月18日(金)
その食堂は80才位の優しそ~うなお婆さんが一人でやっていました。
壁にズラッと張られたメニューを見ると、驚くほど多くの料理名が並んでいました。
このメニュー、お婆さん一人で全部作れるのかな、と思ったほどです。
※奥に50人位の宴会なら出来るだろうと思える大広間が有ります。
以前、繁盛していた時のメニューがそのままになっているのでしょう。
「山菜うどん、願いします」 「はあ~?」 補聴器の入った耳に口を近づけ
「山菜うどん、さんさいうどんをお願いします」 「へいへぇ~山菜うどん、へぇ」
暫くして出て来たうどんの上に乗っている蒲鉾の一枚は、なんと干乾びて反り返っていました。
ひげが今日の初めての客だったんだな~と思いながら食べ終わった頃…
「どうぞ」 と言ってミカンを一つ頂きました(笑。
次に訪れた時も山菜うどんを注文しました。 しかし出されたのは、 “山菜ソバ” でした。
まあ何が食べたいという訳ではないし、ソバが嫌いでもないので黙って食べ終わると、
「どうぞ」 と言って今度は柿を頂きました(笑。
以後意地になって、以来ずっと “山菜うどん” を注文しています。
3回に1度は違う麺類が出て来ます。
そしてネギが入ってなかったり、とろろ昆布を忘れていたり。
文句を言う気は全くありません。
今では “山菜うどん” が何に変わるか、楽しみにしているほどです。
そして食べ終わったころ、必ず 「どうぞ」 と言って季節の果物をいただきます(笑。
このお婆さん、ええわ~(笑。
ある日は月見うどんが出て来て、巨峰を頂きました(笑。
またある日は、“山菜うどん” を注文したのですが、うどんは切らしている、
「山菜ソバなら…」 と言う事で 「じゃぁ、それを!」 が…出て来たのは “月見ソバ”。
ん~ん、すごいお婆さんだ!(笑。 で、「どうぞ」 はリンゴ2切れでした。
そしてこんな事も… 近所で何かの工事をしている人5~6人が入って来ました。
メニューを見渡し、それぞれに注文するものを決めていた時、お婆さんが…
「作るのに時間かかりまんな~、隣の店に行ってもらえんでっしゃろか~」 と(笑。
商売っ気は全くありません。 このお婆ちゃんには誰も敵いません(笑。
2011年12月27日(火)
お婆さんは人が食べている時は奥に引っ込んでいて、殆んど出て来ません。
親しく話し始めたのはここ2~3回の事です。 で、今日の事…
ガラス扉を開けると、テレビを見ながら石油ストーブのお守りをされていました。
「山菜うどん、お願いします」 「はぁ~、うどんの玉は有ますんやけどな~
何も用意してまへんのや~、もう店閉めよう思うてますんや」
来年87歳になられるそうで、もう食堂をやめる決心をされたようです。
「素うどんでよろしかったら…」 出されたのは、油揚げが嫌と云うほど入った
“きつねうどん”でした。 「ご飯も有りますんやけど…」 「いえいえ、これで結構です」
きつねうどんは500円です。 400円で良いと言うお婆ちゃんの手に500円玉を
握らせると、 「そうでっか、えらいすんませんな~ じゃこれを…」
と言ってミカンを3つ持たせてくれました。
2012年8月21日(火)
昨年訪れた時、もう歳なので食堂は止めようと思うと言われていましたが、今日訪ねてみると
殆んどのシャッターは閉まっていましたが、一部上がっていて店内が窺えました。
お婆さんが一人で食事中でした。
「何か食べさせてもらえますか」 と訊くと 「すんませんな~ 食堂はやめましたんや」
今はお土産物を売っているだけだそうです。
それでも 「これでも飲んで下され」 と栄養ドリンクの封を切ろうとされたので
あわてて辞退しました(笑。 心優しいお婆さん、いつまでもお元気で(祈。
2012年9月27日(木)
観心寺と云えば “楽しみな食堂” です。 食堂はもう止められたのですが、店は開けて
おられます(お土産物や飲み物を売っておられます)。
途中のコンビニでオムスビを買い、あわよくばお店で食べながらお話が出来るかな…と(笑。
お店を訪ねるとお婆さんはお昼の食事中。 お婆ちゃんはお元気でした(笑。
