食えないので見向きもしないの、アタシ。
いつにない和風感満載のおみやげ。なんと今日に限って恋女房様、これが食べたかったとおっしゃるからビックリですわ。さすがでしょ?聞かなくても、あなたの今食べたいものがわかるオイラってさ。
ハイ、ハイ。
例年の蒔き時を逸したわけではないが、ソラマメの発芽が遅れている。去年までは、揃って一気に出てきていたが、今年はバラバラ。去年の11月22日には、移植できるだけの丈に育っていたが、今年は無理かもしれない。残暑がしつこくなかったし、あっという間に寒ぅなったんでその影響かもしれんな。来年の収穫に影響せねばよろしいが・・・。
雨上がる。またしばらく晴天が続くといいね。
ここまでは寄るが、決してこれ以上は寄らない。
ここまでは寄るが、決してこれ以上は寄らない。
ちゃんと自分の立場を心得ている。
田んぼも起こしてあるし、あぜの草も刈り切ったし、野菜工場にはいいおしめりになったし、一昨晩、昨晩と遊び歩いたので、今日はおとなしくおウチでおとなしく、おとなしく、おとなしく。はい。
昨日、封切りとなった『エベレスト3D』を見に、イオンモール東員<とういん>まで出かけた。三重県内での上映館は、ここしかないので、仕方なしの遠出となった。遠いんさな、東員って。
1996年、実際に起こったエベレストでの大量遭難をもとに作られた映画。タイトルどおり、全編3D。ヒマラヤの広大な大自然を立体的に感じ取ることができるが、あまり集中して物語に入り込むと、船酔いした気分になるかも。物語は『猿の惑星-新世紀ライジング-』『ターミネーター新起動』等で、最近売出中のジェイソン・クラーク演じる登山家ロブ・ホールを軸に進捗。世界最高峰エベレストに登頂した隊が、猛烈な嵐の中、命を懸けて生還を目指すというストーリー。実際にあった話だけに、いかに表現されているか、大変興味深かったが、少しエベレストを登るという行為そのものを端折ってるかな?感はあったものの、序盤退屈な時間帯があったことは否めないものの、山vs人間の大胆な描写と、登山家を取り囲む家族・スタッフ等の心象風景もちゃんと描かれていて、大変見応えのある作品だった。ぜひ。
映画終了は、23:10!23号線に乗り、日付変更線を超えるまでに何とかウチに着けそうだ。
車中、いつもはそんなに映画評論しない恋女房様が、『嫁のお腹に子供がおんのに、あんな登山したらあかんわ』だの、『エベレストの上の方って酸素無いの?なんでそんなとこ行くの?』だの、ウチに着くまでさっきまで見ていた映画の話に花を咲かせていた。よほど、彼女にとっても、久々に見応えに見応えがあった映画やったんやろな。その昔、ナンチャッテ登山家だったオイラは、ある程度、その山のことを見聞きしていたので映画の内容も大体は想像できたが、恋女房には、あの山は死の山なんやとは、決して思わんといてほしい。確かに、加藤保男氏、尾崎隆氏と言った名だたる尊敬すべき日本人クライマーを不帰の人にした山ではある。が、それ以上に頂を見上げる人々に愛される山であることも事実。植村直己氏の日本人初登頂、田部井淳子氏の女性世界初登頂、三浦雄一郎氏の世界最高齢登頂に、沸き、感動を与えた山でもあるのだから。エベレスト登頂は無理でも、エベレスト3D鑑賞はぜひ行ってみてはいかがでしょ?
