日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

金沢市観光2日目・・・

2013-03-21 21:40:06 | Weblog
 平成25年3月21日(木)、金沢市観光2日目は、朝からとても忙しく動きました。
 まず、(予約していた)「忍者寺(妙立寺)」に行きました。9:50に来る様に言われていたので、それに間に合うように行きました。(←時間にとても厳しくなっていて、遅れると、キャンセルしたものとみなされます・・・)
 この寺、今、人気沸騰って感じになっている様で、30分刻みで沢山の人が訪れていました。(10:00のグループでは、30人が2つのグループに分かれて、見学しましたが・・・)忍者を養成する感じに思う人が多いみたいですが、実際は、忍者とは全く関係のない真面目なお寺でしたが・・・→家の造りが敵を欺く為に、実に巧妙に出来ていました(撮影不可)。
 その後、テクテク歩いて、「犀川(さいがわ)」に掛かる「犀川(さいがわ)大橋」を通って、「長町武家屋敷跡」に行きました。「野村家」の素晴らしい庭園に感動し、「旧高田家跡」や「足軽資料館」も、見ました。
 更に、どんどん歩いて、「近江町市場」の中に入って、そこで買い物までしました(←名物の蟹がかなり安価だと思いましたが・・・)。
 更に、歩いて行くと、ミシュラン3つ星の「MATSUMOTO]のレストランがあり、そこで1人800円の定食を摂りました。(そこが凄いなと思ったのは・・・→そこでのメニューに、カロリーが気になる人の為の低カロリーのメニューがズラッとありましたが・・・)
 その後、又、テクテクと歩き、浅野川に掛かる「浅野川大橋」を通って、「徳田秋聲記念館」に行きました。
 その後、「ひがし茶屋街」に行き、そこで、美味しい生菓子とお茶を摂った後に、再び、「浅野川大橋」を通って、「泉鏡花記念館」に行きました。
 その後は、(足も少し痛くなっていたこともあって)バスに乗りました。「本田町」で降りて、「鈴木大拙館」に行きました。
 いやー、この「鈴木大拙館」、今までのものと異次元の感じで、実に素晴らしかったです。何もないものの存在の大きさを知った感じになりましたが・・・?!(←セカセカした現代人の場合、金沢に来た時には、是非、寄るべき所だと思いました・・・?!!)
 その後、歩いて「兼六園」に行って、梅満開を見た後に・・・→、「金沢城公園」・・・→(再び歩いた後に)最後は、バス→タクシーと乗って、「石川県庁」の19階の展望ロビーに行きました。(←ここは、大きな穴場です!)
 太陽が沈むまで、ずっと見ていました。ちょうどこの時に、県の「生け花展」が開催されていて、それも家内と一緒に楽しむことが出来ました。
 疲れましたが、前日と違って天気に恵まれ、充実した1日でした。
http://www.youtube.com/watch?v=94gAsJYJiFQ(長田武家屋敷跡)
http://www.youtube.com/watch?v=SeZtZo8wsKk(ひがし茶屋街で一服、バックに篠笛で竹の唄の曲が流れています)
http://www.youtube.com/watch?v=qf-winMXpHw(石川県庁19階の展望ロビーから、正面にホテル日航の建物が高く見えます)