一緒に食事しながら30分、たっぷりお話をしました。
お婆ちゃんは母より5才下の87才(※当時)で一人暮らし。
「私の母の一日は入れ歯探しから始まるんですよ」 と話すと…
「そうなんですよ、私は補聴器探しからですねん。 寝る前、ついその辺に置いて寝て、
朝どこに置いたか忘れてしまって…」 同じですね(笑。
ガスを点けっ放しで警報のピッピが聞こえなくて、隣の人が聞きつけてくれたとか…。
今日も元気ですよと、玄関先に印をしとかなければとか…。
炊事が負担に感じ始めたのでおかずの宅配を頼もうかとか…。 初めて親しくお話をしました。
2012年12月25日(火)
今日も途中のコンビニでおむすびを買い、お婆ちゃんの “楽しみな食堂” で
お話ししながら食べようと思ったのですが…。
お寺の前のどの食堂、お土産物売り場も “定休日” の札が下がっていました。
不吉な予感。 楽しみな食堂のシャッターは50cm程上げられてはいますが、
硝子戸は閉められていました。
戸を開けて呼んでみたのですが、残念ながら不在のようでした。
まあ、鍵がかかっていないと云う事はお元気なのでしょう。
2013年7月23日(火)
母をデイケアに送り出し、娘の所(河内長野市)へ孫に会いに行って来ました。
と、云っても毎週のように会っているのですが、夏休みと云う事で…(笑。
私のもう一つの目的は観心寺前の “楽しみな食堂” にお婆ちゃんを訪ねる事でした。
最後に訪れたのは昨年暮れで、シャッターが少し開いてはいたものの、声を掛けても
出て来られず、心配していました。
高齢の為、もう食堂はやっておられないのですが、出来れば場所をお借りして
昼食を食べながらお話し出来たら…と、途中のコンビニでオムスビを買って行きました。
“楽しみな食堂” のシャッター1枚が開けられ、中を覗くとお婆さんが年配の男性と
話しておられました。 お元気そうです。 嬉しくなってその男性に軽く会釈しただけで…
「お婆さん、久し振りですねぇ、お元気でしたかぁ」 って明るく声を掛けたのです。
が、 “ありゃ、この掛け声、この口調は、お年寄りを訪ね、親切を装って騙す輩と同じ?”(汗。
案の定、その年配の男性が怪訝な顔をして 「母とどんなお知り合いですか?」(汗。
その男の人は息子さんだったんですねぇ(笑。
知り合った経緯を話し、お婆さんにも加勢してもらって… 後はもう…(笑。
息子さんを交えて3人で大盛り上がりのお喋りです。
息子さんは私より3歳年下ですが、会社の役員をしているのでまだお勤め…、
すこし離れた所にお住まい…、 お婆さんは今年88歳で一人住まい…、
近所の八百屋さんの主人が倒れ、店を閉めていて食材が手に入りにくい…、
朝店を開けるのが遅くなった時は、近所の男の人が 「婆さん、まだ生きとるかぁ」 と
声を掛けてくれる…、 最近は耳が遠くなって…等々(笑。
「そうですかぁ、ひ孫さんは何人おられるんですか?」 「孫は女の子3人おるんですがなぁ
誰も結婚せんのですわぁ、あんまりうるさく言うと嫌われるんで、言わん事にしとるんです」
多分、私の娘と同じ年頃なんでしょうねぇ(笑。
「今日はその子たちが来て、夕食を作ってくれますねん」 「そりゃ今晩はご馳走ですねぇ」
「へえ、楽しみにしてますねん」(笑。
食堂をされている時はほとんど話した事の無いお婆さんでしたが、今日はたっぷり話しました。
「愛想おまへんでしたなぁ、またおこしやす。 今日は楽しゅうおました」
「いえいえ、こちらこそ… また来ます、お元気で…」
2013年8月22日(木)
“楽しみな食堂” のシャッターは1m位引き上がられていて、中を覗くとお婆さんはお昼寝中。
悪いな~とは思ったのですが、折角来たんだからと思って声を掛けました。
機嫌良く目覚めてもらってホッ。 「お元気でしたか~」 「最近は脚が弱ってあきませんねん」
買い物は息子さんのお嫁さんに頼んで、買って来てもらうのだそうです。
近々、店を閉めるかも知れないので、店に飾っている笠を貰ってくれと頼まれ、
