日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

老人日記(10)

2024-08-16 12:00:02 | Weblog
 「老人日記、その10、来島盆踊り」

 令和6年8月15日(木)、長島地区の隣の来島(くるしま)地区で、「盆踊り」がありました。18時過ぎに行くと、お坊さんが来ていて、公民館で供養をしていました。
 いつも一緒に打っていた「E」さん、体調が良くなくて、最後までお願いしますと言われました。殆ど一人で打ちました。「佐伯音頭」「佐伯小唄」「佐伯めぐり数え歌」「ばんば踊り」「炭坑節」「やっちき」などの曲を、悔いなく、楽しく打てました。
 好きだから、きつくても、出来ると思いました。後で、家内が撮ったビデオを見ると、終始、突っ立った格好で、打っていましたが、もう、自分も年だから、しょうがないかなとも思いました。
 疲れましたが、いい汗かかせて頂きました。
 関係者の皆さん、ご苦労様でした。
 ありがとうございました。
 
 
*https://www.youtube.com/watch?v=1XkyTtL0MS8(←佐伯音頭)
*https://www.youtube.com/watch?v=su6sSTmotaY(←佐伯めぐり数え唄)
*https://www.youtube.com/watch?v=OTL4kLreTyU(←ばんば踊り)
*https://www.youtube.com/watch?v=mIZweWYvpsM(←佐伯小唄)


 (令和6年8月16日、記載)

*16日の早朝、長嶋地区の区長さんが来て、「今日、太鼓を、お願いします・・・」と言われました。まあ、後片付けは、しないで、打つだけだから、気の毒なんですが・・。

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老人日記(9)

2024-08-13 10:11:21 | Weblog
 「老人日記、その9、日本人のルーツ」

 日本人は、ユーラシア大陸から来たと、長いこと信じ込まされていましたが・・・それが、覆されました。
 以前から、インドのタミル地方で話されるタミル語や中国の奥地のチベット地方で話されるチベット語が、日本語と実によく似ていると、言われて来ました。日本人が、そこから来たのでは、何て意見もありましたが・・・それが、逆に、日本人が、そこに渡って、そこで、日本文化を広げたとしたら・・・→私にとっては、藤井聡太7冠が、誰も思い付かない感じの神の一手を指した感じの驚きですが・・・?!
 7.300年前、南九州で、大爆発があって、九州南部は、壊滅状態になりました。灰は、東北地方にまで及びました。それから約1.800年掛けて、世界中に日本人が移動して行ったのです。グリーンランドや南米まで(当時は、氷河期で、た易く移動できていましたから)全世界に・・・それが証拠に、例えば、アメリカやカナダやアフリカでも、縄文土器が発見されていますから。
 世界にアチコチ移動して行った日本人自身と日本の文化が、どこに行っても、いいので、受け入れられて、それが長い間、消えずに、今も残っている・・・→何て、考え過ぎかな?!
 今は、DNA解析で、科学的に証明出来ているのです。
 日本人は、平和主義で、争いを嫌がって、日本列島に来ています。そんな人種の人が集まったのが、日本です。日本には、欧米の様な奴隷制度は、ありませんでした。先に来た縄文時代の人と、後から来た弥生時代の人が、争うことなく、平和に共存していました。そんな平和を愛する日本人自身が、見方によっては、文化遺産って感じになるのかな・・・?!
*https://www.youtube.com/watch?v=pQIweveVo9g(←新説:日本人のルーツ)
*https://www.youtube.com/watch?v=On2_DbhaDRg&t=90s(←ヘブライ語と日本語?!)
*https://www.youtube.com/watch?v=uhgr8yIKOR4(←シュメール文明)
*https://www.youtube.com/watch?v=l9u9oeeoBoU&t=325s(←多国語で、佐伯を書くと)

*再掲です。写真は、2.022年6月1日に撮った青森県の「三内丸山遺跡」です。

 (令和6年8月13日、記載)



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老人日記(8)

2024-08-12 13:27:12 | Weblog
 「老人日記、その8、日本語で多国語)

