あきまさブログ

日々平安なれ

あれやこれや

2013-01-09 | 日記
朝起きると雲が厚い。
冬の雲が向かいのマンションの屋上に近い。

安藤優一郎「幕末下級武士のリストラ戦記」読了。
徳川の御家人の一人であった山本政恒の日記を基に武士の生活を紹介している。
山本は自身のことだけでなく、江戸の町、地方の町、武家の暮らし、庶民の暮らし等々を紹介している。
御徒の子として生まれ育ち、御徒になった人。
将軍警護役の一人であったから、いざというときには将軍の影武者となるものである。
ときは幕末であり、慶喜と一緒に大阪に行ったのだから、いざと言うときも身近に考えたかもしれない。
何しろ慶喜は夜のうちに大阪を脱出して江戸に帰ってしまったのだから。
彼の日記には自筆の挿絵もたくさんあって後世の資料として参考になったようだ。
佐藤雅美さんの八丁堀同心ものでも出てくるが、御徒も2,300坪の土地に住まいして、土地の一部に貸家を立てて暮らしの足しにしていた。
そうしないと支給される米だけではとても生活できなかった。
そうするうちに徳川幕府は瓦解。
上野で彰義隊が官軍に殲滅されるが武家すべてが抵抗したものではないと分かる。
幕末以降の歴史はもっぱら官軍のフィルターが掛かっているから、徳川には厳しく書かれているが、官軍も聖人君子ではないと推測できる。
徳川家が駿府に封ぜられたから、浜松で百姓仕事もし、群馬や熊谷にも役人として就職した。
また、雑貨屋のような商売をするときには「士族商法」にならないようにしよう、と書いているから当時から士族が商売して失敗する事例は枚挙されたのであろう。
幼少時代に寛永寺の小僧に出されていたときに安政の大地震が起きている。
確か、高知でも地震の後に建てられた石碑が有ったから全国的な地震だったのだ。
というふうに自分は歴史にも疎いし読み物として面白いものでした。
新書版というのも読みやすかった。

渡辺竜王が棋王戦挑戦者決定戦で羽生さんに12月26日に負けて、一大事と思ったら、1月7日に勝って佐藤棋王への挑戦者に決まった。
羽生さんにはまだ勝ち越しているが本当に厳しい相手だ。
渡辺さんは将棋連盟の登山研のメンバーで12月27日に棒の峰を登っている。
前日の将棋に負けているが、将棋と日常は別らしい。
お正月は夫人の実家の浜松に行っているが、今年は「大富豪」を226試合している。
うちも息子と娘が一緒に居たときはしていたが、100試合程度ではなかったか?
試合数は数えたことがなかった。

先日の石神井公園で撮ったカモたち。
寒いのが嬉しいようだから参っちゃう。








サギ。