カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

字体、表現のことなど

2013-08-31 | エッセイ

blogを書いていて驚くことがある。私は字体はゴシック体を選んで設定しているのだが、スマホ、タブレットなどでblogページを直接見てみると、明朝体になっているのだ。こちらの意図しないものとなっていて、この、企業の作ったであろうシステムの無神経さに呆れる。パソコンでみるとそのままゴシック体となっていて、気持ちが良い。こんなことを気持ちが良いと思わされてしまうくらい変なことが多いのだ。また、スマホ、タブレット版は、見るとゴシック体となってはいるもののレイアウトはバラバラだ。こちらの意図したものは崩されている。人の意図を無視して何か勝手に編集しようとする不届き者でもこの世にいるのか、と思ってしまうのだ。

 




 

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電柱の埋設化など  秋の空 aug2013

2013-08-31 | エッセイ












近所の汚水処理場の屋上運動場
広大な面積の屋上部分に土を入れて、運動場にしている。
子供たちがよくサッカーなどをやっている。

空はすっかり秋の空となった。



電柱の埋設化という方向があってもう昔から言われているし一般の人々も知るところとなったので賛同は得やすくなっている。少しずつではあるが進んでいる。先日住んでいる地域の近くで雷雲が発生し落雷があり停電した。夜だった。窓の外を見ると辺り一帯がいつもと違って真っ暗だったので地域全体が停電したことが分かった。無電柱化をすれば落雷による影響を避けることができるだろう。数日前、埼玉で日本では珍しいほどの大きさの竜巻が発生し、そこにいた人々が被害を受けると言う事故が起きた。映像を見ると電柱がなぎ倒されていた。埋設化すれば風などの何らかの理由によるなぎ倒しの影響を避けることもできるだろう。東北震災の被災地では洪水で電柱が持って行かれ停電が起きた。停電が起きたといっても街自体が流されて無くなっていたのだが、それでも電気があると無いのとではその後がだいぶ違っただろう。海の近くの街などは特に万が一街が水で覆われても停電から免れるような、つまり浸水の時も停電状態にならないような無電柱化にしないと意味がない。そのようにできればその街のとって一つの大きな安心材料になるだろう。
もちろん、景観のとっても良い影響はあることは言うまでもない。

(注:数ヶ月前に書いた原稿なので、時間的なズレがあります)



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今日は暑かった 8月の終わり

2013-08-31 | エッセイ







葡萄・・・、今年の収穫。
ほっておいたら綺麗に成った。数は多くはない。
今年はどうしてか強敵の黄金虫が少ない。ほとんどいない。
だから、成った分だけ食べられる。
黄金虫が少ないのは気候のせいかもしれない。




観光地などへ行くと、バラエティーショップというのがある。
定番の土産物グッズに混じって、工夫を凝らした面白グッズや
こんな変なの!?という試みのものもあったりして
眺めて回ることが多い。多種多様玉石混交・・・
バラエティーとはそういうものだし、そこが面白い。
でも、あまりに素っ頓狂なものが突如出現すると、良くも悪くも面食らう。

