【連載エッセー】岩崎邦子の「日々悠々」㊾
台風15号が関東に接近するという天気予報が流れていたので、週初めの9月9日の月曜日は主な交通機関が前もって運休するなどの対策を報じていた。台風の発生は8月に多いというが、9月に入ってからの台風の方が風も強く、災害をもたらす率が高いのだという。
海水から上がる水蒸気で台風が生まれる。太平洋の海水の温度は、気温の高い8月は27度くらいだが、9月は29度ほどになって高いため、台風の勢力も大きくなるのだそうだ。へー、そうなんだぁ。
日曜日の夜半からは雨風が強くなった。でも、私はあまり気にならず、熟睡していたようである。いつものように、朝5時頃に目を覚ました。台風は5時少し前に千葉市に上陸した、との報を知る。前夜の予報では、東京から埼玉方面に抜けて行くのだと思っていた。東側にあるガラス窓には強い風と共に、雨が打ち付けているが、464号を走る車は、特別に変わった様子もなく通り抜けて行く。
テレビでは、横浜の浸水した所とか、都心の強風の様子を映し出している。台風は千葉市から茨城・水戸方面に駆け抜けて行くことを伝えていた。交通機関も平常に運行している路線はほとんどなく、駅の改札口も閑散としている。運休が多く、開通の予想時間を手書きの文字で知らせている。
どの局も同じような内容だ。出かける予定もない私は、他人事として見ていたが、週初めで仕事にも困っている人も多いだろう。などと、呑気な感想を持っていたが、夕方から夜にかけてのニュースを見て、驚かされた。15号台風は、関東上陸では観測史上の最強だったというではないか。
台風の目の東側に大きな被害が出るというが、千葉市・成田市・市原市などでは、被害が甚大なようだ。ゴルフ場の網の鉄塔が倒れて民家の屋根を押しつぶしている有様、ソーラーパネルの火災、電線が切れた所や電柱や鉄塔が倒れている映像、猛威を振るった風の強さが分かる。大規模停電となり、復旧も大幅に遅れているらしい。
夜になって街の様子が映し出されていたが、いつも明るい街並みも暗闇となり、信号機も機能していない様子である。人々には心理的にも物理的にも及ぼす影響の大きさだ。昔は、雷とか何かがあるとすぐに停電が起きていたが、ほどなく復旧してくれていたことを思い出す。闇の中からパッと明るく電気がついた喜びを、なぜか思い出してしまった。最近ではそうした事態が起きることも少なくなったと思っていたのだが……。
オール電化で暮らす人もいるが、その大ピンチ状態も取材されていた。大半の家庭では、オール電化まではいかなくても、照明の他に冷蔵庫やクーラー、暖房などで、電気のお世話になっているのだから、長時間の停電はちょっとした死活問題でもある。
我が家の周辺では、木々の葉や枝が散乱している所もあったが、ほぼ平常の様子だった。10日の火曜日になって、船橋市三咲駅近くの知人に会うため、「県民の森」の中を通って行った。葉っぱや枝が道に散乱しているなぁと思っていると、今度は道端の木が倒れかかっていて、辛うじてロープで支えられている。
そんな箇所がいくつかあって、車の振動で木が倒れて来ないことを祈りながらの走行となった。知人の家は戸建ての家で、台風の通過した夜はガタガタと猛烈にうるさくて、眠れなかったとか。私の熟睡話は、呆れたように笑われながらも、お互いに被害のなかったことを喜んだ。
その後の報道で次々と被害の様子を知ることになる。月曜日は各駅での長蛇の列が出来ての大混乱が続いた。停電・断水・陸の孤島となった成田空港、それらのニュースによって、知り合いからは心配してくれるメールも届いたが、幸いなことに我が家は息子家族も含めて問題は起きていない。
首都圏・関東圏を襲ったこの度の台風では、鉄道の計画運休に関する問題や、電柱などを地下に埋める策のことも、検討されて行くようだ。それにしても、東電の復旧作業は長引いている。9月とは言えないほどの暑さが続き、加えて断水も各所に起きている様子が伝えられていることに、心が痛む。
我がマンションでは防災の件で、かなり真剣に取り組みが行われており、地震や火事の避難訓練や、各自がすべき食糧の備蓄への啓蒙もされている。井戸が掘られて水の確保も考えられている。この度の15号台風では、停電・断水が人々に大きな苦しみをもたらした。
「自家発電機があったなら、一時しのぎではあっても助かっただろうに」
そんな素人なりの思いが沸く。いずれにしても、台風15号の被害を思うと、私たちの防災への取り組みがいかに甘いかを痛感するしかない。備えあれば憂いなし、か。