高知城を観終わって、偶然出くわした。
撮影会のような感じだった。とても華やかな感じがして、傍らで撮らせてもらった。
松山から四万十川の蛍を観に日帰りで行き、その後、バスで高知へ。
高知には高知駅があるが、実際に旅人として行ってみると、はりまや橋が頭の中の地図の中心になる。
はりまや橋は地上の木造のものにも気が付いたが、いろいろな経緯の上現在のものとなっているようだ。
近くにいる人に訊いたりして分かった。
日本3大ガッカリなどと地元の人は言っていたが、そうは思わなかった。
歌でよく知っているだけで予備知識が無かったし、旅で、いつもあまりそういう風には思わない方だ。
橋のたもとで、聴いたような歌が流れるので見てみると、歌い手はペギー葉山だった。
高知城へ。今回、松山城、高知城と観たが、どちらもとても良かった。
高知城の石垣は、種類はチャートと書かれてあった。石の表面が少し黒ずんで年季が入ったようになっているのは、
たぶん石に含まれる鉄分の錆が出たのだろうと思った。
以前旅した時、高知の街はさっと通過しただけだったようで、街の記憶はなかった。
竜馬の桂浜を観てみたくて、はりまや橋近くの店で訊くと、店の女性がバスのチケット売り場を教えてくれた。
すぐ近くだった。my遊パスというのを進めてくれたのでそれにした。
バス、路面電車など乗り放題で便利。まいうーのもじりかと思ったが詳しくは知らない。
路面電車で高知大学のひとつ向こうの朝倉駅というところまで行ってみた。
JR線だとすぐの距離だったが、路面電車の方が面白く、また乗ってひき返したりした。
桂浜、天気良く、おまけに暑かった。夏の暑い季節などは、この砂浜を歩くのはシンドイだろうなというのが一番の感想。
南国土佐、という言葉が何度も頭の中に浮かんだ。
竜馬像を下から見上げる。顔が意外にデカかった。
夜は、土佐巻きなどをつまみに日本酒を飲み、カラオケなど歌い遊び惚け、泊まりは階下に極真会館の道場があるところで、
着いた時ちらと見たら丁度、若者たちが空手の稽古中で、何かすがすがしい思いがした。
南国土佐では雨、雷などには合わず、天候には恵まれた。
四国では、うどん、うなぎ、カツオ、など食べ、どれも美味かったが、
松山では、鯛めしを食べ損ねた。うなぎとかち合ったためだ。食べたうなぎは看板に江戸前うなぎとなっていた。
鯛めしは東京のどこかで食べたいと思う。あるいは、今度また訪れたときにでも・・・。
道後温泉の本館に入った。さっぱりしたところで、外へ出て、クラフトビールで一杯。
喉が渇いていたのでことのほか美味かった。
その足で近くの旅館へと向かい、睡眠不足だったらしく気が付いたら旅館の布団の上でがーがー寝ていた。
夜になって小さなアーケードのある温泉街を歩いた。
本館はライトアップされ、綺麗だった。
今回の旅行。松山へ。23may2018。松山城を見て道後温泉へ浸かり、後は街を歩きまわるというのが目的。松山は東京でもよく買っては食べるじゃこ天の本場で、偶然、松山城近くのじゃこ天専門店を見つけ、串で2本買い、近くのコンビニで地元のワンカップを買って、さっそくアーケードのベンチで一杯やった・・・というのが主な旅の記憶。初日は小雨まじりの天気で、城の上から石鎚山など眺められるかと思っていたけれど、これはかなわなかった。しかし、雲に煙る四国の山並みを天守からしばらくの間眺めていた。
城の石垣が柔らかな色でとても印象に残ったのだが、説明書きを見ると花崗岩ということだった。案内所の人に訊いてみると、近くで産出したものということだった。確かではないけれど、この、たぶん雲母の混じった色合いは、瀬戸内海の島の感じと同じだと思った。夏の日など、公園へと続く山道が陽光に白く光って見える、そんな記憶だった。細かい砂状になった石が山道を覆い、歩くと靴の下で軽くじゃりじゃりと音をたてていた。
大街道を歩いた。アーケードを歩くのはいつも楽しい。路面電車にも一度は乗ろうということで、夕方になって大街道駅から道後駅まで乗った。以前は多くの地方都市で路面電車が走っていたので何か懐かしい気がしたが、今、逆に新鮮さが増しているように思った。この頃には、雨も止んで晴れてきそうな気配だった。
「だんだん」という方言も知った。いろいろと、という意味らしく、だんだんと言って、いろいろとありがとうという感じで使うそうだ。