カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

東電・電気料金のことなど

2012-05-31 | エッセイ

東電は国有化だそうだ。いい加減にうっちゃって置くとダレるばかりということだろう。企業間競争もない。仮に他の民間の電力会社が力を付ければ全くのオニモツ会社になるかもしれない。そんなモノの維持を国民が負担することは本当はないなずなのだ。
http://www.toyokeizai.net/business/strategy/detail/AC/10ca5aaa009ffa0345ccaaa3bc1717f4/

調べていたら東京電力を含む電力会社というものが始めの発足当時から民間企業だったということが分かった。分かったというより、ああそうだったか、といった程度だ。しかし実態はというと完全な独占企業だ。いろいろな形の電力会社が参入できるようになってきているとはいえ、まだまだ独占的であることに変わりはなさそうだ。なぜなら今回大きく報じられている事故のその後のことでも、電気料金値上げということを電力会社側は平気で言っているのだ。それもよく見ているとどうも言い値のようだ。こんなことは通常の企業では無い。言い値で値上げできる民間企業など無い。でも彼らにとってはそれが可能なようだ。ところで(今回遅ればせながら私は気が付いたわけだが・・・)電力会社は株式会社で民間企業だったわけだが、公共事業の工事で多大な税金がつぎ込まれた発電用のダムの費用などについては民間であることとの折り合いはどうやって付けてきたのだろう? 知らないことだらけだ。

電力料金のみならず東電の給与も値上げできるそうだ。どういうこと???
http://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/K2012053102270.html
http://www.asahi.com/national/update/0531/TKY201205310227.html
http://www.asahi.com/business/update/0511/TKY201205110131.html



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湘南の海(shounan)★may2012

2012-05-31 | エッセイ


27may2012





















































































 original photo by aki7tan

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drawing★may2012

2012-05-30 | アート

drawing


drawing                                                      May2012



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30May2012

2012-05-30 | エッセイ

 このところ連日のように午後になると「にわか雨と雷」に見舞われる。雨が一時的に降るのはインドなどのスコールを思い出して自分としては悪くはない。濡れさえしなければ涼しくていい気持ちだ。インドではすぐにからりと晴れるから濡れてもいい気持ちだった。ここ連日の雷は困る。困る前に嫌いだ。どうしても外にはいられず建物内に避難することになる。ニュースによるとこの数日で雷にあたって亡くなっている人もいるようだ。しかしそれさえ、落雷の危険さえ気を付ければ、気持ちの好い気候だ。
 公共のスポーツ施設へ行くと場所によっては大きな駐車場がある。仕事で車を運転して運転疲れをした人が一時的にそこへ停めて寝ていたりする。事故を減らすのに多いに役立っている。駐車場が広く、かつ無料であることはとても豊かな気分になる。何でもかんでも取れそうなところにはすぐに料金設定をしたがる人がいてそれらが妙な上司から評価を受ける時代だ。「企画営業」などを目指す若者がそのお先棒を担いでいたりする。先の例などから公共の施設の駐車場はその施設利用者のため、というだけではなく、公共の駐車場、という意味を含んだものがもっとあっても良いのではないかと思う。貴重な税金が使われているのだ。もっといろいろ利用されなければ。
 アメリカの大リーグの球場の野放図に広がった巨大駐車場を見ると、野球、車のお国柄とはいえ、少しばかり羨ましくなる。羨ましいからといってそういったものが自分たちの国で実現されるとよいと思うかというとそうは思わない。逆にヨーロッパの車社会のあり方を見ると、そうだよなそういう感じだよな、と思う。
 公共の施設について日頃いろいろと考えてきたつもりだ。箱ものという十把一絡げの言われ方をされるようになってから久しい。誰が言い出したのか。確かに問題も多々ある。県、市町村ごとにそれぞれが同時期に競ったように建てるから似たような施設が隣接し、過剰に建つ。日帰り温泉の乱立と似ている。美術館など公共、民間含めて何でこんなところにこれだけ必要なのか、といった感じだ。人々は「なぜああもわっと同じことしかしないのか・・・」
 そんなに温泉やアートが好きな人ばかりの国だったか。西洋のルネッサンス時代のものまねのつもりなのだろうか。お金があったからといってもそうはならない。時、場所、考え、全部違うように思う。

