俺はワルポンだっ!

ちょいワルおやじを卒業したワルポンの斜め下から見た現代社会

『関ケ原』

2016-10-09 13:14:49 | 観光地
日本百名山の一つ「伊吹山」は、標高1377ⅿで滋賀県の最高峰です。


9合目までドライブウェイが通っていて観光地化され、見晴らしもよく、山頂からは濃尾平野や伊勢湾、眼下に琵琶湖や比叡山、北アルプスの山々が一望される大パノラマ広がっています。
花の種類も多く1200種以上の植物が咲き乱れる花の百名山にもなっています。

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その麓には天下分け目の関ケ原の戦いの古戦場があります。


桃配山(ももくばりやま)に徳川家康の本体が、笹尾山には石田三成が陣を構えたそうです。
東軍は井伊直政、細川忠興、黒田長政、福島正則等が・・・西軍は石田三成、島左近、宇喜多秀家、大谷吉継、小早川秀秋等が・・・対峙

当初は優勢だった西軍でしたが、小早川秀秋が東軍に寝返ったために形勢は一気に逆転し、わずか一日で東軍の圧勝となったそうです。

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関ケ原笹尾山交流館では鎧兜の貸し出しを行っていましたが、ここでは石田三成の人気圧倒的に高かったようです。


日がな一日鎧兜に身を包んで一帯の陣営を見て回っている大の大人もおられ、いかにマニアといえども、ちょっと如何な御仁かと思いました。

『比叡山』

2016-10-08 18:43:59 | 観光地
世界文化遺産・天台宗比叡山延暦寺は1200年前、伝教大師最澄上人により開かれました。

“その教えの根本となすものは「個々が思いやりの心をもって一隅を照らす人になる」すなわち、一人ひとりが相手の立場に立って考え、自分の出来ることを精一杯行うことが、周りを良くすることにつながると言うのです”とパンフレットにありました。

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東塔(とうどう)の根本中堂は延暦寺の総本堂で、御本尊は薬師如来です。
何回も災害に逢い建て替えられましたが、現在の姿になったのは徳川家光公の命で寛永19年(1642年)に竣工したもので国宝になっています。
この10月から10年がかりで大修理が行われるということでした。


宿坊・延暦寺会館で精進料理の昼食を頂きました。
「食事略作法」という経本を頂いたので見ると、食前観という経文を唱えてから頂きましょうと言われましたが、冷めちゃうのではないかというので、“合掌・いただきます”だけで食べちゃいました。


精進料理は何十年も前に羽黒山で頂いたことがありましたが、こんなにも美味しいものかと感心しながら頂戴いたしました。
このほかにもてんぷらや煮物などが付いて満腹した次第です。

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西塔を経て横川中堂へ廻りました。


鎌倉時代には日本仏教各宗派を開いた祖師たちが比叡山に籠山修行したのです。
浄土宗の法然上人、浄土真宗の親鸞聖人、臨済宗の栄西禅師、曹洞宗の道元禅師、日蓮宗の日蓮上人などは命がけの修行の末、一宗一派を開かれたのでした。

比叡山の山霧漂う空気を胸いっぱい吸い込んで敬虔な気持ちになって山を下りましたが、京都市内に入り「出町ふたば」の豆大福をほおばって、「七輪」の焼肉をビールで腹一杯食べちゃったら、現実の俗社会に戻ってしまいました。


『彦根城』

2016-10-04 13:49:56 | 観光地
彦根城は、徳川四天王のひとり井伊直政が関ケ原の合戦でなした功により徳川家康の命を受けて建てた城です。
400年前の築城で、松本城、犬山城、姫路城と共に国宝となっています。
譜代大名では破格の35万石の大大名でした。


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敵の攻略がしづらいように作られたという不揃いな階段を汗を拭き拭き登ると、やがて天秤櫓があります。
そこに渡された橋は敵が攻め入って来た時には焼き落して侵入を防ぐのだそうです。
幸いにも彦根城では一度も戦は無かったそうです。


これが国宝彦根城の天守です。


城山を下りると、下屋敷である「槻(けやき)御殿」(現・楽々園)に連なって玄宮園があります。
池泉回遊式庭園で茶会などが開かれ大名の社交場となっていたそうです。


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西の丸の三重櫓に上って琵琶湖からの清々しい風に吹かれて景色を眺めていると、解説の方が話しかけてくれました。

琵琶湖からの攻め来る敵の監視のための櫓で、彦根城では一番西の見張り所であることや、最初は石田三成の居城があった佐和山を家康から賜ったが、三成の祟りがあるということで現在の場所になったことなど詳しく話してくれました。

歴史に疎いワルポンが「石田三成を裏切って徳川に付いた功績を買われたのか?」と聞くと、「冗談じゃない!、裏切ったなどとトンデモナイ。徳川四天王のひとりで、常に先鋒をつとめて手柄を立てていたんだ。それまでは高崎城主だったんだ」と、かなりご立腹のご様子。

地元自慢の井伊家の悪口に聞こえてしまったらしい。
「いや、大老の井伊直弼のことは知っていましたが、代々井伊家は大老を出すようなすばらしい名家だったのですね」と、繕うと、少しは気分が治ったのか上機嫌で「楽しい旅を続けて下さい」と送り出してくれました。

