四代目桶屋金之助の世界

おろかなるひとり言
胸を張れるような自慢話などはありません。
照れくさい話や恥ずかしい話ばかりです。

西岡たかし 『上野市(うえのまち)』

2020-06-30 10:57:31 | あの頃の名古屋フォーク界
【あの頃の名古屋フォーク界 その二二】

ラジオっ子だった中学・高校生時代。
テスト週間で早く家に帰ったり、夏休みや冬休みなどは昼間もラジオを聴いていた。
その中で好きな番組がCBCラジオの「ばつぐんジョッキー」。

関西フォークのリーダー的存在、五つの赤い風船の西岡たかしさんも
この番組のDJをやっていた。
あのやわらかい話し方。
トークもおもしろかったし、フォークソングもよく流していた。
この番組から知ったアーティストなどもいる。

その頃は思わなかったけど、今こうして振り返ってみると
名古屋フォーク界というのは東京よりも関西寄りだったふうに思える。
はしだのりひこさんもこの番組のDJも務めていた時期もあったなぁ。
もちろん東京へ行くよりも関西の方が近いからその関係かも知れない。

 西岡たかしさんの 『上野市(うえのまち)』
ちょうど名古屋と大阪の中間地点になるのかな。
一度だけ尋ねたことがある。
行ったとき思わずこの歌を口ずさんでしまった覚えがある。

「ばつぐんジョッキー」には、西岡さん、はしださん以外にも
フォーク系ではチェリッシュやつボイノリオさんなども出演されていた。
昼間の深夜放送という感じだったね。

ラジオとフォークソングは密接な関係だったあの頃である。

上野市 / 西岡たかし
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明日香 『花ぬすびと』

2020-06-29 10:43:27 | あの頃の名古屋フォーク界
【あの頃の名古屋フォーク界 その二一】

犬山市出身の明日香さん。名古屋音楽大学器楽学科ピアノ専攻 卒業。
この人もポプコン出身。世界歌謡祭ではグランプリを受賞 してレコードデビュー。

『花ぬすびと』を最初に聴いたのは、やはり「コッキ―ポップ」からだった。
当初、明日香さんが犬山出身で世界歌謡祭でグランプリを受賞したことを知らなかった。
ただ単純にいい歌だなと聴いていた。
しかし、グランプリを受賞したわりにはセールス的にはイマイチだった。

八神純子さんやあみん、雅夢などに比べると少し地味だったかもしれない。
テレビにも出たことがあるのかな。
ちょっと記憶にない。

犬山にお菓子の城がある。
このCM曲も作っている。これは記憶にある。

名古屋のヤマハ系、やっぱりレベルが高く実力派揃い。
今でも八神純子さんや岡村孝子さん、三浦和人さんは活躍されているが、
明日香さんはもうこの世にはいない。
乳がんを患って49歳という若さで亡くなってしまった。
新聞で訃報を知ったときはショックだった。

記憶が間違っているかもしれないが、
中日新聞で乳がんを患っていると公表したころ、新聞でコラムを書いていたような覚えがある。
地元意識が強かった印象が僕には残っている。

もし生きていたなら音楽活動はしていただろうか。
『花ぬすびと』はポプコン系の隠れた名曲だと思っている。

花ぬすびと/明日香
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雅夢 『愛はかげろう』

2020-06-27 10:58:41 | あの頃の名古屋フォーク界
【あの頃の名古屋フォーク界 その二十】

雅夢もポプコン出身。
三浦和人さんと中川敏一 さん。
中京大学在学中にグループを結成してポプコン本選へ。
『愛はかげろう』で優秀曲賞を受賞 してデビュー。

ラジオからもよく流れていたけど、
僕はテレビの「ザ・ベストテン」の方が印象に残っている。
三浦和人さんはかぐや姫に影響を受けているし、
中川敏一さんは吉田拓郎さんの影響を受けている。
だからテレビ出演は拒否するかなと思っていたが、
ポプコン出身者はテレビに出ていたから、
雅夢もやっぱり出演することになったのだろうか。

「ザ・ベストテン」を観ていて一番印象に残っているシーンは、中京大学からの中継。
三浦さんが生き生きと歌っていたのを覚えている。
後に知ったのだがこの生中継、ファンが殺到して撮影が大変だったらしい。

この『愛はかげろう』が収録されているLPレコードも持っていた。
なかなかいい歌が収録されていたけど、あまりにも『愛はかげろう』の印象が強くて他の歌が思い出せない。

その後、三浦さんはソロシンガーとなり名古屋でもライブなど積極的にやっていた。
三浦和人さんを見たのは数回ある。
刈谷にも夏のお祭り「わんさか祭り」の会場でゲスト出演もしていた。
中京大学出身ということもあってこの東海地方に愛着をもっていたのかな。