いただきました。 笠には“南紀白浜・三段壁”と書かれていて、日頃被っては歩けませんね(笑。
「今度はいつ来てくれます?」 「冬休みですかねぇ、元気でいて下さいよぅ」
帰りにセルフタイマーで “木枯らし紋次郎” 風に撮ってみました。
が、やけに太って見えますねぇ(笑。
2014年7月22日(火)
今日も途中のコンビニでオムスビを買い、楽しみな食堂で場所を借りて食べさせて
もらおうと思っていたのですが、シャッターは全て閉じられ人の気配は有りません。
不安なまま帰路に着き、木陰で持参したオムスビを食べていると、
郵便配達の人が通り掛かったので訊いてみました。
「昨日も見ましたが元気そうでしたよ」 安心しました(笑。
2014年11月21日(金)
昨日娘の所に車を止めて延命寺の紅葉を見に行ったのですが、もう一つの目的は
「楽しみな食堂」 のお婆ちゃんに会うためでもありました。
7月に訪ねた時は、シャッターは全て閉じられ人の気配は無かったのですが、
郵便配達の人が通り掛かったので訊いてみると
「昨日も見ましたが元気そうでしたよ」…でした。
昨日も、もし会えたらお話をしながら食べさせてもらおうと、途中のコンビニで
オムスビを買って行きました。 シャッターは全て開いていました。
お婆ちゃんは少し耳が遠いので、大きな声で 「こんちは~」 ・・・・・あれ?
手でメガホンを作って更に大きな声で 「こんにちは~」 「へいへい」(ほっ・笑。
私の顔を見ると 「はいはい、お待ちしていました。 おいくらでしたかな~」(汗。
「お婆ちゃん、わたし、わたし、ひげですよ。 以前 笠をいただいた…」
「ああ~、最近物忘れが酷うおましてなぁ、集金においでかと思いましてん」
やれやれ、思い出してもらって良かった~(笑。
7月に来た時、シャッターが下りていて心配した事を話すと
「もう店を閉めましたやろ。 近所の方やお寺(観心寺)の方たちに良く旅行に誘われますねん」
未だに杖は使わず歩いているそうです 「一度杖を使うと頼ってしまいますやろ」
?ちょっと違うと思いましたが、これがお婆ちゃんの真骨頂なんでしょう(笑。
見ると柱に杖が立て掛けて有ります 「これ、お婆ちゃんの杖じゃぁないんですか?」
「いやいや、それはお客さんの忘れ物ですねん。 私は一度も使った事はありません」(笑。
朝、お婆ちゃんが起きて来ない時は“元気か~”と書いた紙が扉に挟んで有る事。
近所の人に買い物を頼むが、気を遣うとの事。 お孫さんたちが良くしてくれる事…
外に聞こえる位大きな声で30分ほどお話しました(笑。
「それじゃまた来ます。 くれぐれも転ばないように気を付けて下さいよ」
「次はいつ来てくれはりますかいなぁ」 「学校が冬休みになったらまた来ますよ」
私は、孫に会いに来た時に…との気持ちで言ったのですが
「そうですか、座敷は広いですさかい、お孫さんと来てもらっても遊べますさかい」(笑。
孫たちと一緒に来ると勘違いされたようです(笑。
2015年3月26日(木)
観心寺へは11時半に娘宅をスタート。 途中コンビニに寄ってサンドイッチを買い、
道中の景色の良い川縁で水のせせらぎを聞きながらいただきました。
ちょっとしたピクニック気分です(笑。 お天気がいいのでリュックを背負って
散策する方を沢山見掛けました。
で、楽しみな食堂に着いたのですが… シャッターは降りたままでした。
食堂の隣の畑で仕事をしていた小父さんにお婆さんの安否を聞いてみました。
「もう施設に入ってんとちゃうか? 最近見掛けんさかい」
・・・やっぱり最後はそう云う事になるんですねぇ(汗。
昨年11月に訪れた時は、まだ杖は使っていない。 近所の方やお寺(観心寺)の方たちに
良く旅行に誘われる。 朝、お婆ちゃんが起きて来ない時は “元気か~” と書いた紙が
扉に挟んで有る… などと話され、お元気そうだったのですが。
これでこのお婆ちゃんとの10数年間の縁は切れてしまったのかなぁ。
どこの施設に入っているのか分からないし、たとえ分かったにしても訪ねて行くほどの
関係でも無いですし… 寂しいですね。 この辺りを散歩する楽しみが無くなりました。
