俺はワルポンだっ!

ちょいワルおやじを卒業したワルポンの斜め下から見た現代社会

干し柿』

2014-10-31 10:48:36 | 写真
いつの間にかカレンダーも後2枚になってしまい、朝晩などめっきり寒くなって暖房の欲しい季節となりました。

田舎から“庄内柿”がどっさり届いたので、干し柿を作ることにしました。
柿の皮むきは大変でしたが頑張って220個ほど剝き、カビの発生を防ぐため焼酎にくぐらせ、柿のへたのT字に切った枝を、1.6mに切り揃えたビニール製の縄に差しこんで両端を結んで輪を作り、朝から晩(夕方)まで良く日の当たる軒先に吊るしました。


一週間ほど経ってから良くもんで形を整え、更に一週間から10日ほど干しておけば、白い粉を吹いた美味しい干し柿が出来上がります。

湿度の低い晴れの日が続けば良い干し柿が出来るはずです。
尤も、これだけは運を天に任せるしかありませんけど・・・


『朝の散歩道』

2014-10-22 15:56:52 | 写真
天気の良い日は足腰がこれ以上衰えないように朝の散歩をするようにしています。

おかげで、山へ登って風景写真を撮ったり、東京に出て地下鉄の階段も、一日一万歩程度だったら、へっちゃらで苦になりません。

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此間の朝、散歩道でどのぐらいの草花に出会えるか写真を撮ってみました。
「秋の七草」と云えば、ハギ、ススキ、キキョウ、ナデシコ、クズ、フジバカマ、オミナエシですが、キキョウ、ナデシコは、すでに終わってしまいました。

オミナエシはこの辺りではあまり見かけません。
クズは山道や貯水池の土手に沢山生えているのですが撮り忘れてしまいました。
というより秋の七草の一つと云う事を失念していましたので撮らなかったのです。

丈夫で元気で長持ちなのは、フジバカマです。


というのは近所の奥さんに分けて頂いて小さな庭に植えたのですが、勢力が強くて支配面積をどんどん広げ、隣のホトトギスが追いやられているのです。


ほとんどが緑色の小さな丸い実になってしまったハギですが、まだ元気に咲いている株もありました。


ススキも種がほとんど飛んでしまい枯れススキになってしまいしたが、中には奥手のもいました。


親戚筋のヨシは、これからのようです。


外来種のセイタカアワダチソウは余りに蔓延って嫌われ者になったために、みんなで駆除してきたからか、この頃はひと頃の勢力は有りません。
少数派でいる彼らは、見方によっては一際目立ってきれいに見えるのはなぜでしょう?


公園の斜面のツツジが沢山咲いていました。いわゆる狂い咲きですね。


ギクッ!何の実ですか? 校門の脇に植えられた薔薇の実です。


目を引く美しさのムラサキシキブです。いえ、正確にはコムラサキかもしれません。


ラズベリーが実りました。
ミキサーにかけ、フルイでこして種を取り、砂糖、ブランデーなどを加えてジャムを作っています。
毎年のことですが、春の方が沢山採れます。


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去年はブナの実が豊作だったそうで、クマ君もあまり暴れなかったようですが、今年はどうでしょう?

学校のイチョウの枝には沢山の実が付いていました。


暖房きかした寒い夜、炒った銀杏に塩振って、それをつまみに飲むビールは旨いですよね! 
堪りませんっ。



『オオバンの母子』

2014-08-24 16:55:10 | 写真
近くの調整池にオオバンの母子が棲んでいます。
葦原の中で夜を過ごすらしく、明け方日が昇ると行動開始です。
池から小さな川を上り、池の縁から再び葦原の池に入り、蓮の池へ出ます。

蓮の葉に乗った子供のオオバンは身体が小さくて軽いからか葉っぱの上をひょいひょい歩きまわります。母親も葉っぱに乗るには乗るのですが、直に沈んで泳ぎ進みます。
蓮の葉に付いた小虫でもとっているのか、ひっきりなしに突っつき廻ります。
時々獲った餌を口移しで与えて、子育てに一生懸命です。


ところで、“おしどり夫婦”は中の良い夫婦の代名詞ですが、実は、オシドリのオスはメスが卵を産み抱卵期に入ると他のメスと遊んでばかりで子供(卵)の面倒はみません。
まったくのプレイボーイの遊び人です。

ここのオオバン一家の旦那も遊び人なのか一度も見かけたことはありません。
所詮、男なんてそんなものです。

いえ、ワルポンは“悪のポンコツ”ですから、もうそんなことはありません!

