日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

退職後の雑感(139)

2022-05-10 08:01:02 | Weblog
  「退職後の雑感、尾崎豊」

 NHKの調査で、50代以上の人に、「定年後の計画」をしているかどうかの質問をしていますが・・・→「計画している」が35%、「計画してない」が65%と解答しています。
 定年後の過ごし方のハウツー、団塊世代の地域活動デビューなどが話題になっている昨今ですが・・・。
 一方、今、「生涯未婚率」が、男性20.1%、女性10.6%にもなっています。つまり、今の日本では、男性では2割が、女性では1割が、結婚を経験してなくて、しかも、その割合がどんどん増加傾向にあるのです。(←当然、少子化となり、労働人口も減少して行きます・・・)
 それと対照的に、熟年の男女の恋愛の増加も、注目されている所です。子どもにも手が離れ、つれもなくなって、それから華を咲かそうとしている人もいます。若い女性と再婚して、生き返った感じになっているお年寄り(←失礼・・・)も現に周りにいます。
 自分のことを考えても・・・→若い時は、ゆっくりと考える暇もないって感じでした。睡眠不足との闘いが長く続いていて、死と言うことに関して、真剣に悩んだ時期がありました。死は誰にも逃れられない、もう、諦めるしかないとの結論が出て、今を真剣に生きようと思って、やっと落ち着くことが出来る感じになりましたが・・・?!で、40代の前半の時は、70歳まで生きられればいいなあとまで思っていました。
 そんな中で、今も、若い人のカリスマ的存在である「尾崎豊」が、根強く若い人の間で慕われています。「尾崎豊」が活躍した当時は、校内暴力などが横行し、学校は厳しい管理体制で、世間は、学歴学歴って感じでした。(二期校コンプレックスや高学歴崇拝時代・・・)
 そんな中で、「尾崎豊」は、それを鋭く見詰め、若者の心の中に溶け込んで行ったのです。決して、反逆児ではなく(彼は、皆が思っている様な反抗的な人間ではなく、とても素直な人間・・・)、現実や現実での厳しさを受け止めて前へ進むことを訴えたかったのではないでしょうか・・・。
 彼は、実際に、演奏の合間に、大勢の観客の前で次の様に言っています・・・「人生は、きっと皆のしたいことの為にある・・・今の内に(したいことをして)うんと沢山心の財産を増やしておくといいと思う・・・」と。

*http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E5%B4%8E%E8%B1%8A(←尾崎豊)
*写真は、令和4年5月4日、墓の中で眠る両親に、水を掛けているひ孫(私の子どもの子ども)。

 (令和4年5月10日、10年前の5月5日に書いた内容の再掲です。) 



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退職後の雑感(138)

2022-05-09 07:46:01 | Weblog
  「退職後の雑感、法事」

 令和4年5月8日(日)、この日は、母の誕生日で、しかも、「母の日」でした。母は、5月6日に他界し、この日、(丸6年間が経ち)7回忌の意味で、兄弟が集まり、母の法事をしました。母が生きていたら、満101歳になります。
 長兄夫婦、長兄の長男、姉夫婦、そして、私達夫婦で、11時前に、長兄の長男の車で、姉夫婦を佐伯駅に迎えに行き、長兄の車と、長兄の長男の車で、7人が一緒になって行動し、まず、超人気の「うさぎ亭」で、昼食を摂りました。そこから見える(マンボーで有名だった)「マリンカルチャーセンター」、もう、閉じているとのことで・・・壊すのに10億円?も掛かるとか・・・?!(誠に残念!!)
 その後、久し振りに親戚に挨拶をして回りました。
 O家→MA家→I家→不在→不在→K家→MI家と、回りました。相手の家が気を使ったらいけないと思い、前もって知らせることはせずに、訪問しました。
 小さい時によく行っていたO家やI家、もう、20年、いや、30年以上、行ってなかったので、周りの景色が、別世界になっていました。一番よく行って、よく寝泊まりしていたA家、そこには、今は、もうA家族、誰もいません。一番お世話になったのに・・・。
 MA家を訪れる前に、河内の私の家の跡を見ました。小さい時によく寝泊まりし(←夏休みや冬休みは、A家かこの田原家での寝泊まりが多かったのですが)、長兄家族も住んでいた(古くから建っていたこの)田原家、きれいに平地になっていました。現実の姿を見て、寂しかったです。
 I家では、畑のミカンをもいで食べ、持って帰りました。
 O家の息子さんも、I家の息子さんも、父親とあまりにも似ているので、驚きました。
 帰り際に、「空の公園」に行きました。いい天気で、いい景色でした。ソフトクリームをそこで食べると、サービスに、カーネーションを頂きました。今日は、母の日、ありがとうございました。
 驚いたことがありました・・・→姉の夫の両親の生まれた日が、私の両親と全く同じなのです。父親4月28日、母親5月6日、こんなことってあるんだなあと、皆で、驚き合いました。

