四代目桶屋金之助の世界

おろかなるひとり言
胸を張れるような自慢話などはありません。
照れくさい話や恥ずかしい話ばかりです。

つボイノリオ『名古屋はええよ!やっとかめ』

2020-06-16 10:52:32 | あの頃の名古屋フォーク界
前回の【あの頃の名古屋フォーク界 その十二】
山本正之さんの追加です。

名古屋CBCラジオの人気パーソナリティ、
つボイノリオさんとの関係を書こうと思っていたのに忘れてしまった。
ここ最近、プライベートでもやろうと思っていたことをつい忘れてしまったり
後から思い出したりすることが多々ある。
これも年のせいかな・・・。

さて、本題。
この『名古屋はええよ!やっとかめ』の歌。
この曲は、つボイさんが山本正之さんに依頼して制作されたもの。 
当初のタイトルは「大名古屋行進曲」 。
つボイさんが名古屋弁を入れたいということから、タイトルも変更されたという。

安城出身の山本正之さんと一宮出身のつボイさん。
CBCラジオを通じて知り合ったのかわからないが、
こうして愛知県つながりで一つの曲が生まれたことは、おもしろいかと思っている。

ちなみにこの『名古屋はええよ!やっとかめ』
元・中日ドラゴンズの山崎武司 選手の応援歌でもあった。

つボイノリオ先生改「名古屋はええよ!やっとかめ」
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山本正之 『飯田線のバラード』

2020-06-15 10:26:03 | あの頃の名古屋フォーク界
【あの頃の名古屋フォーク界 その十二】

僕が高校1年の秋、昭和49年東海地方ではある歌が爆発的にヒットした。
その歌は「燃えよドラゴンズ」。
中日ドラゴンズが20年ぶりにセリーグ優勝、応援歌としてラジオなどで盛んに流れていた。

この歌を作ったのが山本正之さん。
地元安城市出身。
安城の小・中学校から西尾高校へ。
卒業して東京の大学へ進学。

大学生時代に当時CBCラジオの昼の番組「ばつぐんジョッキー」に
デモテープを送ったことから誕生した。
この番組のDJでもあった元・中日ドラゴンズの坂東英二さんがレコード化してヒット。
今思えば、この年が名古屋が一番盛り上がっていたかもしれない。

その後、アニメ「タイムボカンシリーズ」の歌も手掛ける。
またアルフィーなどにも楽曲提供。
アルフィーのビクター時代の『府中捕物控』 。
レコード会社の企業イメージに合わず、発売直前になって発売中止になってしまった。
余談ではあるが、アルフィーのビクター時代のベスト盤CD「青春の記憶」には、
ボーナストラックとしてこの曲が収録されている。

山本正之さん、れっきとしたシンガーソングライターである。
大学が東京だったから、名古屋での活動は少なかったかと思うが
故郷愛知県に関わる歌も作っている。

『飯田線のバラード』
豊橋から辰野までのローカル線。
秘境駅がいくつかあり鉄道ファンには有名。

この歌を知ったのもラジオから。
飯田線と言いだせんと掛け合わせている。
じっくりと聴くとなかなかいい。

今でもライブ活動はされている。
この7月には地元安城でもライブの予定がある。

飯田線のバラード

この曲、よく聴くと「燃えよドラゴンズ」ににているんだよね。
THE ALFEE - 府中捕物控【1994 KING'S NIGHT DREAM WESTERN】
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伊藤秀志 『名古屋の歌 』『安城の歌』『岡崎の歌』

2020-06-14 10:47:47 | あの頃の名古屋フォーク界
【あの頃の名古屋フォーク界 その十一】
伊藤秀志さんの続きです。

秋田県出身の伊藤秀志さん。
あの頃、名古屋でDJをやる傍らライブなども勢力的に活躍されていた。
今でも東海地方を中心にライブなど行っている。

東海地方の各市の歌も作って歌っている。
これは自治体からの依頼か、それとも個人的に作られたのかわからないが、
それぞれの街の個性が伝わってくる。
それだけこの地方の街を訪れていたのだろう。

彼のアルバムに「故郷(うち)へ帰ろう」がある。
東海地方の街のご当地ソングでシリーズとして発売されている。
参考までに収録曲を紹介しておきます。

「故郷(うち)へ帰ろう・1」
1.セントレア(常滑市) 2.四日市の歌 3.田原の歌(渥美半島) 4.岡崎の歌 5.師崎(知多半島) 6.春日井の歌 7.知立の歌 8.蒲郡の歌 9.大王崎(志摩市) 10.郡上の歌 11.豊橋の歌 12.伊勢の歌 13.瀬戸の歌 14.高山の歌 15.家へ帰ろう

「故郷(うち)へ帰ろう・2」 
1.中津川の歌(4月の歌) 2.可児の歌(5月の歌) 3.桑名の歌(1月の歌) 4.名古屋の歌(2月の歌) 5.尾鷲の歌(12月の歌) 6.安城の歌(3月の歌) 7.おまけ(夜の歌) 

