二〇二四年一月三十日(火)。
早朝(午前五時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。
朝食(午前八時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。
昼食(午後一時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。
夕食(午後六時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。
午後はソファの背もたれに収まって居眠りながらリビングの心地よさをすっかり満喫していた。下半身の硬直が激しく腰掛けた椅子から両足をソファに伸ばして乗せている母のすぐそばなのだが、ほとんど体を動かすことができない母は猫を構ってやれないためか、タマもまた母に下手にちょっかいをかけたりしない。こういうときのタマはとてもお利口。
黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ジャニス・クランチ。モダン・クラシカルに分類されるアーティストだがカテゴライズの是非は別としよう。日本の有名な制作会社でこっそりパッチワークされ大ヒットする安易安直な切り貼りアニメ、映画、ドラマなどのメジャーシーンで人気を集め大金を稼ぐ凡庸無能な音楽担当者たちから、またしてもあちこち盗用されそうなピアノの響きを惜しげもなく披露していて面白い。
つい先日、表立ってマス-コミが取り上げようとしない裁判が大阪であった。
一月二十五日。大阪高裁202大法廷。宝島社刊「大阪ミナミの貧困女子」裁判控訴審尋問。
始めに売り文句を印刷した「帯」を見た際、その差別的文言の羅列に驚きつつ、これはもしかしたら裁判になるだろうという気はしていた。しばらくして本当に裁判が始まった。
書籍の消費者からすればひと目見ただけではわからない点があまりに多い。なるほど著作は著者と出版社サイドとの双方が企画の進め方や校正を通して何度かのやり取りを経た上で出版されたということになってはいる。
ところが「出版業界の常識」という不可解な作業が著者の知らないところで進められた痕跡が露骨であり、著者自身が出版に際して腑に落ちない部分を持ったままであるにもかかわらず宝島社は出版に踏み切った。
わざわざ大阪まで裁判を傍聴に出かける金銭的余裕がなく、歯がゆい思いを抱えながらしばらく様子を見ていた。今なお問題になりがちな「出版業界の常識」とはなんなのか。それが関心のひとつ。
さらに「性風俗・性産業・性に関する主体的働き方・労働問題」など様々な問題を混在させた状況が解消されていないなか、そこへ「出版業界の常識」というものを割り込ませる形で、著者自身が当惑と違和感とを隠せない出版物が実際に出版されるということがどういう事情で可能だったのか。それがもうひとつの関心。
また、問題は性風俗・性産業のあり方を裁判所がどのように引き受け、そして裁くことができるかというレベルだけではまるでない点が気にかかる。裁判所というところはもう何十年も前から、なぜかよくわからないのだが、セックスワークに関して労働者や専門家が考える根本的議論との乖離がとにかく激しい。
差別が問題とされている事案であるにもかかわらず見て見ぬふりを決め込み続けているのが他でもない日本のマス-コミ。ますます問題を棚上げし、曖昧にしたまま繰り延べさせていくつもりなのだろうか。タブーばかりせっせと作り上げようとする理由が見あたらない。
アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。
末期癌の母の朝食の支度。今朝は母が準備できそうなのでその見守り。歩くのも相当辛そうだがなぜか軽い朝食準備だけはかろうじて動ける。
午前六時。
前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐はさとの雪「京とうふ」。1パック(80g)を椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、付属のたれみそを入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずは白菜の漬物。
漬物は浅漬けよりさらに塩分をきった程度。タッパーに移して冷蔵庫で保存しておいたもの。
昨日昼食。トマト(1個)。茶碗蒸し。
昼寝。
昨日夕食。刺身(5切れほど)。ナスのおすまし。
夜間の吐き気。午前二時三十分頃に唾液湧出。起きる。その後、午前四時頃まで断続的に吐く。ほとんど唾液か胃液。一昨日と似た感じ。ベッド脇の小型の椅子に腰掛けたままビニールに戻す。ベッドで横になって体を休める時間をまとまって取ることができない。
参考になれば幸いです。
今朝の音楽はデューク・ピアソン「I LOVE YOU」。