*写真は、令和4年5月8日に撮った私と「マリンカルチャーセンター」。

 (令和4年5月9日、記載)


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退職後の雑感(137)

2022-05-08 07:39:11 | Weblog
  「退職後の雑感、医療費無料の問題」

 かって、武見太郎会長全盛時代に、医師会が保険医を総辞職したことがありました。その時、ある小児科医が言われていましたが・・・「あの時は、スゴイ数だった。高いお金を払うなら、ちゃんとした医師に診てもらいたと言うことなんでしょうか・・・1日中、多かったです・・・」と。
 自分の経験でも、深夜料金が医療費改正で上がった直後の数カ月は、深夜に熱で来るパターンの子どもの数が、減少していました。(・・・→が、しばらくすると、又、元に戻るのですが・・・)
 それが今は、多くの地域で、小さな乳幼児の場合は、無料(又は、少額)のケースが多くなっています。入院だけでなく、外来も、深夜の外来も。小児の時間外も多くて、小児の救急患児を集約化で受付けている救急病院では、てんてこ舞いの状態のケースが多いと思われます。
 深夜になって、喘息が急に起きたり、けいれんが起きたりと言ったケースで、ホントの急患で来院することがありますが、今は、頻回に起きる喘息の子どものコントロールが普段から出来ますし(発作がしばしば起きる場合、起きない様に、普段からしておくべきです・・・)、熱性けいれんが起きる子どもの場合(3カ月未満や中学生の熱性けいれんは、ないですが・・・)、「けいれん止めの座薬(8時間あけて2回使用)」があるので、前もって家族の方で使用可能です。
 小児科の場合、弁護士を通じての訴訟となると、そんなに多くはありません(忙しさの為にゆとりのなかった私も、かっては、何度も親御さんとの間でコミュニケーションの疎通を経験してきましたが・・・)。しかし、どの救急病院でも、他の科と比較しても、小児科でのトラブル数は多いと思われます。小児科医が(独りだけなので)診ないと言うだけで、怒り心頭状態になる親御さんも、現にいます。深夜でも、「救急病院なのに、何故、診ないのか・・・」と言われたこともあります。深夜、熱が下がらないから診て欲しいとの親御さんの要請で、深夜に病棟に足を運んだ経験を多くの小児科医が持っていると思います。しかし、小児科医の資源は限られています。小児科医も生身の人間なのです。
 いい医療は、どうしても、患者さん側との協力の元で出来ることだと思います。(行政の姿勢も、もちろん大切ですが・・・)
 財源が緊迫している中で、国民の多くが、保険を使って医療していると強く意識して、医療機関と関わるべきだと思います。無料だから、気軽にかかるってことがない様に、今以上に、行政側も啓蒙すべきだと思います。このままでは、皆保険制度、難しくなること、必至だと思います。

*https://www.youtube.com/watch?v=_kcShBw3rdA(←100歳まで生きる為には)
*https://www.youtube.com/watch?v=-oXvHpDbtOo{←セロトニン)

 (令和4年5月8日、少し修正して、再掲) 



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退職後の雑感(136)

