カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

本日・町田の街

2010-01-30 | エッセイ
今日、町田のドンキホーテ
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本日・町田の街

2010-01-30 | エッセイ

町田の乾物屋。酒の肴に最適だがコレステロールも満載、適度に。今日はパス。
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町田の街・・・

2010-01-30 | エッセイ
町田に買いものに来た。今日は晴れてはいるが暖かく、土曜日ということもあってか、人が多く行き交っている。
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甲府の街2010・part7

2010-01-28 | エッセイ



          

 (1月10日2010に掲載のコンテンツに関連して。)
 フォトは愛宕山からの甲府駅近辺の眺め。超高層(今の時代となってみればこれぐらいの高さでは超高層とは呼べないくらい大都会では一般的に見られるようになっているが)の右側に、密集して建ち並ぶ建物群の中に、それでも存在感を示して建っているのが山梨文化会館である。しかし、それと知って見なければかなり分かりづらい。かたや超高層の方は、これ以上ツマラヌ建築はないと思われるような代物なのに、ずいぶんと目立つ。超高層という建築スタイルがそもそもそういったものだと気づかされる。その良い例。山梨文化会館が、ある状態で記憶に残るのと同様に、この超高層もそれとは違う状態で私の脳裏に記憶として残っている。それらの記憶の中で、山梨文化会館の方が・建築・としてのパワーをやはり持っている。超高層は白っぽい棒のようなものとしてしか記憶に残らない。
 一方で、地上レベルからの目線だと、これは1月10日のblogでも述べたように、この文化会館の存在感がぐっと際立つ。実際に目の当たりにして見ている時でも、記憶の中でも・・・・・。
 建物の存在感とは、その人にとってのそれらの総体である。その建築への具体的なかかわり(例えば、文化会館内の企業に勤務していて、日々、出入りしているとか)も含めた、総体である。であるから、ある人にとってのある特定の建物の存在感というのは、他の人のものとは違って当たり前である。それらを分かった上で、この建築は存在感があると思う。フォトからも垣間見られるように、街の全様に対して、ちっぽけなものと見えなくもないが健気にも、「やはり、ある」のである。・・・そんな感じだ。
 ところで、以前、このblogに代々木体育館のフォトを載せた。第一体育館はコンクリート打ち放しのままだが、第二の方は白いペンキ塗装が施されていた。その時、白い色もこの建物の場合はいいな、と思った。同様に、という訳ではないが、山梨文化会館の方も、白い色だったらどうだろうと、現地で見つつ思った。良いように思えたのを記憶している。白い色で想像してみたのは、先の、体育館を見た時の体験が、あまり意識することなくその時引き出されたのだろう。コンクリート打ち放しの肌合いに飽きが来たら、いつの日か、白い色で塗ってみたらどうだろうか。結構イケるように思うのだが・・・・・・。あるいは別の色を想像する向きもいるのだろうけれど。
・・・そんな事を想像すると楽しい。

                                                                      
                                                   
          
          愛宕山から甲府城跡を望む(左手の箱もの建築と
         右手のガスタンクの間の黒っぽいところ)
          

          

          宿泊したビジネスホテル。

          

          close。 1/3に訪れて1/3までが正月休み。
          arara、ナントいうことだ。愛宕山科学館エントランス。

          

          愛宕山の上にある科学館の展望ウッドデッキテラス
          と、突き出た内部空間。奇抜な形にしてはいるが、
          あまり居心地はよくなさそうに思えた。テラスに出て
          外気に触れた方がよさそうだ。空気が旨いし・・・。

          

          科学館の本体主要部分の一部。大味な感じがし
          て普通の建物だと思った。機能的にはプラネタリ
          ウムなど備えている。機能がどのように盛り込ま
          れているか、少しでも覗けたらと思った。他人は
          私が建築関係の人間だとは思っていないだろう。
          もともと正月休みだから仕方がなかったし、そも
          そもこちらも正月の旅行だし、仮に特別に見せて
          もらったとしても困ってしまったかもしれない。
          だからcloseでよかった。なんのこっちゃ。


                                                 
  

 

