カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

歌舞伎座の建て替えについて・・・

2010-07-31 | エッセイ

銀座の歌舞伎座が数ヶ月前、公演が終了し、建て替えへ向かって動き出すようだ。建て替え計画については多くの人たちの間で既に話題にはなっていたようである。私は今年になるまで知らず、それも春先で頭も浮かれ始めた頃その計画を知ったのである。計画として背後に超高層が建つ、と聞いたのでなるほど、それくらいの資金はこのプロジェクト全体で動くのだな、と知れた。それでこう思ったのである。あの建物は補強してそのまま残すはずだ、と。どんな形であれそうするだろう、と。その後、モクモクと私の頭の中でよせばいいのに案が去来したのだったが・・・。(いつものごとく、寝られなくなってしまったわけです) 
その後、もう少し知ることとなる。建て替えの計画をする建築家が隈研吾だという。また、それに三菱地所も加わっているようで、どうもつまらぬ物になりそうだという予感があった。それで、最近になって計画案のパースその他を見る機会があって驚いた。ほんとにつまらないのだ。そして何より驚いたのは、今の建物を壊しての、形は踏襲するものの全面建て替えだ、という事である。まるで私が思い描いたものとは違うのだった。てっきり、現在の建物は残すものと思っていたのだ。私はこう思っていた。新たに超高層を建設するなら、その内部に演劇空間を今より大きく取って入れたらよい。そしてそれは超現代的に仕上げる。ここが重要。では今の老朽化した建物はどうするかというと、外観は補強、リニューアルし今の形、雰囲気を残す。内部も原形を残しつつ、事務所、トイレ、お土産物売り場、歌舞伎の歴史等の展示、待合のレストラン等の今より拡大した諸機能を新たに考えて入れ込むというもの。では、現在の客席も含む演劇空間はどう使うのかというと、私の案は恐るべきことに、これを巨大なエントラスの吹き抜け空間として使おうというものである。現在の建物全体が諸機能を含むエントランス空間となるのだ。ここから、超高層ビルの低層部に上手く接続された、新しい演劇空間へと人々は導かれる・・・というもの。これだと、空間的には大分、現案より贅沢に使う事になるが、そこは、国の誇る芸能ということで、国から追加予算をもぎとってでもやればよく、充分おつりは来るだろうということ。100億円ぐらい余分にとってもどうということ無いだろう。なんなら、官僚の使う諸経費の中の税金無駄遣い分をそれにあててもよい。楽に捻出できるはずだ。
ところが・・・・、それが隈研吾、三菱地所の案はまるで建て替えなのである。パースではあるが見てみると、京都か奈良にありそうな「ナントカ閣」などといった名のついた、古いRCの比較的大きなホテルの1,2階のレストラン部分といった感じに見えてしまうのはどうした訳だろう。目の錯覚か、たぶんパースが下手くそなのだろう。実態もつまらないということだろうか? 恐ろしや。

 
今の建物、古びてはいるがあのような雰囲気を醸し出す物体は、この東京にそうそうない。古びた現段階の雰囲気を固定したまま補強することぐらいは、現代の技術でできそうなものだと思う。

                                           
                                           

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ばい菌の攻撃など・・・31JUL2010

2010-07-31 | エッセイ
先日、7月の21日に鎌倉の由比ヶ浜で花火大会が開かれた。天気は悪くなかったようだから、無事行われたのだと思う。今年も一つくらいは打ち上げ花火を見たいと思っていたので、その由比ヶ浜の花火大会を狙っていたのだが、足にばい菌の攻撃を食らってそれどころではなくなってしまったのであった。あれから1週間以上たつが、だいぶ良くなったものの今だ完全には傷みが抜けず、医者には酒、たばこを止められていて、ビール片手に花火見物とはいかないのだ。なんということだ。そしてこのようになっても誰も同情一つしてくれないのだ。今さらながら、病気というのは一人で引き受けねばならないのだなという実感。大げさな! 
 しかし現金なもので痛みも取れて元気になってくるときに限ってこんなことも、大げさなと言えるようになってくるのだ。ホントに痛い時は、大げさなどとはとても言う余裕などないのである。


                                                
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IZAなぅ~(誘ぅ~)

2010-07-30 | エッセイ
IZAなぅ~、ときて、さてどんなところへ誘ってくれるんかいな、と思いきや、なぅ~はそういう使い方とちょっと違うのでは、と指摘する者がいて、なぅ~の前のIZAはそんなら何なんや?ということのようである。まぁな。なんかわからん符丁、リズムのようなもんだが、IZA、いざ行こうか、いざなぅ~、ってあたりで、フワ~ッと意味が伝わらんかなと思って・・・

