【あの頃の名古屋フォーク界 その十九】
あみん、岡崎市矢作出身の岡村孝子さんと豊川市出身の加藤晴子の二人。
名古屋市千種区の椙山女学園大学星が丘キャンパス の同級生で、
岡村さんが加藤さんに自作の曲を聞かせたことで、2人は意気投合して、デュオを結成することになったという。
『待つわ』
1982年春、第23回ポプコンに「待つわ」で出場、5月16日の本選に進出、グランプリを獲得してレコード発売。
まだ現役の女子大生だった。
『待つわ』は瞬く間にヒットした。
そしてテレビ出演。
「ザ・ベストテン」など観ているとおとなしく暗い印象があった。
私の知人に岡村さんと椙山女学園大学で同級生だった人がいる。
彼女から聞いた話。
突然のヒット。生活習慣も変わる。慣れないテレビ出演。
そして周りからの視線。
だから歌がヒットしてからは、悩むようにうつむき加減だった印象があったという。
岡村さんが岡崎在住ということから、なんとなく親近感があった。
1stアルバム「p.s.あなたへ・・・」が発売される。
即、予約しようと思ったら発売延期になってしまった。
延期になったアルバムには、「コッキ―ポップ」などでよくかかっていた
「サルビアの花」や「白いページの中に」などがカヴァーされていた。
当時、僕の友人がレコード店に勤めていた。
彼からレコード会社からレコード店に宣伝用として配布されるサンプル盤のジャケットをもらった。
このジャケット、今はもう手元にはない。
自分が持っていたすべてのレコードと共に処分してしまった。
これは今思えば後悔している。
あみんの二人はすべてオリジナル曲でアルバムを作りたかったという。
レコード会社の意向とあみん側の意向との相違。
結局はあみん側の意向を尊重して半年ぐらい遅れてオリジナルアルバムが発売された。
『待つわ』
自分の記憶では、名古屋地区が一番最初にヒットしたんじゃなかったかな。
しかし、加藤晴子さんが学業に専念したいということから解散。
(休止。後に一時的だが再結成した。)
解散コンサートは名古屋鶴舞にあった勤労会館。
岡村孝子さんは中退して上京してソロとしてデビュー。
岡村孝子さんのソロの歌で「電車」という歌がある。
♪混み合う電車に押し込まれ ガラスに額をつけたまま
大きなため息をついたら なお気がめいる
どんなに悲しい夜ばかり 過ぎても会社に着いたなら
笑顔を振りまいて Jokeの一つもとばす
何を求めて明日を探せばいいのか
大きな海を漂よう木の葉のようだわ
“会社”を“大学”と置き換える。
僕はこの電車は、赤い名鉄電車のイメージを描いていた。
しかしこの「電車」は、当時彼女が利用していた東急東横線をイメージしたという。
歌は聴く側によってはいろんな解釈もできるし、想像もできる。
今でも僕はこの歌のイメージは、赤い名鉄電車だと思っている。