 思う様にはまとまらない、と思いつつ。



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食べる。

2012-05-28 | エッセイ

            
温泉卵つくり器


温泉卵をスーパーなどで買うと高いらしく、家で気軽に作れないかという話になって、インターネットで探した。気軽にと言ってもそんなに都合の良いものがあるのかどうか、どういう言葉を入れて検索したらよいかも分からなかったのだが、本当に温泉卵つくり器という言葉が一般名になっていた。商品名はその名も、「たま5ちゃん」。なぜ5が入るかと言うと理由があって卵を5個入れられるから。その他あれこれ調べてみたが、2個用のもの、電気を使うものなどいろいろ製品化されているので驚いて楽しく見た。ゆで卵用は電気のもので良いのがあるようだったが、温泉卵となると限られる。温度の加減が難しいのかもしれない。これは、沸かしたお湯を入れて時間さえ守ればできる。やってみて本当に温泉卵になっているので笑ってしまった。1000円前後でいろいろなところから出ている。




 

蕎麦が好きで、一時期蕎麦作りに凝っていたことがある。凝っていたと言っても食べることが主たる目的である。麺類好きなのである。それで、そば粉を買ってきてはいろいろと小麦粉の分量を加減したりして楽しんでいた。ここから、うどん作りもやったりした。その勢いで、パンも作った。でもパンは苦手でどうもうまくいかない。一時の気まぐれで、もう何年も忘れていたのだが、今回何かで思い出してパンを作ってみた。イースト菌は何年も前に買って冷蔵庫に忘れ去られたようになっていた残り物。これが生きているかどうかと思ったのだが、最近のパッキングや保存の技術は素晴らしく、立派に使えるのだった。出来栄えは美味いものだった。しかし、パン作りに不満があるのは、私はいつも、イギリスパンのような中がふかふかとしたああいったものを目指すのにそうならないことなのである。小麦粉の袋などに書いてあるレシピはクロワッサン風のものが多く、出来るのはいつもフォトのようなピザの生地をもっとパン風にしたようなパンケーキのようなものになってしまうのである。これはこれで美味なのだけれど。蕎麦や、うどんと違ってパンは作るときに時間がかかるし、手にも器にも練ったものがへばりつき、それが器を変えるたびに目減りしていくような気がして、そういうものなのかもしれないとは思いつつどこか不満になってしまうのである。それで始めるのがいつも少し億劫である。今回もうこれでよいと思い、店で食パンを買ってきた。



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藤子F不二夫ミュージアム(川崎市)

2012-05-28 | エッセイ





















お土産にキャンディー、その他グッズを少し・・・。





 4月の終わり頃、川崎市向ヶ丘遊園にある藤子F不二夫ミュージアムへ行った。ミュージアムの建築物は綺麗にまとまっているタイプのもので使い勝手は良いのだろうなと思うものの特に感慨は湧かないものだった。内容は私の世代にはおなじみの楽しいものだった。オバQ、パーマンなどは自分の中では全く新しいままで古びてはいないと感じた。むしろリニューアルされた感じがして新しさが増したような感じだ。どれもその時代を過ごしてきた人間にとって現在形で楽しめるものだった。来訪者は若い20代くらいの人々が多いように見受けられた。彼らはオバQ、パーマンより後で生まれていてドラえもん辺りはなんとか知っているのかもしれない。リバイバルものとしてよく知っているという人もいるだろう。ところで、彼らの年代の中には、昭和の時代のものを既にレトロと呼び、今のものと区別する者もいる。私はそれが気に入らない・・・。カラスの鳴く夕焼け空がいつから昭和の象徴のように言われるようになったのか。それも気に入らない。夕焼け空は今だっていつだって夕焼け空だ。今もカラスは鳴く。その判で押したように郷愁を表現するその表現の仕方が気に入らない。そう言ってきた。昭和がレトロと言ったってついこの間のことではないかと思うのだ。レトロという話はするが、昭和レトロという言い方をしたことはない。頭の中に無かったからだ。しかし、彼らにとってみるとかの時代は現在と区別されるもののようなのだ。そんなことを思っていたら、先日何かの拍子に気が付いたのである。昭和が過ぎてからかれこれもう25年になろうとしているということに。なんと4半世紀が経とうとしているのだ、と。恐ろしや。馬齢を重ねたなどと言って済ませられないのである。済ませられないのだが、とにかくそうなのである。地層が重なってゆくように年月も折り重なってゆくのである。それだけの年月が経っていれば、昭和レトロという言葉も、実態とともに実感として定着するということもあるのかもしれないと、思い直さねばならないかもしれない、と思うのだった。ところで、アメリカのようにずっと西暦で年月を理解している人々は、呼び名が変わるわけでもなく一繋がりだから、例えば30年前あたりを何かの言葉で括って今と区別したりするのだろうか。そういった実感を持つとすればどういう言い方になるのだろう・・・。