「バラエティー・ショーック!」




数年前のある夏の暑い日、都内のある有名日本庭園の近くをサンダル履きで歩いていた。
かなり幅の広い車道だったが、午後の太陽が照りつけるその車道に車は時折通るくらいで、それが却って暑さを際立たせていた。
丁度、交差点に差し掛かった頃、なにか実にそうぞうしい音が背後から近付いてきたのを覚えている。
それは、ガタピシといった音で、宮崎駿監督の映画にでも出てきそうな機械音だったのである。
振り返って見ると、錆びて全体が茶色に見える2トン車が交差点へ近づいて来ているのだった。
茶色の鉄の塊と言っていいそのトラックは僕の右側を通り過ぎ、
交差点で左へ曲がり始めた。その頃にはプスプスという変な音が混じりだした。
かなり大きな音を立てている割に、速度は遅かった。ゆっくりと目で追っていくことができるほどだったのである。
横断歩道を渡り始めようとしていた僕は足を止め、暑さで朦朧としながらその車を眺めた。
それはプスプスとガーガーといった複雑な音を立てつつ、歩くほどの速度で左へ曲がり、ついに横断歩道の真ん中で止まってしまった。
流行りのアイドリングストップかと思ったが、どうやらエンストのようだ。
横断歩道の真ん中で立ちはだかってアイドリングストップもないだろう。
静寂が辺りを包んだ。それまでの騒々しさが嘘のようだった。音はそこからのみ出ていたのだ。
一瞬シーンとして、また暑さが一層増したようだった。
笑いそうになったが、顔は汗だくでそんな気力も湧かなかった。
そのトラックの中では作業員風の運転手が慌てて屈みこんでは何かあれこれと操作を繰り返していた。
やがて変な音を立ててまたエンジンがかかったと思うと前より一層大きな音を立てて実に遅いスピードで動き始めるのだった。
私もまた横断歩道を渡り始めた。
暑さで何か疲労した感じだった。
その夜からである。足に違和感が出て痛くなり始めたのは。痛風だった。笑。


食べることに関心のある人と話をすることはとても楽しい。
逆に、まったく関心のない人と話すと実につまらない。

大阪は食い倒れの街とよく言われる。
大阪で何かものを食べて、外れだったと思ったことは一度もない。
何かとても豊かな気分になれる。単に自分が食いしん坊だからかとも思うが、必ずしもそうはいえないだろう。
大阪の人は、食べ物のことをよく話している。きっと食べること自体が好きなのだろう。好きこそものの上手なれ、ともいう。
食い倒れといわれるだけあって、安くて旨いものが多い。
人々の関心があるからこそ、提供する側もなんとか頑張るのだと思う。




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グルメ番組のことなど  8月もそろそろ終わり・・・ 2013

2013-08-29 | エッセイ

最近、メディアではグルメを扱うものが多い。多過ぎると思う。こちら楽しく観てはいるが、少々食傷気味だ。
加えて旅ものも多い。その中でまた食べるところをやっている。テレビで特にそうだ。
食べているのは若手タレントばかり。旨いと言うだけで何も伝わらない。
あまりよく知らないタレントが旨い旨いと食べているのを見させられてもあまり楽しくない。
食べ物は究極は味だから、メディアで伝えるのはそもそも難しい。だから雰囲気と語りで伝えて行くというやり方の中で工夫が必要とされるところだ。
肉汁の滴るところを超アップで長々と映すのも最近の流行りだ。
それを若手タレントなどが箸で持ち上げて上からゆっくり開けた大口に運ぶところをこれまた超アップで映したりしている。
それがそんなに好い映像とも思えない。テレビでの話である。

A級グルメB級グルメの色分けも様々にやっているけれど、そういった番組があまりにも多い。

A級B級、一流店二流店、あんまり関係ない。
自分が食べて旨いものは旨いと言おう。
そして僕はそうしているし、そうでありたい。



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以前にも言っていた下に出る広告について

2013-08-29 | エッセイ

blogに藤巻百貨店とかいう広告が入る。みるとgoogleのものだ。広告を入れる設定にしてあると自動的に入る。
藤巻というのが何かは知らない。藤巻、あるいは左巻きなど巻きはいろいろある。巻きが入ったなどとも言う。
この広告、よくない。何か知らないがスキンヘッドの様なメガネの男の顔がもろに出ているのだ。
よくいそうなマスコミ系の顔の男だ。その企業では偉い人なのだろう。
自分の企業の例えばチラシなどにその顔写真入りの広告を載せるならまだ良いと思う。
とにかくイメージ悪し。
以前は文字で入ることが多かったのだが、このところ画像としてblogページに組み込まれることが多くなった。
だから目立つ。文字を多く打ちたい人のblogではその画像的広告は本文より目立つだろう。
それで私は、その藤巻百貨店とかいうものの画像が嫌なので、広告を載せない設定の選択をしようと思ったのだ。
ログインして設定を見てみると・・・・、なにかフォトに関するサービスに入ると設定できる、と書いてある。
月々500円いただきます、ということだそうだ。このサービスは特に私は要らない。
必要なら、それを使う、という目的で使うだろうと思う。
これに入らないと、自らのblogに貼られた広告をコントロールできませんよ、というところがおかしい。
そう感じるユーザーは意外に多いと思う。
でもそれを言って行くこと自体が実に面倒だし、良く対処してもらうとなるとほとんど可能性は薄いと思う。
最近、そういった企業が多い気がする。特にIT関係に。