2015年8月23日(日)
今日は観心寺回りの里山に “キツネノカミソリ(狐の剃刀)” を撮りに行って来ました。
もう介護施設に入られ、会えないと思っていた食堂のお婆さんに奇跡的に会えたのです。
10時前、観心寺の駐車場に車を止めて、ふと前を見るとあの 「楽しみな食堂」 の
シャッターが上がっているでは有りませんか。
もしや!? と思い 「こんにちは~ こんにちは~」 声を掛けましたが返事がありません。
「こんにちは~ こんにちは~」 奥から男の人の声で 「は~い」
以前会った事の有る(母とどんなお知り合いですか?と疑われた)息子さんです。
「シャッターが開いていたので、もしかしてお婆ちゃんが帰っておられるかと思って…」
と言うと 「居ますよ、いま便所に行ってて… ちょっと待っといて下さい」(笑。
「はいはい、どなたさんですかいなぁ?」 「お婆ちゃん、私を覚えてます?」
「・・・」(汗。 「まえに良くお昼を食べに来た… 笠をもらった…」
すると息子さんが頭を指さし 「痴呆が進んで物忘れが酷いんですわぁ」
「息子とケンカばかりしてますねん」 とお婆ちゃん。
息子さんによると、同じ事を何度も何度も訊ねるのでついついケンカになるんだそうです(笑。
昨日今日は息子さんがお休みなので、一時帰宅と云う形で家に帰っているそうです。
「お婆ちゃん、施設は楽しいですか?」 「へいへい、皆んな良くして下さいますで」
「施設ではどんな事をしてるんですか? 歌を歌ったり、折り紙したり…」
「わたし、そんなん嫌いですねん」(笑。 お婆ちゃんらしいですねぇ。
「じゃ何が好きなんですか?」 「身体を動かすことですなぁ、昔卓球やってましてん」
「いつ頃です?」 「女学校の頃からですなぁ」 というと戦前? 凄い!(汗。
「今でも杖は使うてませんのやで」 お婆ちゃんの自慢です(笑。
息子さんに杖を買ってもらったのですが、突いて行っても帰りには忘れて帰るので
息子さんに良く叱られるそうです(笑。 30分ほどお話して別れました。
「これからどこへ?」 「山沿いを歩いて花の写真を撮って来ようと思っています」
・・・・・里山を散歩してお昼過ぎ、食堂の前を通るとお婆さんがお昼御飯中でした。
「お婆さん、今帰りました~」 「 ・ ・ ・ 」 …いいんですよお婆ちゃん(笑。
これがお婆ちゃんに会った最後でした。
2018年8月18日(土)
今日は河内長野に住む娘のところに車を置き、観心寺周辺を歩いて来ました。
9時の気温は25.4℃。爽やかな乾いた風が心地良かったです。 観心寺といえば…
以前からのブログ友達は 「楽しみな食堂」 のお婆ちゃんを覚えておいででしょう。
あのお婆ちゃん、お亡くなりになっていました。
「楽しみな食堂」 の有った場所を通り掛かると、なんか以前と景色が違う…
「楽しみな食堂」 は跡形もなく更地になっていました。 もしかして…
付近の違う食堂に入り、コーヒーを注文し(別に飲みたくはなかったのですが)、
お店の人にお婆ちゃんの安否を訊ねると 「今年初めにお亡くなりになったんですよ」(汗。
もう一度お会いしたかったなぁ。 ご冥福をお祈りします。
今日の歩数 0歩
今朝の最低気温は夜中0~7時の7.0℃。 最高気温は午前11時の9.0℃。
10時前から小雨が降り始めました。 少し小寒い一日です。
明日は雨も止み、良いお天気になる予報で、気温も15℃ほど、暖かくなりそうです。
プロ野球オープン戦 中日×広島 を見ています。 新型肺炎の影響で無観客試合です。
投球を受けるミットの音、打球音が大きく響いています。
ヒットを打っても、点が入っても、ホームランを打っても声援は無く… 変な雰囲気です。
3月20日開幕の予定ですが、ちゃんとお客さんを入れて開幕する事が出来るのでしょうか。
と言う事で、特に書く事もなく、新しいブログ友達にも “楽しみな食堂のお婆ちゃん” を
知ってもらいたくて、これまでの日記を拾い集めました。
もう何度も紹介しているので、以前からのお友達はご存じでしょうが、どうか付き合い願います。
「楽しみな食堂のお婆ちゃん」 はこんな人でした。