この映画が封切られた昨日、平成27年11月6日(金曜日)。植村直己氏・平林克敏氏とともに日本人初のエベレスト登頂者として名を刻んだ松浦輝夫お亡くなりになられた。81歳。昭和45年5月11日、日本山岳会のエースの一人として、全世界にこれ以上高いところはないという場所に28歳という若さで足跡を残した氏。若い時代のすべてを賭した場所の映画が封切られた日に旅立たれたというのは、彼と山との『何か』なのかも知れない。ご冥福をお祈りいたします。
明日は雨予報、今日のうちにあぜ草を刈り尽してしまおう。
おじじさまが草刈りに精を出している頃、彼女は、チョロQを握りしめたまま、眠りについてしまった。
ベビーシッター犬と一緒にね♪
2時間、有休を強引に取得し、新名神をZIO号でカっ飛び、京都・永観堂にいる。
毎年この時期、平日に休暇を取り、紅葉見物に訪れているが、見物客の多さに辟易していたので、今年は少し趣向を変えて、夜もみじ見物にしてみた。
それが大当たり。
見物客も想像以上に多くなく、
ゆったり、ゆっくりと、ライトアップされた色鮮やかなもみじを愛でることができた。
光にあたるもみじだけが暗闇に浮き出て、
昼間見る紅葉とは、似て非なるものであり、
ありきたりな言葉だが、感動した。
つまり、永観堂でええ感動したわけだわ。 タムさん、キレキレでしょ?
数年前まで夫婦二人の定宿だった思い出のホテルの前の食堂で
美味い、高い夕飯を上品に食らい、
プチドライブ完了。夜もみじ見物、意外とおすすめです。是非。
■今宵の永観堂京都市左京区永観堂町48
おく山の岩がき紅葉散りぬべし、照る日の光、見る時なくて「古今集」
この歌は、平安時代初期に、永観堂(禅林寺)を創建された弘法大師の弟子真紹僧都(しんじょう 797-873)の徳を慕って、自分の別荘を寄進した藤原関雄の詠んだ歌です。永観堂は仁寿三年(853)の草創以来今日まで、幾多の文化人達の筆や口にもてはやされ、親しまれて、“モミジの永観堂”として千百有余年のかがやかしい歴史を持った京都有数の古刹です。 真紹僧都は真言宗の僧侶であったため、禅林寺は真言密教の道場として始まります。創建にあたって、真紹僧都は「禅林寺清規(しんき)」に、「仏法は人によって生かされる、従って、我が建てる寺は、人々の鏡となり、薬となる人づくりの修練道場であらしめたい。」と照り映えるモミジ葉の輝きにも負けぬ、智徳ともにすぐれた人材養成を理想の旗印に掲げられたので、風光の美しさとともに、伝統的に各時代の指導的人材の輩出を数多く見ることとなりました。
永観堂の歴史は、大きく三つの時代に分けられます。最初は真紹僧都から永観律師(ようかんりっし 1033-1111)が住職になるまでの約220年間で、真言密教の寺院としての時代です。次は永観律師から静遍僧都(じょうへんそうず 1166-1224)までの約140年間。この時代は、真言密教と奈良で盛んだった三論宗系の浄土教寺院でした。その後は浄土宗の寺院となりました。
みな人を渡さんと思う心こそ 極楽にゆくしるべなりけり「千載集」
と詠まれた永観律師(ようかんりっし 1033-1111)はことに高名です。律師は、自らを「念仏宗永観」と名のられる程、弥陀の救いを信じ、念仏の道理の基礎の上に、当時、南は粟田口、北は鹿ケ谷に到る東山沿いの広大な寺域を持った禅林寺の境内に、薬王院という施療院を建て、窮乏の人達を救いその薬食の一助にと梅林を育てて「悲田梅」と名づけて果実を施す等、救済活動に努力せられたことは、多くの史書にみえるところです。永観律師は幼少より秀才の誉れが高く、三論宗の学匠として名声を得るまでになりましたが、地位も名声も捨てて東山禅林寺に隠遁することを選びます。18歳から日課として一万遍の念仏を称え、後には六万遍もの念仏を称えたといわれています。禅林寺を永観堂と通称するのは、永観律師に由来しています。