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新潟・山形の旅とその後の数日・2010・part3

2010-01-28 | 国内旅行

ツイッタ―というのを調べていて、すぐにどういうものか分かったので、登録だけして簡単に始めてみようかと思ったのですが、いろいろと検索してみているうちに世界中の人が参加している、と説明されているのに日本語を使う日本人がほとんどの様で、特に僕が英語を使うということもないのですが、少しばかり様子が分からない気がして、今回は止めにしました。

今回の新潟・山形の旅の帰り、新幹線の中で弁当などの車内販売がありまして、「牛肉どまん中」という名の弁当にしました。名前が気に入ったからです。米沢牛が美味いのでは、という予感がしました。販売員の男が、「これはアタリです」と言って笑っていました。席の小さなテーブルには、既に乗る時にキオスクで買い求めた山形の地酒ワンカップが鎮座ましまし・・・。これは駅で既に仕入れたから、と僕が言うと、販売員は次の僕の、だからビールを、という注文を快く理解してくれて、ビール缶をぐっと差し出してくれたのでした。どうぞ、と言って。それから新幹線の中にて「一人宴会」なるものが催されたのですが、このときの、牛肉弁当が、美味かった! 方言で言うと、もうメッチャンコ美味かった! 本当に良い味でした。美味すぎて、あっという間に食べてしまい、地酒を飲む時はツマミとなるものが無くなってしまう、というくらい美味でした。お勧めです。 

弥彦山という山に登りました。高さは僕の持っている地図では634Mとなっていて、現地の街でもらった地図には638Mとなっています。どっちが正しいんじャイ?それと、パソコンで、やひこやま、と入力すると何故か、弥英彦山、となってしまうのです。不思議な現象でよく分かりません。ともあれ弥彦山に登りました。ロープウェイで・・・。上は雪が積もっていました。ロープウェイ降り場から700Mほどもその雪の中を尾根伝いに歩き、そこまで行く人は今の時季、あまりいません、やっとのことで頂上にたどり着きました。何度か転びそうになり、雪に手をつき、木につかまり、といった呈で、その後、人差し指の先がしもやけになって、旅行中、しばらく痛みが抜けませんでした。頂上からは、月並みな言い方ですが、日本海の荒波と、雲の下にうっすらと佐渡島が見られ、振り向けば、コシヒカリを産する新潟平野が雪で白くなって広がっているのでした。

弥彦山から佐渡までは40キロほどだと、ロープウェイの係員が教えてくれました。その向こうに、ユーラシア大陸が広がっているのかと思うと、何か胸の内にかきたてられる何ものかを感じたのでした。風は北西から吹いていました。

弥彦山では、軽い冬山登山の装備をして、麓から登って来ている人にも数人、出会いました。また、4、5人のパーティーの新潟放送の人たちにも出会いました。機材を持っていて撮影取材に来た、とのことでした。すれ違う時にその中の女性と話しました。来週、つまりもう今週になりますが、放送予定と言っていました。全国版ではなく、それでは東京に帰って見られないですね、と言うと、そうですね、すみません、と言っていました。天気が良かったので良い映像が撮れたことを信じて疑いません。僕はケータイ動画で気楽に撮りました。

弥彦神社にお参り。境内を流れるせせらぎが澄んでいました。参拝客がチラホラと見られました。近くの温泉へ・・・。温まりました。

新潟市内に宿泊。夜はかなり雪が降り、街を歩き回ってみたいと思っていた計画をいとも簡単に止め、出たのはホテルの近くだけで、ほとんど動きませんでした。

新潟の居酒屋で、一杯。「越の寒梅」にしました。ホテルフロントの女性に教えてもらった居酒屋は、どうしたわけかその日は早く閉店してしまい、勘で数件横の、別の居酒屋へ。まあ、越の寒梅が飲めたから、何はともあれ良かったです。帰りにコンビニでもう一つ、普通のワンカップを買ってホテルの部屋へ帰り、飲み始めたら、味が同じなのでした。僕はあまり日本酒の味は、分からないようです。だから、普通のワンカップで十分かもしれません。

最も北国の冬の厳しさを感じたのは、新潟から山形の鶴岡へ向かう列車の中から見た雪景色に対してでした。降り積もる雪と荒く打ち寄せる鉛色の日本海の波。船で難破でもして、あの海に投げ出されたら数分と持たず死ぬだろうな、と思いました。同じ車両に乗り合わせた、ニュージーランドのオールブラックス風のジャケットを着た体格の良い外国人たちも、3人のグループで、うち1人は女性で、もしかすると本物のオールブラックスの一員であったかもしれません、その日本海の岩と波と雪の荒々しい景色に歓声を上げていました。

