改修工事中だった、スポセン(足立区総合スポーツセンター)・ジョギングコースの工事が終了して、今日9月28日から使用できるようになりました。
このコースをオラッチが初めて走ったのは、1992年10月18日でした。
本当は11月1日から使用開始だったのですが、ランニング仲間のY本さんが「来月からスポセンのジョギングコースが使用できるよ」と教えてくれました。
それまでは保木間公園のグランド外周(約310m)を走っていました。
「それじゃ、今日から走ろう」と言うことで3~4人で走りに行きました。
コースの路面に、スタートラインらしき白線が引かれていて、進行方向を示す→印と500の数字が白のペンキで書かれていました。
1周500mかと思い皆で24周を走りましたが、ペースとタイムを比べるとどうも距離が足りないような気がしました。
そこで競技用自転車にメーターを付けていたY本さんが測ってみました。
今では利用者が多く、自転車は立ち入り禁止ですが、まだオープン前でしたから。
走路として使用した内側を測った結果は475mでした。
やっぱり足りなかった。
後日、オラッチが走友会の人から計測器を借りて測ったら、やはり475mでした。
ついでに外側も測ったら490mでした。
そこでオラッチは、スタートラインから25m後ろに、白ペンキで印をつけました。
その印からスタートして21周したら、25m先のスタートラインまで走ると10kmになるので、当時の仲間はそのように走っていました。
数年たって、ウォーキングの人が増えて、皆思い思いの所を走ったり、歩いたりしていました。
その頃のオラッチ達は夜7時頃から4~7人くらいで、かなり速いペースで走っていたので、外側を使用していました。
それでもウォーキングの人が後ろも見ずにコースを横切ったりするので、時々危ない事もありました。
そこでオラッチはスポセンの所長に電話をして、危険なので、走る人と歩く人をコース上で分けて欲しいと話したら、皆が自分の使用したいところを使用しているので、それはできないと言う。
それじゃ事故が起きた時には貴方(所長)が責任を取ってくれますね。と言うと無言になり、何度かコースを分けろ、できない、事故が起きたら責任を取れ、無言を繰り返して物別れになりました。
それから、1年くらいして、ふちえRCの仲間が、ウォーキング中の人がいきなりコースを横切ってきたのを避けて、転倒して怪我をしてしまいました。
その人はどのレースに参加しても入賞する人でした。
すでに申し込んだレースには怪我で参加できず、貰えるはずの賞品も貰えません。
そういうものは弁償ができないでしょうに。
その事故がきっかけとなり、ウォーキングは内側、ランニングは外側というルールができ、立て看板も立てられました。
施設案内板も何時の間にか?ジョギングコースから、ウォーキング・ジョギングコースとなっていました。
オラッチが記している“ランニングダイアリー”(走り始めた1984年10月10日から記している)には、いつも外側を走っていても、内側の475mで走行距離を記録していましたが、改修工事後の再開を機に1周490mで記録することにしました。
因みに路面の修理が何回か行われて、当初のスタートライン、→、500の数字も無くなりました。
またオラッチが付けた印はペンキが薄くなるたびに、型紙を当てて白ペンキでスプレーしていました(10cm×2cm)。
スポセンの運営を第三セクターが行うようになり、それらの会社(何回か変更した)は当初のスタート地点が分からないので、オラッチが印を付けた地点が現在ではスタート地点になっています。
立て看板と路面縁石から外側コースに白ペンキで40cm×5cmのラインとSTART 0mの小さな文字が書かれています。
でも何処からスタートして、何処で終わろうと自由ですけどね。
講釈が長くなりましたが、2か月ちょっとぶりに走りました。
ジョギングコースの工事中を言い訳にしましたが、本当は暑いので走るのを止めていました。
ということで今日は、午前9時少し前に走りに行きました。
ウォーキングに来ていた5十嵐さんと挨拶を交わす。
走り出してすぐに、今日はランニングではなくてテニスをやりに来たNリちゃんが
Nリ「おやじさ~ん」と声を掛けてくれたので、手を上げて答える。
走っている時に5十嵐さんを抜いたら
5十嵐「暑いね」と言うので
おやじ「暑いですね」と答える。
左股関節障害の現在、5km以上走れれば自分としては上出来と思っていたが、今日はダメで3.92kmで終わりました。
汗を拭っていたら、5十嵐さんが来たので
おやじ「キツイわ」
5十嵐「蒸し暑いから」
おやじ「止まると(微風が)爽やかだ」