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金沢市観光1日目・・・

2013-03-20 23:06:40 | Weblog
 金沢ってどんな所だろう?
 昭和55年4月1日から故郷の大分県佐伯市の救急病院に(小児科を新設してもらって)就職しましたが、その時、脳神経外科専門医のT先生と同時に診療を始めました。そのドックター(医療でとてもお世話なり、今も懇意にしているのですが)・・・金沢大学出身で、それまで金沢にいて、金沢の事をしばしば耳にしていました。「金沢、いいぞ!最高や・・・」って感じで言われていましたが・・・その頃から、金沢ってどんな所なんかなあと思って、行こう行こうと前から思っていたのですが、やっと今回の運びとなりましたが・・・。
 平成25年3月20日(水、祝)、朝の7:25のバスに(熊本県の上天草市の)「龍ケ岳町」から乗って、松島町の「サン・パール」で乗り換え、「熊本駅」から新幹線「さくら」に乗って、「新大阪駅」まで行き、そこから再び、「特急サンダーバード」に乗り換えて、(特急サンダーバードが事情があって15分ほど遅れて)17時半過ぎにやっと(石川県の)「金沢駅」に着きました。
 京都駅から金沢駅に行く途中、雪化粧の山が所々に見えました。あいにくの曇り空で、(それだけの理由でもないと思うのですが・・・)景色がかすんでいました(←黄砂のせいだったみたいですが・・・)。
 「金沢駅」の奇抜な門に、まず、驚きました。門の両脇が、鼓(つづみ)の形から出来ていました。それと対照的に、そこには、モダンな姿もありました(下の3番目のビデオをご覧ください・・・)。
 この金沢1日目は、金沢駅前の宿泊先に荷物を置いて、家内と一緒に、直ぐにそこを出て、(お腹が空いた状態で)傘を持って(63歳と60歳の二人が)テクテクと歩いて行きました。道に迷って、「武蔵ヶ辻」のバス停まで来ていました。それからどんどん南に下がって行き、「香林坊」のバス停を通り、更に、「片町」「堅町」を右往左往して、目的の所を探しました。
 今回、前もって本で調べていて、是非行こうと思っていた「Bistro紙屋市べゑ:びすとろかみやいちべえ」なる店なのですが、探すのが難しく、半ば諦めてしまった時に、家内が目の前にあるのに気が付きました。
 そこの職員の話ですと・・・→以前(100年以上前?)に、同じ場所で、紙屋さんが仕事をしていて・・・「市べゑ」の名前も、恐らく、その紙屋さんで働いていた人の名前では?!とのことでしたが・・・?!その紙屋さんが別の所で仕事をすることになって(今もしていて)、それで、その場所(がいいのに、何もしないとなるともったいないので)にこの店をオープンしたとか・・・?!
 目の前で、豆乳から湯葉を3回取った後に、「にがり」と豆乳を混ぜたものを入れて、次第に固まってきた豆腐を食べましたが・・・。創作のものが多く、初めて食べるものばかりって感じで(デザートも素敵で)、想像以上の内容でしたが・・・(気さくな職員さんばかりで、いろんな個人的な話もし、又、値段は、家内と二人で腹一杯食べても、宿泊先の一人分のディナーの半分程の値段でしたが・・・←やすか!又、金沢に来ることがあれば、初めの夜は、又、ここで食べるつもりですが・・・)。
 帰りは、雨が本格的に降っていて、やむなくタクシーでホテルまで帰りました。
http://www.youtube.com/watch?v=WwN8TqZFCfk(外の景色)
http://www.youtube.com/watch?v=wtGrJsKUrdE(公共交通機関はエコ?!)http://www.youtube.com/watch?v=VKPt45U-ze0(金沢駅) 

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治療的診断・・・

2013-03-19 10:19:28 | Weblog
 第一線の医療では、しばしば、治療的診断を使います。
 例えば、発疹で、何かよく分からない時(発疹がアチコチにあった場合、何かのアレルギーによるものか、ウイルスによるものかなどと、迷うことがよくありますが・・・)、治療する側としては、アレルギーと考えて投薬し、それで経過を見て判断して行くと言う方法をしばしば取ります(それでも、病名が付かないこともありますが・・・)。
 小児科では、内科と比べると、かなり高い確率で診断が当たると思っているのですが・・・典型的にその症状が出ると、治療する側としては、説明し易くて、苦労はないのですが、なかなか教科書通りにはいきません。
 例えば、生まれてしばしば初めての熱として有名な(乳児や1歳児によくある)「突発性発疹症」・・・→熱が高い割に元気で、3日間、高熱が続いた後に発疹が出ると育児書にあり、国家試験を受ける時にも、受験生はそう覚えていますが・・・
 しかし、実際には→熱が4日間(時に5日間)あることもあり、又、不機嫌で元気ないこともあります(時にけいれんが起きることもありますが・・・)。発疹も、解熱後、麻疹様の典型的な発疹だと診断し易いのですが、(突発性発疹症のウイルスも1種類でないので、又、罹患することもあり)発疹が少ないこともあり、診断に迷うこともありますが・・・(夏カゼウイルスで、時に、発疹もありますので・・・)。
 小児科の場合、子どもの主訴には、「発熱」が多いのですが・・・熱があるからと初めからそんな子ども全てに血液検査をする小児科医はいません。今までの経過を見て、機嫌・顔付・食欲・睡眠などの状態を知って、又、周りの子どもたちが流行している病気の情報も加味して、必要と思えば検査をし、治療的診断の方法も、しばしば用いています。
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/categories/1416