IT関係はパソコンの売れ行きがガタ落ちだそうだ。しゃにむに進もうとする企業におかしなところが出てくることは多い。
もちろんこのblogサイトがそれと直接関連しているというわけではないけれど。












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旅の中で思う  

2013-08-28 | エッセイ

 先月、東北へ旅した。秋田の街を歩いている時や夜、青森の駅周辺の裏通りを歩いているときに、ふと思うのだった。あ、東北に来ているんだ、と。その思いに混じって、今自分はどこにいるのだろう、とか、ここはどこだったかな、という想念が付随的に湧きあがるのだった。そして東北の街なんだ、とふたたび思う・・・。それは軽い感慨である。気付かないような感慨だ。けれど今回の旅では何度かそういった思いが湧いた。あっという間に行ったから、そのギャップを少しだけ埋めようとしていたのかもしれない。東京近郊の街と東北の街にはそんなに大きな違いは感じない。今、日本の街はどこも似通ったところがあり、旅好きの間ではそれがつまらないという人々もいる。どこへ行ってもコンビニはある・・・。    街が似通っているから一層そう感じるのかもしれない。その半面、やはり風土の違いやその土地ならではのものに感慨を新たにするということもある。

 遠く外国の街を歩いている時など、これと似た感覚に捉われることがある。「今、自分はこんなところを歩いている・・・・」と。それは、例えばイタリアの世界的に有名な観光名所へ向けてひとり歩いて行っている時などによく湧きあがる感情だ。あ、ここはイタリアなんだという思い。周りの風景は見慣れたものではない、まさにイタリア。それでもそう思う。無意識に自分の位置を確認するときに湧く感情かもしれない。自分の国から随分遠い所にいるのだなといった感慨。急いで一目散に目的地に向かうときはそういったことはあまり思わない。ぶらぶらと寄り道しながら歩いているとき、あるいはカフェなどで休憩して少し落ち着いた時などになどによくそう思う。同時に日本で思い描いていた時の遠くの地にあるその目的地はもうすぐそこで、歩いて10分ほど・・・。まさに原宿のラフォーレへもうすぐそこといったところを歩いているのと同じ感覚で、右足、左足・・・と歩を進めて行けばじきに到着することは分かっている。どうということはない。でも、イタリア。そこにいる自分。自分がそこにいるから感じられるそういった感覚。はるばる来たものだな、といった思いもそういうときによく湧く。
 名所などを見た後で周辺の街をぶらぶらする。露天市場などを歩く。目の前に並んだフルーツや野菜を見ている時などにもまた思う。あ、こんなところに来ているのだ、と。



 

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8月の終わり 2013

2013-08-28 | エッセイ

海へ行くと、たまに気が向いたときに泳ぐ。
ほとんど、砂浜を歩いているか海の家でのんびりしているかといったところ。
そんな感じが性に合っている。
砂浜が続く海の景色はいつも好い。

海で泳ぐ時は、波に体を浮かせていることが多い。
バシャバシャと泳ぐのは子供のころはそうだったけれど、最近はそういう気が起きない。
波の上下に身を任せているだけだ。
今夏、海での泳ぎの季節もそろそろ終わりに近づいた。
花火大会は見に行きたいと思うもののまだ行っていない・・・
もうほとんどの所で終わってしまったようだ。

