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私、車が大好きだから  岩崎邦子の「日々悠々」⑥

2018-10-26 02:02:43 | 【連載エッセー】岩崎邦子の「日々悠々」

【連載エッセー】岩崎邦子の「日々悠々」⑥

私、車が大好きだから                

 

 パトカーの「ウーウー!」という甲高いサイレンが鳴った。

「やられたね!」

「スピード違反だろうね」

 夕食をとりながら夫と私が言葉を交わす。我が家は道路沿いにあるので、こうした異変にはすこぶる敏感だ。「人の不幸は蜜の味」というが、まさにそのとおり。

 申し訳ないが、サイレンのけたたましい音を聞いたら最後、ふつふつと野次馬根性が湧いてくる。でも、自分がパトカーに警告を受けて追われる立場になれば、「えーっ、最悪。なんてこった!」と嘆くことだろう。

 つい最近、ネットで運転マナーにまつわるコラムを読んだ。そのコラムを書いた人が運転免許を取得したのは、千葉県の市川市であったとか。私も市川の教習所だったので、俄然その内容に興味津々となった。

 その人の「個人的見解」とは――

 市川や柏などの東京に近い都市の住民ほど運転マナーが良い。対照的なのが、千葉県でも奥の方、つまり東京から離れた地域の住民である。パンチパーマのドライバーが多い印象が強く、運転が荒っぽい。

 さらに東京からもっと離れた北海道でも、運転マナーの悪さを実感したという。ウィンカーを出さないのは当たり前で、道をなかなか譲ってもらえない。路線変更をする際なんか、ウィンカーを出さないドライバーがあまりにも多いので、一時期、「北海道ではウィンカーを出さなくていいのか」と思ったらしい。断っておくが、私の意見ではない。あくまでも、その人の「個人的見解」である。

 そんな北海道はまだ良いほうらしい。断トツにマナーの悪いのは大阪である。あのー、けっして私の意見じゃありません。それはともかく、「東京に近い地域の住民ほど運転マナーが良い」というコラムを、東京にほど近い白井市に住む私は気持ちよく読んでいた。

 が、最後のほうで気になる記述があった。「地域に関係なく高齢のドライバーほど運転マナーが悪い気がしませんか?」「長年運転している慣れが関係しているのでしょう、自分勝手な運転が目について仕方がありません」

 ちょっと待ってよ。確かにニュースで高齢者の無茶な運転ぶりがしばしば報じられている。その多くが、アクセルとブレーキを間違えての事故だという。ほんと心が痛む。しかし、これは事故を起こした人の運転能力と認識度の低下が原因である。けっして運転マナーの問題ではないだろう。

 私が運転免許を取ったのは32歳のときだった。それまでどうしていたのか。車は自宅のガレージに置いてあったが、運転なんかしたことがなかった。ある日、子供が熱を出してもタクシーを呼ぶしかないことに気づく。

(うーん、やっぱり運転免許をとるしかないか)

   早速、当時仲良くしていた友人と教習所に通い始めた。もちろん夫に相談などしない。内緒である。夫は私のことを極端な運動オンチと決め込んでいたからだ。教習所の予約時間に合わせるために、子供を幼稚園に連れてゆく準備などで朝からバタバタと忙しくなった。家の中をあたふたと駆けずり回る私を不審に思った夫が怪訝な顔で問い詰めた。

「何をそんなに急いでいるのだ。最近、変だぞ!」

 仕方がない。私は教習所に通っていることを夫に打ち明け、

「ダメよ。反対しても。もう始めたんだから!」

 と高らかに宣言した。

「ふんっ、お前に運転免許なんか取れるわけがない」と夫が憎まれ口を叩く。「男がお産をするようなものだ!」

 ふ、ふ、なかなかうまいことを言うではないか。

(何を言われてもよい。もう走り出したのだから)

 こうして私はバスで教習所通いを堂々と続けることに。夫から運動オンチとバカにされていた私だったが、運転適性検査ではかなり上のランクであることが判明し、ほくそ笑んだ。それが心の支えになったのだろう、同じ頃に教習を受け始めた友人や若い男の子より早く、運転免許証を手にすることができた。

 免許証取得に失敗した大学生と思しき若者は、私が合格したことを知って、

「すごいですね。山椒は小粒でも……えーと、何だっけ?」

 その後の言葉が出て来ない。「ピリリと辛い」を思い出せないらしい。ま、私への誉め言葉のつもりでしょう。

(それだから君は筆記試験に落ちてばかりなんだよ)

 とはいえ、実際に免許証を手にしたものの、教習所の車と我が家の車の車種の違いは、初心者には大きな差を感じたものだ。助手席に乗った夫に「それでよく免許がとれたな」と嫌味たらたらで路上に出た。

 当時の車はマニュアル車のため、ギアチェンジに戸惑うこともしばしばだった。坂道発進もドキドキものである。少しもたもたしていると、左腿に夫の鉄拳が何度も落ちてくる。もう青アザがくっきりだ。