「故郷(うち)へ帰ろう・3」  
1.犬山の歌 2.設楽の歌 3.吉良の歌 4.一宮の歌 5.大垣の歌 6.刈谷の歌 7.恵那の歌 8.豊田の歌 9.ばんこ焼きの歌 10.親父の船が停まった日 11.だいこんの詩 12.ひな祭り 13.牛 14.東北線から 15.コロコロ

こういうCDが発売されているのは、地元民にとってはうれしいね。

僕の住む「刈谷の歌」を紹介したかったけど、音源がなかったから
この3曲を紹介します。

名古屋の歌  伊藤秀志 (愛知県名古屋市)

安城の歌  伊藤秀志 (愛知県安城市)

岡崎の歌  伊藤秀志 (愛知県岡崎市)
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伊藤秀志 『送り火』

2020-06-13 09:53:34 | あの頃の名古屋フォーク界
【あの頃の名古屋フォーク界 その十一】

高校生のころは、まだ週休二日制ではなく
午前中は授業があった。
昼に帰ってからは、CBCラジオの「土曜天国」を聴くのが好きだった。
メインパーソナリティーは、つボイノリオさん。
そして伊藤秀志さんもレポーターみたいな感じででていたかと思う。

伊藤秀志さん。
秋田県立本荘高等学校を卒業 して、中京大学へ入学。
しかし、中退して名古屋女子大小路でギター流しをしているところをスカウトされ、ラジオのディスクジョッキーとしてデビューする 。

秋田訛り(わざと強調していたかもしれない)のしゃべりでおもしろかった。
こんなおもしろい方がレコードをだす。
きっとコミックソングかなと思っていたら、全く違っていた。
デビュー曲『送り火』。
抒情派フォークソング。今、聴いてもこの歌は心に沁みる。

僕が彼のライブを最初に見たのは名古屋で開催されたイベントであった。
多分、ラジオ局主催のイベントかもしれない。
この頃はラジオ局も地元で活躍するフォークシンガーを応援していたのだろう。

20年ぐらい前、刈谷駅前の商店街のイベントにも来ていた。
もちろん、近い場所だから見に行った。
トークもおもしろい。
おもしろい歌といえば、「大きな古時計・ZuZuバージョン」 がある。
名古屋に根付いてもやはり故郷のことを思っているのだろう。
「北慕情」という歌は、秋田県の想いを演歌調で歌っている。
こういう歌も今、聴くといいね。

去年の晩秋のころだったかな。
安城高棚にある某うどん屋さんでライブがあった。
友人から誘われたけど仕事があって行けれなかったのが残念。

地元のラジオ局で何本かレギュラーも持っていた。
だから東海地方を愛するようになったのかな。

東海地方を題材にした歌。
これは次回に紹介しよう。

「送り火」 伊藤秀志

大きなな古時計(ズーズー・ヴァージョン)

伊藤秀志  北慕情  

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景三バンド 『あなたにとどけたい 』

2020-06-11 17:12:45 | あの頃の名古屋フォーク界
【あの頃の名古屋フォーク界 その十】

つボイノリオさんとともに名古屋フォーク界の
黎明期から活躍されていた奥山敬造さん。
スリー・ステップ・トゥ・ヘブン(本願寺ブルース)
チェリッシュ(なのにあなたは京都へゆくの)
欲求不満フォークソングボーイズ(女の娘が欲しい)

そして景三バンド。
北川とみさんのバックバンドを務めたりもしていた。
メンバーには河原龍夫さんもキーボードとして在籍していた。
この『あなたにとどけたい』もよく深夜放送でかかっていた。
こういう深夜放送で聴いていた歌。
今聴くとあの頃を思い出す。

東海地方のCMソングも多く手掛けた。
有名なのは「ウォッチマン」のテーマ曲。
これもよく耳にした。

あべ静江さんのファーストアルバムに収録されている
「さよならを風に乗せて 」も奥山敬造さんの作品。
彼女も東海ラジオに出演していたから、
そのつながりで楽曲提供されたのかな。
この歌、埋もれてしまった名曲。

東海ラジオでは深夜「たむたむたいむ」という番組もやっていた。
これは僕が中学3年生のころに放送されていたかと思う。
よく聴いていた。
この番組の前が、拓郎さんの「バイタリス・フォークビレッジ」だったかな。
ちょっとうろ覚え。なんせ、50年近くも前のことだから。

吉田拓郎さんの「結婚しようよ」のヒットで
全国的に世の中フォークブーム。
拓郎さんがいた広島フォーク村など地方のフォーク文化が注目もされる。
地方のラジオ局はその地区のミュージシャンなどもバックアップしていた。

ラジオ局とミュージシャン。
深夜放送とフォークソング。
東京にはない地方の文化。
名古屋には名古屋の味があったかと思う。

奥山敬造(景三)さん。
名古屋フォーク界をけん引してきたかと思う。
サンデーフォークの取締役でもあった。
(※今でもかな・・・。)

あなたにとどけたい 景三バンド

あべ静江 さよならを風にのせて
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