【連載エッセー】岩崎邦子の「日々悠々」⑤
5、6年前のある日のことだった。白井市の公民館「駅前センター」でフェスティバルが開かれ、私はコーラスの人たちの合唱を聞いた。そこで歌われていた曲の中の「花は咲く」は、東日本大震災の被災者への応援ソングでもあったので、私が「覚えたい」「歌いたい」という歌であった。
(このような曲を歌っている会なら、ぜひ入会したい)
あまり深く考えないで行動してしまう私である。すぐに入会した。後で知ったが、コーラス・グループは、「むつみ会」のコーラス部ということであった。その会は、白井市にある高齢者クラブである。ま、一昔前なら「老人会」と言われたことだろう。
他にはゲートボール、絵手紙、カラオケ、婦人部、などの部がある。「むつみ会」の入会資格は60歳以上だ。私も十二分にその対象になっていた。「やだー、老人会かぁ」という抵抗があったものの、コーラスに入りたいのなら「背に腹は代えられぬ」という思いが勝っていた。
若かったころは、「年老いても自分は絶対にそういった集団には入るまい」と意気込んでいた。のろのろとした動き、人の話を聞いていない、所かまわず大声で話す、小汚い。ざっと言えば、そんな印象を持っていたからである。
けど、やはり入会してよかった。コーラス部は月に2、3回のレッスンがある。指導するのは、白井市在住の若くて美人のソプラノ歌手・花ケ崎純子先生。明るく、楽しく、そして丁寧に教えてくださるので、毎回のレッスンが待ち遠しい。
毎年秋に文化会館で開かれる「白井市民音楽祭」に参加することが、コーラス部一番の出番だ。他には駅前センターのフェスティバル、高齢者施設のデイサービスなどに呼ばれて歌ったりする。
母体の「むつみ会」だが、毎月第2日曜の午後に月例会が開かれる。ちょっとした茶菓子が出て、連絡事項や経過報告の後、余興として朗読劇、ウクレレ演奏とフラダンス、琴やギターの演奏とか、詐欺被害の注意もある。最後に全員で誰でも知っている何曲かを歌ってお開き。
こうした通常の会以外にも奉仕活動、敬老会やバス旅行などの行事が盛り沢山。10月の月例会は特別月で、その年に80歳になった人のことを祝う。早い話が「誕生会」である。お弁当での昼食会の後に、コーラス部とカラオケ部が日頃の成果を披露したりして、じつに楽しい。
月々の変化をつけての催しを楽しみにしている人もあれば、せっかくのアトラクションを見聞きするチャンスなのに、耳が遠くなっているからか、隣同士での私語を大きな声で話している人も。
どこか体の不自由なところが出てきていて、杖をついたり、手押し車を押して来る人もいる。家に閉じこもらず参加してくることは、やはり大事なことだと思う。高齢者になった私だが、何事も前向きに考えたい。他の高齢者を見て、「ああはなりたくない」とか「さすがだなぁ」などとウォッチングすることにしたのだ。この観察も面白い。
ところで、どの高齢者のクラブでも長く続くと、会員もますます高齢化が進む。一昔前なら70歳で「お役御免」になったろうが、役員やお世話係をする人選が難しい。なかなか引き受ける人がいないのだ。「むつみ会」では今のところ会長さん、副会長さんには頑張ってもらっているが……。
往々にして聞く話だが、会社人間だった人が退職して肩書が取れてしまうと、一抹の不安というか寂しさが出てくるらしい。だから、嬉々として何かの会の「会長」になりたがる人も。そんな人もいるので、責任ある立場につきたくない人には有難い。でも、私の友人の話も聞いてもらいたい。
ある会のトップ、つまり「会長」は、その友人の夫だ。長年にわたって会長を務めてきたが、このところ認知症が疑われる症状が出始めた。会の大事な約束事を忘れることも度々ある。家庭では若いころから「関白度」がかなり強めの人だったらしいが、最近は家の中でもあれこれと怪しい行動を繰り広げた。困り果てた友人が病院へ検査に連れて行こうとしても、「自分はしっかりしている!」と頑として病院行きを拒む。
「私も診てもらいたいのよ。ねえ、一緒に行きましょうよ」
と友人は夫に頼み込み、やっとの思いで検査を受けさせることに。診断の結果はというと、やはり「会長」には認知症が始まっていた。こうした病気の特徴なのか、その人の特性なのか分からないが、「会長」の座からなかなか降りようとしない。
ある日、会の主要メンバーから夫人に電話がかかった。
「ご主人には長く会のために働いていただきました。有難いと思っております。でも、ご主人には奥さんから『これからは楽をしてください』と言ってくださいますか」
ようするに「会長」引退のすすめである。「猫の首に鈴をつけられない」状態なので、友人に頼んできたというわけだ。まずは健康を願い、生き甲斐のある日々のために発足した会も、その頂点に立つ人が「老害」になってしまったのである。
私が50代だったころ、年を重ねることでさまざまな弊害が出る話を聞いたことがある。体の衰えは致し方のないことだが、上手に老いるためには、気持ちや考え方を変えることも大切だろう。
嫌われる老人として挙げられた項目で強烈に覚えていることは「過去の栄光を語るな」であった。本人にとっては何事にも代えがたい自慢話であっても、である。経験談として淡々と語るくらいなら、許されるのかもしれないが……。
以前にこんな経験をした。市のスポーツ関係のあちこちの会のトップをしていたその方は、何かのイベントがあるときに、ご自分が学生時代に箱根駅伝で走ったことを話される。「へぇ~、凄かったんだ」と感心して聞いた。
が、また違った場所でも同じ話を聞くことになる。まわりにいた人も「またかぁ」と、目配せをする。その後もこうしたことが度重なった。世話役をされていたので、立派な人だと思っていたが、がっかりしたものである。「それが生き甲斐なの?」とさえ思った。私はあの話を思い出した。
(あぁ、このことだな。『過去の栄光を語るな』とは)
この人の場合も、誰もが率先して「猫の首に鈴をつけられない」状態となってしまった例である。
さてと、「嫌われ老人」とは、一体どんな人物なのか。以前教えてもらった項目を改めて記そう。
内臓と口だけ達者/頑固で偉そうにする/一言も二言も多い/上から目線/昔の方針を押し付ける/自分の生き方が正しいと思っている/うるさい/臭い/トロイ/声が大きい/健康自慢/無趣味/同じ話を繰り返す/鈍いくせにせっかち……うん、まだあるぞ。
地域社会で楽しく関わっていくためにも、子供たちとの関係においても、「猫の首に鈴をつけることができる」人間であり、お婆ちゃんでありたいものだ。そうそう、まだある。一番私が強調したいのは……ん? 私、しゃべりすぎ?