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一発勝負・・・

2013-03-18 11:06:42 | Weblog
 WBCで、本命のアメリカが、今回も敗退してしまった。アメリカの監督が次の様な内容で言っていましたが・・・「短期の闘いなので、実力が発揮できない・・・」と。
 フィギャースケートを見ても、本番でどう演技できるかで決まります。それまでどんなに調子良くても、当日の直前の練習でも100%上手に出来ていても、本番で出来なければ、それで決まってしまいます。
 昨日(3月17日)は、NHK教育テレビで将棋のNHK杯があり、羽生善治3冠と渡辺明竜王2冠が対戦していました。羽生さんは、かって7冠を手にし、NHK杯トーナメント戦で24連勝したことのある実力者、一方の渡辺竜王は、もしも、羽生さんに代わる人が出て来るとしたら、この人だろうと将棋界で言われている程の実力者で(24連覇阻止も、この渡辺さん)・・・正に、将棋界の大横綱の千秋楽の勝負って感じでしたが(←私は、共に、ファンですが・・・)→渡辺さん先手で、解説者の解説がしばしばはずれ(!)、渡辺さんの堅い守りと、ゆるぎない確実な攻めで、最後は押し切る感じで渡辺さんの勝利となり、羽生さんの5連覇を阻止しました。
 今日のWBCのプエルトリコ戦でも、その時の日本の選手の調子がどうなのかが問題で、前田投手や日本の打者が、本来の力を出せればいいのですが・・・。
 入学試験や多くの検定試験にしても、同じですね。それに焦点を合わせて上手に調整が出来て、実力を充分に出し切れないと・・・?!

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老人保健施設で演奏・・・

2013-03-16 16:39:14 | Weblog
 平成25年3月16日(土)、「上天草市立上天草総合病院」の隣に隣接する老人保健施設「きららの里」で、演奏しました。
 14:00~15:00の予定が、その10分間から始まったので、70分間の(講演・)演奏となりました。
1、演奏の初めに話をしました。
 人間は、肉体と精神で出来ていると言う話から始まって・・・演奏で精神に栄養が与えられればいいなと思って演奏を・・・日本が(天草が)如何にいい所かを、(いろんな事例を含めて)話しました。
2、季節の曲・・・篠笛で「越天楽」「春の小川」「さくら」
3、3月の誕生日の人を祝って・・・篠笛で「ハッピバースデイツーユー」
4、篠笛で、10曲演奏+「上を向いて歩こう」(←いつものパターンで)
5、手品・・・(まだ披露していないのを)2つしましたが、(長い棒がパット消える手品が上手く行かずに少し)失敗。(急に長い棒が出るのも用意していましたが、自信がなくなって、急遽キャンセル)
6、(タスキを掛けて)和太鼓で(新しい打ち方を入れて)「龍ケ岳音頭」「きよしのズンドコ節」(←受けた感じですが・・・?!)
7、ハーモニカ・・・「ふるさと」など(←いつものパターンで)
8、テープに入れたアコーディオンの演奏と一緒に「青い山脈」(←テープのスピードと7本調子の篠笛が合わず、失敗・・・←ラジカセにテープを入れて演奏するべきだったが、今日に限って、ラジカセを持って行ってなかった・・・)
9、篠笛で「母さんの歌」(←佐伯にいる私の母を思って・・・今年の5月で、92歳になります。)
10、テープに入れたピアノの演奏と一緒に「荒城の月」(←いつものパターンで)
11、一本締め(いつものパターンで)
12、和太鼓・・・バチを3回替えて、「飛翔」(←いつものパターンで)
 いい汗を久し振りにかかせて頂きました。ありがとうございました。
 6月(か7月)に、又、お願いします。
(前回のきららの里での演奏→)http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20121222/2


