セカンドライフ 

歳を重ねるのも悪くはない

青森・三内丸山遺跡 ④

2013-05-19 | 旅行 見学
     朝食のスープはホタテ入りカレースープ。

    

一晩休んだら、元気快復8時頃朝食をとり、新聞を読んだりした後、今日の目的、市内に有る三内丸山遺跡サンナイマルヤマイセキへ。駅からタイミング良くバスが出ているので並んだ。皆さん地元の聾者の皆さんと通訳ボランティアさんが固まっていた。私も仲間だと思ったのか、通訳さんに「どこのサークル?」と訊いて来た。

「私は旅行で東京から来ました」と言ったが、青森まで来て聾の方達とお会いするなんて、此れもご縁と言うものかしらと感心。皆さんは東京の事を聞きたがった。下手な表現だけど皆さんが一生懸命理解しようとして下さったので、楽しく会話が出来た。

どこに出かけても、出会いってある物なんですね~。
同じバスに乗って、私の方が皆さんより先まで乗って三内丸山遺跡で下りた。
思っていたより遥かに広大な古代の生活の場だった。

    
大型竪穴住居跡 共同作業、集会、冬場の共同生活の場と思われる。

南盛土   
 ↑ ↑                        道の両脇はお墓が連なっている。
大量の土器、石器、土偶等が捨てられていて1,000年間で丘の様になった。

竪穴住居中にも入れる。

家族構成が4.5人と思われる。
 
 ・   ・    ・     ・     ・      ・     ・掘立柱建物   

15,000年の縄文時代の内、特に遺跡が出ているのは5,000年前位からの物だ。偶然にも新幹線に乗って読んだ「トランベール」は縄文の旅の特集だった。新潟県&長野県の遺跡も又5,000年前の物だった。青森の土石より、大分進化したデザインや模様のこんだ土器だった。

既に日本中に定住生活をする地域が数多く有った様だ。
それにしても信じられない昔、結構文化的な生活をしていた事に驚きだ。

現地ではボランティアさんが、1時間を目途に案内して下さる。私達のグループは5.6人集まって案内して頂いたが、ボランティアさんは熱心に案内して下さり一時間過ぎても続けている。「大丈夫ですよ、私ね自転車で来ているの、家は直ぐなのよ」なんて気さくな笑顔でじっくり聞かせて下さった。有難い事です。入場料だって無料なのに。

昔から、こちらには大規模な遺跡が有ると言う事は知られていたそうだ。川のすぐそばで栗や、ドングリなどの沢山有る森林だったので、生活がし易かったのだそうだ。もっと以前には海だったんですって。

お魚も豊富にとれて食の心配が殆ど無かったんですって。500軒位の家(集落)が有ったそうだが、切りが無いので代表的な物を残しているそうだ。未だ丘の上の方も来年辺りから採掘が始るそうだ。

ミュージアム内で食したランチ&栗ソフト(極うま)
  
ミュージアムの展示品 ↓
 
 首の所は後で組み合わせた線


木の年輪は150年分
 




土器はバラバラに有った物を丹念に組み合わせた。

人骨の出土はごく少ない。

青森・一人旅ホタテご飯③

2013-05-19 | 旅行 見学
弘前城(ヒロサキジョウ)公園内を一人で歩くと言うのは、制限が無いのでいくらでも歩きまわれてしまう。随分ゆっくりお花見見物をしてしまった。寒い中で咲くお花は、都会で咲くそれより、やわでは無く毅然と花開いている感じがした。お茶を飲むのも忘れ見入ってしまった。

        弘前城天守

1600年(慶長5年)大浦 為信は関ヶ原の戦いで東軍に付き、徳川家康より2千石の加増を受け4万7千石の弘前藩が成立。
築城主 津軽為信・信枚
築城年 1611年 主な改修者津軽寧親 主な城主 津軽氏 廃城年1871年

1895年(明治28年) - 弘前公園として市民に一般開放される。現在も弘前公園として市民の憩いの場になている。

お茶もコーヒーも飲まず、ひたすら歩きまわった。夕飯は既に決めて有るから、私らしくちゃっかりしたものだ。JR青森駅に下りた時から、夕飯は帆立て貝にしようと駅前の専門店に決めていた。
ホタテ握り 
    
        焼醤油味 
               焼みそ味

これらには大満足、思っていた通りの新鮮なお味でした。
向かいの席に居た女性(アラフォー)は日帰りで青森出張だったそうで、新幹線最終便で帰京するんですって。お仕事とは言え大変そうだった。暗い表情が段々明るくなり彼女も、美味しくホタテを味わったと思われる。

先に席を絶つ彼女に「お気を付けて楽しい旅を」と言われ、胸がぐっときた。「貴方も、お仕事が有る事を幸せだと思って頑張ってね」と声をかけた。現役の時代は辛いと思うとそればかりで頭が一杯になって、全てがマイナス思考になてしまう様だ。可哀そうに迷いの多い時なのね、と応援とも同情とも言えない気分になった。でも最後の別れの笑顔できっと気持ちを切り替えて暫くは頑張れるだろうと感じた。頑張れ現役さん!