『楽しみな食堂』
この食堂に初めて入ったのは平成15年、初孫が生まれた時に河内長野に住む娘の所から
観心寺まで、散歩に行って訪れた時です。 それからもう十数回行っています。
そばに立派な食堂も有りましたが、気後れしそうなのでその食堂を選びました。
店内に入ると正面に全国の名所の菅笠(お遍路さんが被る日除け笠)が30個あまり
飾ってありました(笠には天竜川下りとか東尋坊とか墨で書かれています)。
ガラスのショーウインドー内には、雑多な土産物に混じって何故か干支の焼き物、
手芸で作ったような毛糸のお人形も。 そして小さなテーブルにパイプ椅子。
テーブル上のガラスコップに紫陽花の一輪挿しが印象的で、なんか私が子供だった頃に
タイムスリップしたような懐かしい空間でした。
2009年9月18日(金)
その食堂は80才位の優しそ~うなお婆さんが一人でやっていました。
壁にズラッと張られたメニューを見ると、驚くほど多くの料理名が並んでいました。
このメニュー、お婆さん一人で全部作れるのかな、と思ったほどです。
※奥に50人位の宴会なら出来るだろうと思える大広間が有ります。
以前、繁盛していた時のメニューがそのままになっているのでしょう。
「山菜うどん、願いします」 「はあ~?」 補聴器の入った耳に口を近づけ
「山菜うどん、さんさいうどんをお願いします」 「へいへぇ~山菜うどん、へぇ」
暫くして出て来たうどんの上に乗っている蒲鉾の一枚は、なんと干乾びて反り返っていました。
ひげが今日の初めての客だったんだな~と思いながら食べ終わった頃…
「どうぞ」 と言ってミカンを一つ頂きました(笑。
次に訪れた時も山菜うどんを注文しました。 しかし出されたのは、 “山菜ソバ” でした。
まあ何が食べたいという訳ではないし、ソバが嫌いでもないので黙って食べ終わると、
「どうぞ」 と言って今度は柿を頂きました(笑。
以後意地になって、以来ずっと “山菜うどん” を注文しています。
3回に1度は違う麺類が出て来ます。
そしてネギが入ってなかったり、とろろ昆布を忘れていたり。
文句を言う気は全くありません。
今では “山菜うどん” が何に変わるか、楽しみにしているほどです。
そして食べ終わったころ、必ず 「どうぞ」 と言って季節の果物をいただきます(笑。
このお婆さん、ええわ~(笑。
ある日は月見うどんが出て来て、巨峰を頂きました(笑。
またある日は、“山菜うどん” を注文したのですが、うどんは切らしている、
「山菜ソバなら…」 と言う事で 「じゃぁ、それを!」 が…出て来たのは “月見ソバ”。
ん~ん、すごいお婆さんだ!(笑。 で、「どうぞ」 はリンゴ2切れでした。
そしてこんな事も… 近所で何かの工事をしている人5~6人が入って来ました。
メニューを見渡し、それぞれに注文するものを決めていた時、お婆さんが…
「作るのに時間かかりまんな~、隣の店に行ってもらえんでっしゃろか~」 と(笑。
商売っ気は全くありません。 このお婆ちゃんには誰も敵いません(笑。
2011年12月27日(火)
お婆さんは人が食べている時は奥に引っ込んでいて、殆んど出て来ません。
親しく話し始めたのはここ2~3回の事です。 で、今日の事…
ガラス扉を開けると、テレビを見ながら石油ストーブのお守りをされていました。
「山菜うどん、お願いします」 「はぁ~、うどんの玉は有ますんやけどな~
何も用意してまへんのや~、もう店閉めよう思うてますんや」
来年87歳になられるそうで、もう食堂をやめる決心をされたようです。
「素うどんでよろしかったら…」 出されたのは、油揚げが嫌と云うほど入った
“きつねうどん”でした。 「ご飯も有りますんやけど…」 「いえいえ、これで結構です」
きつねうどんは500円です。 400円で良いと言うお婆ちゃんの手に500円玉を
握らせると、 「そうでっか、えらいすんませんな~ じゃこれを…」
と言ってミカンを3つ持たせてくれました。
2012年8月21日(火)
昨年訪れた時、もう歳なので食堂は止めようと思うと言われていましたが、今日訪ねてみると
