最近知り合いになった人に「自称神様」がいらっしゃるw
ご本人さんは背中に綺麗な彫り物がある人ですが、まあ悪い人じゃない。浄化テープなるものを売ったりシールを貼らせたりカレンダーを貼らせたり色紙を置かせたり。お祓いじゃないけれどなんていうのかな「憑き物」を落とすのに一回五千円くらいでやってくれるらしい。それを生業にしているわけではなさそうだけれど、まあいろいろ見えるらしいですよ。私もみえますけど・・・・・。結構そういう人はいる。
で、です。我が家に来てしばらくしたのちにきょろきょろしだす。ああなんか言うだろうなあって思っていたら「この部屋にいると頭が重いというか鍋でも乗せているような感じにならないか?」という。別に~。リビングは普段無人だもんねー。神棚は隣の隣の部屋にある。ダイニングルームの隣の和室にある。反対に仏壇は仕事場の隣にあって見守ってもらってる。で、リビングには中国の風水をやっている人からもらった四方神が飾ってある。方角に合わせて置いてあり中心には玉石があってそれもしっかり有ってる。「わかってやってんのか?」と聞かれたので「ええはい、専門家に診てもらって適切になっているはずですよ」と答えた。「四方神もわかってんのか?」と聞くので、ええ中央の麒麟は二頭いますよと答えた。
神棚の話は先に載せたけれど、結構やるとなったらしっかりやる方なので、この家には悪い物はいない。もともと式神がいるし、守りもいるし、座敷童もいる。わらしちゃんと呼んでます。
水子がいるというのですが、数が違う。その場では言わなかったのですがそれだけでもう不信感満載になってしまったw
この家には大黒柱がないね・・・というので「ええ輸入住宅ですからねえ。日本でありながら北米仕様なんですよ~」と。
一時期には私の母親もそういうなんていうのかな、霊の波動とか、光の波動とかを信じていた時期がありました。信じないわけじゃないのですが、いきなり人の家に上がり込んで「ここには悪い気が~」といいだすのはなんだかなと思うのです。何か相談があったのちに実はね~と語りだすのが本当じゃないかなと思ったりします。良い意味でとらえれば私に幸せになってほしいという願いもあるのでしょう。優しく誘導してあげたいとか指導してあげたいとか力になりたいとか純粋な気持ちもあるのだと思います。嫌な人にははっきり言って近づかないようですからね。そうやって疎遠になった人も数人いるとか。見放された人は結構悲惨らしいし。
でもね。助けてもらうというかそういう悪い気は自分で持ち込むものだし、思考回路だって悪い物を浄化したからすべてがうまくいくなんてことにはならない。全部自分の考え一つで物事の流れは変わっていくものだと思うんです。勿論中には本気で悪い物に取りつかれることはあるでしょう。そういうものは自分の意思だけではどうにもならないので助けてもらうしかないでしょうけれど、もともとそれらを寄せ付けない力を持っているのはなにも自称神様だけの特権じゃない。同じかそれ以上の力を持つ人を認めないというのがちょっとね。眉唾なんです。
にっこりわらって「ではまた~」と言ったのちに「しっかりしろ」と言って帰られましたけれど。どういう意味かな。
私は言霊とか波動とか気の流れとかそういうのは信じています。必ずある。スピリチュアルなことは確かにある。けれどそれを活かすも殺すももちろん自分の為にするのもしないのも、自然の大いなる力のほんのわずかなことでしかない。その中でやっぱり根本的に考えていかなきゃならないのは人間の心ですよ。
だから、彼を全否定も批判もしたくない。だから自分のことも否定されたくない。
そういう気持ちでこれを書いていてああやはり修行が足りないなあと思うわけです。