「真間の手児奈伝説の地1」で紹介した真間のつぎはしから少し前に進んだ右側に「手児奈霊神堂」
があり更に進むとやはり右側に「亀井院」というお寺がありこの道の突きあたりに
「弘法寺(ぐほうじ)」があるという位置関係です。いずれも真間の手児奈に深いかかわりがあります。
この地を訪れたのは 2015.1.31 のことでした。
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つぎはしから前に進んで右に曲がると奥のほうに「手児奈霊神堂」がありました。住宅に囲まれています。
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万葉集に歌われている手児奈の歌の紹介
「真間の手児奈伝説」を広く知らしめることになった歌人は高橋虫麻呂と山部赤人の二人だそうです。
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高橋虫麻呂の長歌に対する山部赤人の反歌だということが分かるようになっていました。
長歌には手児奈の身なりのことや多くの人から思いを寄せられたこと はかなく入水した運命のことなど
つらつらと歌われています。この場所に佇んでいると遠い昔のことがまるで昨日の出来事のように思えるとも・・・
伝説の世界の手児奈を借りて理想の女性像を思い描いているのかしら・・・
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手児奈霊神堂 上の歌の左下あたりにある”真間の手児名が奥津城處(おくつきどころ)”とは
お墓のことをさし当初はわずかに盛り土した程度のものだったらしいです。
後に弘法寺の上人が霊夢を見て1501年 手児奈の霊を祀る小堂を建てたというのがこの霊神堂だそうです。
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お堂の左手あたりに木がありますがこれは1985年(昭和60年)にさだまさしさんが植樹された
カツラの木かもしれないです。まだ葉が出ていませんが・・・
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境内はそれほど広くはないのですが松の木など植えられて池もあり隣にはお稲荷さんもありました。
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次に行ってみたのが「亀井院」 霊神堂から裏の道を抜けたので場所がちょっと分かりにくかったです。
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ここにあったのが「真間の井」といって手児奈がよく水汲みに来ていたと言われるところ
「真間の井」と記してありますが井戸があるのはこの奥のほうで断りなしには入れない感じがしたので
様子をうかがうだけにして写真には撮らずに帰りました。
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そしていよいよ弘法寺(ぐほうじ)へ向かいました!
ものすごく急な坂の石段 ゆっくり上っても相当息切れします。 一段がとっても高い それなのに・・・
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大学の学生さんたちはここで筋トレです・・・しかもうさぎ跳びなんかもしたり・・・
何度も往復して励んでいました。
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弘法寺の仁王門
この仁王門とこの下の写真の鐘楼堂は火災から幸いにして残った建物
明治21年 火災により境内の伽藍はほぼ消失してしまったそうです。
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ぴっかぴかの本堂
弘法寺(日蓮宗)は天平9年(737年)真間の地を訪れた高僧行基が手児奈の悲話を聞きその霊を
慰めるために建立した「求法寺(ぐほうじ)」が始まりで
822年には弘法大師空海が求法寺に伽藍を整え「弘法寺」と改称した。
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枝垂れ桜の立派な木がありました。桜の頃に訪れてみたいです♪
本当は咲いたときに行ってみてあでやかな衣装をまとった伏せ姫桜を紹介したいと
もくろんではいたのですが残念・・・次の季節には是非とも!と願っています。
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そしていつも家のベランダから遠くに見ている市川のツインタワーが目の前に見えました。
真間山から見渡してみた景色です。桜の木が随分多いです。
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本堂の左上にちょっとだけ見えている女子大の校舎!これも特徴ある斜めの建物で家からも見えます!