今回の旅は、新潟市内と、山形の鶴岡に、計2泊。

よく歩いた街は、鶴岡と酒田。

宿での起床は、アラームを使ったのですが、心地よい旅疲れで、全く効き目が無く、眠りこけておりました。よくも列車などの時間に遅れなかったものだと我ながら感心しています。

帰って来て、土産の粕漬けを食べてみたら、奈良漬に似て味付けがシッカリしており、かつ、美味でした。これは鶴岡の土産。

鶴岡駅からは、バスを使いました。致道館近辺に見所が集まっているのです。意外と小さな町で、あっという間に着きました。バスを降りてすぐに歩きだし庄内藩校致道館、大宝館、致道博物館、慶応タウンキャンパスと中のレストラン、公衆便所、鶴岡アートフォーラム、ときて歩き疲れました。実は土産物屋の、デガンス、も目当てであって、ここで土産物を物色しながら休憩しました。スーベニアーにいいものを見つけ3、4品買い求めました。満足です。粕漬けもここで。その他、栃から採れた蜂蜜、乾麺類など。それから気を取り直してもうひと踏ん張り、カトリック教会天主堂、風間家丙申堂(これは期間外だったようですが、もう足が疲れ、外から見ただけでした)、釈迦堂、そして開運橋を渡り、次へと向かいました。銀座通りで開いていた中華料理屋で、ラーメン&餃子を食しました。寒かったので温まりました。手袋をしていないと手がかじかんで動かなくなるくらいの寒さで、やはり北国の一街です。

鶴岡で見学のため入館料を払う時など、寒さで口が動かず閉じたまま話すのではからずも東北弁風になり、係りの女性と笑いました。笑う時も口をすぼめたまま笑うわけです。池など凍っていますから・・・

酒田の街では、山居倉庫が見られればまず良いな、と思っていました。他の名所で説明の人に訊きました。
「やまい倉庫ってどこにありますか」
「倉庫? うーん・・・」
「そうです。倉庫、やまい倉庫、この街では有名だと思うんですけど」
「さんきょ(山居)倉庫だったらあそこを右へ曲がって橋を渡ったところですけど」
「??? さんきょって読むのですか。あーはは」
「そう、すぐそこですよ」
地名の読みはいろいろ。親切に教えてくれました。旅に出る前の晩に大急ぎで即席に調べただけなのでそんなものです。その前に、別のことで散策中らしきおばあさんに道を尋ねたら、「うーん」と言ってしばらく考え、出てきた答えが「わからん」でした。後ですぐ分かったのですが、訊いた場所はそこから見えると言ってもよいほど近くだったのです。よく見渡してみたら訊かずとも分かるのでした。笑ってしまいました。
 山居倉庫へ向かい見ることができました。フォト撮りまくり。甘いものが欲しくなりソフトクリームを食しました。美味かったです。

土門拳記念館へ行きました。山居倉庫の前にバス停があってそこからバスに乗ればいい、と聞きました。「るんるんバスでね!」とその教えてくれたお姉さんがいうので何かと思ったら、主に観光客相手に安く名所を走らせているのをるんるんバスと呼んでいるのでした。もちろん街の人たちも利用しています。料金は100円でその安さに、もう感激しました。但し行きは歩きました。バス停で待とうかとも思ったのですが、いつ来るやもしれず、3キロか4キロくらいということだったので歩いた方が早いと思ったのでした。延々と、橋など渡り、歩きましたが、その間、後ろからバスに追いつかれることはありませんでした。良く調べてはいなかったものの、やはり本数は冬場ということもあり少ないようなのでした。やっと記念館前のバス停へたどり着き、帰りのバスの時間をチェックしようとバススタンドへ行くと、まさにその時1秒と違わず、後ろから、乗っていたであろうバスが到着したのでした。降りた乗客はいなかったようです。その後、記念館を楽しみました。写真撮りまくり。記念館の女性に、「あそこに見えるデカイ山は何という山ですか、月山ですか?」と訊いたら、一瞬「えっ?」という顔をして「いえ、鳥海山です」(笑) 「ええっ? 月山じゃないんですか、あれが有名な鳥海山・・・」(笑) 「月山はもう少し遠くですね」(笑) 天気も良く、歩いている時ずっと見え続けていた山が、ずい分と立派な山だなと思っていたのですが、鳥海山だとは思い至らなかったのでした。記念館は、当然のごとくこの風景を意識して計画されていると見ました。写真は既に知っているようなものが掛かっていましたが、スケッチも飾り気が無く、なかなかの迫力でした。この辺りでかなり体力が消耗。歩き疲れました。短い時間でしたが良い時間を過ごすことができました。