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小児科の現状と今後の展望

2013-03-15 10:37:10 | Weblog
(平成25年3月15日発行、上天草市の市報、広報上天草2013年3月号の内容です)
 皆さん、こんにちは。小児科担当の田原(たはら)です。今年の夏が来ると、ここに来てまる8年にもなります。天草のアチコチで宿泊し(20ヵ所程)、9月の五橋祭の時には、太鼓を打たせて頂き、11月の文化祭の時には、お茶会でお点前をさせて頂き、天草のアチコチでボランティア演奏もして、天草がとても気に入っています。次第に、天草の人って感じになっていますが・・・(大分県佐伯市出身ですが)。
 昨年の暮れに、当院で永いこと(6年半)頑張られていた**先生が退職されました(永い間、御苦労様でした)。今は、私独りで、上天草総合病院の小児科を担当しています。
 病院での仕事は、平日の外来が主体ですが、午後もそれなりにいろいろあります。月:当院出生のベビーの1カ月健診、火:予防接種、水:帝王切開待機(月に1~2回)、木:院外健診(龍ケ岳町に診療所がないので、3ヵ所の保育園・小学校・中学校の健診をしています)、金:上天草看護学校の講義と、動き回っています。それに、当院出生の新生児・未熟児も(2人体制の時から)担当しています。
 それと、(私の個人的な希望で、当院就職時から)平日の夕診(17時~)と準夜診(19時半~)と年末年始とゴールデンウィーク、更には、土曜の10時からの診療も、ずっと続けています。
 小児科(一般)入院まで手が回らなく、事故が起きるといけないと思い、当初の独りの時と違って、今回は、小児科入院を断念しました。(新生児・未熟児の入院は、まだ、受け持っています。)
 現在、全国的に、中小規模の病院での小児科存続が厳しくなっています。小児科医の数は、全国的に見れば微増で、確実に少しずつ増えてはいるのですが、この18年間、集約化などの影響で、全国の病院から小児科が確実に少しずつ消えています。
 上天草市立上天草総合病院小児科でも、一時、小児科医6カ月間不在となり、私が赴任して小児科が復活し、その後、**先生が来て2名となっていたのですが、又、1人になってしまいました。
 私も、体力維持がずっと出来ればいいのですが(今年の5月で満64歳にもなりますが)、今のところは、何とか頑張れています(出来れば、70歳近くまでここで頑張れればいいのですが・・・?!)。

 お願いですが・・・
〇親御さん代わりに子どもさんを連れて来られる方で、それまでの状況をよく把握してなくて、「頼まれましたので・・・」と言われる方がいますが、治療する側としては、それではいい医療が出来ないので、しっかりとそれまでの状態を聞いてきて、教えて下さい。
〇レントゲン撮って下さい、点滴お願いします、○〇の検査をして下さい、抗生物質下さいと言われることがありますが、医療上、必要と思えばそうさせて頂きますが・・・レントゲン検査も成長期の小さい子どもさんにとっては、大人以上に放射線の害がありますし、採血や点滴も、乳幼児にとっては精神的な負担になることもありますし、抗生物質も、腸内細菌のアンバランスを起こして免疫力を低下させることもあるので、ご希望通りに行かないケースもあるかと思いますので、その時には、ご了承の程、お願い致します。
〇子どもの医療は、親御さん達と医療側の相互協力の元で、行われます。喫煙で、咳嗽が止まらなかったり、喘息予防の薬を使用してなくて発作が起きたりしているケースもあります。子どもさん達の為に、手を組んで頑張りましょう。
 昨年は、龍年、今年は、蛇年、龍ケ岳町に住みながら、龍頭蛇尾にならない様に、私も、初心に戻って、自分なりに頑張って行くつもりです。
今後とも、宜しくお願い致します。

http://www.city.kamiamakusa.kumamoto.jp/library/h25/03/(12ページ目)(初めの写真の右端に、私がかろうじて写っていますが・・・→看護学校での講義も、大切な仕事の1つになっています。)