『テッポウユリ』

2014-08-17 14:39:56 | 写真
隣の空き地は畑に使わせて頂いているのですが、毎年、白いユリの花が咲きます。
種が飛んで、今年も自然発生的に畑にも庭にも、あちこち沢山咲きました。


普通、一本に一輪から六輪ぐらい花をつけます。
年数ごとに一輪づつ増えて咲くと聞いていましたが、そうでもありません。
去年六輪も咲いたので今年は七輪になるかと期待していても、三輪ぐらいに減ってしまうのが大半です。

ところがどっこい、24輪も咲いたのです!!!


24輪を確認出来る写真をもう一枚・・・


これはギネスものじゃありませんでしょうか?

『雲洞庵』

2014-07-01 13:50:54 | 写真
越後湯沢温泉・雪国の宿・「高半」でクラス会があったので行って来ました。
そうです! あの小説“雪国”をここで川端康成が書いたという宿です。

クラスの生存者13名、全員集合でした。
今回の幹事は地元生まれの地元育ち、地元官庁に勤め上げ、現在も在住する、云わば生粋の越後人の彼が言うには、ここは新潟一の名湯とのこと、いつまでも汗が抜けないぐらいに本当によく温まるいい湯でした。

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ついでと云っちゃあ何ですが、六日町(南魚沼市)にある曹洞宗・金城山「雲洞庵」にお参りして参りました。
1300年前に尼僧院として建立、700年後に「雲洞庵」として開創され、越後一のお寺と云われています。


赤門と呼ばれる山門をくぐり、連なる参道の石畳の下には法華経が一石に一字づつ記され埋められていて、古来「雲洞庵の土を踏んだか」といわれ、この参道を踏みしめてお参りすると、罪業消滅、万福多幸の御利益(ごりやく)に与かるとされています。
不肖私めも、お陰を持ちまして、清廉潔白、清き清純な人間となりました。


冬場には積雪が4mを超すと云われ、鐘楼の柱も外側に踏ん張って建っているのも、そのためとのこと。


境内の杉並木も見事ですし、何棟も建つ堂宇や広い庭もきれいに手入れされておりました。


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寺の隅々までよく手入れされていたのですが、お坊さんらしき姿は一人も見当たりませんでした。
門前で聞いてみると、昔は修行僧が沢山居て、川の水で大根や野菜を洗ったり、皆で托鉢に出かけたりしていたのだそうですが、今はご住職お一人だけとのこと。

近年はきびしい修行を積んでまで坊さんになる人は皆無で、寺の後継ぎは大学を出て数か月の本山での修行で済むらしく、こんな山奥の豪雪地に修行に来る若者はいなくなってしまったのだそうです。

檀家が700軒もある越後一の名刹も、その日常管理は雇い人たちで、まったくの観光の寺と化してしまったようです。

でも、善男善女たちの観光バスが次から次とやって来ます。

「雲洞庵の土を踏んだか!」 皆様も善人に生まれ変われますように・・・



『高速道路料金の値上げ』

2014-04-27 18:44:26 | 写真
4月1日の消費税値上げに伴い高速道路の料金が値上げになっています。



ご丁寧にも習志野パーキングエリアには上記の“お知らせ”が掲示されていました。
そこには従来の値上げの際には50円単位だったのを10円単位にすると、あたかも利用者寄りの値上げに留めたとも取れる表現です。

ところが5%から8%ですから、3%だけ値上げしたのなら話は判ります。
京葉道路の首都高から船橋料金所間は従来200円だったのが250円と25%も値上げになったのです。
そこから千葉北ICまでは従来300円が360円と20%の値上げです。

細かな金の話で恐縮ですが、いささか便乗値上げと言わざるを得ないことが行われているのです。
パーキングエリアに貼ってあった“お知らせ”は何だったんですかね?

シンゾウクン! こんなことでデフレ脱却したとでもいうのですか?
なかなかのシンゾウの持ち主ですねっ!