 多国語学習上、意味は違うのに、日本語とたまたま似ているケース、あります。又、意味まで、似ているのもありますが・・・。
 ヒンディー(語)では(←正確には、ヒンディー自体に、ヒンディー語の意味が含まれています。こんな感じで、ハングルも、ハングル語でなくハングルと言うべきで、イスラム教もイスラムと言うべきなのですが・・・)、年長の男性に対して親しく呼ぶ場合、「バーバー」と言います。「おじいさん」「おじさん」「おやじさん」って感じでしょうか。アラビアンナイトで、アリババが出てきますが、「アリおやじ」って感じで使われている感じですが・・・?!
 ヒンディー(語)で、「ジージー」と言う言い方は、「お姉さん」と親しく呼ぶ場合に、使われます。
 タイ語では、男女の区別なく、「あなた」「あなた達」の意味で、「クン(君)」と言います。私(男性)は、僕でなく「ポム」と言います。
 (スリランカの言葉である)シンハラ語では、私を「ママ」、あなたを「オバ」と言います。
 スペイン語では、め牛のことを「バカvaca」、にんにくのこと「アホajo」と言い、居酒屋のことを「タベルナtaverna」と言い、ギリシャ語でも、居酒屋のことを、「タヴェルナ」と言います。(←スペイン語では、Vは、Bの発音になり、ギリシャ語では、βは、Bででなく、ロシア語と同じく、下唇を上の歯で噛むVの発音になります。)
 アラビア語では、あなた(男性)のことを「アンタ」と言います。
 トルコ語では、いい(良い)は、「イイ」で、とてもは「チョク」と言い、超いいは、「チョク イイ」と言います。父は、「ババ」と言い、娘は「クズ」と言います。種は、「タネ」と言います。
 インドネシア語を覚えるのに、「人はオラン、飯はなし、魚はイカン、菓子は食え」と言います。人は「オランorang」、ごはん(米)は「ナシnasi」、魚は「イカンikan」、菓子は「クエkue」と言います。インドネシアに生息するオランウータンは、oran (h)utan は、森の人の意味です。
 中国語と韓国語、日本語と似ているもの、多いです。特に、韓国語は。

*今から4年前の令和2年8月11日に記載したものの再掲です。

 (令和6年8月12日、記載)



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老人日記(7)

2024-07-14 11:30:18 | Weblog
 「老人日記、その7、時は今!」

 定年前の人に、「いくつまで生きたいですか?」と、尋ねると、「85歳まで」と言う人が多いそうですが・・・そうか、それだと、私の場合、後10年だなあ・・・?!
 家内に同じ質問をすると、「死ぬまで生きるのよ!」との明快な回答が返って来ますが・・・?!
 私自身、昔から、一人になっても、部屋でいろいろ考えたり、出来たりして、退屈しない感じの人間だった気がしますが・・・?!(←大学の時、親しい友達から、そうも言われていましたが・・・)
 興味のあることを書いてみました・・・→
 考えてみると、私の場合は、お金があまり掛からないことが多いですね。タバコとアルコール、ないし、日光にも、よく当たっているし、趣味も多いので、85歳を過ぎても、まだ、生きているかも・・・?!

1、自分なりの運動(ヨガと太極拳と筋トレと指圧、いろいろ、混ぜての体操ですが、ほぼ、毎日、していますが・・・)
2、ウォーキング(マイペースで、家の周りをよく歩いています、雨の日は出来ませんが・・・)
3、人間ウォッチング(食べ物の好き嫌いと同じで、見ていると、これも、面白いですね・・・)
4、家の庭ウォッチング(ジョロウグモの成長を楽しく見ていますが・・・)
5、昼寝(横になると、気持ちいいですね・・・)
6、瞑想(風呂の中でも)
7、ネットサーフィン、ブログ記載(昔毎日、今は、時々)
8、多国語(フランス語と中国語とハングルは、教育テレビで録画してしっかりと)
9、篠笛・和太鼓(ほぼ毎日)
10、詰め将棋(私の藤井7冠ファンは、まだまだ、続く感じですが・・・?!)