旅は歴史を知らないと恥をかきます、失敗します。勉強、勉強、・・・

秋の長雨

2016-09-19 16:20:38 | 写真
秋雨前線が日本上空を覆い、その上、台風16号が日本列島を縦断するという。

夏から秋へ、季節の変わり目は雨が続きます。

この影響で我が家の数坪の小さな芝生の中にひょろひょろのきのこが生えてきました。


十五夜も過ぎて秋も深まりました。

夜にはきのこ鍋で一杯も良いかも・・・

キコガサタケというキノコで毒性が低く食べられないことはないそうですが、あんまりひょろひょろでかぼそいので食べるのはかわいそうです。

そのうち松茸でも生えてきたら土瓶蒸しにしようっと・・・

築地

2016-09-04 14:35:27 | 観光地
昨日は、豊洲移転延期で話題沸騰の築地へ行ってみました。

土曜の午後でしたが昼時とあって場外の寿司や海鮮丼の食べ処はどこも順番待ちの長い行列が出来ていました。


良く晴れた青空の下、日常、入場者4万人、車両2万台の出入りがあるそうです。


土曜日とあって市場は終了していましたが、それでもトラックや例のターレーが忙し気に動き回っていました。


市場の作りは鉄骨の柱に屋根が掛かっているだけの一見安普請ですが、豊洲では坪当たり220万円もかかっているそうで大問題になっていますが、どうしたことでしょうね?

地盤の埋蔵物など、いったいどうなるのでしょうか?

もっとも、今でこそ綺麗なマンション街となった亀大小(亀戸、大島、小松川)だって、昔の工場地帯の頃の地盤汚染が地下に閉じ込められたままなのですから・・・

台風一過

2016-09-01 14:56:23 | 観光地
今までにないような動きをした台風10号が観測史上初めて東北に上陸し、岩手県や北海道に多大な被害を引き起こしおました。

不謹慎ながら、昨日、千葉の太平洋はどうなっているかを見に大原・御宿へ行ってきました。
大原漁港では快晴の青空の下、多数の漁船が港の中で休んでいました。


真っ黒でたくましい体をした一見して漁師と判る男たち5.6人が午後の陽を浴びながら大声で談笑していました。
今日は波が高いため出漁できないので明日の朝に出かけるのだという。
大原漁港がホームグラウンドのイワシ漁の船だと云っていました。

御宿の砂浜ではテレビで報じられる被災地とは対照的に、たくさんの海水浴客たちが打ち寄せる大きな白波と遊んでいました。

佐倉茶

2016-08-27 14:35:30 | 観光地
明治4年の廃藩置県により佐倉藩が解体されると旧藩士の授産のため茶の栽培が佐倉市飯野町で始められました。
輸出もされるほどの生産がありましたが、霜害や火災などがあり大正年間に閉鎖になりました。
現在は、地元の銘茶店・「小川園」が復活を目指して栽培しています。


茂原の七夕

2016-08-24 14:52:46 | 観光地
茂原の七夕

7月31日(日)茂原の七夕祭りに行ってみました。


なぜ7月7日で無いかというと、彦星と織姫が天の川を挟んで年に一度会うことが許される物語の場面が、新暦では梅雨の盛りで見ることが出来ないから旧暦の7月7日に近い7月の下旬から8月上旬の日知曜日に行っているそうです。
影の声として平塚や仙台七夕のお下がりを借りてくるからという単純明快な答えもありますけど・・・


でも、「よさこい夏の陣」も並行して開催され、近郷近在から溢れんばかりの人たちが集まり、会場の大通りには雛壇が組み上げられ、高知県東京事務所長さんや市長さんはじめ地元のお歴々が居並ぶ中、かなりの練習を重ねたと思われる踊り手さんが10数組も次々と熱演でした。


大きな旗を力の限り左右に振っての競演も盛んな拍手を受けていました。


季節外れの七夕も十分に楽しむことが出来ました。

『ひまわり』

2016-07-27 14:27:56 | 観光地

ひまわりは明るい花ですねぇ・・・

印旛沼のほとりのひまわり畑は今年も見ごろを迎えました。
沢山の見物客で賑わっています。


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人だけじゃなくてミツバチたちも一人(一匹)一個を確保して、入れ替わり立ち代わりして蜜を集めています。


人も立ち止まって群れ遊んでなかなか移動しません。
コチトラ人の入らない写真を撮りたくて、イライラしながらジッと待っているのです。
自撮りをしたり、見せ合って笑い声をあげて、また撮って・・・動きません。


早く移動してくれないかなぁ・・・
まあいいか・・・明るいひまわりに免じて許してあげよう。
などと考えつつ、じっと待っているのです。
待つこと20分、やっと画面から人が出て行きました。


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コスモス畑へ移動しました。
コスモスは秋の青空の下で見るものと相場が決まっているのに、梅雨も明けないのに、もう咲いています。


早咲きの若い花たちは、なかなかのキレイどころですよ。


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お一人3本まで。
ボランティアとおぼしきおじさんが切り取ってくれました。

生け花などやったことがありませんが、昔、ゴルフで優勝の景品で貰った我が家で最大級の花瓶に生けると、部屋が狭いからか、なかなかの圧巻でした。


『身延山』

2016-07-21 14:49:06 | 観光地
霧ヶ峰からの帰りに身延山へお参りしました。
正式には「日蓮宗総本山身延山妙法華院久遠寺」と称し、日蓮上人が開いたお山で、白装束の信徒たちが列をなす信仰の場となっています。

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宿坊や土産物店、食事処が軒を連ねる門前町を抜けると、目の前に巨大な「三門」が迎えてくれます。門をくぐると「菩提梯」呼ばれる287段、高低差104mの急な石段が行く手を阻むようにそびえたっています。
登り切れば涅槃に達すると言われているそうです。

十数年前に登って往生しましたので、上の駐車場まで車で登り、斜行エレベーターに乗り継いで行きました。


本堂や五重塔、祖師堂、報恩閣などの多数の堂宇が立ち並んでいました。


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「菩提梯」を上から覗いてみました。


やっぱり登るのはもう無理です。