『春本番』

2014-04-06 16:43:16 | 写真
ソメイヨシノも満開となり、いよいよ春本番です。

ワルポンのカレンダーを「ふるさと広場」の売店で販売してもらう関係で会員になっている佐倉市観光協会から、昨日、「佐倉フラワーフェスタ2014」のポスターが送られて来て、掲示して欲しいとありましたので、家の擁壁の上に設置してある花壇の壁に貼り出しました。


佐倉城址のサクラやふるさと広場のチューリップも見頃のようです。

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梅の花はとっくに終わり小さな実を沢山つけています。
代わってハナカイドウが満開になりました。


鉢植で買ったハナモモを昨年末に地植えにしたのですが、日当たりのいい場所が気に入ったらしく、背丈は小さいながらも溢れるほどの花をつけました。


近くの公園で種を拾ってきたイロハモミジも3年目で50cmほどの背丈となりました。


一昨年に近所の方からお分け頂いたフジバカマも威勢良く陣地を増やしています。


その隣では陣取り合戦のようにホトトギスも頑張っています。


いつの間にか勝手に生えてきたユキヤナギにも可憐な白い花が咲きました。


大きな赤い花を咲かせる牡丹の花芽も27個もついています。


ちょっとグロテスクに見えますが、フジももうじき咲くでしょう。


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でも、春は忙しいのです。

じゃがいもは四畝ほど植えました。
今から、トマトやキュウリ、ナス、シシトウ、ピーマンなどの床作りもしなけりゃなりません。

新緑やヤマザクラ、レンゲツツジなどの撮影ロケにも出かけなければならないし、ゴルフもシーズンだし・・・、碁会所通いも欠かせません。
体力作りのウォーキングやサイクリングもやらねばなりません。

調子の悪いメガネの調整に日本橋へ行かねば・・・、碁盤の修理も八街へ・・・、我孫子の撮影会の準備も・・・、栃木の竹千代会(酒飲み、ゴルフ)もあるし・・・、越後湯沢での同級会も・・・、関東支部同窓会の案内状も・・・

春に咲くいろんな花の数ほども、やらねばならないことがあるのです。
忙しい、忙しい、忙しい・・・
したがって、ブログの回数が減ってしまうのです。イヒッ!

『庄内坂』

2014-03-30 18:06:38 | 写真
藤沢周平の時代小説に出てくる海坂藩は彼の出身地である庄内藩がモデルと言われています。その城下町・鶴岡はワルポンにとっても第二の故郷なのです。
というのは、学生時代の2年半をこの地で過ごしたからです。

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当時の衆議院議員の選挙制度は中選挙区制で、ここ山形2区は農業が主な産業で、自由民主党3、日本社会党1の保守王国でした。

3人の自民党代議士先生は、城下町鶴岡・田川郡、港町酒田・飽海郡、内陸の新庄・最上郡の3地区をそれぞれに主な地盤としていましたが、一旦選挙になると互いに票田をせめぎ合う選挙戦は戦国時代国盗りの戦(いくさ)さながらの激しいものでした。

日頃から先生方は“金帰月来”で東京と地元を往来し、選挙区を廻り、田んぼに下りては農民に語りかけ、後援会の陳情を受けるなどの顔見世興行が必然だったのです。

したがって、鶴岡の代議士先生も基本は東京暮らしでしたから、平日の地元の自宅は留守番のおばあさんが一人だけ、無用心だということで“電話番・兼・用心棒”の学生アルバイトの募集がありました。

“3食付きの家賃は只”という貧乏学生には取って置きのいい話でした。
当時、柔道部に籍を置いていて、多少腕力には自信がありましたので、早速に応募したところ、柔道が出来るということで、見事採用となった次第です。
そういえば、この時以来、米穀通帳を預けっぱなしかも・・・

いつものように金曜日の夜に帰られた先生を駅まで迎えに行き、護国神社にお参りしました。
ちょうど桜が満開の時期でしたので、「お堀にかかる桜越しの鳥海山を望める鶴岡一の花見の場所へ行こう」とおっしゃり、神社の裏手のお濠端の桜を眺めてから帰宅しました。

自宅には後援会の方々がお見えでしたが、翌朝の夜行列車で帰られる奥様を迎えに行くということで、「先に休みなさい」と言われ、2階に上がって寝ました。

・・・翌朝、奥様が帰られて先生の異変に気付いたのです・・・
当時は今のような葬祭場も有りませんでしたので、高校の体育館での盛大なお葬式でした。
爾来、ご家族の皆様からは今日までご指導を頂いて参りました。

卒業年次になって、酒田に本社のある会社に就職が決まりました。
その会社のオーナーは酒田・飽海地域を地盤とする代議士の城代家老と言われる人物でしたので、お世話になった先生の後援会の幹部からは、「お前は敵の陣営に行くのか」とお叱りを受けましたが仕方がありません。

1996年に小選挙区比例代表並立制になって、この地区は山形3区となり、当然1人区となりましたので、3地域の地盤は一体化し、従来からの対立も解消されたのです。

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お世話になった代議士先生のご子息から、ある日、突然、「庄内館の稲荷神社の社を建ててくれ」と、電話がかかってきました。