5十嵐「止まるとね」
そんなことで今日は終わりました。


このコースをオラッチが初めて走ったのは、1992年10月18日でした。
本当は11月1日から使用開始だったのですが、ランニング仲間のY本さんが「来月からスポセンのジョギングコースが使用できるよ」と教えてくれました。
それまでは保木間公園のグランド外周(約310m)を走っていました。
「それじゃ、今日から走ろう」と言うことで3~4人で走りに行きました。
コースの路面に、スタートラインらしき白線が引かれていて、進行方向を示す→印と500の数字が白のペンキで書かれていました。
1周500mかと思い皆で24周を走りましたが、ペースとタイムを比べるとどうも距離が足りないような気がしました。
そこで競技用自転車にメーターを付けていたY本さんが測ってみました。
今では利用者が多く、自転車は立ち入り禁止ですが、まだオープン前でしたから。
走路として使用した内側を測った結果は475mでした。
やっぱり足りなかった。
後日、オラッチが走友会の人から計測器を借りて測ったら、やはり475mでした。
ついでに外側も測ったら490mでした。
そこでオラッチは、スタートラインから25m後ろに、白ペンキで印をつけました。
その印からスタートして21周したら、25m先のスタートラインまで走ると10kmになるので、当時の仲間はそのように走っていました。
数年たって、ウォーキングの人が増えて、皆思い思いの所を走ったり、歩いたりしていました。
その頃のオラッチ達は夜7時頃から4~7人くらいで、かなり速いペースで走っていたので、外側を使用していました。
それでもウォーキングの人が後ろも見ずにコースを横切ったりするので、時々危ない事もありました。
そこでオラッチはスポセンの所長に電話をして、危険なので、走る人と歩く人をコース上で分けて欲しいと話したら、皆が自分の使用したいところを使用しているので、それはできないと言う。
それじゃ事故が起きた時には貴方(所長)が責任を取ってくれますね。と言うと無言になり、何度かコースを分けろ、できない、事故が起きたら責任を取れ、無言を繰り返して物別れになりました。
それから、1年くらいして、ふちえRCの仲間が、ウォーキング中の人がいきなりコースを横切ってきたのを避けて、転倒して怪我をしてしまいました。
その人はどのレースに参加しても入賞する人でした。
すでに申し込んだレースには怪我で参加できず、貰えるはずの賞品も貰えません。
そういうものは弁償ができないでしょうに。
その事故がきっかけとなり、ウォーキングは内側、ランニングは外側というルールができ、立て看板も立てられました。
施設案内板も何時の間にか?ジョギングコースから、ウォーキング・ジョギングコースとなっていました。
オラッチが記している“ランニングダイアリー”(走り始めた1984年10月10日から記している)には、いつも外側を走っていても、内側の475mで走行距離を記録していましたが、改修工事後の再開を機に1周490mで記録することにしました。
因みに路面の修理が何回か行われて、当初のスタートライン、→、500の数字も無くなりました。
またオラッチが付けた印はペンキが薄くなるたびに、型紙を当てて白ペンキでスプレーしていました(10cm×2cm)。
スポセンの運営を第三セクターが行うようになり、それらの会社(何回か変更した)は当初のスタート地点が分からないので、オラッチが印を付けた地点が現在ではスタート地点になっています。
立て看板と路面縁石から外側コースに白ペンキで40cm×5cmのラインとSTART 0mの小さな文字が書かれています。
でも何処からスタートして、何処で終わろうと自由ですけどね。
講釈が長くなりましたが、2か月ちょっとぶりに走りました。
ジョギングコースの工事中を言い訳にしましたが、本当は暑いので走るのを止めていました。
ということで今日は、午前9時少し前に走りに行きました。
ウォーキングに来ていた5十嵐さんと挨拶を交わす。
走り出してすぐに、今日はランニングではなくてテニスをやりに来たNリちゃんが
Nリ「おやじさ~ん」と声を掛けてくれたので、手を上げて答える。
走っている時に5十嵐さんを抜いたら
5十嵐「暑いね」と言うので
おやじ「暑いですね」と答える。
左股関節障害の現在、5km以上走れれば自分としては上出来と思っていたが、今日はダメで3.92kmで終わりました。
汗を拭っていたら、5十嵐さんが来たので
おやじ「キツイわ」
5十嵐「蒸し暑いから」
おやじ「止まると(微風が)爽やかだ」
5十嵐「止まるとね」
そんなことで今日は終わりました。