旅から帰って来て、酒田で手に入れたパンフレットなどを眺めているうち、自分が思っていた方角と実際の方角にかなりズレがあることに気付きました。駅を出てすぐに左へ曲がり、空港へ行く道、42号線があるのですが、これがほぼ西へ向かって伸びている、と思っていたのでした。空港は大体海の方にあるので道は西へと伸び、海へ出る、と。だから他人に道を訊いた時、橋があって最上川が流れている、と聞いて理解しにくかったのでした。何で、海のあるはずのところに川があるのか、と。あるいは海岸線に沿って川があるのは珍しいなと、漠然と思ったのでした。45°から90°くらい左へ回転させねばならないのでした。道は大体南方向へと延びているのでした。今、パンフの地図を見つつ、回転、頭の中で修正しております。最上川にかかる出羽大橋は、長く単調で渡り切るまでに飽きました。後でその名を知った鳥海山を橋の上で眺めたのが唯一、気分の変わる一瞬だったことを覚えています。橋は
側道の工事中でした。工事の人たちもその長い橋を延々と歩いていました。体にだけはいいかも。

もう一昔ふた昔前のことになりますが、時代の気分を表す言葉として、アモルファスという言葉などがあって、思想、哲学系統のことを語る時にも使われたりしました。建築、あるいは都市を語る時に使われもします。不定形な、形を持たない形をイメージさせる言葉として丁度よく、90年代頃からずっと言わば溶融状態的気分を含んだ時代を背景に建築、都市を語る上で使われもしてきたわけです。同じことを言っているかどうか正確には言えませんが、僕はそれをゲル状のものをイメージしても悪くはないと以前から思っていて、建築と都市と人間が織りなすある溶融的柔らかなイメージ、あくまでもイメージであって実際の例えば建築の硬さ、ごつさとは少し違う領域でのこととして、そのイメージを、都市の硬直性を破るものとしてアメーバ状のもの、ここであえて物とは書きませんが、と捉えたことがあります。どうしても形を崩した方向、あるいは不定形な方向へと思考が向かうのでした。1980年ごろのことです。その頃はアモルファスという言葉は出てきていませんでした。また不確実性というような言葉もその後に出てきた言葉です。時代を捉える時のある共通した何かがあると思うのです。僕の場合は、怠けたディプロマであったかもしれませんが当時、エキスだけは描き込んだ覚えがあります。一方、アマルガムという言葉もあり、混交、融合的なものをイメージさせ、かたく狭い意味で捉えると先のアメーバ的なる発想とは少し違う類の事のように思うかもしれませんが、ザックリと捉えると「アメーバ的」で包括できると思うのです。硬い、定義的なるところから捉えようとすると無理が出てくるという類の事柄です。そういったものどもを同時に取り込むことができる、そして動的である、そこがアメーバ的なるものであり、かつ、その個々の部分が独立的に、かつ連携的連関的にうごめく、不定形というのはうごめく、動的であるという感じです、そういう超イメージ的なこととして捉えていました。年月は流れました。ちょうど、先日の旅で新潟・山形の街などを眺め、歩き回り、そういった事はあまり思い出しませんでしたし、それでいいと思っているのですが、とにかく見て回り、旅から帰ってくると、例のJALの騒動が少し静かになっていて、京セラの稲盛さんという人が新しく社長に就任することが報道され落ち着いたようでした。そして、よくは知らなかったのですが、その人の、2000年代に入ってからのようですが唱えたことの一つに、アメーバ的なもの、この場合は人間を見つめた感が強いようですが、これがあって、ほんとに驚きました。

