たずさんのブログ

福岡近郊の風景を中心に撮っています。最近は山登りの写真が多くなっています♪ since2004~

筑後川朝倉の山田堰から(D600,24-85mm)

2013-09-02 | 朝倉
こんばんは。
金曜日からひたすら雨が降っていまして、既に400ミリ前後の雨が降っています。
なんとか、土砂災害がないことを祈っております。
幸い、雨の強さもだいぶ納まってきたようです。

さて、今回はラストの夏休みを取って、久しぶりに久住花公園に行こうということで、いつもは高速に
乗っていくのですが、珍しく筑後川沿いを走って日田に向かっていました。
途中、いつも気にはなっていたのですが、駐車場がそばになくて通りすぎていた山田堰に寄って
みました(今回は、山手に駐車場がちゃんと整備されており車を止めることができました)

そこに、日本でも珍しい江戸時代に作られた山田堰、最近では、その農業土木技術が再認識されていて
ペシャワール会がこの山田堰をモデルにインダス川の支川に石堰を築造し、3000haを農地に変え
アフガンの人々を救ったと、この土地改良区を管理されている方から聞きました。

今回は、前日までに雨が降っていたので、複雑な構造を直接見ることが出来ませんでしたが、水の流れが
とてもスムーズに流れているので、思わず見入ってしまいました。

江戸時代1663年に設置されて以来、幾たびも改修を経て現在も朝倉の農地に水を潤しています。
この水路の先に有名な朝倉の3連水車もあります。
見事な流れ、とても美しいと感じました。

また、現場で管理されている山田堰土地改良区の方から、山田堰の構造、歴史などなど詳しい話をお聞きしました。
近年、大学の先生方も、この山田堰の構造を研究されているとのことです。
本当にありがとうございました







2 水量が多いので、全面で越流しています。



3 うまく水の流れを変えて水流の勢いを削いでいますよね。
  改良区の管理されている方から聞いたのですが、利水はもちろんですが、治水も兼ねているんですね。



4 水の流れで堰の形がわかりにくいですが、複雑な形をしています。















8 堀川用水の取水口



9 一番右岸にある取水口前の土砂吐き。よく考えてありますね。



10



11 ほんと、よく上手い具合に流れるようになっていますね。雨上がりでない時にまた来てみたいものです。



12 後でわかりますが、この堰の間に挟まったゴミを川沿いに歩いていって清掃されていました。
  見ているだけでも、ちょっと怖かったですが、管理されるということは大変なことですね。





水土里ネット山田堰のhpから
この新堀川の完成によって灌漑面積は370町歩となりました。

・ 山田堰の誕生
 70歳になった百工翁は庄屋としての責任から、土地・住民を水害・旱害から守り安定した生活を得るためには、河川の高度利用が重要であるとの信念から、筑後川取水口の全面改修の必要性を痛切に感じていました。

 筑後川いっぱいを堰止めて、多量の水を堀川に注ぎ込むことができれば、上座郡・下座郡一帯は永久に干ばつの恐怖から逃れられる、地域農民が生きる唯一の道だとの信念から3年の歳月をかけ数々の問題を解決するとともに、壮大なる石畳の絵図を作成しました。

 寛政2年(1790年)百工翁73歳山田堰の大改修・堀川用水路改修(延出役人員62万~64万人)を重ね灌漑面積487町9反の水田を潤すこととなり、約120町歩の新田が開発されました。

・山田堰の構造
 堰は大きく南船通し・中船通し・水吐通しの3つに区分され総石張堰(傾斜堰床式石張堰)で日本唯一の方式です。
 石張総面積  7,688坪(25,370㎡) 、堰頂長さ 177.8間 (320.0m) 、堰高 1.7間 (3.0m)
 堰幅 94間3分(169.7m) 、南舟通し 105間8分(190.4m)
 中舟通し 81間8分(146.7m)
 水吐通し(砂利吐) 13間( 23.4m)

 最も水の抵抗が強い南船通し水路側の石積みを高くし、それから中央部までを低く、更に水門取水口付近へ向かって石畳を次第に高く勾配をつけ、石畳表面の中央部に緩やかな勾配をつけています。これは、そのくぼみで余水吐きの働きをさせ、堰体に強い水圧を加えずにしかも取入口に十分な水量を送るようにしたものです。

・堰の復旧工事
 長い年月のうちには幾度となく大洪水に見舞われ、特に昭和28年の大洪水では大石堰・床島堰は流失しましたが、山田堰のみが流失することなく現存しました。
 その後、昭和55年の水害で堰全体の42%が被災し灌漑不能となりました。県営事業として6億5000万円の巨費を投じて、在石使用、総張石コンクリート造りによる原形復旧工事として大改修がなされました。
 現在生物多様性が国際的問題となっていますが、山田堰は生態系を壊さない魚が遡上する堰です。

・ 水門の歴史
 取水口は寛文3年(1663年)現在の水門から12間(21.6m)下流に作られました、土砂の堆積等により使用不能となり享保7年(1722年)現在の位置に長さ11間(19.8m)、内法5尺(1.5m)4方の切抜水門に変更した。宝暦9年(1759年)水量確保のため内法10尺(3.0m)に広めました。
 なお、トンネルの吐き出し口付近の水底は、堀川の川底より低く作られ取水口から流入した水は「サイフォン」のような勢いで吹き上げられ、土砂が水門内に堆積しないような工夫が施されています。

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