永観堂を浄土教の寺院にしたのは、静遍僧都です。鎌倉時代の初め、源頼朝の帰依を受けた真言宗の学匠静遍僧都は、法然上人(1133-1212)の死後、その著「選択(せんちゃく)本願念仏集」にある念仏義を批判するために、再三再四読み下すうちに、自らの非を覚り、浄土教の教えに帰依されました。静遍僧都は誹謗の罪をくいて、法然上人をこの寺の11代住職に推し、自らを12代としました。そして、法然上人の高弟西山証空上人(1177-1247)に譲りました。その後、証空上人の弟子、浄音上人(1201-1271)が住職になり浄土宗西山派の寺院となりました。以来今日まで、約八百年永観堂は浄土宗西山禅林寺派の根本道場として、法灯を掲げています。
歴史の変遷とともに永観堂も隆盛・衰退を見ますが、近代を迎えると、71世の徹空俊玉僧正(?-1881)は社会福祉事業に貢献されました。師は京都府立病院の前身にあたる療病院を設立されました。
永観堂が浄土宗の寺院へ変わったのは、すべての人々が救われる道をそこに見いだしたからです。今も阿弥陀如来の慈悲に導かれ、永観堂は多くの人々の篤い信仰に支えられています。
<永観堂のHPより引用させていただきました。>
野菜工場の各ラインは、この陽気でますます増産中。ボチボチ白菜は食えるな。ブロッコリーもまもなく花蕾が出始めそう。楽しみ。
縁の下の餌待ち猫。いつの間にか、住み家にしてやがる。
すっかりひなたぼっこモード突入の2人。最近、水曜日は、我が家にあずけられるのがわかってきたか、時間が来たら決まった場所でお昼寝。それを見守るってか、一緒に寝る黒娘。
寒くなってきた朝夕。牛筋煮込みの美味しい季節になりました。
とぅさんが作るのは、
お米やお野菜だけやないんよ。
時々、アタシの好きなスイーツ「みたいな」モンも
作ってくれるわけさ。
今日は、残ってた安納芋を
生地に練り込んで、あんま~いホットケーキ作ってくれたん。
とぅさん、結構イケるよ!って言ったら、
調子こいて2個目も作ってくれたわけさ!
備長炭か?
どうやら2個目は失敗だったらしいわけさ。
とぅさん遠い目ぇしてたな~(^^♪
日本のモータースポーツの聖地・鈴鹿サーキットにはボウリング場もある。オイラが小学生のころには既に営業をスタートしていたので、半世紀近い、ひょっとするとそれ以上の歴史があると思われる。明日は、お休みだし、たまにはボウリングでも・・・ということで、5年ぶり、『テッシー杯』以来のチャレンジに出かけた。
いつの間にかレーンの数は半分くらいになり、昔の大賑わいを疑うほど閑散としてた。
恋女房のリクエストで、ガターの無いレーンを選択。さぁ、5年前の優勝スキルを思いっきり見せつけてやろう!と意気込んだが・・・
5年の歳月は、かつての栄光を全くチャラにするかの如く、きれいさっぱり消し去ってしまっていたのであーる。ゴルフ1ラウンド分くらいのスコアやった。危うくエイジシュートするとこやったわ。今夜の出来事は・・・・忘れよう。うん。忘れよう。
■今宵のボウル
サーキットボウル(鈴鹿サーキット内)三重県鈴鹿市稲生町7992 059-378-1111
遅い朝、寒い朝。おひさまは既にはるか頭上。昨日刈った草に火を放ちに行こう♪
午後、換地委員会の寄合い作業に参加。耕地整理工事の実況検分に、各田を回る。給水口、排水口が設計図通り、作られているか、各田の形状はいかなるものか、一つ一つを見て回る。食後の散歩にはたいへんふさわしい作業でしたわ(^^♪
なんぢゃこりゃ?
夫婦で仲良く野菜工場の草取りをしていたところ、ナスの枝につかまるこいつを発見。なんかの幼虫なんだろうが、なんだろう?
こんなんもおったよ!ミドリのが大きくなったらこいつになるんやろか?危うく枝と間違えて掴むところやったわ。早々に場外にご退出いただいた。
チェーン店の散髪屋みたいな題名だが、誉田の新刊である。しばらく、通勤時間が興味深く楽しくなりそうだ。