岡林信康さんを知ったのは中学生の時。
深夜放送から流れてくる歌から知った。
『チューリップのアップリケ』という歌は
友人からレコードを借りて知った。
確か放送禁止になっていたかと思う。
だからレコードから聴いた時はなんて悲しい歌なんだろうと思った。
正直なところ岡林信康さんの歌は中学生の自分にとって理解はできなかった。
本格的に聴いたのは20才過ぎだったかと思う。
この『チューリップのアップリケ』の詩はある女の子の作文を基にして作られたという。
♪うちの父ちゃん 暗いうちからおそうまで
毎日クツをトントン たたいてはる
あんな一生懸命 働いてはるのに
なんでうちの家 いつもお金がないんやろ
みんな貧乏のせいや
お母ちゃん ちっとも悪うない
チューリップのアップリケ ついたスカート持ってきて
お父ちゃんも時々買うてくれるけど
うち やっぱりお母ちゃんに買うてほしい
うち やっぱりお母ちゃんに買うてほしい
自分が幼いころも裕福ではなかった。
貧乏生活だった。
でもあの頃はどこの家も貧しかった人たちの方が多かったのでは。
還暦を過ぎた今、子供のころを思い出すと
ふとこの歌が頭の中にでてくる。
「チューリップのアップリケ」岡林信康 (1971年 ライヴ)
違う方だったかしら?
岡林信康のコンサート、何年か前に行こうとしたら、急に体調不良とかで中止になりました。
Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン。
岡林信康は、息子の中高の先輩になります。
でも、息子はそんなん知らんわあ~って。
しらけました。
あの頃、かなりありましたね
竹田の子守唄もかな?
イムジン河もなか?
放送禁止歌に当日興味持っていたような…
ありがとうございます
2~3年前、ある劇団の公演で流れていた曲です。
女の子が歌っていた後ろで、父親らしき靴職人の
男性が仕事をしていたのがとても印象に残っています。
チューリップのアップリケって言うんですね。
ありがとうございます。
最近自分がアップしたブログの内容も忘れてきましたので・・・。
これも齢のせいかな。
若い人は岡林さんは分からないかもしれませんが、
日本の音楽の歴史を紐解いていけば、
この人の名前は若い人たちにも知ってほしいと思っています。
私の友人は新入生歓迎会の時に「山谷ブルース」を歌ったそうです。
♪今日の仕事はつらかった あとは焼酎をあおるだけ
上司に白い目で見られたそうです。
反戦歌、プロテストソング、差別用語・・・。
いろんな理由で放送禁止になってしまった歌が多いですね。
当時は放送禁止でも解禁された歌もあります。
「竹田の子守唄」も放送禁止でしたが今ではOK.
この歌も心に沁みる名曲ですね。
僕も放送禁止の歌に興味を持った時期もありました。
これからも拙いブログですがよろしくお願いします。
歌の内容から行くとストーリーがあるから演劇にしてもおかしくないですね。
なんだか観てみたくなりました。