   我が家の車庫入れも難関の一つであった。夫の怒鳴る大声は近所でも知られることになったが、安全や「人様に迷惑をかけないように」との一心であったことは間違いない。

 このように夫が私を罵倒するという修羅場はあったが、最寄り駅へ3キロ、夫の朝晩の送り迎えをすることが、当たり前の日々に。朝の幹線道路は混雑のため、裏道へ回ることも覚えた。夫の帰宅時間が深夜に及ぶことも度々あって、なんだかんだと言いながらも、私の運転技術もかなりマシになった。

 ところで、運転免許をとって良かったことがいくつかある。子供の成長に伴い、塾通いや友人たちとの約束に気軽に応じることができた。私自身の行動半径も広くなり、少し遠くに住む友達の家にも出かけることも。当然、重い物、かさばる買い物も難なくできる。運転するのが日に日に面白くなった。

(うふっ、私って運転大好きだよね)

 とさえ思えるようになった。夫の転勤に伴って暮らしたロサンゼルスでの生活で、その思いが増幅される。息子は日本の学校に残り、娘はニュージャージー州の大学生になった。我が家は一家離散(?)のあり様である。夫は仕事に追われていたので、慣れない地にあっても、私にかまってはいられない。そんな日々が続く。

 言うまでもなく、アメリカは車社会である。車のない生活は考えられない。あるとき、お手伝いさんに点滴の袋をもたせた老婦人が、自ら運転して出かける姿を目撃し、仰天したものだ。右車線や左ハンドルになったが戸惑いはなかった。

 道路が広いこと、標識が分かりやすいこともあって、時々訪れる日本からのお客を車で案内することも多かった。当時はハリウッド、ビバリーヒルズ、サンタモニカなどにお連れすると喜ばれたものである。ロス郊外のアナハイムにあるディズニーランドへは何回も行った。

 ゴルフの女友達もできた。グリーンの手入れは良いとは言えないが、平日のゴルフは特別に安い。暇なことも多かったので、YWCAで水泳を習った。日本でなら恥ずかしくて水着姿などになれない。が、「私のデブくらいは可愛いものだ」と自分に言い聞かせながら、5車線もあるフリーウエイを飛ばして行くのは快感であった。

 英語などろくに話せなくても、楽しみ方はいろいろ。リトル東京に行けば、日本人向けの広告で何かの催しを目にする。地図で探して行ってみることもしばしばだった。「やっぱり車を運転できてよかった」と痛感したものだ。もう30年も前のことである。

 日本への転勤で元の住まいに戻ってみると、市川の道路のまぁ何と狭いことか。成人した長男のこともあって、家をどうするかが課題となった。そんな矢先、市川に住む友人と総武北コースのゴルフに行く際に、今の住まいの募集広告に遭遇する。応募したものの、当初は抽選に外れた。その後のバブル崩壊のお陰か、空き家募集に当たり、今の464線沿いにある2世帯住宅に落ち着いた。

 いざこの地に移住してみると、良い点に嫌でも気づく。道が広いし、線路沿いの道路は上り下りと2車線ずつあるではないか。東京に住んでいる人が我が家に遊びに来ると、周りの広々した環境を「わあ、アメリカみたい!」と称賛してくれる。一概にそうは思えないが、広いことの「例え」なのだろう。

 さてさて、この広い道路、ついついスピードが出てしまうのが難点ともなる。まだ今のように車の交通量が多くない頃、柏に住んでいる同級生が白バイに捕まったと嘆いたのは我が家の近くだったという。ここに来たころは、度々取り締まりをしていたが、最近は少なくなったように思える。一般道路で制限速度が40キロであっても、その速度で走る車は少ない。極まれに、「せめて40キロで走ってよ」と思わせるノロノロ運転にも出会う。ま、流れに沿って運転するのが安全なのかもしれない。

 後期高齢者になった今、免許更新で実年齢よりは良い成績が取れている。とはいっても、いずれ免許返上の日が訪れる。その日のために自転車に慣れておくことも必要だと思って購入した。若いころは難なく乗れていたのに、勝手が違う。

 昔の乗り方は片足をペダルに乗せて、もう一方の足で蹴り速度が出てからサドルに腰かける方法だった。しかし、自転車のサイズも自分の体に合わせることによって、まずサドルに座ってから漕ぎ出す乗り方が一般的らしい。

 この乗り方にも慣れてきて近場の用向きに出かける。私が住んでいる近辺では、歩道でさえ車が悠々通れるくらい広い。大型車の風に煽られる心配もないので、自転車はお天気さえ良ければ快適な乗り物ではある。しかし、つくづく思うのは、やはり車に勝るものはないということ。雨が降っても、少しくらいの強風でも、気に掛けることはない。安心感が半端ではないのだ。

 私、車が大好きだから、あのコラムを書いた人の「地域に関係なく高齢のドライバーほど運転マナーが悪い気がしませんか?」「長年運転している慣れが関係しているのでしょう、自分勝手な運転が目について仕方がありません」といった説には異を唱えたくなる。でも、まずは「高齢者はこれだから」と言われないように、「安全運転第一」を心がけようっと。さっ、行くわよ。

 

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