もうエエわ!
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29JUN2010

2010-07-29 | エッセイ
■相撲は既に国技なんかではなくなっているのではないか。いっその事、早く、いっかいの格闘技、スポーツ、になってほしい。力士たちの「早く人間になりた~い」という声が聞こえるようだ。スポーツにはリンチ事件はなさそうだから。
■相撲協会は魅力の無い顔ぶればかりだし、この際、解散したほうがよいと思う。
■今度の角界あげての???暴力団交遊事件で、メスを入れる団体の長に、痩せぎすの都市計画家まがいの人間がおさまっているようだったが、あれはいったいどういう働きをするのだろう?
■NHKの会長か何かに、この前まで、にやけた笑い顔しかできないようなビール会社の元えらいさんがなっているようだったが、あれはおまじないか何かの据えものか。相撲といい、NHK周辺は、人物の起用の仕方も特殊なのか?????
■相撲という神事を馬鹿にする気かって? あれが神事か。神様も逃げてしまったのではないか。神事だとすると相撲協会は相撲教会なのか? まだ国技、神事を振りかざす気か。
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本日、雨・29JUL2010

2010-07-29 | エッセイ

今、風が強まり、横なぐりの雨がガラス窓を叩く。昨日までのカンカン照りはどこかで小休止のようだ。

数日前、新聞、TVなどで報道されていたのだが、アメリカ軍の機密情報がネット上に流出してしまったそうだ。ヤッタじゃないか! 機密のレベルや質のおよそ違う、日本の前政権の(現在どうなっているかは知らない)くだらない機密費とやらの使い道情報もいっそのこと全部ネット上に流出しないかな、と思う。


                                            


黄仙人「機密費というのがそもそも使い道やその額について全く明記されないものでしょう? だからネット上に流出しようが無いのではないかしら」

白仙人「それはその通りだ。明記されなく使い道が明確でないところが前時代的だという事。まるで前の自民党政権の体質そのものを体現しているようだ。ところで、それは真新しいお札なのだろうから、通し番号くらいは分かっているのではないかな」

黄仙人「分かるのが通し番号だけなんて、何か、まるで現金強奪事件の様な話よね」

白仙人「確かに、事柄として似ているところがあるのだろう」


                                                                                       
                                                   

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2010-07-28 19:05:13

2010-07-28 | エッセイ
〓 ◆

                                      

■上の様にケータイから絵文字の送信実験をしてみた。絵文字によっては表示されるようだが、扱いがセンターに入ってしまって、まるでフォトの様なものもある。さて、どう使ったらよいか。これは今、パソコンから追加で書き加えている。
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病院通い・28 JUL2010

2010-07-28 | エッセイ
足にばい菌が入り、唸るほど痛くなってしまい、病院通いをするハメとなった。ばい菌の様子を知るための血液検査の数値は点滴や薬で、この数日でかなり改善された。ありがたや。現代医学に(もちろん、医者や看護師さんにも)感謝である。
血液検査をすると、たちまちこの病気とは直接、関係の無さそうな数値も素人の目に入る。今日の検査結果で尿酸値が数日前に比べ、バンと跳ね上がってしまってた。6以下だったのが8近くになっていた。もともと高尿酸血症は言われていて尿酸値は高くなりやすい体質である。少し体調が良くなって、この2日ばかりもりもりと食べたのも、その原因かもしれない。・・・が、よく分からず。医者から、水分を多くとってくださいとのことだったので今、おとなしくそうしている。
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夏の一日・26JUL2010・ホームラン記録のことなど・・・