★海で泳いでいて酔った・・・フラフラや・・・
★車を運転していて酔った・・・フラフラや・・・





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S・M・Lの並びは・・・ coffee shop で

2013-08-25 | エッセイ

コーヒーを飲みに行く。フランチャイズ形式の安いcoffee shopだ。スターバックスやドトールやその他いろいろ。コーヒーを頼む。
アルバイトの女の店員が可愛い声で
「サイズは何にしますか」
こちら野太い声で
「Sで・・・」
メニューを見上げるとS・M・Lとなっている。自分で頼んでおいて訊くのもなんだけど確認と後学の意味と少しの会話を求めて、
「Sってなんのことですか?」
「あっ、ええと、ショートです。」
「えッ!? スモールじゃないの・・・?」
「ショートということみたいです」
何となくうろ覚え状態のスモールあたりかと思っていたら違っていて「!!!??状態」だ。
「何が短いの、カップの高さかな」
「ええ、たぶんそうだと・・・」
笑っている。
「じゃあ、Mはまあいいとして、何だろうミディアムくらいかな、でもそうすると、Lはロング???」
「そうですね、ちょっと訊いてきます」
カウンターの奥へ消え、笑いつつ帰ってきて
「ロング・・・」
「変だ~・・・、あっ、そう」
と意外と簡単に納得する。カップの長さのその感覚ということのようだった。
 後であれこれと考えてしまった。SがショートだとするとMがミディアムだと思っていたのはミドルかもしれない、Lはラージではなく、店やものによってはロング。いろいろな組み合わせが出来てしまいそうだ。

その後、またあるファーストフード的店へ行ったら、R・M・Lとなっていた。R? 勘弁してくれ。
しかしRのその隣には丁寧にも小さくレギュラーと日本語で書いてあった。レギュラーサイズのR!!!??? フ~、理由が分からない。Rは普通サイズ、普通の大きさ?、あるいは長さ?
「Rってレギュラーということだけど、大きさは一番小さいの?」
「そうです」
「じゃ、R、ください!」
「はぁーぃ」

レギュラーは普通で、中ではないらしい。

「小、普、大」ではなく「普、中、大」という並びらしい。このときLは、ラージ?それともロング?











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25aug2013

2013-08-25 | エッセイ

ここ数日で少し涼しくなった。夜などにそれが分かる。エアコンが必要ない。扇風機だけ。外を歩くと、いつの間にか虫の鳴き声がする。以前にも同じ頃そんなことを書いた気がする・・・。

蝉のあのジャカジャカいう鳴き声とは違う。
秋の虫の鳴き声。



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その国の旨いもの aug2013

2013-08-25 | エッセイ

イギリスは食べ物が旨くないと一般的に言われている。例えばフランス料理、イタリアのピッツアのような、これといったものがないという話であったり、また、味にあまりこだわらない様子であるという話である。そんなものかなと思っていたけれど、先日紅茶を飲んでいて、これはイギリスは有名だなと思った。産地とは言えないが、リプトンやその他各種紅茶はイギリスの店が販売元となって世界中に出回っていることを思い出した。おそらくイギリスで飲む紅茶は旨いはず・・・。輸出品は旨いけれど自分たちが飲んでいるのは旨くないということがもしかしたらあるのだろうか・・・・。僕は昔から紅茶をよく飲む。インドを旅していたときはコーヒーよりもっぱらチャーイだった。インドはどこへ行っても紅茶で、これは紅茶好きの僕にとっては好都合だった。イギリスの紅茶はインドやその周辺で採れたものだ。他にイギリスのと言えるものはないかなと考えてみると、ウィスキーなども有名だ。そういった思いを巡らしていると、そういえばイギリスはかつて世界中の食べ物が貿易などによって集まっていたという事に思い至る。食べ物でとなるとあまりこれといったものが思い付かないなと思っていたら、丁度偶然、友人が仕事でイギリスへ行きその時のフォトを送ってくれた。現地で食べたりしたものを気楽に撮っている。その中にサンドウィッチのフォトがあって美味しかったと書いてあった。食べた物の中では、ということだったのかもしれない。でも確かにサンドウィッチはイギリスはイケるはず・・・。そうか、それがあったか、と思った。挟んでいるパンもイギリスパンが好み、という人も多くいるはず。その国々によって見渡せば美味しいといわれるものはたくさんあるものだ、と思った。自分の国から見た、外国のその国の「食の観」ということだと思う。イギリスへ行ったことはないから実際に行って食べ歩きしてみたい。



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