空想登山です。山の神と私は実在しますが、地名や山名はまったくの架空であり、フィクションです。空想登山に至る経緯はPart1にて。
鯉岳 標高 1122m カープ県
20020年5月3日(日)晴れときどき霧 |
メンバー 山の神と私
コースタイム 鯉岳市営キャンプ場6:30--6:50鯉岳登山口7:00--7:40鯉滝7:50--8:40鯉坂取り付き8:50--9:45 1000mポイント9:55--10:45鯉岳山頂小屋--11:00鯉岳山頂(昼食)11:45--12:15鯉ヶ池12:25--13:25鯉ヶ平(羅漢像)--14:30市営キャンプ場
前泊は市営キャンプ場(下の写真)。お隣さんからの話声は日が暮れてだいぶ経っても途絶えることはなかった。
鯉岳市営キャンプ場 Free-PhotosによるPixabayからの画像
朝5:00頃目覚めてテントから出てみると、なんと勢いよく木に登っていく子グマがいた。子グマがいるということは、親グマが近くにいるということ。きょろきょろ辺りを見渡してみたものの、その姿は視認できない。この緊張状態が続くのは、よくないと思い、少しずつ後ずさって子グマから遠ざかり、比較的安全と思われる距離をとってたばこをくゆらせていると、子グマはするすると木から降りて、脱兎のごとく、森の奥へ逃げていった。
子グマ発見 David MarkによるPixabayからの画像
山の神も起きだしてきて、朝食にする。ポコポコとコーヒーを沸かし始めるといい香りが辺りに漂い始める。
朝食を済ませ、テントを撤収して、食料やランタンなどを車に放り込んでいく。先ほどの子熊の一件もあって、熊鈴をしっかりと装着後、6:30キャンプ場を後にした。今日が山の神の山ガールデビューのはずだったが、まったくもって地味なウェア(冒頭写真)でデビューといえるのかはなはだ疑問だった。いままでと何ら変わらないか。
突然姿を現した鯉滝 mailtotobiによるPixabayからの画像
歩き出してすぐに鯉岳の登山口に出る。ここから本日のビューポイント鯉滝まで40分ほどだ。小川を何度も横切りながら、上流に向かって歩いていくと、鯉滝が突如姿を現した。間近まで行くとなかなかの水量で、水しぶきがすごい。心なしかマイナスイオンに癒される。
鬱蒼とした森を進む Harmony LawrenceによるPixabayからの画像
滝から鬱蒼とした森歩きに変わる。おお、いいねえ、と山の神ご満悦の快適な森林浴の道だ。しかし快適な道はたちまち終わり、すぐに鯉坂と呼ばれる急登が出てきた。8:40ここでザックを下ろして休憩にした。
山頂小屋で一服 Robert AllmannによるPixabayからの画像
鯉坂をあえぎながら、汗だくで登っていく。1度休憩をはさんで急登に耐えていくと山頂直下にしゃれた小屋が出てきた。窓辺にはお花まで飾ってある優雅なたたずまいに山の神の笑みがこぼれる。
山頂からの見晴らしは抜群 Marjon Besteman-HornによるPixabayからの画像
ほどなくして鯉岳山頂に到達した(11:00)。天候に恵まれ、大展望が広がる(上の写真)。手前が鯉前岳、右手奥のまだ冠雪しているのが、節句岳だ。ここで鯉こくの缶詰が登場。この山頂で食べようと山の神がわざわざネットで購入していたものだ。なかなか美味だと山の神と賞味しながら、眺めを楽しんだ。
山頂直下の鯉ヶ池には錦鯉たちが悠然と泳ぐ endri yana yanaによるPixabayからの画像
11:45山の神と下山開始。歩き始めると一気にガスってきて、うす暗がりになる。30分ほどで、この山名の由来となった鯉ヶ池にたどりつく。池の中には目を瞠るほど美しい錦鯉がいて、山の神もその美しさ、華麗さに息を飲んでいた。
その昔平家の落ち武者がこの山まで逃げのびて、ここに腰を落ち着けたという。どういう方法でここに錦鯉を持ち込んだのかは謎だが、この池の地下から滾々と湧いてくる水がよほどこの錦鯉に合うのか、数は増え、また色も鮮やかになるのだという。ここだけの話だが、この錦鯉には信じられない噂や逸話、因縁がある。この池から錦鯉を持ち帰った人が大金持ちになった伝説や、逆に不慮の事故に遭ったり、突然病に伏して亡くなったりということもあったようだ。その人の普段の心がけしだいだと伝わるが、実際のところはわからない。持ち帰らなければ、何も起こらないので、心配な向きは写真だけにしておけばだいじょうぶだ。
鯉ヶ平の羅漢像 Kohji AsakawaによるPixabayからの画像
鯉ヶ池から下ること1時間で鯉ヶ平に出る。妖気漂う怪しげな空間で、苔むした斜面に羅漢像が無造作に置かれている。その昔やはり平家の落人が志半ばで亡くなった仲間の供養のためにつくったとされるが真相はわからない。最初はお堂もあったようだが、いまはそのよすがすらない。ここの羅漢像は、いくら像の数を数えても数が合わないことで有名だ。左端から数えたときと、右端から数えた時となぜか違う数になるのだ。一説には、数えている間に必ずその人の邪念が入り、見えるはずのない羅漢像が見えるせいだとも、見えていた羅漢像がその人の体内に入ったからだともいわれている。ここも数えなければ害はない。数えて像の数が合わないと、家に帰れなくなるという恐ろしい話もある。
ということで、山の神と私はそんな恐ろしい実験はせずにまっすぐキャンプ場に向けて下った。14:30無事キャンプ場に到着。前日はいたキャンパーもすでに帰ったようで無人だった。このまま無事に家にも帰れそうだ。(すべて空想でした)