藤子F不二夫ミュージアムは大人も子供も、ゆっくりと楽しむのにはお勧めだと思った。隣接して川崎市の生田緑地ばら苑(旧向ヶ丘遊園跡地、今開催されている春の一般開放は6月3日まで)がある。


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ニュースから・・・話題のfacebook、サプライズのことなど

2012-05-25 | エッセイ

facebookでお知らせメールを許可しているのでメールが届く。今日も「お友達が待っています」というのが入っていた。しかし、それほど熱心に使っていないので特に普段と変わらない状態で、お友達は待っていない。違うお友達がまたその違うお友達を待っているらしい。

ビーチの妖精・浅尾美和、Facebookのなりすまし被害を報告「私はフェイスブックをやっていない」
  http://movie.goo.ne.jp/contents/news/NFCN0042339/index.html

、というちょっとしたニュースに偶然目が行った。ひどい話で、いたずらが度を過ぎた例だ。この場合、本人とそのメールを送ったファンに対して実に失礼だ。
 偶然同じ名前だったり似たような名前だったりということはあるだろう。しかしこの場合は違う。これならファンからのメールに面白がって返事などしていることもありうるのではないか。つまり寄り添って、と言うより、へばりついて、なり変わったりちょっとしたいたずらをしたりといった類なのだろうと思う。指摘を受ければ、あっ、すみませんでした、という予定になっていることが多い。また周囲も、悪気(わるぎ)はないようだ、などと寛容だったりする。悪気とは一体何なのだ。こういうのを悪気というのではないか。いたずらとは悪気を含んでいることが結構多い。稚気のあるいたずらというのは、良く知り合った仲(知己)でないとあまり通じないものだ。
 
話は少し変わる。これは最近よく言われるところの「サプライズ」の話。これはよく知った仲間内で行われることが多いから、前の例とは状況は異なる。普通、喜ばせようとして行う。これも度が過ぎると大変なことになる。知リ合いだから始めからかなり強烈な仕掛けが多い。これは考えもので、先日も、砂浜に落とし穴を掘って祝福しようとしたら、仕掛けられた人が穴から出られなくなって亡くなってしまった、という、これはもう事件事故と言えるようなことが起きた。気の毒としか言いようがないが、何かがおかしい。度が過ぎたということに加えて何かおかしい感じだ。
 私はこの「サプライズ」というのがあまり好きではない。受ける側だとすると先に言ってもらうと良いのだ。それではサプライズにならないではないか、と言われそうだがほとんどの場合それでもいいと思っている。サプライズはそれをする側の楽しみなのだ。何人かで一人の人間を相手に仕掛けを考えたりすることに極上の喜びを見出している人々もいるのだろう。仕掛け人同士で楽しいことだが、サプライズを受ける側はそれを知らないのである。だから思いもよらぬ動きをしたり予測のつかぬことが起きて事故になる。事故になった時も本人は気が付かず何が何だか分からない状態が続く、といった具合だ。今はやりのコミュニケーションというものが、逆に欠落してしまうのだ。そのときまで知らないから仲間同士の楽しみを分かち合うこともできない。
 この事故のニュースを聴いたとき、何か注意力のようなものが欠落した状況に唖然としたものだ。
 「サプライズ」の仕掛けを仲間内だけでほどこして楽しんでいる風景を見ることは、複雑な気分になることが多い。




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東京ゲートブリッジ 

2012-05-22 | エッセイ

東京ゲートブリッジ

16May2012.4:00~5:00PM
























演奏もまた楽し。
(他の橋のフォトをもとに
遊びで作ってみた)




ゲートブリッジから都心の方角を眺めると、高層ビル群のシルエットが、丁度フジテレビのビルの高さ辺りで水平に切られているように見える。エリアごとに固まっているようには見えず一つの壁のように横に、のぺっと広がった感じだ。エリアの特徴が高層ビル群で印象付けられるということがなく、無個性な眺めだ。反対に今話題のスカイツリーはここから見ると何もないところに唐突にすっくと立った感じだった。どういったのが良いか良くないかといったことは、さて置くとして・・・。

