カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

何かの音が音楽に聞こえるとき

2014-11-30 | エッセイ

何かの音が音楽に聞こえるときが僕にはある。何度か。滅多にはないけれど。以前、富士山に登った時もその一つだ。その時は、富士登山へ行き、9合目あたりの山小屋で一泊することにした。ご来光を拝みたかったからだ。そこまで登っておけば、朝早く起きて少し登れば良い。この計画は多くの人が思い付くようで、その晩は山小屋は登山客で満杯だった。缶詰のイワシのように肩寄せあって寝るくらいのスペースしかなかった。山に慣れた人はそんな状況でもすぐに寝られるようだが、自分の場合は久々ということもあって、なかなか寝付けなかった。それでも2時間くらいはうとうととしたと思う。夜中、目が覚めると、ゴーゴーという男たちのいびきが聞こえた。ハードなスケジュールで昼間相当疲労するくらい動いていればそうなるだろう。女性のいびきはあまりなかったように思う。そこここで聞こえる山の男のいびき。闇の中で目が覚め、その音を聞いているうちに、何か日本の歌のように聞こえるのだった。どうも演歌系のモードだ。どういう歌かは分からない。曲にはなっていないのだ。でも、どう聞いても明らかに演歌調の音楽、そのフィーリング。自分の耳がおかしいのかなとも思った。気圧も低いし。僕は自然の音が音楽に聞こえるときもある。音楽のような自然の音というのではなく明らかに、あるジャンルの何かの曲に聞こえるのだ。いつもそういった時は自分の耳を疑う。でも、そう。
そういう経験、他の人々にとってもあるのだろうか。



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夢の話 

2014-11-29 | エッセイ

夢の話をしたいと思う。夢と言っても、実現すべき夢、それに向かって邁進する夢という夢のことはよく自己実現しつつある人によってメディアなどで語られるが、ここで僕が言っているのは、寝ているときに見る夢のことだ。だから高尚な話にはそもそもならない。
僕の見た夢の中で、何か鼻がムズムズとするというのがあった。鼻の穴の少し中辺りが痒いのだ。それで指でそこを掻こうと鼻の穴に指を入れようとすると、鼻毛が少しだけ出ていることに気が付いた。夢の中での話である。そこからが実に変なのだが、その鼻毛を取ろうと指先で少し引っ張ったのだ。数本・・・。するとどうしたわけかズルズルとそれにつられて鼻毛が鼻の穴から出て来るではないか。どうしたことだと掻き出し掻き出しするうちに鼻の穴いっぱいに溢れるように鼻毛が出た・・・というたわいもない話。夢の中で、その鼻毛の束をつまんでみた。豊かなくらいボウっと出ていて、つまみ甲斐があるほどだったという、ばかばかしくも変な夢だった。つまんでその豊かさに感心したところで目が覚めた。怖くて飛び起きて、ああ、夢で良かったということもあるけれど、この時は目が覚めて、なんなんだ?としばらく戸惑った。現実には僕は、鼻毛は小さなはさみで切っている。差し込むと綺麗に丸ごと切れる優れものグッズもあるらしい。鼻毛切りなぞ、なるべく楽して済ませたいものの一つだ。






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イルミネーション 2014

2014-11-27 | エッセイ





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続・続・癌治療について思う

2014-11-26 | エッセイ

私は癌が撲滅されたらと思っている。もちろん自分がそのようなことをできる分けはなく、願うだけ、折にふれ、そう言葉にするだけだ。数年前に父親を癌で失っている。今の現代病のなかで癌が死亡の原因の大きな部分を占めるようになっていることを思えば、肉親が癌で亡くなることはそれほど珍しいことではなくなっているのかもしれない。しかし、珍しくないからと言って、どうということない、とはとても言えない。父親というのは歳を取ったとはいっても、そこそこ強く(笑)そこそこ大きな(笑)存在なのだと思うが、手遅れの癌だと分かり、それから手術、そしてやせ細って体力を失っていく時の姿は、可哀想としか言いようのないものだった。自分は医者ではなく何もできはしないのだったが、癌という病を強く意識した初めてのことだった。

