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真鍋夫妻の住むプリンストン 【気まま連載】帰ってきたミーハー婆⑳

2021-10-12 05:31:54 | 【気まま連載】帰ってきたミーハー婆

【気まま連載】帰ってきたミーハー婆⑳

真鍋夫妻の住むプリンストン

岩崎邦子 

 

 

 プリンストン大学上席研究員の真鍋叔郎さんが今年のノーベル物理学賞(地球温暖化・気候変動の研究)に選ばれた。真鍋さんは1960年代に地球の気候を解析する手法を開発、大気中の二酸化炭素濃度の増加が、地球温暖化に影響することを実証した人である。
 温暖化ガスが大気中に大量に放出され、地球全体の気温が急激に上がり始めているという。それを年々実感しているが、豪雨や干ばつ、そして異常気象が世界中で起きていることも、地球温暖化に関係しているのだろうか。
 家庭や身近なところでの地球温暖化対策も謳われるようになり、太陽光発電があちこちに設置されている。気候に合わせた服装にしたり、室温や給湯器の温度設定でも、暮らしの中の節電や節水につながるだろう。また紙やプラスチックなど素材を再生した商品の活用もすすめられている。
「彼女の助けがなければ、賞をもらうのは不可能だった」
 ノーベル賞受賞の知らせに、真鍋さんはこんな喜びの弁を語った。彼女とは、信子夫人のことだ。「妻の料理を毎日楽しみ」「食事に関しては最も恵まれた人間だ」「妻の運転は上手いので、安心して研究が出来る」など、ユーモアを交えて、奥様への感謝の弁を一番に語った真鍋さん。
 それを傍らで聞いていた奥様の信子さんが、こう言い放つ。
「私はいつも夫をリスペクトしていますので」
 このシーンをテレビで見ていた我が家の夫は、すかさずのたまった。
「我が家とは大違いだなぁ」
 どうやらエイジシュートを達成してきた時の、私の薄い反応を根に持っているらしい。
 成し得たことの違い、尊大さや世界のレベルの違い、比較にならないお門違いの話であるが…。
 それはさておき、真鍋叔郎さんがノーベル賞に決まったことで、私の一番の関心は、国籍が日本ではなく、アメリカということ。それにプリンストン大学上席研究員ということだった。
 真鍋さんは、日本の研究体制の弱体化を嘆く。
「日本では他人を邪魔しないよう、お互いに気遣っている」
「アメリカは周りを気にせず研究が出来ることを選んだ」
「日本のように、協調、同調して生きる能力が私はないから」
 と、うまく笑いに変えてはいたが。
 真鍋さんが籍を置くプリンストン大学は、ニュージャージー州の私立大学で、アメリカので8番目に古い大学だ。私の娘家族はプリンストン大学に、さほど遠くない所に住んでいる。
 孫が小さい頃に娘の家を訪ねた時には、大学の広大なキャンパス内の散歩をしたことも。絵はがきにもなっているお洒落な校舎の数々を見た。木々の間をリスが出没していたことも思い出す。スクールカラーの橙色と黒のロゴが入ったグッズを、お土産に買った。
 そんなことを思い出していると、娘からのLINEが。真鍋さんの受賞のことと、奥様に、今は日本に居る孫が「お茶を教わったことがある」と知らせてきた。ネットに「妻は茶道教室を経営」と書かれていたっけ?
 孫は来春の大学院入学までは、バイト生活をして都内で暮らしているが、コロナの自粛生活の影響もあって、白井の我が家には久しく来ていない。でも、コロナ騒ぎも落ち着いてきたので、我が家で預かっている冬用の衣類を取りにやって来ることになった。早速、「お茶」のことを聞いてみようと思う。
 彼女の都心の企業でのバイトは、木曜日の夕方まで。金曜の朝にはリモートによるバイトと、学校関係のリモート・ミーティングが午後にあるという。私達が出かける時間のこともあって、金曜日(10月8日)の朝8時前に我が家に来ることに。そんなわけで、その日を楽しみにしていた。