青森・弘前城(ヒロサキジョウ)散策②

2013-05-18 | 旅行 見学
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そうだ、ブロ友のきなこさんが「お友達が昨日弘前に行ったけど未だ桜が奇麗ですって」とアドバイスを下さったので、早速弘前城へ向かった。ゆっくり広い場内を回った。染井吉野は散り始めていたけれど、八重桜、しだれ桜は丁度最高の時だった。







  弘前城  

夕べまでは夜ライトアップをしていたと、言うが一人旅なので、本当は怖がりなので、出歩く気も無かったので気にしなかった。混雑していないお花見もなかなか良い気分。以前に来た時はさくらを見るより人を見る方が多くて、満足感が無かった。

弘前駅から弘前城迄はバスもタクシーも有るが、徒歩で行って其の侭場内も歩いたので帰りにはすっかりばててしまった。駅からは2km位なのに、城内が広いのでどれ程歩いた事か。寄り道もしないで歩くもので元気が段々ダウンした。
それでも、初日から無理をしてはいけないとタクシーを使った。私が愚痴を言うとドライバーさんは「弘前と言うのはね、弘前城を中心に八方へ町が発展していたんだよ。だから駅からだと一本しか通りが無いので迷ってしまうでしょ?蜘蛛の巣の様のに広がっているからね」。
確かに弘前城には、行きにくかった。なかなかお城が見えてこないで、標識を見ながら慎重に歩いた。以前はバスだったかもしれない。

大学や高校が近くに有るので、デート中のカップルが居たりしてほのぼのとした雰囲気に癒された。遠い昔だけれど、私達の頃は手も繋がなかったわね、それでも「付き合っている」って言う感覚で。半世紀も経てば違うわよね。弘前で何言っているんだか?
城下町の様な気がしないのは何故かしら?和菓子屋さんを見つけなかったからかしら?







  
↑ 日本最大幹周ソメイヨシノ537cm             巨木杉

    
花筏では無く花の絨毯でした。

青森おんな一人旅①

2013-05-18 | 旅行 見学
     
  新幹線はやぶさE系
    
  今回から、お伴のコロコロ)     新幹線新青森駅 ・ JR青森駅(在来線)
  駅前の元気なチューリップに迎えられた気分。

楽しみにしていた青森行き、特別予定はたてず漠然と出かける気楽な一人旅。失恋したわけでも、恋人に会いに行くわけでも無く、ただの一人旅。
孫のみっ君推薦の、はやぶさE5系で3時間半後には本州の北の果てに降り立つ事になる。
♪津軽海峡冬景色~寒いのか、少しは暖かいのか?さっぱり分からないけどまあどうにかなるさ。はやぶさの速い事、電車の揺れも無くコーヒーを飲んでも全くこぼれない。快適なスタート。
新幹線の新青森駅から、一駅東に青森駅に乗り換え。意外と近かったネットで予約したセントラルホテル。徒歩四分、こっちかな~?って迷う暇なく着いてしまった。

今回、ネットで予約を入れたけど、泊まりたいホテルはことごとく満室。8軒目に漸く取れたビジネスホテル。今の季節で青森に何が有ってホテルが満室なのかしら?…後で分かったけれど。しかし、フロントに入った途端スタッフの感じ良さに「ここなら大丈夫」とホッとした。皆さんてきぱきと処理されている。「三泊四日でご予約ですね。¥11,700頂きます。ニコッ!」。

「エッ?三泊ですが?」「ハイ、三泊朝食付で承っております。こちらのアメニティーグッズ、女性限定ですが必要なだけお持ち下さい」と、どこまでも笑顔で。
信じられない金額。でしょ?何かのキャンぺーンだったらしい。

ネットでの予約希望には、①禁煙室②海の見える部屋希望とリクエストして置いた。
成る程、七階の海の見える部屋だった。シングルなので広くは無いけれど十分満足のビジネスホテル。朝食は、妙齢の元気な女性4人位で元気に対応して、それが又何を食べても味付けが良く・・・・
宿予約には、思う様に行かなかったけれど、私には良いホテルに宿泊出来る事になったらしい、否なった。知らない町でこれをラッキーと言わなくてなんと言おう。

そうだ、ブロ友のきなこさんが「お友達が昨日弘前に行ったけど未だ桜が奇麗ですって」とアドバイスを下さったので、早速弘前城へ向かった。

 
八戸方面へ行く「青い森鉄道」普段見られない電車を見ると嬉しい。

丁度弘前行きの特急が来たので乗りこんだ。弘前駅から、弘前城へ。
  

    
  
             
可愛いお嬢さんがそれリンゴの花ですよ、って教えてくれた。皆さん優しいのよね。ここに実がなるんですよって、指さして。

樋口一葉記念館

2013-05-17 | 旅行 見学
三ノ輪駅から、徒歩で20分位歩いたかしら?一葉記念館へ着いた。静かな、まさしく下町を歩けた事で益々テンションが上がる。
美しくて際立った能力、天才と言った方が良いかしら?彼女の人生の一端に触れ厳粛な気持ちになってしまった。
嬉しい事に、記念館にはボランティアさんがいらして、一葉について細かくガイドして下さった。その女性も一葉さんを敬愛している様子が見て取れた。25歳を前に亡くなってしまわれたと、惜しくて残念でならない。

原稿なども、展示してあったがその達筆なのには驚きだった。家庭の事情で小学校も十分に出ていなかった彼女は必死で文学を学び当時の明治の文豪の大御所達に認められて、世に名前が出たと言う。努力と言うよりプラス才能だったのでしょうが、後10年でも書けたらどんなに満足した事でしょう。

 

  

  この近くに吉原が有ったのだ。どこに有るのか知りたかったが納得。つい最近まで有ったのだもの、名残りの物が有るに違いない。又連れて行って貰おう。徒歩1.5kmで浅草に着く様な場所。

甘味屋の女将さんは「この近くにこまどり姉妹が住んでいるのよ」なんて教えてくれて、昔、懐かしい歌手の名前なども話題に出て、暫くお喋りをした。私は昔の話を聞くのが楽しくて仕方が無い。

 無事に旅が済めば、夜はゆっくりしている事でしょう。少し現実に戻ったらご報告しますね。人間の一生も考えてみれば、ですね。二度と帰らなければ終了となるわけで。