10年位前のことになるだろうか?関東近辺の比較的低い山を歩いていたことがある。ハイキングだ。その頃、富士山の北の河口湖、西湖の北に鬼ヶ岳という山のあるその尾根を歩いたことがある。尾根は東西に延びていて、歩くと気持ちが良いし多少の岩場もあったように思う。他人とほとんどすれ違うことのないこの尾根で、ある細身の山歩きの男と出会った。反対側から軽く慣れた足取りで歩いてきた。話をした。その、そう、40から50歳くらいのその人は、癌などのマーカーの仕事をしていると話した。私は建築の設計関係だと言った。お互い仕事関連の話はそれきりで、彼は麓で仕入れた子熊出現の話をした。その日は子熊出現で下の街はひと騒動あったらしく、登山者には注意を呼び掛けていたのだ。その人は飄々とした感じでその話をした。気にしていない様子だった。そして自分が興味を持って山々を探して歩いているというある山の花の話を始めるのだった。山の花の話は面白く、私は何度か質問しながらの立ち話となった。カメラを差し出してそのフォトやらデータやらを見せてもくれた。ネット仲間でその山の花が見られた場所が話題になっているらしい。分布の話だった。とんでもない離島などでひとつ見つかるだけでネット上では、関心のある人たちの間ではあるが、大変な話題になるようだった。訊くと一日でかなりの距離を歩いているのに自分ではあまりそうは感じていないらしい。顔を見ていると何か可笑しかった。きっと花を追うのに夢中なのだろうと思った。そして相当いろいろな所へ出かけてもいるようだった。子熊出現もことも、えっ?という感じで特に気にしていない。飄々と好きな花を追っている様子だった。癌のマーカーというものの話を最初に聞いたのはその時が初めてだった。きっと癌の発見に寄与する仕事の人だったのだろう。私は花の名をすぐに忘れてしまうので、それがどういう花だったかは思い出せない。

癌治療について思う、は大体この辺で終わりになりそうだ。



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続・癌治療について思う

2014-11-26 | エッセイ

「癌治療について思う」という、そのとき感じたことをblogに載せている。それ以前から思い続けていたことである。私は医療分野の人間ではないので一般人参加の私観である。拙blogのどこに載せたか探していたがなかなか見つからず、予想を大きく超えて日付は2012年、もうほぼ2年も経っていることに軽い驚きを覚えた。歳を経るにつれ転がるように月日は流れると上の誰かが言っていたように思うが、今更のように実感する始末。
 ところで、そうこうするうち、2014年8月19日の朝日新聞に癌治療の中の早期発見の分野での朗報が載っているのが目に入った。こういうのは実に元気が出る。自分とは直接は関係はないかもしれないのに・・・。内容は「1回の採血で癌などの病気の有無を検査、発見する」というものだ。これは凄い!新聞の記事に目が吸い付くような驚きを覚えた。血液中に含まれる「マイクロRNA」という物質を調べることによって、13種類(もっと多くても良いです)の癌、加えてその他の病気の判定ができるということらしい。微量な量をも測定できるようになれば、かなりの初期的段階での発見が可能になるようだ。これは癌など進んでしまうと手遅れになってしまう病には実に有効なものだと思う。事業団が進め、2018年度までに開発、健康診断へ活用、というスケジュールのようだ。もっと早めて欲しい!不眠不休で・・・。血液検査で初期的癌の早期発見ができるのなら、当初私が拙blogで挙げた、癌発見が遅れる意外と大きなちょっとした理由、というものがかなり克服されるはずだ。こんな朗報はめったになく、嬉しく何度もその記事を読んだ。
 これが開発され、完成したらすぐに健康診断に適用されると思う。そうしなければならない。準備しておくと良い。その時はバリウムなども必要なくなるかもしれない。私がその時挙げた「高性能CTスキャンなどによる流れ作業的癌早期発見健康診断」なども必要なくなるだろう。注射1本で採血してもらえて精度高く早期発見がなされるのだ! やった! 早期に発見されれば、後はやはり精度の高い部位の特定や治療へと入っていけるのだろうと思う。早期だからその後の実際の治療に入った段階で医者も確実な治療が大変な手術なく施せることもあるに違いない。負担も減る。やった! 早く実用化につなげたい旨のようだが、もっと急いで、不眠不休で。 とにかくやった!(拍手!)