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刺 客・・・

2013-03-14 16:03:07 | Weblog
 刺客と言う言葉・・・本来は、「 暗殺する人、暗殺者」の意味で使われていた様ですが、選挙の時に、「 党の規律に反し離党した議員に対し選挙での公認を与えず、失脚をねらって党本部が送り込んだ対立候補」として使われていた様ですが・・・?!
 アフガニスタンのタリバンにしても、北朝鮮にしても、民主主義の我々には、その行動はなかなか理解できないものがありますが・・・その根底には、やはり、「貧困」があると思っています。
 生きるのに、最低限の生活も保障されずに、餓死寸前でぎりぎりで生きているケースが多いと思います。テレビのインタビューで、ある兵士が言っていましたが・・・→「相手は、誰もでいい、家族を養う為に、銃を持つ・・・」と。そこには、イデオロギーはないのです。家族を養うことの出来るいい仕事が他にあれば、それをすると思います。好んで、こんな危険なことをする人はいないでしょう。いい仕事がないのです。田畑は荒地です。自分の命を掛けて銃を持って戦地に行くしかないのです・・・。
 北朝鮮にしても、平壌以外での生活は、大変だと思われます。食べるものなくて、餓死寸前の状態で、先の明るい光が全く見えない状態でいる人が多いと思います。それをあまり意識しない様にする為に・・・→北朝鮮の幹部は、外から危険が迫っているとし・・・そちらの方に民衆の意識を向ける為に、今の異常な挑発的な行動をとっていると思われます。
 金正恩のアメリカ選手とのハグや、(韓国の太陽政策での一環としての)開城工業団地での動きが今も普段通りに行われているなど、チグハグな姿を見ると・・・→北朝鮮は、本気で戦争する気は、ないと思います。それを理解しないと、本当の戦争になる可能性があり、想定外の取り返しのつかない事になる可能性があります・・・?!

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE92B01K20130312 

http://www.youtube.com/watch?v=0wD_V_5GC3Q

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休憩室・・・

2013-03-14 10:21:41 | Weblog
 休憩室・・・

その1、隣の島から、80歳近くのおばあさんが小学生の孫を連れて来院しました。「私、頼まれたんで・・・」と言って、状況をあまりよく把握していなくて、医療側としては多少困っていたのですが・・・診察を終えて、席を立った直後に、小児科外来待合室から演歌が流れていました。
 私が、「誰の?」と尋ねると、外来ナースが、「携帯ですね・・・さっき診た子どもの付き添いの人のです・・・」と。
 「コンピューターおばあちゃん」って歌がありましたが、今は、高齢のご老人も、携帯を持つ時代になったんですね・・・?!

その2、今年の3月10日に行われた「第41回、天草パールラインマラソン大会」で、病院からも20名ほどが参加していました。(4.2Kmコースの)参加者の中には、管理者(前院長)と院長も含まれていましたが・・・とても楽しかったみたいです・・・・(来年も、又、走りそうだなあ)。

その3、医局で皆で一緒に食事をしている時、ドクター同士でいろんな話が出ますが・・・(看護学校の講義のことで)
J医師「先生、代わりにして下さいヨ・・・」
I医師「いや、もう勘弁、先生お願い(合掌)・・・」
J医師「(忙しいのに)100分で2000円、準備の時間も入れると、全く合わないね・・・」
O医師「勤務中にするんだから、本来は、無料でもいいはずでは・・・」
W医師「講義だけでなく、試験問題(作成料無料)も作らないといけないし・・・」
T医師「いつも同じ問題にする訳にもいかないし・・・」
W医師「追試験もあるし・・・」
 株に詳しいドクターがいたり、天草の山の殆どだけでなく、富士山や北海道や屋久島などの山々に登っているドクターがいたり、俳句を作り歴史にメチャ詳しいドクターがいたり、プロ並みにパソコンに精通しているドクターがいたり(院内の情報管理室も、このドクターあっての稼働)、大工さん並みの(売れる)入れ物を作るドクターがいたりと、いろんなドクターがいて、話す内容も、政治の話が出たり、旅行の話が出たり、千差万別・・・。
http://kamiamakusa-hp.de-blog.jp/