 


湯田川温泉というところに行きました。旅に出る数日前まで知らず、鶴岡の旅行ガイドを検索するうちに、行きあたったのでした。他にも鶴岡近辺には、色々と良い温泉があるようですが、冬の雪で交通機関がマヒしているかもしれない、と都会からは想像され、なるべく駅から近場の場所で良さそうなところをピックアップしたのでした。良い選択であったかどうかは知りません。いわゆる古い、地味な温泉街だと思いますが、藤沢周平、竹久夢二、そして山頭火までが逗留していたと後で知って、軽い驚きを覚えました。僕は、「正面の湯」という、湯田川の街の人たちも普段使っている湯にしました。ロッカーなどあるはずもない温泉の原型といってよいような温泉です。入っているのは街の人たちなので心配することもないのに、脱衣場の盗難が気になり、気が気ではありませんでした。都会人のサガ、です。いい湯でしたが、夕方になり、一段と冷え込み、帰りのバスを待つ間に湯冷めしました。日帰り入浴ができる宿も5、6件あります。500円前後。湯冷めも気にせず雪の積もる街を歩き、偶然、由豆佐売神社というのを見つけ、お参りしました。そこに乳イチョウというのがありました。パンフなどには、あまり大きくは取り上げていませんが、珍しいものだと思いました。古いイチョウの木が、長い年月と自然現象で変わった形になり、丁度、女の乳のような形をしているのです。ボヨンと突き出た乳ではなく垂れた乳ですが・・・。古代樹などが好きな人なら一見の価値があります。冬場で人も少なく、2、3人の家族連れや若い女性の2人連れなどが、時々通りを行き交うぐらいで、湯田川の街は静かでした。バスで鶴岡駅まで帰り、駅近くの宿に泊まりました。

鶴岡の駅前には、衣料品なども扱う大きめのスーパーもあり、都会だ、と思いました。都会の経済の匂いというか空気といったものがあって、それが、鶴岡ではそのスーパーが代表しているのでした。東京にあるものはそこでほぼ手に入ると思いました。つまりは湯田川の温泉街との落差が、対照的なわけです。

酒田の街の歩きだしは、まず、偶然出会った「寒ダラ祭り」の中通り商店街、ここから、江戸時代に栄えた廻船問屋の「旧鐙(あぶみ)屋」、次に「本間家旧本邸」と見て歩きました。建築的には見ておいた方が良いかなといったところ。また、夕方近くになって「山王くらぶ」へ行きました。芸者などをあげて遊ぶ、いわゆる料亭だそうです。この辺りは昔は酒田の中でもそういう街であったそうです。今、建物は、料亭としては使われてなく、見学用に開放されていて傘福などといったつるし飾りなどの展示が行われています。先の本間家などは、書院を備えた長屋門、武家屋敷造りで、剛直な感じでそれはそれでよいのですが、山王くらぶの、何処か雅た、遊ぶところとしての雰囲気を持った建物も僕にとっては実に肌が合い、魅力的でした。ここには、竹久夢二の宿泊していた部屋があり、小さく、天井が低く、炉が切ってあり、とても居心地がよさそうで印象に残りました。また、2階のステージのある大広間も、昔は客人の前で芸者が踊りなどを披露したもののようですが、今でも十分使えそうでした。建具、欄間など造作が細かく、手が掛かっていると思いました。
 山王くらぶを見たので、川沿いの海鮮市場は、その時、
かなり疲れていましたし、今回はパスすることにしました。海鮮市場も前の日には記念イベントが開催されたりして、それを目当てに来た人々で賑わいを見せたそうです。

時間ぎりぎり、山王くらぶを後にし大急ぎで小走りに、酒田の駅へ向かいました。よくも道を間違えもせず列車に間に合ったものだと今でも思います。まあ、遅れたら遅れたでどうにかなったでしょうけれど。

ですます調で書くと、気のせいかもしれませんが、何処か太宰風のような気がしてきて、気持ち悪い感じもします(笑)。妙な気分になりました(笑)。

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新潟・山形の旅・2010・part2・・・旅の終わりに

2010-01-27 | 旅行

新宿テラスシティー・イルミネーション
2・14・2010まで

サザンテラス、モザイクモールのみ

(1/24・旅の終わりに新宿に立ち寄り、モザイクモールを歩いた。
他の場所は、昨年の12/25までで既に終わっていたが、それでも
雰囲気は十分楽しめた。新宿駅南口を出てすぐ近く・・・)
