なにか、手元にあるものを集中的に次々と載せていかなくては処理できないような状態である。blog上に載せることはどこか吐き出す行為に通じる。そのまま載せなくても良いのでは?と言われそうだがそうするにはそれがゼロに近くなくてはならない。そうでないとフラストレーションが溜まるのである。一つのことについて書くことが多くなり膨らんできている状態だ。しかし、oh、そこまでの暇はなかなかないのである。作業の手が遅いのだな・・・。あるいは実はどうでもいいことばかり載せたがっているだけかもしれない。

東京ブリッジの色はおとなしめの色だと思った。風景の中に溶け込んでしまう。悪く言えば埋没してしまう。形もそれほど奇抜なものではなく、優雅でもない。どうも建設上の合理性が強く出てしまった感じに見えた。輸送用として機能的な橋だからデザイン的には・・・とう言い訳は場所柄、通じないだろう。夜はライトアップするそうだからまた雰囲気は違うのだろうなと思った。
せっかく開通したのだからもう少しはしゃいで騒いで褒めたりもしたらどうか、とも思うのだがこんなところ・・・。

橋のたもとのキャンプ場や釣り公園などが楽しそうだった。アウトドアでテントを張り、なにかを焼いて食べているグループなどがいた。

この日は風向きの関係なのか、羽田飛行場へ着陸する旅客機が次々と飛来してくるのだった。見ているとこの日、着陸コースは二つあるようで、その一つが遠く東の海上から飛んで来て自分のいるゲートブリッジのほぼ上の辺りを通過し大きく旋回して北の方から滑走路へ進入するコースだった。ゲートブリッジ辺りでは既にかなり高度を下げているので間近に迫力のある飛行が眺められた。各航空会社のロゴの入った機体はどれも格好が良い。LCCのものと思しき旅客機が多い中に我が国のJALやANAなども混じっていた。
橋から南の沖の方を目を細め注意深く眺めると、はるか遠くに着陸しつつあると見える飛行機も見られた。これがもう一つのコースである。海上に突き出たアクアラインの排気筒のある辺りの海面近くを東から西方向へ一直線に降りて行く。水平線すれすれにほぼそれに平行して右方向へ降りて行くのである。あれだと川崎港の近くになるけれどどこへ降りて行くのだろう?そんなところがあったかなと思ったが多分あれが新しくできた滑走路へ降りるコースなのだろうと想像した。飛び立つのはその反対方向だった。それも着陸時とは違ってかなり急角度にどんどん高度を上げて行く。
次々とあまり間隔を置かずに飛来する旅客機が東の空のどこで点となって現れるかを探したりした。かなり遠くまで見つけることができた。それにしても、あっという間に東京湾上空まで飛んで来る。


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金環日食

2012-05-21 | エッセイ

 今朝、金環日食を観ようと目覚ましで起きた。それほど期待してもいなくて窓の外を見ると曇り空だったので諦めていた。ほどなくして近所から聞こえる「ワァーッ」という声に空を見上げると運の良いことに薄曇りの雲を通してサングラス無しで太陽が欠けているのが見られた。近所の人はなんと「ワァーッ」という感嘆の声を上げながら観ていたのである。日食グラスなどという気の利いた物は持ち合わせているはずもなく、太陽が雲間から出て陽光が強くなったときは、あり合わせのサングラスを適当に2枚重ねにして調節して観た。子供のころはセルロイドの下敷きで観たものだが今は却ってそういったものの方が手元にない。もっと強い日差しになれば家中のそれらしきサングラス関係をかき集めて3枚重ねから4枚重ねくらいには対応する予定だった。対応予定はあるもののそれらがどこへ行ったか、散らかっている部屋の中を探すという作業が待っているのだった。それが幸運にも肉眼ですら観られたのだった。画質は悪いながらもデジカメで記念フォトも撮れた。満足だ。ところで、パソコンのワードは、「きんかんにっしょく」と入力すると「金冠」としか出ず「金環」とはならない。「金冠」って一体何だ?

 ニュースなどでは日食の話で持ちきりだ。相当多くの人々がその時、外で立って空を眺めていたということだろう。そんなに日食が話題になって多くの人々が待ちかねているなんて全然知らなかった。前からそんなだったっけ???





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東京ゲートブリッジから・photo

2012-05-19 | エッセイ

東京ゲートブリッジから

16May2012.4:00~5:00PM

































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