雅夢の名前の由来は、三浦さんがよく行った中京大学近くにあった
喫茶店の名前からグループ名にしたという。
今もこの喫茶店あるのかな・・・。

80年代初頭、名古屋はヤマハ・ポプコン出身者の時代でもあった。

雅夢/愛はかげろう
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あみん 『待つわ 』

2020-06-26 10:14:00 | あの頃の名古屋フォーク界
【あの頃の名古屋フォーク界 その十九】

あみん、岡崎市矢作出身の岡村孝子さんと豊川市出身の加藤晴子の二人。
名古屋市千種区の椙山女学園大学星が丘キャンパス の同級生で、
岡村さんが加藤さんに自作の曲を聞かせたことで、2人は意気投合して、デュオを結成することになったという。

『待つわ』
1982年春、第23回ポプコンに「待つわ」で出場、5月16日の本選に進出、グランプリを獲得してレコード発売。

まだ現役の女子大生だった。
『待つわ』は瞬く間にヒットした。
そしてテレビ出演。
「ザ・ベストテン」など観ているとおとなしく暗い印象があった。

私の知人に岡村さんと椙山女学園大学で同級生だった人がいる。
彼女から聞いた話。
突然のヒット。生活習慣も変わる。慣れないテレビ出演。
そして周りからの視線。
だから歌がヒットしてからは、悩むようにうつむき加減だった印象があったという。

岡村さんが岡崎在住ということから、なんとなく親近感があった。
1stアルバム「p.s.あなたへ・・・」が発売される。
即、予約しようと思ったら発売延期になってしまった。
延期になったアルバムには、「コッキ―ポップ」などでよくかかっていた
「サルビアの花」や「白いページの中に」などがカヴァーされていた。
当時、僕の友人がレコード店に勤めていた。
彼からレコード会社からレコード店に宣伝用として配布されるサンプル盤のジャケットをもらった。
このジャケット、今はもう手元にはない。
自分が持っていたすべてのレコードと共に処分してしまった。
これは今思えば後悔している。

あみんの二人はすべてオリジナル曲でアルバムを作りたかったという。
レコード会社の意向とあみん側の意向との相違。
結局はあみん側の意向を尊重して半年ぐらい遅れてオリジナルアルバムが発売された。

『待つわ』
自分の記憶では、名古屋地区が一番最初にヒットしたんじゃなかったかな。
しかし、加藤晴子さんが学業に専念したいということから解散。
(休止。後に一時的だが再結成した。)
解散コンサートは名古屋鶴舞にあった勤労会館。
岡村孝子さんは中退して上京してソロとしてデビュー。

岡村孝子さんのソロの歌で「電車」という歌がある。
♪混み合う電車に押し込まれ ガラスに額をつけたまま
 大きなため息をついたら なお気がめいる
 どんなに悲しい夜ばかり 過ぎても会社に着いたなら
 笑顔を振りまいて Jokeの一つもとばす
 何を求めて明日を探せばいいのか
 大きな海を漂よう木の葉のようだわ

“会社”を“大学”と置き換える。
僕はこの電車は、赤い名鉄電車のイメージを描いていた。
しかしこの「電車」は、当時彼女が利用していた東急東横線をイメージしたという。
歌は聴く側によってはいろんな解釈もできるし、想像もできる。
今でも僕はこの歌のイメージは、赤い名鉄電車だと思っている。
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八神純子 『思い出は美しすぎて』

2020-06-25 10:15:28 | あの頃の名古屋フォーク界
【あの頃の名古屋フォーク界 その十八】

ラジオ番組、大石吾郎の「コッキ―ポップ」はよく聴いていた。
いわゆるヤマハ系でポプコン出身者の人たちがメーンであった。
大石吾郎が語る「黙っていれば友達になれない、叫ばなければ消え去ってしまう。
私たちが生まれてきた時から育ててきた何かを伝えあうために、ちぎれかけた世界の心と心を繋ぎ合うために、私たちの歌が今 ここにある」 
このナレーション、今聞くとなかなかいい言葉だね。
改めて感動してしまった。

八神純子さんを知ったのはこの番組からであった。
透き通る声が心に響く。
名古屋市千種区出身。
愛知淑徳高等学校 在学中にポプコンに出場している。
二十歳のときに『思い出は美しすぎて』本格デビューする。

この頃からフォークはニューミュージックへと移行していった時期でもあった。
当時、「ザ・ベストテン」という番組があった。
覚えている人たちは多いと思う。
この頃はまだフォーク・ニューミュージック系の人たちはテレビ出演を拒否していた。
でもなぜかポプコン系の人たちは、「ザ・ベストテン」には出ていた。
八神純子さんが「みずいろの雨」がヒットして出演すると、
やはり名古屋出身ということで、僕はテレビの前で応援していた。

コンサートは一度だけ行ったことがある。
今はもう無くなってしまったけど、愛知厚生年金会館。
ものすごくこのコンサートは忘れない思い出がある。
前の方の席でステージ右側の方であった。
スピーカーの近くだったんです。
ものすごい音が耳に入ってくる。
もう途中から、もう少し音を絞ってほしいと思ったね。
「思い出はうるさすぎて」であった。

名古屋のヤマハ系の人たちはレベルが高かったかと思う。
以前もこのシリーズで書いた高木麻早さん。
そして今後書こうと予定しているあみんや我夢など
ポプコンで入賞してヒット曲をだしている。
これも一つの名古屋の文化だったのかもしれない。

八神純子 – 思い出は美しすぎて
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