*https://www.youtube.com/watch?v=VYBL35rwD9k(←日本最高!?)
*写真は、6月末、大分市の「レンブラントホテル」に宿泊した時に、撮ったもの。

 (令和6年7月14日、記載)





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老人日記(6)

2024-07-13 09:56:30 | Weblog
 「老人日記、その6、しゃべり場」

 令和6年7月10日(水)、月1回の恒例の出来事で、家内と近所の二人の女性が、一緒に昼食を摂った後に、我が家に来て、14:30~17:00過ぎまで、いつもの4人の「しゃべり場」になりました。
 それぞれの悩みを聞いて、それなりのアドバイス(←になっているのかどうか、分かりませんが・・・?!)をして、まあ、いい解決策がなくて、悩みを聞いてあげることしか出来ないことも多いのですが・・・何でも、主婦は、思いを胸に秘めておくと、健康に良くないとのことで、夫は、家で毎日1時間近く、奥さんのしゃべりをじっと我慢して聞くことが必要で、それが、夫婦円満のコツだとか・・・?!
 令和6年7月11日(木)、同級生を中心に、360度お墓に囲まれた「雨月庵」に、男性7名、女性3名が集まって、記念すべき「角打ちの日」を祝いました。
 後期高齢者が多いのに、皆さん、元気で、話題が豊富ですね。
 10:00前~13:30まで、話は、いろんな方面に飛び交いました。ずっとこれが続くといいですね・・・。

*写真は、令和6年7月11日(木)の「角打ちの日」の「雨月庵」で撮ったもの。

 (令和6年7月13日(土、記載)


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老人日記(5)

2024-07-12 11:15:50 | Weblog
 「老人日記、その5、日本で良かった!」

 令和2年6月24日(水)、18:00過ぎに家を出て、家内と一緒に、「BAL」で夕食を摂りました。自宅からBALまで、歩いて20分、自宅から佐伯駅まで、歩いて、同じく20分・・・延岡に住んでいた時に、「コッコロ」と言うイタリアレストランにしばしば行っていましたが、その時も、同じく20分程、掛かっていました。家内に言わせると、ちょうどいい運動量とのことですが・・・年金生活者になって、20分の距離が遠いと思わなくなり、タクシーを使うことも、少なくなりました。雨が降っても、傘差して、少し濡れながらも、元気に歩いています。
 で、BALで、食事を終えて、その前のスーパーの入口に立って、正に、中に入ろうとしていた時、BALのマスターが、私達の所に走ってきました。「携帯が・・・」と言われて、テーブルに置き忘れていたことに、その時、初めて気が付きました。
 パリに行った時、世話をしてくれた人が、地下鉄で、扉が閉まる寸前に、外から、見ているスマホをサッと取られたのを見たことがあると、言われていました。
 佐伯に来ていたインドネシアの研修生が、財布を落として、落ち込んでいたのに、警察署に届けられていたので、ビックリしたと言われていましたが・・・。
 何駅だったか、はっきりと覚えていませんが、列に人がずらっと並んでいる状態で、財布からお金を出そうとした時、小銭がバラバラと数枚、下に落ちてしましました。その時、周りにいた(見知らぬ)人が、4人だったかな(?)、何も言わずにサッとお金を拾って、私にくれました。その早さ、正に条件反射みたいな感じで、実に早かったですね。
 日本で良かった、ホントに。
 東南アジアのある国の空港では、乗って帰る直前に、小銭を集めて回っている人がいましたが・・・(空港で、荷物をちょっと運んでも、お金を請求され、それなりのお金をあげても、もっとないかとも言われましたが・・・)。

*1年前に記載したものの再掲ですが、写真は、令和6年6月17日に撮ったものです(左から、長女の長女、長女。長女の次女、家内の順)日本は、安全面、清潔面、それに、精神面が、特殊ですね。「思いやりの精神」、「和をもって貴しとなす」、素晴らしいと思います。ただ、教育、政治など、問題は、山積ですが・・・。