殆んどのシャッターは閉まっていましたが、一部上がっていて店内が窺えました。
お婆さんが一人で食事中でした。
「何か食べさせてもらえますか」 と訊くと 「すんませんな~ 食堂はやめましたんや」
今はお土産物を売っているだけだそうです。
それでも 「これでも飲んで下され」 と栄養ドリンクの封を切ろうとされたので
あわてて辞退しました(笑。 心優しいお婆さん、いつまでもお元気で(祈。
2012年9月27日(木)
観心寺と云えば “楽しみな食堂” です。 食堂はもう止められたのですが、店は開けて
おられます(お土産物や飲み物を売っておられます)。
途中のコンビニでオムスビを買い、あわよくばお店で食べながらお話が出来るかな…と(笑。
お店を訪ねるとお婆さんはお昼の食事中。 お婆ちゃんはお元気でした(笑。
一緒に食事しながら30分、たっぷりお話をしました。
お婆ちゃんは母より5才下の87才(※当時)で一人暮らし。
「私の母の一日は入れ歯探しから始まるんですよ」 と話すと…
「そうなんですよ、私は補聴器探しからですねん。 寝る前、ついその辺に置いて寝て、
朝どこに置いたか忘れてしまって…」 同じですね(笑。
ガスを点けっ放しで警報のピッピが聞こえなくて、隣の人が聞きつけてくれたとか…。
今日も元気ですよと、玄関先に印をしとかなければとか…。
炊事が負担に感じ始めたのでおかずの宅配を頼もうかとか…。 初めて親しくお話をしました。
2012年12月25日(火)
今日も途中のコンビニでおむすびを買い、お婆ちゃんの “楽しみな食堂” で
お話ししながら食べようと思ったのですが…。
お寺の前のどの食堂、お土産物売り場も “定休日” の札が下がっていました。
不吉な予感。 楽しみな食堂のシャッターは50cm程上げられてはいますが、
硝子戸は閉められていました。
戸を開けて呼んでみたのですが、残念ながら不在のようでした。
まあ、鍵がかかっていないと云う事はお元気なのでしょう。
2013年7月23日(火)
母をデイケアに送り出し、娘の所(河内長野市)へ孫に会いに行って来ました。
と、云っても毎週のように会っているのですが、夏休みと云う事で…(笑。
私のもう一つの目的は観心寺前の “楽しみな食堂” にお婆ちゃんを訪ねる事でした。
最後に訪れたのは昨年暮れで、シャッターが少し開いてはいたものの、声を掛けても
出て来られず、心配していました。
高齢の為、もう食堂はやっておられないのですが、出来れば場所をお借りして
昼食を食べながらお話し出来たら…と、途中のコンビニでオムスビを買って行きました。
“楽しみな食堂” のシャッター1枚が開けられ、中を覗くとお婆さんが年配の男性と
話しておられました。 お元気そうです。 嬉しくなってその男性に軽く会釈しただけで…
「お婆さん、久し振りですねぇ、お元気でしたかぁ」 って明るく声を掛けたのです。
が、 “ありゃ、この掛け声、この口調は、お年寄りを訪ね、親切を装って騙す輩と同じ?”(汗。
案の定、その年配の男性が怪訝な顔をして 「母とどんなお知り合いですか?」(汗。
その男の人は息子さんだったんですねぇ(笑。
知り合った経緯を話し、お婆さんにも加勢してもらって… 後はもう…(笑。
息子さんを交えて3人で大盛り上がりのお喋りです。
息子さんは私より3歳年下ですが、会社の役員をしているのでまだお勤め…、
すこし離れた所にお住まい…、 お婆さんは今年88歳で一人住まい…、
近所の八百屋さんの主人が倒れ、店を閉めていて食材が手に入りにくい…、
朝店を開けるのが遅くなった時は、近所の男の人が 「婆さん、まだ生きとるかぁ」 と
声を掛けてくれる…、 最近は耳が遠くなって…等々(笑。
「そうですかぁ、ひ孫さんは何人おられるんですか?」 「孫は女の子3人おるんですがなぁ
誰も結婚せんのですわぁ、あんまりうるさく言うと嫌われるんで、言わん事にしとるんです」
多分、私の娘と同じ年頃なんでしょうねぇ(笑。
「今日はその子たちが来て、夕食を作ってくれますねん」 「そりゃ今晩はご馳走ですねぇ」