2010-07-26 | エッセイ

毎日毎日、暑い日が続く。およげタイ焼きくんの歌がふやけた頭の中を去来する。全国的な梅雨明け宣言はなされたのだろうか。7月も早、終わりを迎えるとなれば梅雨はとうに明けていなければ夏が短くなってしまう、などと訳の分からないことを考えつつ・・・。
ところで、7月18日のblog「ある一日・・・18JUL2010」でホームラン記録について触れている。このなかで、私は間違った事を書いている。重要なところは、松井のシーズン最多本塁打数が55本とし王元監督と並び同数として書いているが、これは間違っていて、50本が正解。2002年に記録している。王元監督の記録には残念ながら届いていなかったようだ。私のうろ覚えである。同時に、55本の同数を打っている他の選手は外国人選手ながら2名いてローズとカブレラの両選手が記録している。これも正確なところは押さえていなかった。55本を超える選手はやはり、未だ、いないようだ。だから、本文の趣旨は大きなところで全く変わらず、55本の記録を抜く選手が現れてほしいということ。過去において既に3人も並んでいるのなら、もう抜けそうなところだと思うが、一体どうなっているのだろう?
その他のところで、ホームランダービーというのは、主にオールスターの試合開始前のホームランの打撃競争を指すようだ。言ってみればそのときの一時のゲームを指すようである。日本ではシーズン中の本塁打王争いの事も指すらしいが、なにかもっと適当な言い方はないのだろうか。シーズン最多本塁打というと、結果としての記録の意味合いが強くなってしまう。シーズン最多本塁打王争い、というと何か長ったらしい。レース展開中の状態を常時指して言える言葉があるといいな、と思う。ホームランレース、とかナントカ。知らないだけで既に適切でかっこいい言い方があるかも知れず、スポーツ新聞の記者などはお手の物かもしれない。

それにしても暑い。そして懲りもせず、続く。夏とはこんなに連続して暑い日が続くものだったか。私は足を痛め、その熱い中、病院通いも続く・・・・・・。オーマイゴッド。


                                           

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22JUL2010

2010-07-22 | エッセイ

時間軸の観念はあるベクトルをもったものとして捉えるのが人間世界では当たり前の事となっている。なぜなら人間がこの時間というものを考えだしたからだ。もし仮に、非常に難しいことではあるがこの、過去から未来へと流れる一定のベクトルをもった時間というものを、過去、現在、未来の分類をせず、ベクトルも無いものとして想定できるなら、そしてそれを現実世界や宇宙に当てはめて一瞬でも明確にイメージできる人間がいるなら例えばその宇宙などの様相はがらりと変えて見ることができるだろう。その様に見ないと見えてこないものがあると思うのだ。
 その感覚を他人に伝え、共有することが、相当な困難を伴うことは始めから想像されるし、第一そんなめんどくさい事嫌だよというのが一般的だ。
 しかし、もしかするとその捉え方の方がより正解に近いかもしれないということなのだ。
 物事を捉える時、ある要素に分けて捉えるということは方法論としてよくやることだ。この場合は時間というものを想定し、過去、現在、未来という要素に分類し、そこに容易には外すことのできないベクトルをもたせているわけだ。それを結果的に時間と名付けているとも言える。それが理解しやすいからだが、このように要素に分けて分類しそこに関連性をもたせるという方法をとった途端に、そこから大きくこぼれ落ちたり、見ることができなくなってしまう事が多くあると思うのだ。

 因果関係というものは日常の中に当然あるし、それを認めなければ困ってしまう事だらけなのだが、こと、宇宙の生成の話などになってくると人間の側の小さな知恵で分類、関連付けた方法論では捉えきれない事があることは始めから分かっている、と思うのだ。


話は飛ぶ。直ぐに飛ぶ。ほんの何年か前まで、ハリーポッターが大流行りだった。あのハリーポッターや例えば昔のインディ―ジョーンズというような映画が最近見られなくなったような気がする。なぜなのだろう。様々なグッズ売り場などをも巻き込んで流行っているというのも、聞かない。気のせいだろうか。


                                                         

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先日、庭に咲いた花

2010-07-22 | エッセイ
                          
                                    少し日は経っているが、庭に咲いたユリとアジサイ


花の名をなかなか覚えられない。見た瞬間に名前やそれにまつわる歴史、花言葉などが次々と現れるらしく話の尽きない人も多くいる。花を庭などで育てている人などはきっとそうなのだろう。私は、花は見る対象として一度目を留めるとじっくり見る方だと思う。ただただ見る、という感じだ。どれもこれも不思議な形、色をしている、と思うのだ。しかし嬉々として長々と見るというほどではないのだ。花というものと名前の間にあまり関連性を感じないということも、ある人々からすると実にもったいないと言われてしまうようなことかもしれない。しかし、こういうことは人それぞれ、分野を異にすればよくあることだと思う。ところが、blogに花のフォトを載せるようになって花の名に少しだけ注意がいくようになったのだ。見る機会も増えた。blogが自分の関心を持つ世界を少し広げてくれたのである。見てくれる人がいる、ということもあるだろう。blogの効用だと思う。それに、花というのは撮ってみると他の対象物に較べ、色など見映えがするのである。blog映えもする。そんなことに最近気づいた。



                                           
                                           
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