三人目の子ども(長男)が産まれた時のことを書いた日記の内容です。あれから、34年余も経ちました。ありありと、その時の状況が思い出されます。
もう、昔の様に、仕事、出来ません。当時、本当に、70歳まで生きれればいいと思っていました。それが、今の、その歳になってる何て・・・!
○昭和60年11月3日(日)晴。
昨日は、午前中107人来て、午後その3分の1ぐらい来て、全部で140人ちょっと来た。今日は、4人入院した。体がだらしいが、明日も頑張るしかないなあ。
○昭和60年11月5日(火)晴。
180人程来た。連休明けで多かった感じだ。疲れた。夕方眠ってしまった。
○昭和60年11月6日(水)晴。
バレーの試合が午後からあって(西田病院では、水曜の午後は休診で、土曜の午後は、普通に仕事)、練習中に手を傷めてしまった。右の親指が腫れ上がった。心配(幸いに、骨折はなかった様だが)。
○昭和60年11月10日(日)晴。
宮医大の○○先生が来るはずだったが、来れなかった。夜7人急患が来た。きつかった。それに少し風邪気味だ。体が一番大切だなあ。11月は、食事会が沢山ある。それで体を壊さない様にしないといけないなあ。
○昭和60年11月12日(火)晴。
土・日に、大学から来なかったのが響いている。それでも、毎日せっせせっせと頑張っている。一人と言うのは、ホントに大変だ。30代では何とか可能かも知れないが、40代では、どう考えても無理だし、このままだと体が壊れてしまう(もう、既に少し壊れているかな)。月報の原稿を書かないといけない。一日一日が無情にも過ぎて行く。そして、歳を取って死んでしまう。ヒトは何の為に生きているのかなあ。
○昭和60年11月15日(金)晴。
麦粒腫で、○○田眼科に行った。切開したけど、少し膿が出ただけだった。午後は、眼帯をして診療した。とてもきつい。二つ眼があるのが当たり前と思っていたことが間違っていた。恵ちゃんが、お腹が突っ張るとのことで23:00にタクシーで病院に行ってしまった。
○昭和60年11月16日(土)晴。
(かわいい僕ちゃんですよ、先生早く見に来て・・・何て、2万人程今までに取り上げている甲斐助産婦さんから、生まれてしばらくして早朝に電話があったが、二人の子どもの関係で行けない)、で何とか工面して行くと、私と同じ丑年で、私と同じ土曜に生まれた伸一(伸び伸びと生きてもらいと願って、私が名付けた)が生まれていた。3270g、色白、ハンサム、聴診上も正常、玉2つ所定の位置にあり。元気一杯。恵ちゃんも元気。しかし、この朝、ホントに大変だった。両親と連絡が付かず、ミーコ(長女)とワコ(次女)の世話で疲れた。今までで一番長い日って感じだった。こんな時に、両親の有り難さがしみじみと分かる。何かの時には、直ぐに母に連絡が付くと思い込んでいたのが間違いだった。今日も、片眼(効き目でない左眼だけ)で診療した。そちらでも疲れた。でも、元気で生まれてくれて幸いだった。
https://www.youtube.com/watch?v=-Vmilx59HKg(←December)
https://www.youtube.com/watch?v=hE2Dxje80AI(←Wakako)
もう、昔の様に、仕事、出来ません。当時、本当に、70歳まで生きれればいいと思っていました。それが、今の、その歳になってる何て・・・!
○昭和60年11月3日(日)晴。
昨日は、午前中107人来て、午後その3分の1ぐらい来て、全部で140人ちょっと来た。今日は、4人入院した。体がだらしいが、明日も頑張るしかないなあ。
○昭和60年11月5日(火)晴。
180人程来た。連休明けで多かった感じだ。疲れた。夕方眠ってしまった。
○昭和60年11月6日(水)晴。
バレーの試合が午後からあって(西田病院では、水曜の午後は休診で、土曜の午後は、普通に仕事)、練習中に手を傷めてしまった。右の親指が腫れ上がった。心配(幸いに、骨折はなかった様だが)。
○昭和60年11月10日(日)晴。
宮医大の○○先生が来るはずだったが、来れなかった。夜7人急患が来た。きつかった。それに少し風邪気味だ。体が一番大切だなあ。11月は、食事会が沢山ある。それで体を壊さない様にしないといけないなあ。
○昭和60年11月12日(火)晴。
土・日に、大学から来なかったのが響いている。それでも、毎日せっせせっせと頑張っている。一人と言うのは、ホントに大変だ。30代では何とか可能かも知れないが、40代では、どう考えても無理だし、このままだと体が壊れてしまう(もう、既に少し壊れているかな)。月報の原稿を書かないといけない。一日一日が無情にも過ぎて行く。そして、歳を取って死んでしまう。ヒトは何の為に生きているのかなあ。
○昭和60年11月15日(金)晴。
麦粒腫で、○○田眼科に行った。切開したけど、少し膿が出ただけだった。午後は、眼帯をして診療した。とてもきつい。二つ眼があるのが当たり前と思っていたことが間違っていた。恵ちゃんが、お腹が突っ張るとのことで23:00にタクシーで病院に行ってしまった。
○昭和60年11月16日(土)晴。
(かわいい僕ちゃんですよ、先生早く見に来て・・・何て、2万人程今までに取り上げている甲斐助産婦さんから、生まれてしばらくして早朝に電話があったが、二人の子どもの関係で行けない)、で何とか工面して行くと、私と同じ丑年で、私と同じ土曜に生まれた伸一(伸び伸びと生きてもらいと願って、私が名付けた)が生まれていた。3270g、色白、ハンサム、聴診上も正常、玉2つ所定の位置にあり。元気一杯。恵ちゃんも元気。しかし、この朝、ホントに大変だった。両親と連絡が付かず、ミーコ(長女)とワコ(次女)の世話で疲れた。今までで一番長い日って感じだった。こんな時に、両親の有り難さがしみじみと分かる。何かの時には、直ぐに母に連絡が付くと思い込んでいたのが間違いだった。今日も、片眼(効き目でない左眼だけ)で診療した。そちらでも疲れた。でも、元気で生まれてくれて幸いだった。
https://www.youtube.com/watch?v=-Vmilx59HKg(←December)
https://www.youtube.com/watch?v=hE2Dxje80AI(←Wakako)