「へえ、楽しみにしてますねん」(笑。
食堂をされている時はほとんど話した事の無いお婆さんでしたが、今日はたっぷり話しました。
「愛想おまへんでしたなぁ、またおこしやす。 今日は楽しゅうおました」
「いえいえ、こちらこそ… また来ます、お元気で…」
2013年8月22日(木)
“楽しみな食堂” のシャッターは1m位引き上がられていて、中を覗くとお婆さんはお昼寝中。
悪いな~とは思ったのですが、折角来たんだからと思って声を掛けました。
機嫌良く目覚めてもらってホッ。 「お元気でしたか~」 「最近は脚が弱ってあきませんねん」
買い物は息子さんのお嫁さんに頼んで、買って来てもらうのだそうです。
近々、店を閉めるかも知れないので、店に飾っている笠を貰ってくれと頼まれ、
いただきました。 笠には“南紀白浜・三段壁”と書かれていて、日頃被っては歩けませんね(笑。
「今度はいつ来てくれます?」 「冬休みですかねぇ、元気でいて下さいよぅ」
帰りにセルフタイマーで “木枯らし紋次郎” 風に撮ってみました。
が、やけに太って見えますねぇ(笑。
2014年7月22日(火)
今日も途中のコンビニでオムスビを買い、楽しみな食堂で場所を借りて食べさせて
もらおうと思っていたのですが、シャッターは全て閉じられ人の気配は有りません。
不安なまま帰路に着き、木陰で持参したオムスビを食べていると、
郵便配達の人が通り掛かったので訊いてみました。
「昨日も見ましたが元気そうでしたよ」 安心しました(笑。
2014年11月21日(金)
昨日娘の所に車を止めて延命寺の紅葉を見に行ったのですが、もう一つの目的は
「楽しみな食堂」 のお婆ちゃんに会うためでもありました。
7月に訪ねた時は、シャッターは全て閉じられ人の気配は無かったのですが、
郵便配達の人が通り掛かったので訊いてみると
「昨日も見ましたが元気そうでしたよ」…でした。
昨日も、もし会えたらお話をしながら食べさせてもらおうと、途中のコンビニで
オムスビを買って行きました。 シャッターは全て開いていました。
お婆ちゃんは少し耳が遠いので、大きな声で 「こんちは~」 ・・・・・あれ?
手でメガホンを作って更に大きな声で 「こんにちは~」 「へいへい」(ほっ・笑。
私の顔を見ると 「はいはい、お待ちしていました。 おいくらでしたかな~」(汗。
「お婆ちゃん、わたし、わたし、ひげですよ。 以前 笠をいただいた…」
「ああ~、最近物忘れが酷うおましてなぁ、集金においでかと思いましてん」
やれやれ、思い出してもらって良かった~(笑。
7月に来た時、シャッターが下りていて心配した事を話すと
「もう店を閉めましたやろ。 近所の方やお寺(観心寺)の方たちに良く旅行に誘われますねん」
未だに杖は使わず歩いているそうです 「一度杖を使うと頼ってしまいますやろ」
?ちょっと違うと思いましたが、これがお婆ちゃんの真骨頂なんでしょう(笑。
見ると柱に杖が立て掛けて有ります 「これ、お婆ちゃんの杖じゃぁないんですか?」
「いやいや、それはお客さんの忘れ物ですねん。 私は一度も使った事はありません」(笑。
朝、お婆ちゃんが起きて来ない時は“元気か~”と書いた紙が扉に挟んで有る事。
近所の人に買い物を頼むが、気を遣うとの事。 お孫さんたちが良くしてくれる事…
外に聞こえる位大きな声で30分ほどお話しました(笑。
「それじゃまた来ます。 くれぐれも転ばないように気を付けて下さいよ」
「次はいつ来てくれはりますかいなぁ」 「学校が冬休みになったらまた来ますよ」
私は、孫に会いに来た時に…との気持ちで言ったのですが
「そうですか、座敷は広いですさかい、お孫さんと来てもらっても遊べますさかい」(笑。
孫たちと一緒に来ると勘違いされたようです(笑。
2015年3月26日(木)
観心寺へは11時半に娘宅をスタート。 途中コンビニに寄ってサンドイッチを買い、
道中の景色の良い川縁で水のせせらぎを聞きながらいただきました。
ちょっとしたピクニック気分です(笑。 お天気がいいのでリュックを背負って
散策する方を沢山見掛けました。