2022-05-07 08:30:56 | Weblog
  「退職後の雑感、いつものペースに」

 いつもの私のペースに戻りつつありますが・・・?!
 2歳の孫、よく見てると、いろんな事が学べて、面白いですね。でも、抱くと、その堅さと重さに、驚きます。骨太で、筋肉がしっかり付いている感じですが・・・?!
 前日に北海道に帰った3歳の孫は、いろんな事を言っていました。「どうして、(ヒーロー同士が)戦うの?」「どうして、悪い人がいるの?」など、大人にとっても、応えられない質問が続々と・・・。
 5月6日(金)は、私の場合、いつもの朝の散歩を久し振りにして、その後、午前中に、詰将棋、ピアノ、ダーツとして、血圧を測り(←殆ど毎日、測っています、出来れば、1日3回)、自宅での3つの体操(ゾンビ運動、かかと落とし運動、きみまろ歩き運動、それぞれ、50回ずつ、1日3回、適当に名前を付けていますが・・・)、それに次女が毎日、「ヨーガ」をしているのを見て、又、私も、5月4日から、「ヨーガ」を始めました。
 この日は、(1週間ほど、休んでいた)「オンラインDMM英会話」を再開しました。この日は、11:00から25分間(←私の場合、この時間帯にすることが多いですが)、タンザニアの人と、話しました(←ライブで、手品、篠笛、ハーモニカをしました。)。スワヒリ語でいろいろ話して、楽しかったです。
 認知症予防の意味で、「間違い探しクイズ」をユーチューブでいつもしています。それと、10種類の瓶の中の匂いを、蓋を開けて、(毎日ではないですが)嗅いでいます(←臭覚の衰えから、認知症が始まる?!)。
 午後は、昼寝、ブログ記載、インターネット、和太鼓、報道1930、手品研究と、いつものペースで、いろいろしました。
 次女と次女の息子は、昼過ぎに、二人だけでバスに乗って、「FESTAコスモタウン佐伯店」に行って、3時間程、貸し切り状態って感じで、遊び、眠り、その後、次女の友達の旦那さんの美容院で、バッサリと、髪を難儀しながらも、立派に切ってもらいました。産まれて初めて髪を切ってもらったとのこと。
 この日、藤井五冠の王座戦の将棋を時々見て(このタイトルを取ると、五冠→六冠)、楽しみましたが、終盤、時間が足りなくて、藤井五冠、21:50に負けました。
 入浴は、私が(いつも)最後で、それに、入浴後にいつも掃除を欠かさずにしています(←いい運動になっています。)。この日は、皿洗い、皿拭きも、積極的にしました(←これも、心が清められる感じがして、気持ちがいいです。)。

 (令和4年5月7日、記載)


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退職後の雑感(135)

2022-05-06 08:00:47 | Weblog
  「退職後の雑感、墓参り」

 令和4年5月5日{木)、次女の2歳の息子は、朝の7時から目を覚まして、元気に動き回っていました。9:30に、長男夫婦が、ホテルをチェックアウトして、我が家に来ました。ホテルの朝食が9:00までで、間に合わず、我が家で、長男家族が、朝食を摂りました。
 10:30、別れる時、我が家の玄関で、家内と長男の息子が、そして、私と長男の息子が、しっかりとハグして、タクシーに乗り込み、佐伯駅に行きました(この日は、長男家族は、宮崎泊)。
 別れ際に、幼なじみのK家族と、近所のHさんが、見送りに来ていました。
 正午前に、次女家族と一緒に、5人で、タクシーで、長兄の家に挨拶に行き、その後、白潟の丘に行って、墓参りをしました。前日、長男家族が参って、お墓の掃除をきれいにしていました。線香を挙げて、合掌しました。
 待たせていたタクシーに乗って、次女家族と長男家族が宿泊した金水苑に行き、そこの「番匠亭」で、昼食を摂りました。
 その後、「さいき海の市場〇」で、次女家族は、買物をしました。「さいき海の市場〇」、いつもの賑わいで、駐車場に止めている車を見ると、県外が4割ほどでした。
 しばらく「港児童公園」で遊んだ後、佐伯駅の前にある高速バスの乗り場から次女の夫を見送りました。15:40のバスに乗って、大分空港から羽田着となります。
 次女とその息子と私達の4人で、しばらくの間、過ごすことになります。2歳の息子は、とても重くて、力が強くて、いやー、面倒を見るのは、重労働ですね。それに、ケガをしては大変な事になると思って、気を使いますね。
 この日、2歳の元気な男児、我が家のお風呂の中で、おしっこしていましたが、まあ、こんなこと、たいしたことないです(←尿は、便と違って、血液の親戚ですか)・・・。

 (令和4年5月6日、記載)


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退職後の雑感(134)