ツインタワーも女子大もやっと間近で見ることができました。
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伏姫桜が咲く頃 花見ができたら最高なんですが・・・
自分の記録のために記しました。どうぞそのままスルーしてくださることを願います。
もう少し足を伸ばせば国分寺やジュンサイ池緑地公園などにも行かれそうです。
更には里見公園等にも行ってみたいと思っています。
覚えのために♪♪♪
手児奈が真間の入り江に身を投げた後、求婚者の一人で、高貴な身分の男が静かに歌う最後のアリア
行麿のアリア
狂ったのであろうか
または求めて身を沈めたのか
思えばあさまし 我が所業
夢から醒めた心地する
ああ、瞬く星よ
月移り 歳かわり 幾千年の後までも
真間の入り江に寄せ来る波は 手古奈を偲ぶよすがとなろう
そして 旅人はこの井筒にもたれて
かりそめの幻を 懐かしむであろう
があり更に進むとやはり右側に「亀井院」というお寺がありこの道の突きあたりに
「弘法寺(ぐほうじ)」があるという位置関係です。いずれも真間の手児奈に深いかかわりがあります。
この地を訪れたのは 2015.1.31 のことでした。
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つぎはしから前に進んで右に曲がると奥のほうに「手児奈霊神堂」がありました。住宅に囲まれています。
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万葉集に歌われている手児奈の歌の紹介
「真間の手児奈伝説」を広く知らしめることになった歌人は高橋虫麻呂と山部赤人の二人だそうです。
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高橋虫麻呂の長歌に対する山部赤人の反歌だということが分かるようになっていました。
長歌には手児奈の身なりのことや多くの人から思いを寄せられたこと はかなく入水した運命のことなど
つらつらと歌われています。この場所に佇んでいると遠い昔のことがまるで昨日の出来事のように思えるとも・・・
伝説の世界の手児奈を借りて理想の女性像を思い描いているのかしら・・・
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手児奈霊神堂 上の歌の左下あたりにある”真間の手児名が奥津城處(おくつきどころ)”とは
お墓のことをさし当初はわずかに盛り土した程度のものだったらしいです。
後に弘法寺の上人が霊夢を見て1501年 手児奈の霊を祀る小堂を建てたというのがこの霊神堂だそうです。
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お堂の左手あたりに木がありますがこれは1985年(昭和60年)にさだまさしさんが植樹された
カツラの木かもしれないです。まだ葉が出ていませんが・・・
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境内はそれほど広くはないのですが松の木など植えられて池もあり隣にはお稲荷さんもありました。
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次に行ってみたのが「亀井院」 霊神堂から裏の道を抜けたので場所がちょっと分かりにくかったです。
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ここにあったのが「真間の井」といって手児奈がよく水汲みに来ていたと言われるところ
「真間の井」と記してありますが井戸があるのはこの奥のほうで断りなしには入れない感じがしたので
様子をうかがうだけにして写真には撮らずに帰りました。
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そしていよいよ弘法寺(ぐほうじ)へ向かいました!
ものすごく急な坂の石段 ゆっくり上っても相当息切れします。 一段がとっても高い それなのに・・・
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大学の学生さんたちはここで筋トレです・・・しかもうさぎ跳びなんかもしたり・・・
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弘法寺の仁王門
この仁王門とこの下の写真の鐘楼堂は火災から幸いにして残った建物
明治21年 火災により境内の伽藍はほぼ消失してしまったそうです。
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ぴっかぴかの本堂
弘法寺(日蓮宗)は天平9年(737年)真間の地を訪れた高僧行基が手児奈の悲話を聞きその霊を
慰めるために建立した「求法寺(ぐほうじ)」が始まりで
822年には弘法大師空海が求法寺に伽藍を整え「弘法寺」と改称した。
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枝垂れ桜の立派な木がありました。桜の頃に訪れてみたいです♪
本当は咲いたときに行ってみてあでやかな衣装をまとった伏せ姫桜を紹介したいと
もくろんではいたのですが残念・・・次の季節には是非とも!と願っています。
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そしていつも家のベランダから遠くに見ている市川のツインタワーが目の前に見えました。
真間山から見渡してみた景色です。桜の木が随分多いです。
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本堂の左上にちょっとだけ見えている女子大の校舎!これも特徴ある斜めの建物で家からも見えます!
ツインタワーも女子大もやっと間近で見ることができました。
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伏姫桜が咲く頃 花見ができたら最高なんですが・・・
自分の記録のために記しました。どうぞそのままスルーしてくださることを願います。
もう少し足を伸ばせば国分寺やジュンサイ池緑地公園などにも行かれそうです。
更には里見公園等にも行ってみたいと思っています。
覚えのために♪♪♪
手児奈が真間の入り江に身を投げた後、求婚者の一人で、高貴な身分の男が静かに歌う最後のアリア
行麿のアリア
狂ったのであろうか
または求めて身を沈めたのか
思えばあさまし 我が所業
夢から醒めた心地する
ああ、瞬く星よ
月移り 歳かわり 幾千年の後までも
真間の入り江に寄せ来る波は 手古奈を偲ぶよすがとなろう
そして 旅人はこの井筒にもたれて
かりそめの幻を 懐かしむであろう