豊川市で今日と明日、第8回目のB-1グランプリが開かれています。
今年から「ご当地グルメでまちおこしの祭典!B-1グランプリ」と正式名称が変更されたそうで、昨年までの「B級ご当地グルメの祭典!B-1グランプリ」からグルメだけでなく、これまで以上に「まちおこし」に重点を置いたイベントになりました。
第1回の八戸大会から料理ではなくまちおこし団体をグランプリとして表彰していたらしく、名称もそれに合わせて変更したということですね。
毎年、このイベントで上位に入賞した町は多くの観光客で賑わうということで、参加する団体も年々増えています。
人間ってやっぱり食べることが大好きなんだなぁ~とこのイベントが開かれるたびに思います。
たま~に「B級グルメ!冨士宮やきそば」なんて看板を見ると、つい買ってしまうじいちゃんです。
その他にもワイドショーで紹介されているB級グルメを見ると食べたくなるんですが、なかなかご当地まで行って食べるという行動には移せません。
また、行ったところで観光客でごった返してるところを歩こうとは思いませんし、まあそれで一時期客が増えてもアッという間に客が遠のいていくのは日本人の流行りもの好きな性格からして分かってることです。
大切なのはB級グルメを起爆剤にして、いかにしてその街の活性化を図り持続させていくかということです。
式年遷宮で今年は伊勢神宮が賑わっていると言われていますが、じいちゃんのように毎年一度は神宮に参拝してる人(母親が昨年亡くなったので今年は喪中ということもあり行ってませんが)にとっては、毎年行って当たり前ということで、何なんやろうという感じです。
確かに、じいちゃんは伊勢まで車で2時間くらい(伊勢湾岸道と伊勢自動車道ができてメチャンコ便利になった。ゴルフも伊勢は守備範囲に入りました。5年前には考えられんかった)の名古屋に住んでいますので、他の地方の人から見れば地の利に恵まれているということもありますが、そこはそれ信仰や子供の頃からの習慣で年に一度は神宮に参拝するという・・・、言ってみれば気持ちの問題もあるんですね。
じいちゃんは多分、赤ん坊の時(記憶がないので聞いた話)から毎年初詣に伊勢神宮に行ってました。
父親が国鉄(今のJR)に勤めていたので(当時は家族割引で運賃が安かったんです)国鉄のディーゼル機関車に揺られて伊勢市駅に行き、外宮~内宮~二見が浦(天岩戸があります)を一日がかりでお参りして帰るという工程でした。
参道にある赤福のお店で、お茶と一皿の赤福を食べるのが一等好きでした。
お昼は母親が作ったおにぎりを汽車の中でほおばります。
汽車の中は、初詣のお客さんたちで一杯だし、お伊勢さんの参道も凄い人でした。
この参道には名物の「伊勢うどん」などのB級グルメ店がひしめきあっていますが、伊勢での町おこしは「おかげ横丁」ぐらいしか聞いたことがありません。
一時期参拝客が減った時に「おかげ横丁」を発案した伊勢商人は賢いなぁ~と思ったもんです。
「おかげ横丁」へも何度か行ったことはありますが、別に変わったもんがある訳じゃないし、どうしても食べなきゃ帰れないとか、このおみやげはどうしても買って帰ろうとか思ったこともありません。
ただ、いつ行っても(初詣の他にロケなどの仕事で行くこともある)「おかげ横丁」は混んでいるのにビックリします。
やっぱり、一時の流行をいかに未来に繋げていくかが大切で、B級グルメだけではいずれ落ち目になるのは仕方ありません。
自然豊かな国の日本は、戦後政治の中で「資源がないから、資源を輸入して工業製品を輸出するしかない」とじいちゃんたちから現在の子供たちまで為政者たちに洗脳されてきましたが、工業製品を生み出すための資源がないだけで、安全で安心でおいしいものができる農産物や海産物の資源はたくさんあります。
なのに政治がこれらを放棄して、工業生産国としてお金を儲けようとしてきたばっかりに、今のような地方の悲惨な状況が生み出されてしまいました。
工業立国もいいでしょうが、それを支えている自然の中から生み出される資源を大切にしなかったから、何だよく分からない農産物を大量に輸入しなけりゃいけない日本になってしまったんです。
本来なら町おこしなんて考えなくてもいいはずだった地方の都市が疲弊していったのは、まさに第1次・第2次・第3次産業のバランスを考えなかった戦後政治のスキームにあったことを政治家たちはよ~く返り見てほしいと思います。