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老人日記(4)

2024-06-25 08:39:39 | Weblog
 「老人日記、その4、孫は来て良し帰って良し・・・」

 6月20日(木)~22日正午まで、一緒に、長女の家族三人と同行しました。そして、小倉駅に乗る前に、別れました。
 一緒にいる時は、ヒヤヒヤすることが多くて、気を使い、いなくなると、ポッカリと穴が開いた感じになりました。
 いろいろ、娘や孫たちから、教わりました。
 「ジオキャッシングGeocaching」と言う、国際的な遊びを教えてもらいました。大分の「若草公園」、佐伯の「若宮八幡宮」、「高崎山」で、宝物を探す感じで、運良く、見付けて、喜んでいました。
 7歳と12歳の孫は、英語も日本語も、全く普通に話して、凄いなと思いました。(←日本語の補習校に土曜日に通っていますが・・・両親が日本人だと、海外にいても、日本語、しっかり覚えますね。)
 時々、早口で姉妹が英語で言い、その都度、じいちゃんは、理解できずに、落ち込みました。
 日本語の学習では、漢字が難しいみたいで、補習校の夏休みの宿題で、佐伯でも、漢字の勉強をしばしばしていました。
 日本の英語教育、完全に、遅れてますね。英語の教師が英会話できなくても、それが、超おかしいと思わずに、大きな問題にならないことが問題かなあ・・・?!英語を話す機会が少ないし、それに、長文中心の受験英語だからなあ・・・。
 長女は、今回、佐伯の歯科(←高校の時の同級生)を受信し、安い!早い!無駄がない!と言って、日本の医療は素晴らしいと、何度も、言っていました。
 佐伯の水道の水は、「美味しい!」と、孫たちも絶賛しています。7歳と12歳の女の娘は、和食の素晴らしさも、今回、知った感じですが・・・?!
 中にいると、慣れてしまって、良さが分からないんですね。

*写真は、長女の長女(12歳)が、佐伯を出る時に、書いたもの。
 学校では、スペイン語を週4回、教わっていて・・・12歳の孫は、「K-POP」が好きで、ハングルを、自分で勉強していましたが(←ヨーロッパでは、国民全員が、3か国語を話せる様に、それも、普通に話せる様に、積極的に動いている様ですが・・・!!)。
 アメリカの家には、テレビはなく、佐伯では、「ドラえもん」と「パーマン」のビデオをツタヤから借りてきて、真剣に見ていましたが・・・。

 (令和6年6月25日、記載)





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老人日記(3)

2024-06-24 09:42:21 | Weblog
 「老人日記、その3、関門海峡1回半往復」

 令和6年6月22日(土)、長女の家族3人と私たち夫婦2人は、小倉駅内のホテルに2泊して、昼過ぎに、長女の家族は、新幹線に乗って行き、私たちは、ソニック→にちりん(大分で乗り換え)に乗って、佐伯に帰りました。
 アメリカでは、夏休みが(地域によって、多少違いますが)、5月24日~8月12日まであり(←学校からの宿題は、全くなし!)、5月31日~6月26日まで、日本に滞在となります。お金が円安もあって、高騰しているので、次は、早くても、2~3年後かなあ?(←前回の来日は、まる5年前でしたが)
 今回、佐伯に滞在中に、一緒に、大分に2泊し、別府は、長女家族だけで1泊し、最後に、一緒に、小倉に2泊し、あちこち、悔いのない様に、フルに見て回った感じですが・・・。
 一番良かったのは?、と尋ねると・・・→「高崎山」で、二番目が、下関の水族館「海響館」、三番目は・・・と言いかけた所で、いや、一番良かったのは、「関門海峡人道トンネル」の歩道を1回半往復したこととのことでした。(←下関側からトンネルに入る時、記念のスタンプを押すのを忘れて、再び、門司港側から、二人が真剣に楽しそうに走って往復!←大人3人の意見を聞かずに)
 「地獄温泉」「うみたまご」「小倉城」も良かったみたいですが、佐伯の、「茶室(汲心亭で正座して一服)」も「コスモタウン」も、それに、「城山」「番匠川」も良かったみたいで・・・(←長女は、今回、数回、城山の長女まで、登っていましたが・・・!!)
 それに、隙間のない感じで、友達と一緒に遊んで、食べて、話して・・・。
 