2022-05-05 08:09:45 | Weblog
  「退職後の雑感、三家族」

 令和4年5月4日(水)、次女の息子(2歳)は、深夜、ちょっと起きて、私達夫婦もその時、目を覚ましました。翌朝は、私達よりも早く起きて、元気に動き回っていました。
 昼は、次女家族と一緒に、バスを利用して、12:30前に、コスモタウンの近くのイタリアレストラン「ロワーズ」に行きました。バスの中で、次女の息子が眠ってしまい、お父さん、大変でした。レストランに着いてから、そうであって欲しかったのですが・・・。
 12:30ちょっと過ぎて、長男家族が来ました。そこに来る前に、長男家族は、祖父母の眠るお墓に行って、(掃除をして、水を掛けて)参ってきていました。
 「ロワーズ」では、私達三家族(8人)だけ、別室で、14時過ぎまで、孫を見るので忙しくしながら、楽しく食事をして、いろいろ話しました。もう、そこには、「黙食」のカードは、幸いに、ありませんでした。昼食後は、そこで、一応、解散となりました。
 その後、私達二人は、コスモタウンの「サンリブマルショク」に行って、買物をして帰りました。夕方、「寿し好」に行って、テイクアウトして、自宅での今年最後の三家族の晩餐となりました。
 2歳と3歳の子どもを見て、いろんな発見がありました。
 2歳の子どもは、電車のDVDを見て、直ぐに、次から次へと、(順番まで覚えていて)電車の名前が言えます。凄いなと思いましたが、次女に言わせると、「これ、この年齢の子どもなら、どの子でも出来るよ、子どもは、記憶力抜群、大人は出来ないけどね・・・」とのこと。
 子どもの脳の神経細胞、産まれてから急速にどんどん増えて、二十歳前後で数が140億個前後で止まり、その後は、どんどん減少する何て説明を昔、何度か聞いたことがありましたが、実際は、そうでなくて、この乳幼児期、凄い数の神経細胞が産まれ、又、消滅しているんですね。だから、大人には出来なくて、乳幼児しか出来ないこと、しっかりとあるんですね・・・?!
 72歳のおじいちゃん、電車の名前を覚える気力さえ、もうないです・・・。私、時々書いている我が家の住所の郵便番号でさえ、見て、確認していますが・・・?!

 (令和4年5月5日、記載)


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退職後の雑感(133)

2022-05-04 08:47:18 | Weblog
  「退職後の雑感、長い1日」

 令和4年5月3日(火)、10時前に、長男家族が、我が家に来ました。その後、次女家族が、ホテルをチェックアウトして、我が家に来ました。
 3家族が集まると、広い我が家は、孫の絶好の遊び場に変身し、孫二人が、何度も走り回っていました。都会のアパートでは、周りの迷惑を考えて、家で走り回ること、出来ないんですね。
 昼は、歩いて、12:30に、出来て1年も経っていない「アリラン」に行って、皆で昼食を摂りました。ここは、個室ばかりの韓国料理店で、子どもが大声を出しても、あまり気にしなくていいので、助かります。それに、次女の2歳の子どもが、食事中に眠ってくれて、それで、大人が落ち着いて食べることが出来ました。
 長男は、大分で、高校生の時、同じ名前の所でバイトしていた事があったとのことで、手慣れた感じで、注文していました。
 昼食後は、そこで、一応、解散して、又、夕方、我が家に3家族が集まりました。夕食は、次女が、料理を作りました。次女は、「アフタヌーンティー」で料理を作っていた事があり、手慣れた感じで、ハヤシライスを上手に作っていて、お店で食べるのと同じ感じで、皆が、美味しく食べることが出来ました。
 長男家族が、我が家からホテルに戻る時、21:00にタクシーに連絡すると、直ぐに行けないとのことで、30分待ちました。やはり、祝日のど真ん中で、どこも、大忙しって感じですが・・・。
 この日から、数日間、次女家族は、我が家で宿泊することになっていて、次女の2歳の子どもが、我が家でケガをしないかとハラハラしながら、この日の長い1日が終わりました。
 私が床に就いたのは、23:30で、家内は、0:30頃でした。

 (令和4年5月4日、記載) 



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退職後の雑感(132)

