日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

続・相対性理論・・・

2012-12-02 14:47:46 | Weblog
 3歳の頃、ある男性が不慮の事故で化学薬品が目にかかって、両眼失明してしまいました(海外の話しですが・・・)。それから30年して、眼が見える様にと、手術が施されました。目が見えなくて、白い杖を用いて歩いていたので・・・とても楽しみにしていたのですが・・・→驚いたことに、手術して見えるのに、前よりも上手く歩けないのです。距離感が掴めないのです・・・例えば、階段を下りる時も、どの程度の落差があるのか、見えているのに、しっかりと対応出来ていないのです。
 後頭葉にある視覚の中枢が、体験により学習して、ちゃんと機能が出来上がるのは、6歳~9歳までで、それまでに出来あがっておく必要があるとのことですが・・・。
 それと同じ感じで(?!)、アインシュタインの「相対性理論」も、実体験がないので、どうもピンときませんね・・・。
 急に乗り物が走り出すと、後ろに引っ張られる感じになり、又、逆に急に止まると、前に押し出される感じになります。それは、「慣性の法則」があるからで、加速度が初めに加わる時は、後ろに引っ張られる感じになりますが、しばらくして、等速直線運動って感じになると、加速度が加わわらなくなるので、それがなくなりますね・・・。
 高校の物理では、F=mαと教わります。Fは力で、mは質量で、αは、加速度です。乗り物の初めと終わりに、正に、それを体で実感できるかと思います。エレベーターで上下する時も、それなりに実感できるかと思いますが・・・。
 又、電車に乗っていて、自分が乗っている電車が止まっているのに、隣の電車が動き出すと、隣の電車が止まっていて、自分の乗っている電車が動き出したと勘違いすることがありますね・・・!救急車が前から来る場合と後ろに行ってしまう場合、サイレンの音が、ドップラー効果で、はっきりと違いますね。しかし、光だと、それが当てはまらなくなり、どうしてもアインシュタインの相対性理論が必要となるのです。
 我々は、地図で、北半球が上で、北極星が上の方にあると思いがちですが、この宇宙では、実際のことは、誰にも分かりませんね・・・。そもそも、光って何なのでしょうか?それまで、光が波(波動)と考えられていたのを、アインシュタインは、光子(光量子)なる物質であるとしました。(←波だと、光の媒質のエーテルがないといけないので、つじつまが合うのです・・・)。
 アインシュタインの相対性理論では、まず、「光速度不変の原理」があります。動いていると、空間は縮み、時間は遅れるとしました。つまり、光速が不変であるとすると、時間と空間(時空)が変わらざるを得ないのです。

・動いているものの時間=止まっている時間×√1-(動いているものの速度/光速度)の2乗
・動いている時の長さ=止まっている時の長さ×√1-(動く速度/光速度)の2乗)
・速度=V+Wを1+V×W/C2乗で割る(V:小惑星から診た宇宙船の速度、W:宇宙船から見たロケットの速度)
・動いている時の質量=止まっている時の質量/√1-(動いている速度/光速度)の2乗
*(√は、1-から2乗までずっとかかる)

 と明快な式がありますが・・・光の速度に近くなればなるほど、動いているものの時間が短くなり、又、長さも短くなりますが、光速度以上にはなれません。 

 更には、アインシュタインは、E=m×C2乗なる有名なエネルギーと質量の関係の式を導き出しました。

 1939年8月、アインシュタインは、当時のアメリカ大統領のルーズベルトへ、原子爆弾開発の進言書にサインしました(←ナチスが開発中と思い込んで)。そして、「マンハッタン計画」が進行し、原子爆弾の開発が進んで、1945年7月16日に、ニューメキシコ州の砂漠での原子爆弾実験に成功しました。
 皮肉なことに、それから3週間後、既に降伏しているドイツにではなく、日本に、それも、広島と長崎の2カ所に、違ったタイプの原子爆弾が投下されたのです。そして、今も、多くの国が核を保有し、又、福島の原発事故の再来も、危惧されています・・・。

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相対性理論・・・

2012-12-02 11:40:29 | Weblog
 「相対性理論」・・・多くの人がその本質を知りたいと願っていますが・・・その関係の本を読んでも、何か、ピンと来ないですね・・・。
 NHK教育で、「100分de名著」で、「アインシュタイン・相対性理論」が4回に渡って放映されました。やはり、分かりませんでしたが・・・前よりは、少しは前進したかなと思っていますが・・・?!
 望遠鏡で空を見て、ずっと先まで見えるとすると、その先には、後ろ頭が見える、それが宇宙の姿だとか・・・この世には、光の速度以上のものは存在しないとか・・・光の速度は、常に一定との話は、高校生の時にも、何となく知っていましたが・・・ここから殆ど(相対性理論の理解が)進むことなく、経過していました・・・。
 アインシュタインは、目立たない子どもで、落ちこぼれで、「のろま」と言われてからかわれ、ギムナジウムに入ったのに、学校の勉強が嫌で(特に、暗記科目が苦手で)、15歳の時に退学してしまいます。その後、名門チューリッヒ連邦工科大学を受験しましたが、(英語が出来なくて・・・)失敗し、アーラウの州立学校に入学することになります。
 大学では、講義には殆ど出ず、物理実験室で実験ばかりしていて、全般的な成績は、「中の上」でした。卒業後も、大学に残りたかったのですが、物理学部長に嫌われていたので、それが出来なく、家庭教師のアルバイトや臨時の代理教員などをしていました・・・学生時代から付き合っていたミレーバーと結婚したので、知人の口利きで、ベルンのスイス特許庁の三級技術専門職として働くことになりました。
 就職して3年目の1905年3月に「光量子仮説」の論文、更に1カ月後に「ブラウン運動」、そして、同年6月に「特殊相対性理論」を発表しています。(その後、1915年~16年にかけて、長年の宿願の「一般相対性理論」を書き上げています)
 アインシュタインは、特許局の仕事が如何に素晴らしいかを、以下の様に友達に書いて勧めています・・・→
 「うまくすれば、君を特許局の職員の中に押し込むことが出来るかも知れません。そうしたら君は来てくれますか?考えてもみたまえ、8時間労働の他に毎日ひまな時間が8時間残り、そのうえ日曜日があるんですよ・・・(←しかも、この手紙、アインシュタインの理論が大反響を呼び起こしている最中に!)」
 アインシュタインは、6歳からバイオリンを習い、一生手放さなかった。苦闘の連続ともいえるアインシュタインの探求生活で、いつも彼を支えてくれたのは、そのバイオリンでした。


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