*写真は、長女の次女(7歳)が、佐伯で、描いたもの。

 (令和6年6月24日、記載)




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老人日記(2)

2024-06-23 11:46:33 | Weblog
 「老人日記、その2、4家族が集合しました・・・」

・5月31日(金)
 羽田空港に、4家族が、午後、集合しました。長女家族3人、次女家族3人、長男家族3人、それに、私たち夫婦2人の総計11人が・・・長女の夫だけ、仕事で、来れませんでした。
 集合する場所を、いろいろ考えた末、長女は、アメリカから、次女は、埼玉県から、長男は、札幌市から、そして、私たち夫婦は、九州の佐伯市からなので、羽田国際空港が最適と言うことになったのです。まあ、いろいろあって、金曜と土曜のホテル代は、高いのですが、貴重な日なので、仕方なく・・・。
 そして、初めて知ったこと、羽田空港内にあるレストラン、11人の前もっての予約、出来ないんですね。それに、11人も座れる所、極めて少ないんですね。
 長女の家族とは、まる5年ぶりで、二人とも、大きくなっていました。
・6月1日(土)、長女の長女が、この日の夕方から、下痢・嘔吐・(38度以上)発熱して、熱が下がらなかったら、延泊する予定でしたが、五苓散と葛根湯で、幸いなことに、嘘みたいに、一晩で元気になりました。
・6月2日(日)、次女家族、長男家族と別れ、長女家族3人と私たち2人は、羽田空港から宮崎空港までANAに乗って行き、そこから、そこから、電車で帰りました。

*写真は、私の長男の長男(年長組)と次女の長男(年中組、小学生としばしば間違えられるとのこと)で、羽田空港で、飛行機を見ています。

 (令和6年6月23日、記載)





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老人日記(1)

2024-05-24 12:06:55 | Weblog
 「老人日記、その1、いろいろありました・・・」

 この1ヶ月間、ブログを全く記載してこなかったのですが、実に、いろんなことがありました。
 ・4月21日(日)に、近くに住んで、懇意にしていた人の葬儀があり、夫婦で参列しました。しばらく施設生活でしたが、(娘さんの話ですと)最後は、安らかに、眠ったままで、苦しそうな感じは、全くなくて、満100歳(!)になったばかりで、大往生だったとのことでした。昔、大きな病院の産婦人科の助産師をしていて、多くの人から慕われていました。日本舞踊も、得意でした。私と顔が合うと、必ず、お互いに、いろんな話を楽しくしていました。
 ・5月14日(火)に、私の実の次兄が、亡くなりました。2年8ヶ月ほど、入院していました。次兄は、私にとっては、正に、多くのことの先生で、私が、一番影響を受けた人と言っても、過言ではありません。次兄は、大学の時に、独学で、フランス語を勉強していて、私と一緒に鹿児島市に住んでいた時には、ロシア語を勉強していて、その影響と思われますが、私に、多国語の面白さを抱かせてくれました。鹿児島工業高等専門学校の名誉教授でした。
 5月19日(日)に、佐伯市で、親族中心に、葬儀を終えました。

 ・5月16日(木)に、5年近く使っていたパソコンが、突如、「自動修復」と出て、やむなく、5月17日に、買い換えました。石丸文具店の人と同級生の人に、教わりました。機種が変わると、私の場合、なかなか付いて行けません。
 ・5月22日(水)、5年近く使っている手持ちの「i-phone」が壊れた感じになって、覚悟して、23日に、「au佐伯支店」に行くと、「少し劣化しているけど、まだ、大丈夫ですよ」と言われ、も少し、頑張ることにしました。

 (令和6年5月24日、記載)

  

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