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豆・節分近し・・・

2010-01-27 | エッセイ

   



KYO:TOの豆腐料理の店、南禅寺順正さんから
今年も節分用の豆を送っていただきました。
豆は順正さんの豆腐用の大豆です。
袋の裏に、北海道旭川産。少し小振りだが旨味
成分が多い、という但し書きがあります。
順正さんのますますの繁盛を祈りつつ、
節分の時には、まこうかと思います。 



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今日。カッキーYAMAから、丹沢の夕焼けを望む。

2010-01-26 | エッセイ
夕陽が落ち、空の赤の色が深くなった。



・・・今、上記のフォトと簡単なセンテンスをケータイからblogへ打った。結果、上記のように掲載されたところまでは良いものの、後が悪い。フォトの画質が格段に落ちて掲載されているのだ。送った時は50KB、掲載されたものはわずか10KB、その差の40KBはどこに消えたのか。夕焼けの少し濃いめの色がしらっ茶けて見えるのである。深く沈んだ感じが出ていないのだ。

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キオスク・鎌倉1月16日2010

2010-01-26 | エッセイ

 

 
キオスクで最近、本を買うことがほとんどない。書店でも買わないからなおさらで
ある。以前キオスクでよく買っていたものと言えば、週刊誌、それに新聞。弁当な
ども買い、列車に乗り込むわけだ。

文庫本も置いてあり、誰でも一度くらいはそこで買って読んだことがあるのでは、
と思う。1月の16日に鎌倉駅のプラットフォームで列車を待っていてふと眺めた、
キオスクの脇によく置いてある、廻る書棚である。他の客がいないときなどは、な
にか、じっと立ち続ける、知識のありそうな人間のように擬人化されることもあるし、
店の人にとってみるとちょっとした、衝立ての役割も果たしているのだろう。
(1月17日のblogに載せた・湘南、江の島・の後に鎌倉へ行って・・・)

鎌倉散策の帰りだった。
あたりはすっかり暗くなり、プラットフォームにはちらほらと人がいる程度だった。
同じく鎌倉をふらりと歩いたと見える男女が2、3人、この衝立てのすぐ裏側に
いて、今見たばかりの街のことについて楽しそうに話していた。

キオスクの書棚は列車内で読む人のことに配慮してか、軽く読み流せるものが比
較的多く置いてある。文庫本など最近買った事が無いから、書棚に並ぶ作家の名
をほとんど知らない。新しく出版されては消えていく作家も多いのだろう。それに、
今、このくらいの大きさの本というとコミックに押されがちであろうし・・・。
入れ替わりが速く、様変わりしていた。

読んだことのあるものは2冊しか見当たらなかった。上段の左から3、4冊目、村
上龍の「限りなく透明に近いブルー」 これは発表当時、その時代感覚と作家の
若さで話題をさらったが、読んでもピンとこなかった。後は、中段、キャッツから左
へ3冊目、森村誠一の「野性の条件」 この辺りのシリーズは面白く、当時何冊か
読んだ覚えがある。映画化もされた。

驚いたことに、後はほとんど作家の名前すら知らないのである。もともと昔からキ
オスクの書棚は、知らない作家の本が並んでいることが多かった。しかし、この様
変わりにはついていけない。

鎌倉の若宮大路はちょうちんで一直線に飾られていた。(一番下のフォト) 鶴岡
八幡宮の前の鳥居のところから、しばし佇み、眺めた。ここからこの方向へ、南へ
と歩けば由比ヶ浜だが、この日は止めにした。「養老の瀧」で少し飲んだが、・焼き
厚揚げ・というのがツマミに最高だった。店のお勧めの中の一品。焼いてあるので
厚揚げの薄皮が噛むとカリカリとして香ばしく、中はまさしく豆腐で舌をやけどしそ
うなくらいホロホロ
としていた。                             


                                 


 

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2010-01-22 11:09:13(弥彦山・・・新潟・山形の旅・2010)

2010-01-22 | 旅行
新潟・弥彦神社に来ています。フォトは弥彦山。
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