【気まま連載】帰ってきたミーハー婆②
夫のゴルフ事情
岩崎邦子
夕飯の支度をしながら、テレビのニュースをチラ見をしていたら、「ゴルフ場の池に落ちて男性が死亡」との報が。「えっ!? そんな馬鹿なぁ」と、驚かされた。画面にはゴルフコース場入り口の名がしっかり映されている。なんと夫が最近よく利用しているゴルフ場ではないか。しかも夫は明日、そのゴルフ場に仲間と出かけることになっていた。
風呂から上がってきた夫に告げると、
「うそだろ!」と、疑心暗鬼。「まさかぁ。あ、でも、あそこの池ならあり得るかぁ」
何やら思い当たる池があるのかも。
ほとんどのゴルフ場には、バンカーや池が設計されていて、プレーに難易度を付けている。それらを攻略する醍醐味をも楽しむようになっているのだ。
「同じ組でプレーをしていた人は、どんな気持ちだろうか」「自分のプレーに熱中するあまり、仲間が戻ってこないことに、違和感なり心配はないのだろうか」
ゴルフボールの行方が分からなくなった時は、同じ組でプレーする仲間と一緒に探すのがルール。池の方面で危険とされる場所であれば、ロストボールにする勇断をしなければならない。
夫が翌日、仲間とそのゴルフ場へ。かの池の周りにはロープが張られ「近づかないように」と注意書きがあったそうだ。斜面の下のほうにある池なので、そちらに行くと仲間からは姿が見えなくなるという。
陽気が良くなったことで、行楽に出かけて水遊びが盛んになるからか、川や池、沼の危険性を警告するテレビ番組を見た。屈強な男性が池の中に入ると、意に反してずぶずぶと深みに落ちてゆく。助けに入る人も同じように自由が利かない。もちろん、実験だったから体にロープを巻いていたので、救い出すことは出来たが…。池や川の事故には、助けに入った人が犠牲者となることも少なくない。
ゴルフ場の池は人工的にできたもので、ダムなどもいう。沼は天然に出来たもので、深さが5m以下で 、水草が前面に生えている。水深が5m以上は湖で、水草は生えない。
ついでだから、余談を一つ。私が始めてゴルフをするようになったのは、アメリカに赴任中の夫に勧められたからである。運動神経が鈍い私のゴルフは、球筋は曲がらないが、全く飛距離が出ない。1番ウッドでスタートしてからは、5番と7番のアイアンを1本ずつとパターを持った。ひたすら仲間に迷惑をかけないよう、コースを駆け足で行く。
バンカーにはお手上げなので、手で出す。そして池の方向には決して打たない。これが、ロスアンゼルス郊外にあった、カルバサスゴルフ場での私のスタイルだった。
このゴルフ場には、「シェーン! カムバック!」と、坊やが叫んで有名な映画『シェーン』で使われたという荷馬車がコースの途中で見られた。現在のカラバサス地区は、高級住宅街になっているらしい。
当時の私はゴルフを楽しむというより、プレー後にリトル東京の寿司屋や日本食屋さん、コリアンタウンのBBQ屋さんに行くことを喜びとしていた。上げ膳据え膳の出来るのが何よりの醍醐味であった。
海外勤務から日本へ戻った頃は、我も我ものゴルフブームであったので、私も勧められて土浦カントリーの会員に。週一の割で主婦友達と出かけたが、私の飛距離は相変わらず伸びないままである。
一番の苦手ホールは、スタート地点の目の前の池越えをして、150 ヤードほど先の高台まで飛ばさなければない所だった。十中八九は池ポチャである。どれだけのロストボールをしてきたことか。
そしてコロナ禍の今、日々の生活で様々な自粛が。カラオケや、ボーリング、スポーツクラブなどにも規制がかけられている。高齢者の運動不足も心配される中、テニスやゴルフのプレーなど、屋外での運動に関しては規制がない。
もっとも受付でのマスク着用、体温測定や三密を避けることは当たり前に。パークゴルフでも同様だ。ゴルフ場の昼食場所はアクリルの衝立が設置されている。プレー後のパーティは、楽しみの一つだったが、今では行われなくなった。残念なことだ。
さて、30代からゴルフを始めた夫であるが、当時は子供たちも小さかったのに、休みの日になると、悪天候でもゴルフに出かけた。そんな夫に向かって、
「雷に打たれて死ねば本望でしょ!」
と、私は毒づいたものである。
退職後こそ腰痛に悩まされ、全くプレーが出来ない日々が2年近く続いたが、昔も今も夫のゴルフ好きには変わりがない。そんな夫も秋には84歳に。今のところ、元気にゴルフを楽しんでいる。
関西に住んでいる夫のゴルフ仲間とは、毎年春と秋に大阪や神戸などでプレーをするのを楽しみにしてきた。が、昨年はコロナ騒ぎでキャンセルに。今年はどうか。年初から「ホテルの予約も取ったから」と、ゴルフ仲間からお誘いメールが届いた。
夫は以前からこの機会に名古屋や岐阜に住む弟や従兄弟たちとも会うことにしている。4、5日の予定を立てて。「死んでからではなく、生きているうちに会っておこう」という思いだろう。もちろん、墓参りも、ゴルフも兼ねてだ。夫は私のご機嫌を伺うかのような表情で尋ねた。
「行っても良いかな?」
「大阪も、岐阜も行っても良いけど、帰ってこないでね」
ゴルフのプレーや兄弟たちと会うのが悪いのではないのだが、私の毒は健在である。ちなみに、東京からゴルフに参加する予定のUさんの奥さんは、もっと厳しい。
「絶対に行かないで!」
関西のゴルフ仲間も先方もコロナ禍という時勢を考えたのだろう、今年もこのゴルフ計画は中止になった。こうして夫たちが楽しみにしていたゴルフはあえなく頓挫。ま、元気なうちに、心置きなく楽しめるようにと、願うしかないか。
【岩崎邦子さんのプロフィール】
昭和15(1940)年6月29日、岐阜県大垣市生まれ。県立大垣南高校卒業後、名古屋市でОL生活。2年後、叔父の会社に就職するため上京する。23歳のときに今のご主人と結婚し、1男1女をもうけた。有吉佐和子、田辺聖子、佐藤愛子など女流作家のファン。現在、白井市南山で夫と2人暮らし。白井健康元気村では、パークゴルフの企画・運営を担当。令和元(2018)年春から本ブログにエッセイ「岩崎邦子の『日々悠々』」を毎週水曜日に連載。大好評のうち100回目で終了した。