あきまさブログ

日々平安なれ

囲碁の定例の集まり

2011-07-06 | 日記
朝から街へお出掛け。
まずは日本橋図書館に乃南アサの「禁猟区」を返本。
いつ来てもサラリーマンらしい人が週刊誌、月刊誌を読んでいる。
暇なんだなあ。

今日は囲碁の集まりはKwさんが里帰り中で欠席。
と言っても毎月里帰りして、実家の空き家に風を入れているらしい。

Ku氏はちょっと腕を上げた。
しかし、本人もその気になって強気に出過ぎ。
白に対してはちょっとねー。
穏やかに打っても、勝てば良い。

Aさんは四つ置くことに無念さを露わにするが如何ともし難し。
一番手直りとしたから已む無し・・・
置き碁の黒番は手堅く手堅く打って、白の薄みに対しては、自分の方は万全の備えを確保してから襲い掛からなければならない。
ku氏との対局でも、また、互先であっても同じなんだけれど、相手に無理に襲い掛かっても利得を得るのは案外難しい。
ましてや、上手に対しては慎重に守りを固めておいて攻めるのは後で良い。

Tu氏は厚みを地にしようと考え過ぎ。
厚みは攻めに使うもので、結果として地になることはある。
しかし、地にしようと意図するのは間違い。
囲碁は最後に地を数えて勝ち負けを決めるから、地を作るものだと考えるのだけれど、ちょっと違う。
囲碁は、相手との意地の張り合い。
相手の言うことをハイハイと聞いていては絶対勝てない。
厚みを作って相手を攻めなければ、相手の主張に反発しなければ負けてしまう。

今日はヤッチンと打てなかった、残念。
しかし、隣で対局を見ていても相変わらず「狙い」を持って打っている。
狙い過ぎ。

皆さんはもっと着手を早くしなければならない。
歳だから、反射神経が若い頃より鈍いだろうけれど、当たり前のときはサッサと打たなければならない。
「あたり」のときは殆ど「つぐ」ことが多いし・・・
それには対戦を増やして学習する必要がある。
対戦はハンゲームでも、碁席でも良いから、人と対戦しなければ強くなれない。
数を打てば必ず得ることがある。

囲碁合宿を更埴市の禅寺でどうか、と提案が出た。
食事の問題、トイレの問題、座禅、般若湯等々
ちょっと、すんなり賛意が得られない提案でした。
別案を考えましょう。

これは一昨日の写真で「モナルダ」。


これは先週の「モナルダ」


同じく。


「シレネ」


「しもつけ」