今年から「ご当地グルメでまちおこしの祭典!B-1グランプリ」と正式名称が変更されたそうで、昨年までの「B級ご当地グルメの祭典!B-1グランプリ」からグルメだけでなく、これまで以上に「まちおこし」に重点を置いたイベントになりました。
第1回の八戸大会から料理ではなくまちおこし団体をグランプリとして表彰していたらしく、名称もそれに合わせて変更したということですね。
毎年、このイベントで上位に入賞した町は多くの観光客で賑わうということで、参加する団体も年々増えています。
人間ってやっぱり食べることが大好きなんだなぁ~とこのイベントが開かれるたびに思います。
たま~に「B級グルメ!冨士宮やきそば」なんて看板を見ると、つい買ってしまうじいちゃんです。
その他にもワイドショーで紹介されているB級グルメを見ると食べたくなるんですが、なかなかご当地まで行って食べるという行動には移せません。
また、行ったところで観光客でごった返してるところを歩こうとは思いませんし、まあそれで一時期客が増えてもアッという間に客が遠のいていくのは日本人の流行りもの好きな性格からして分かってることです。
大切なのはB級グルメを起爆剤にして、いかにしてその街の活性化を図り持続させていくかということです。
式年遷宮で今年は伊勢神宮が賑わっていると言われていますが、じいちゃんのように毎年一度は神宮に参拝してる人(母親が昨年亡くなったので今年は喪中ということもあり行ってませんが)にとっては、毎年行って当たり前ということで、何なんやろうという感じです。
確かに、じいちゃんは伊勢まで車で2時間くらい(伊勢湾岸道と伊勢自動車道ができてメチャンコ便利になった。ゴルフも伊勢は守備範囲に入りました。5年前には考えられんかった)の名古屋に住んでいますので、他の地方の人から見れば地の利に恵まれているということもありますが、そこはそれ信仰や子供の頃からの習慣で年に一度は神宮に参拝するという・・・、言ってみれば気持ちの問題もあるんですね。
じいちゃんは多分、赤ん坊の時(記憶がないので聞いた話)から毎年初詣に伊勢神宮に行ってました。
父親が国鉄(今のJR)に勤めていたので(当時は家族割引で運賃が安かったんです)国鉄のディーゼル機関車に揺られて伊勢市駅に行き、外宮~内宮~二見が浦(天岩戸があります)を一日がかりでお参りして帰るという工程でした。
参道にある赤福のお店で、お茶と一皿の赤福を食べるのが一等好きでした。
お昼は母親が作ったおにぎりを汽車の中でほおばります。
汽車の中は、初詣のお客さんたちで一杯だし、お伊勢さんの参道も凄い人でした。
この参道には名物の「伊勢うどん」などのB級グルメ店がひしめきあっていますが、伊勢での町おこしは「おかげ横丁」ぐらいしか聞いたことがありません。
一時期参拝客が減った時に「おかげ横丁」を発案した伊勢商人は賢いなぁ~と思ったもんです。
「おかげ横丁」へも何度か行ったことはありますが、別に変わったもんがある訳じゃないし、どうしても食べなきゃ帰れないとか、このおみやげはどうしても買って帰ろうとか思ったこともありません。
ただ、いつ行っても(初詣の他にロケなどの仕事で行くこともある)「おかげ横丁」は混んでいるのにビックリします。
やっぱり、一時の流行をいかに未来に繋げていくかが大切で、B級グルメだけではいずれ落ち目になるのは仕方ありません。
自然豊かな国の日本は、戦後政治の中で「資源がないから、資源を輸入して工業製品を輸出するしかない」とじいちゃんたちから現在の子供たちまで為政者たちに洗脳されてきましたが、工業製品を生み出すための資源がないだけで、安全で安心でおいしいものができる農産物や海産物の資源はたくさんあります。
なのに政治がこれらを放棄して、工業生産国としてお金を儲けようとしてきたばっかりに、今のような地方の悲惨な状況が生み出されてしまいました。
工業立国もいいでしょうが、それを支えている自然の中から生み出される資源を大切にしなかったから、何だよく分からない農産物を大量に輸入しなけりゃいけない日本になってしまったんです。
本来なら町おこしなんて考えなくてもいいはずだった地方の都市が疲弊していったのは、まさに第1次・第2次・第3次産業のバランスを考えなかった戦後政治のスキームにあったことを政治家たちはよ~く返り見てほしいと思います。