庄内出身者の学生寮が駒込の丘の上に建っていました。
木造の寮を建て替えるのだという。
「敷地内に稲荷神社があって、祠にオーナーが寄付した銘板があったので、寮の建て替えに合わせて神社の社も新しくしたいので、今回も寄付してくれ」と云う。

オーナーはすでに他界してしまっていますが、神仏の信仰心の厚い方だったので、断るのも意ではないと思いましたので、事の次第を会社に話し、百万円までの了解を取り付けました。
設計積算は自分で行い、基礎コンクリートは自社生産、台座の石は大谷石、檜の社と廻り柵は蓮田の宮大工に、朱の鳥居は専門業者へ頼み、組立取り付け工事は自社でやり、予算内に収めました。

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あれから6年、内陸の山形県育英会の寮や女子寮、庄内館も含めた学生寮は建て替えられて、公益財団法人やまがた育英会として発展的に統合されたのでした。
これらの事業を立案推進し、無借金で達成されたのが代議士先生のご子息で、初代代表理事に就任されたのでした。


そんな彼も昨年他界され、今般、「偲ぶ会と功績を讃える銘板の除幕式」に、稲荷神社の社建設の縁でご案内を頂き行って参りました。

丘の上の寮へ上る坂は彼によって“庄内坂”と命名されたそうです。


お稲荷さんの御利益(ごりやく)で招かれたのかも・・・



『キヌサヤ』

2014-02-17 12:05:04 | 写真
雪が溶けてキヌサヤが芽を出しました。


12月の半ばを過ぎて蒔く時期が遅くなってしまったのでダメかと思っていましたが、種が良いのか寒さに打ち勝って元気な姿を見せてくれました。

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もう少し伸びたら、2本立ちに間引きして手をやらなければなりません。
小枝を地面に立てた霜よけが取れたら、背丈ほどの棚を作ってやるつもりです。
白い花が咲くとミツバチがやってきて受粉の手助けをしてくれます。


我が家の畑ではこの春一番乗りの収穫となります。

炒めてよし、茹でてよし、緑の色が鮮やかで食卓を明るくしてくれます。
天ぷらでも、煮物でも、卵とじでも美味しく戴けます。
はたまた、豆ご飯にしたら何杯でもおかわりしたくなります。

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もっとも、キヌサヤというのは、絹さやとも絹サヤとも書くし、絹サヤエンドウともサヤエンドウともスナップエンドウとも云うし、要は豆の若い小さいうちにサヤごと食べるものを云うようです。

グリーンピースやえんどう豆はよく実ったもののようです。
缶詰や冷凍のものは美味しくありません・・・
豆ご飯の豆もあまり固くなると美味しくありません。

どの料理への食べごろがいつかはお好みによります、としか明確に言えません・・・
・・・よくわかりません・・・

『大雪-Ⅱ』

2014-02-09 18:49:21 | 写真
朝起きると“凄い雪”じゃないですか・・・

飛び起きて顔も洗わず、長靴履いて、カメラを引っさげて、凄い雪、凄い雪と興奮しながらシャッターを切りました。ご覧あれ!
うちのデッキです


家の様子です


うちの前の歩道で、未だ誰も通っていません


近くの駐車場ですが、昨夜戻っていない車も多いようです


昨夜から立ち往生したようです


マンション前の路上駐車


街路樹も雪の重みに耐えかねてあちこちで枝折れ


どこの北国?


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歩道の除雪がこれ又、大仕事です。
隣が空き地の角地なので、うちの前の分の3倍分も余計にやらなければならないので大変です。
まあ、畑に使わせて頂いていることもあり、仕方がありませんので、歩く幅分だけやりました。

それに加えて、車庫の屋根になっているデッキの除雪も欠かせません。
というのは、デッキの板は5mm幅の隙を空けてあるので、雪解けの水が下の車庫にジャージャー漏れになっちゃうのです。

デッキの雪の深さを測ったら47cmもありました。ビックリ!!!
住んでから26年間で最高の積雪量です。
東京では45年ぶりの大雪だそうです。

それにしても疲れました。


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明日は下水道の枡から本管へ結ぶ配管の付け根付近で漏水して歩道に滲み出しているということで、マンホールを掘り返して補修するという工事が予定されているため、家庭排水を流すことが出来ないのです。

「一日何処かへ出かけて下さい」と、工事屋さんに言われたけど・・・

信州の雪見、河津桜見物、山梨の福寿草か・・・
日光・那須はこの間行ったし、偕楽園の梅園は未だ早いし・・・
房総のお花畑でも見に行くとするか・・・

でも、この雪じゃ何処へ出かければ良いか・・・?