 ところが、前日の7日夜10時41分、都内では震度5の地震である。震源地に近い我が家あたりは震度4の強い揺れが襲う。もちろん、交通機関にも大きな支障が。金曜の朝になっても、運転見合わせの鉄道があちこちで出ていた。
 しかし、彼女はすっかり都心に精通して、ネットで調べ上げたのだろう。乗り継ぎをしながら、難なく予定の時間通りに我が家に辿り着いた。ホッとしたものだ。
 我が家に着いた孫は、予定してきた要件を済ませながら、忙しく過ごす。一通りのことが済んでから、隣の孫娘とも久しぶりに歓談した。
 さて、「お茶を教わった」件を切り出すと、彼女がまだ幼かったこともあり、あまり覚えていないようだ。プリンストン大学に近い真鍋家のお宅に、友人やその母親と行って、お茶教わったことがあるが、習いには行っていない。
 詳しくは覚えていないというが、表千家だとのこと。そこに来ている人たちは日本人ばかりだった。フロアに畳が敷かれ、茶釜に向かって座り、和服を着た先生にお点前の作法を教わったとか。
 ところで、夫人の信子さんは1994年までプリンストン日本語学校の校長をしていたというので、私は俄然興味が沸いた。もちろん、孫たちは生まれてもいない頃のことだ。孫たちは学齢期になってからは、この日本語学校に通うようになっていたし、娘は高校生に数学を教えていた。
 日本語学校は当初はプリンストン大学の一角を利用されていたが、後にはライダー大学の校舎を借用して、毎週日曜日に授業が行われていた。幼稚園生から高校生までが対象である。小・中学生は日本の学習指導要領に基づいて学んでいた。生徒には日本語を母国語としない大人も。
 ここに通う子どもたちは、現地校と日本語学校を両立させて頑張っているが、学年が上がるごとに、日曜日だけの登校では、勉学も厳しくなる。現地校との板挟みになって、かなりハードになり、日本語学校をリタイアする生徒も出てくる。
 ずっと以前のエッセイに書いたことがあったが、下の孫娘は小学校低学年の時、宿題をしていかないことがあって、私は娘が苦労をしているなぁと、思ったものだ。しかし、宿題をしたくてもハードになって出来なくなるのは、高学年になってからだとか。
 上の孫から聞いた話では、その頃になると、「妹はもの凄く頑張り屋になって」いたらしい。日本語学校も現地校でも妹は好成績を収めるようになって、姉が羨むほどだったとか。私は長い間、母親の娘は苦労をしていると思っていたが、どうやら徒労だったようである。
 すっかり話が反れてしまったが、プリンストンの日本語学校でのイベントでは、元校長の真鍋信子さんが采配をふられて、お茶席の催しを盛大に開かれることもあったそうだ。
 真鍋夫妻には、2人の超優秀な娘さんがおられる。プリンストンの日本人の集まりの中で、お茶や、料理などで手腕を発揮されて、ご主人の研究のサポートにも怠りがなく、周りの人からのリスペクトも厚い。
 真鍋叔郎さんは90歳、夫人の信子さんは10歳年下の80歳。この度のノーベル賞受賞、おめでとうございます。

 

 

【岩崎邦子さんのプロフィール】 

昭和15(1940)年6月29日、岐阜県大垣市生まれ。県立大垣南高校卒業後、名古屋市でОL生活。2年後、叔父の会社に就職するため上京する。23歳のときに今のご主人と結婚し、1男1女をもうけた。有吉佐和子、田辺聖子、佐藤愛子など女流作家のファン。現在、白井市南山で夫と2人暮らし。白井健康元気村では、パークゴルフの企画・運営を担当。令和元(2018)年春から本ブログにエッセイ「岩崎邦子の『日々悠々』」を毎週水曜日に連載。大好評のうち100回目で終了した。


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