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大学病院生活・・・

2013-03-13 11:07:41 | Weblog
 大学病院勤務での生活をよく思い出します。大学を卒業して(宮崎県立宮崎病院で研修した後に)宮崎医科大学(現在の宮崎大学)に就職しました。ちょうど(診療が)オープンした時に就職し、昭和52年10月1日~昭和55年3月31日までの2年半、勤務しました。
 スタッフ不足で、教授1、助教授1、講師1、助手4で、わずか7名の出発でした。忙しかったですね。私が一番下っ端でしたが、当直も、一人前にしていました・・・何せ、初めは、講師1+助手4の5名で、当直体制を組んでいましたから・・・。
 大学の使命として、診療以外に、教育と研究があります。朝、早く起きて、近くの学校に行って採血したり(生活習慣病のリサーチの為に)、(教室が循環器をメインにしている関係で、ベクトル心電図などの)学童の心臓検診の検査に、昼過ぎに行ったりしていました。
 教育の準備を依頼されてスライドや資料を用意し、教授の講義に同行していました(私も、症例報告などしていましたが・・・)。宮医大生の熱意は、驚くほどで、講義が終わると、質問攻めにあっていました・・・!
 患者さんを沢山は受け持っていないのに、日曜に仕事をしないと進まない状態でした。大学病院って、特殊な所と思っていましたが・・・→
 ・・・→入院すると、まず、カルテ作りから始まります。主治医が束ねてカルテを作ります。何の検査をしたかを記入し、検査の結果の用紙を張るのも、もちろん、主治医です。採血は、全て、ドクターとなっていました。当直だと、深夜でも、注射で起きなくてはなりません。宮医大小児科の場合、循環器の疾患が多かったので、急変することが多く、よく起こされていました。もちろん、翌日も、普通に仕事です。
 ナースは、何故か、与えられた仕事以外はしない感じで・・・病院の近くに住む子どもさんが受診したいと言って、深夜来院したりすると、いろいろもめていましたが・・・?!
 で、ドクターの給料の方は、実質労働時間を時間給にすると、ナースと同じくらいとなっていて、それでも、一応、文部教官なので、研修医や医員のドクターよりは、かなり恵まれていましたが・・・。
 今は、かなり改善されているのでしょうか?

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住めば都・・・

2013-03-12 10:52:48 | Weblog
 「住めば都」って言葉がありますが・・・→永く住んでいた所を離れて、別の場所で住むとなると、人って、不思議なもので、初めはかなり違和感を感じますが、次第に慣れてきますね・・・そして、今は、都に・・・!!
 私の天草生活も、今年の夏が来ると、まる8年となります。空と海と山に囲まれ、いい空気を吸って、のんびりと静かに過ごしている感じですが・・・。(私の故郷佐伯によく似ていますが・・・)
 卒後宮崎に4年間(県病→大学)いて、その後、佐伯市に20年間、大川市と大分市にそれぞれ3年足らずいて、その後(リセットする為に)1年間海外にアチコチ行って(この時、円高で助かりました・・・)、それからずっと天草生活です。円安のせいでしょうか、風光明媚なこの天草、近頃観光客が次第に増えているみたいですが・・・?!
 病院の小児科外来診察室からは、不知火(しらぬい)海が見えます。何せ、病院自体が、海に突き出る感じになっていて、180度以上が海に囲まれていますから・・・。
 昨年の暮れから、小児科医は、私独りになりましたが、(初めから)私なりに時間を決めて時間外にも診ていて・・・(狭い田舎なので、情報が直ぐに伝わる感じで)時間外も年末年始もゴールデンウィークも、さほど小児科の患者さん、多くありません。それに、今は、新生児以外の入院をしないので、夜、グッスリと眠れることが多くなりました・・・。
 今までの医師生活で、一番楽をしている感じですが・・・独りでの小児科診療は、佐伯市の救急病院では8年半、19床を持っての佐伯市の開業では8年半、今の職場での初めの10か月と今の3カ月足らずで、総計まる18年間の経験でしょうか、それに、多くの人の励ましと温かい支えで、何とか出来ていますが・・・。(←周りからは、大変ですねとしばしば言われていますが・・・)
 それに、天草では、自分なりに楽しく文化活動も出来て、満足しています。(・・・→今月の16日(土)の14:00~15:00には、病院に隣接する老人保険施設で、篠笛・和太鼓演奏の予定)
 天草は、(実感しないと分からない人が多いみたいですが・・・天草上島と天草下島を合わせた面積は、沖縄島、佐渡島の次となって)とても広いです。まだ行ってない所を中心に、今、(土曜と午後と日曜の午前中を利用して)天草を家内と一緒にアチコチ楽しく散策しています。

http://www.cityhosp-kamiamakusa.jp/ 

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