母が亡くなって約1年・・・、昨日我が家のお寺さんの本山である東本願寺へ母親の遺骨を収骨(須弥壇の下にある遺骨を安置する場所へ収めるので収骨と言うらしい(納骨ではないんだって真宗では))した後、喪も開けたということで、伏見稲荷へ行ってきました。
じいちゃんの母方では、伏見稲荷信仰をしていて、先祖代々(といっても明治の初年頃かららしいが)、この神道信仰が受け継がれています。
特に、盛んだったのは、じいちゃんの「おじいちゃん」の代で、先達である「おじいちゃん」が一族を引き連れ、夏の土用の頃と冬の寒の頃(土用行・寒行という修行)に伏見の稲荷山に登り祝詞を唱えながらいくつもの祠を巡るということをしていました。
今では、その時一緒に行ったおじさんもおばさんもみんな歳をとって、なかなか伏見さんにお参りに行くことはできなくなってしまい、昨日一緒に収骨に行ったおばさん二人も十数年ぶりということで、喜んでいました。
鳥居の前で、写真に収まっているのは、母親の妹(おばちゃん)とじいちゃんの妹です。
妹が生まれた頃(じいちゃんと12歳違う)には、「おじいちゃん」が脳溢血で倒れた後(というより死んじゃったすぐ後だった)で、ほとんど伏見のお山には行ってませんが、じいちゃんは物心ついた頃には、おじちゃんたちと一緒に祝詞を唱え、お山を走って登って、みんなから叱られたもんでした。
あれから50年・・・、結婚してから暫く伏見に行ってませんでしたが、長男のtakapapaの高校受験を機に、再びお山を家族安寧のために参拝することにして、両親の喪に服している時以外は、行くようにしていました。
最近は、何となく心のよりどころとして・・・、毎年行っています。
ここ十年くらいは、伏見へ参拝した後、伊勢神宮にも参拝するという感じで、このブログでも紹介してきました。
帰りは、第二名神の土山SAあたりでメチャメチャすごい雷雨になり、名阪では関JCTから渋滞にハマり、20時過ぎにようやく帰りつくことができました。
今日は、ものすごう~体がえりゃ~ので、これからマッサージにいこみゃ~かと思っとります。
じいちゃんの母方では、伏見稲荷信仰をしていて、先祖代々(といっても明治の初年頃かららしいが)、この神道信仰が受け継がれています。
特に、盛んだったのは、じいちゃんの「おじいちゃん」の代で、先達である「おじいちゃん」が一族を引き連れ、夏の土用の頃と冬の寒の頃(土用行・寒行という修行)に伏見の稲荷山に登り祝詞を唱えながらいくつもの祠を巡るということをしていました。
今では、その時一緒に行ったおじさんもおばさんもみんな歳をとって、なかなか伏見さんにお参りに行くことはできなくなってしまい、昨日一緒に収骨に行ったおばさん二人も十数年ぶりということで、喜んでいました。
鳥居の前で、写真に収まっているのは、母親の妹(おばちゃん)とじいちゃんの妹です。
妹が生まれた頃(じいちゃんと12歳違う)には、「おじいちゃん」が脳溢血で倒れた後(というより死んじゃったすぐ後だった)で、ほとんど伏見のお山には行ってませんが、じいちゃんは物心ついた頃には、おじちゃんたちと一緒に祝詞を唱え、お山を走って登って、みんなから叱られたもんでした。
あれから50年・・・、結婚してから暫く伏見に行ってませんでしたが、長男のtakapapaの高校受験を機に、再びお山を家族安寧のために参拝することにして、両親の喪に服している時以外は、行くようにしていました。
最近は、何となく心のよりどころとして・・・、毎年行っています。
ここ十年くらいは、伏見へ参拝した後、伊勢神宮にも参拝するという感じで、このブログでも紹介してきました。
帰りは、第二名神の土山SAあたりでメチャメチャすごい雷雨になり、名阪では関JCTから渋滞にハマり、20時過ぎにようやく帰りつくことができました。
今日は、ものすごう~体がえりゃ~ので、これからマッサージにいこみゃ~かと思っとります。