my blog

1 「癌治療について思う」

 2  「癌治療について思う、に続いて」




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富士山 箱根から  movie nov2014

2014-11-25 | エッセイ


箱根湯本から仙石原へと抜ける道。箱根湯本へとすれ違って行く車が圧倒的に多かった。
こちらの行く方向はすいている。


富士見茶屋前からの富士山。







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自宅近くの紅葉 nov2014

2014-11-25 | エッセイ


自宅近くの公園にサッカー場や野球のグラウンドがある。そこの紅葉。



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自宅近く 11月2014

2014-11-23 | エッセイ


今日の一枚。撮るときにフレームの中に入れていて何か自然にできた生け花のような感じに見えた。









ここからは、ここ数日の自宅近辺の黄葉の景色。











雨上がりのグラウンド。





人気の無くなったこの感じ・・・





茶色がかった紅葉 光っている点は太陽











このアングル、以前にも撮ったような気が・・・。





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箱根方面 11月2014

2014-11-23 | エッセイ


数日前、少し時間があって、気力もあり、さて、どこかへ出かけようということで、箱根へ行くことにした。気力があるという割には近場だ。ドライブできれば良かったし、紅葉を見たいということもあった。いつも紅葉前になるとネットなどで情報を見たりしているのだが、それで満足してしまっていて、その時期になると丁度見ていない。慌ててどこどこ?とまた同じところをチェックしたりする。今回もそんな感じで、もうどこでも良いけど、箱根ならハズレはないだろうということで、ほとんど調べずに車で出かけた。紅葉は、そう、いまいちという感じだった。でも、富士山が綺麗に見られた。夕方。時間を2回に分けて撮った。上が少し早い時間の1枚。撮れ具合は、自分の持っているデジカメの限界かなと思う。だから、これで、オーケー。



富士山の写真を撮った場所にある茶屋。団子を食べた。旨い。





暗くなる寸前の富士山。遅い時間の1枚。急に寒くなり、早いところ下界へ下りたいと思った。
三脚で一眼を構える人々が何人もいたし、通りすがりに車を停めて撮ってさっと引き上げる人々も。
自分も通りすがりの一人ではあったが、少し長居した。見ている間に眼下の御殿場の街の明かりが増していく。



御殿場へ下りる道の途中にあるホテル。いつも目にしてはいるのだが、今回はフォト撮りをすることに。もう日は暮れた。
80年代の終わり頃か90年代の初め頃だったかに建った建築。ある建築家の作品。その頃に話題になった。




同上





御殿場で腹が減り、蕎麦屋へ。何回か来たことがある。





数時間の箱根のドライブも蕎麦を食べて終わりとなった。食べるのはあっという間。



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空飛ぶフクロウ

2014-11-20 | エッセイ

幸運にも野生の動物を見ることがあった。ところで「野性」というのもあって、これは一体何だというと実ははっきりは分からない。「野にあるキャラ」か?「野にあるキャラ」とひとまずそう言っておこう。ところで、気の合う友人といたりしたときに、そこにギターがあったとする。しかし、そのギターは古く錆びついた感じで弦が3本も切れているのだ。彼はそのギターを手にし、弾き始めた。まだ3本も残っているのだぜ。コードは完ぺきだ。三つも音が出るんだ。和音は完璧だ。美しい三つの和音がボコボコとしたリズムとともに奏でられ始めたそのときに、彼はこちらを見るのだ。3本弦のギターを弾きつつ・・・。なんで? 見なくていいのに、迷惑だぜ。それが何を意味するかって? その欠けたボコボコという音に合わせて素っ頓狂に飛び出なくちゃならないわけだ。どこへって? ま、とにかく前進だ。音の厚みは充分だ! やつは歌が始まるともうこちらのことはそっちのけで自分のギターの音に集中だ。飛び出ちまった・・・、こちらはよく分からないまま、進むだけ。ただただ前進して行く感じだ。前進! 欠けた音に合わせてね。つまりそれが、やつは「ギターの性」つまり「G性」 こちらは歌だから、つまり「V性」である、ととりあえずは言っておこう。「野性」がそんな意味なのかどうか・・・。





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