2022-05-03 08:09:21 | Weblog
  「退職後の雑感、孫」

 令和4年5月1日(月)は、21:00過ぎまで、5月2日(火)は、21:30過ぎまで、次女家族と長男家族が、我が家に来て、過ごしました。
 次女の子どもも長男の子どもも、男児で、誕生日が二人とも7月の男児で、正に、家の中は、突如、台風到来って感じでした。
 3歳の長男の子は、聞き分けが良く、私の手品に興味を抱いて、何度も、させられました。2歳の次女の子は、言ってもまだ理解出来ない感じで(←当たり前ですが)、後を追って見てないと危ない状態で・・・大人が一番して欲しくないことをわざとしている感じにも思えて・・・兎に角、手を取り・・・早く3歳になって下さいって感じになりました。
 私は、旅行は、運動と思っているんですが、この子育ても、運動って感じで、まあ、考え方によっては、家の中で孫と一緒に歩くと、運動不足を補えて、それもいいかなとも思っているのですが・・・?!
 これが毎日だと、高齢のお年寄りには、ホント大変ですね。
 世の中には、2(3)歳の子どもと、数ヶ月の乳児の子どももいる家族もあって、身を持って知る母親の強さかなって感じです。今の時代は、父親も、母親同様に、育児に熱心ですね。
 私の場合、3人の子育てに関して、今まで、殆ど、家内が私に不満を漏らすことは、ありませんでしたが(帰ると、仕事で疲れて、いつも、横になっていましたが・・・)、感謝感謝ですね。

 (令和4年5月3日、記載) 


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退職後の雑感(131)

2022-05-02 08:39:27 | Weblog
  「退職後の雑感、法事」

 家内の父親の17回忌、家内の母親の7回忌、一緒の法事で、3泊4日で、宮崎1泊→鹿児島2泊と、してきました。法事は、4月30日(土)でしたが、子ども家族に会ったり、久し振りに親族のメンバーに会って、いろいろありましたが、それなりに充分に楽しむことが出来ました。
 いろいろあっての内容ですが・・・→
 まず、26日(火)の夜、ずっと愛用していた旅行用のキャリーバッグのチャックが、突如、壊れてしまいました。荷物を27日に送らなければいけません。焦りました。
 27日(水)の午前中に、「トキハインダストリー」に、慌てて行きました。1階は、21:30からオープンしているとのことで、それに間に合う様に、タクシーで行きました。すると、21:30のオープンは、食料品の所だけで、キャリーバッグを売っている所は、2階と同じく、10:00からしかオープンしてなくて、それまで待って、10:00過ぎると直ぐに買って、その日の14:00過ぎに、宅急便で、鹿児島の宿泊予定のホテルに送りました。
 28日(木)、出発の日、生協の来る日で、それを待って・・・それが、生協の人も驚くほど、家内が沢山注文していて、それ等を整理して、やっと、佐伯駅から乗り込みました。宮崎に着いて、長男家族と会いました。孫が大きくなって、とてもお利口さんになっていました。夕食を一緒に楽しく摂りました。
 29日(金)、大雨が降ったせいで、都城駅から電車が動かなくて(←時々、こんなこと、あるそうですが)、タクシーで、国分駅まで行きました。(メーターは、1万円を超えていましたが、全て、JR持ちで)約1時間程、タクシーに乗って、国分駅から鹿児島中央駅までは、普通車で行きました。まあ、人生、いろいろですが、子ども達と一緒だったので、何のそのって感じでしたが・・・?!
 ホテルで、次女家族に会いました。2歳の孫が動き回るので、次女が、追っ掛けていました。2歳と3歳では、手の掛かりようが全く違いますね!
 30日(土)、法事に参加する親族が朝、宿泊したホテルの玄関に集まり、タクシーで行きました。ちょうど10時から法事がありました(浄土真宗)。お坊さんのお話がとても素晴らしかったです。
 法事後は、昼、親族が集まって食事をしました。その後は、そこで解散となりました。家内と私は、二人で、(医学部のあった)鶴丸城跡にてくてく歩いて行きました。そこは、(かなり前から)「黎明館れいめいかん」になっていて、医学部時代に練習していた軟式テニスコートの面影は、全くなく、その近くに、幕末に無血開城に活躍した「天璋院」の銅像が建っていました。
 「黎明館」では、「トリックアート」を見ました。その後、その近くの鹿児島市立美術館に行った、「山下清展」を見ました。彼は、正に、天才ですね。海外での生活経験がとても良かったみたいですね。
 1日(日)、長男家族(北海道)、次女家族(関東)、8人で、一緒に佐伯に帰りました。
 途中で、宮崎に寄って、一休みして、佐伯に帰りました。長男家族の孫が、宮崎駅で乗る直前に、駅のトイレに行って、ギリギリ間に合って(数秒)、電車に乗れました。
 長女家族は、米国住の為、今回、参加出来ませんでした。

*https://kagoshimalove.com/tenshoin-atsu-princess/(天璋院銅像)
 
 (令和4年5月2日、記載) 



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