で、楽しみな食堂に着いたのですが… シャッターは降りたままでした。
食堂の隣の畑で仕事をしていた小父さんにお婆さんの安否を聞いてみました。
「もう施設に入ってんとちゃうか? 最近見掛けんさかい」
・・・やっぱり最後はそう云う事になるんですねぇ(汗。
昨年11月に訪れた時は、まだ杖は使っていない。 近所の方やお寺(観心寺)の方たちに
良く旅行に誘われる。 朝、お婆ちゃんが起きて来ない時は “元気か~” と書いた紙が
扉に挟んで有る… などと話され、お元気そうだったのですが。
これでこのお婆ちゃんとの10数年間の縁は切れてしまったのかなぁ。
どこの施設に入っているのか分からないし、たとえ分かったにしても訪ねて行くほどの
関係でも無いですし… 寂しいですね。 この辺りを散歩する楽しみが無くなりました。
2015年8月23日(日)
今日は観心寺回りの里山に “キツネノカミソリ(狐の剃刀)” を撮りに行って来ました。
もう介護施設に入られ、会えないと思っていた食堂のお婆さんに奇跡的に会えたのです。
10時前、観心寺の駐車場に車を止めて、ふと前を見るとあの 「楽しみな食堂」 の
シャッターが上がっているでは有りませんか。
もしや!? と思い 「こんにちは~ こんにちは~」 声を掛けましたが返事がありません。
「こんにちは~ こんにちは~」 奥から男の人の声で 「は~い」
以前会った事の有る(母とどんなお知り合いですか?と疑われた)息子さんです。
「シャッターが開いていたので、もしかしてお婆ちゃんが帰っておられるかと思って…」
と言うと 「居ますよ、いま便所に行ってて… ちょっと待っといて下さい」(笑。
「はいはい、どなたさんですかいなぁ?」 「お婆ちゃん、私を覚えてます?」
「・・・」(汗。 「まえに良くお昼を食べに来た… 笠をもらった…」
すると息子さんが頭を指さし 「痴呆が進んで物忘れが酷いんですわぁ」
「息子とケンカばかりしてますねん」 とお婆ちゃん。
息子さんによると、同じ事を何度も何度も訊ねるのでついついケンカになるんだそうです(笑。
昨日今日は息子さんがお休みなので、一時帰宅と云う形で家に帰っているそうです。
「お婆ちゃん、施設は楽しいですか?」 「へいへい、皆んな良くして下さいますで」
「施設ではどんな事をしてるんですか? 歌を歌ったり、折り紙したり…」
「わたし、そんなん嫌いですねん」(笑。 お婆ちゃんらしいですねぇ。
「じゃ何が好きなんですか?」 「身体を動かすことですなぁ、昔卓球やってましてん」
「いつ頃です?」 「女学校の頃からですなぁ」 というと戦前? 凄い!(汗。
「今でも杖は使うてませんのやで」 お婆ちゃんの自慢です(笑。
息子さんに杖を買ってもらったのですが、突いて行っても帰りには忘れて帰るので
息子さんに良く叱られるそうです(笑。 30分ほどお話して別れました。
「これからどこへ?」 「山沿いを歩いて花の写真を撮って来ようと思っています」
・・・・・里山を散歩してお昼過ぎ、食堂の前を通るとお婆さんがお昼御飯中でした。
「お婆さん、今帰りました~」 「 ・ ・ ・ 」 …いいんですよお婆ちゃん(笑。
これがお婆ちゃんに会った最後でした。
2018年8月18日(土)
今日は河内長野に住む娘のところに車を置き、観心寺周辺を歩いて来ました。
9時の気温は25.4℃。爽やかな乾いた風が心地良かったです。 観心寺といえば…
以前からのブログ友達は 「楽しみな食堂」 のお婆ちゃんを覚えておいででしょう。
あのお婆ちゃん、お亡くなりになっていました。
「楽しみな食堂」 の有った場所を通り掛かると、なんか以前と景色が違う…
「楽しみな食堂」 は跡形もなく更地になっていました。 もしかして…
付近の違う食堂に入り、コーヒーを注文し(別に飲みたくはなかったのですが)、
お店の人にお婆ちゃんの安否を訊ねると 「今年初めにお亡くなりになったんですよ」(汗。
もう一度お会いしたかったなぁ。 ご冥福をお祈りします。
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