カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

散策 原宿  2017

2017-05-31 | エッセイ


キャットストリートといつ頃から呼ばれ出したか知らない。
その名自体、今回、地図を観ていて知った。以前、20年、25年前はまだ暗渠上の舗装もコンクリートが劣化した状態で
ザラッとしたような表面だったと思う。

それがキャットストリートとは。
しかし、名の由来は知らないが、いかにも猫の気まま歩きのような、
キャットウォークという言い方はあるし、とてもそのイメージに似合っていると思った。
前は、この通り沿いに普通の八百屋があって、周りのブティックなどの中で異彩を放っていたのだが、
今回その辺りを探してみたが見当たらなかった。

その八百屋がどこにあったかすら分からないほどだった。今、多くの店は通りに面して建てられている。



















蛍の季節ということで昨夜は、蛍見物に行っていた。


空におぼろな月
朦朧?
明日は天気は下り坂か


中空を舞う
てんてんと
涼しい


暗がりの蛍をスマホで撮ったつもりが、予期せぬことにフラッシュがひかり、昼間のように露わとなった蛍の姿が写っていた。
スマホにフラッシュが付いているとは今まで知らなかったので、蛍のことは忘れしばらく感激していた。
帰って、蛍についてネットで少しだけ調べた。






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散策 原宿  2017

2017-05-29 | エッセイ

前回の代々木に続いて。

この日、代々木を抜けて原宿まで歩いた。

竹下通りは人の波があふれていたのでパスして、

cat street 方面へ。

cat street の周辺は、1990年代から比べて本当に随分と変化が激しい。

street のdiscのような丸い形の街路灯も、そういえばそれが設置された頃を知っているな、

などと思いながら歩いていた。









































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散策 代々木 2017

2017-05-13 | エッセイ



警報機が鳴り始めた。トンネルを歩いてきて振り返る。

暗がりと陽光のコントラストにカメラを構える気になった。

トラックが踏切にゆっくりと近づいて停まる。人も立ち止まる。

電車が来ることは分かっている。

来た瞬間の頭を狙って撮ろうと思う。

シャッターを切ったものの、あっという間に通過。

間に合わない。車両がレールの音を響かせて次々と流れて行く。

頭が外れたので、今度はお尻の部分を。

またあっという間に通過してしまう。

電車の影は消えて、まばゆいばかりの陽光が差しているのみ・・・。



夏に向けて陽射しが強くなりつつあるのか、トンネルの中から見た陽光は、眩しかった。




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散策 代々木 2017

2017-05-13 | エッセイ


代々木近くで。通りを歩いていて目立った。
始め何かなと思った。工事の途中らしい。
天気の良い、5月の連休の一日。人通り多し。






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新宿の街  2017

2017-05-09 | エッセイ


この日は連休中とあって人通りが多かった。




コマ劇場前の広場  
広場と言っても広場らしき風情はない。
周りの店は相変わらず賑やかだ。


TVなどで紹介されていた古くからの有名店。
僕は知らなかった。行ってみたら閉まっていた。




春のある日のこと、新宿で先日迷子になった。歩いていたのである、3丁目あたりを。雲行き怪しくぽつぽつと降り始めた。その時急に稲光がして雷の音がし始めたのだ。にわか雨だからすぐに収まることは分かっていても、雷嫌いの身としてはもう駄目である。いとも簡単にすぐ近くの地下鉄の入り口めがけて足早に歩き、地下へと潜ってしまった。確か3丁目あたりだ。上手くすれば地下伝いに新宿駅まで行かれるという算段だった。記憶を頼りに歩いてはみたもののすぐにどうも様子が違うと気がついた。通路になかなか出ないのであった。主に建物のビルの地下階を歩いているようだった。階段を上り下りし人と行き交い、ビルの通路らしき所を通り、としばらくやって、なかなか思い描いた記憶の所へ辿り着かないので上へ出ることにし、階段を上って地上へ出た。おお、空気がすがすがしい、と思いながら周りを見つつ新宿駅方向へ適当に見当を付けて歩き出すと、先程駆け込んだ地下鉄の入り口が再び見え始めたのだ。地下でかなり歩いたのにほとんど同じところに出ていたという結末。もう雷はやみ、黄昏の中、少しばかり湿った路面の上を人々がこれから一杯やろうかという風情で行き交っていた。ひと雨降った後の静かな風。嫌いな雷は既にやんでいたし、地上をぶらぶらと路地づたいに帰った。





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友人からのメール 城を見ると・・・ 

2017-05-09 | エッセイ

友人が旅先で城を見物したという。そのときにメールを貰った。その城は現存していて架構も素晴らしく見応えのあるものと言われている。実際に観て感動したらしい。僕もいずれ観てみたいと思っている。城は旅先で暇つぶしにでもよく見て来た。あれはどうだろう? 現存していなくても、城跡だけでもとても良いものだと思うのだけれど。特に石垣などだけが残っていると下手に上に構築物が乗っているよりも却って存在感が感じられるということもあると思う。例えば石垣だけのその形、元が要塞とも言える今となっては特殊な用途ゆえのそのプランの特徴性、間の取り方・・・などから、じっと見ているとふと本来の城というものから離れて、どこかモダンなものを感じてしまうことがあるのだ。






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コーヒーのこと 

2017-05-06 | エッセイ


あっ・・・。寝ぼけている。
寝ぼけたまま記念写真を撮った。





 キーコーヒーという看板の出た喫茶店に久々に旅先で入った。昭和の時代の臭いのする喫茶店が少なくなった。僕は普段は、昭和の時代という言い方をする気にならない。ならないというより、考えてみてそういった言い方をほとんどしていない。語彙として頭に出てこないのだ。平成と区別する頭があまり無く、ひと続きのような感じだ。だから昭和レトロという捉え方にも、え?レトロなの?という思いだった。あまりにマスコミでそういった切り口の特集をしつこくやるので慣れて違和感が無くなってしまっているけれど。
 若者のコーヒー離れと安コーヒーショップ、例えばドトールやスターバックスなどの隆盛もあって、いわゆる喫茶店!というタイプの店が少なくなっているらしい。確かに。若者は安コーヒーショップでもあまりコーヒーは飲まないようだ。いわゆる喫茶店と言われるもののうち、あるのは生き残りの昭和タイプの喫茶店か新たにチャレンジしている喫茶店。後者は向こう風にCAFEなどと店先に出ていたりする。若者のコーヒー離れというけれど、僕もよく入る安コーヒー店のコーヒーはやはり味は今一つだ。だからあまり飲まなくなるのだろう。値段相応に美味いということで、コクや香りは工夫して出していてチェーン店側の苦労も分かるのだけれど、やはりどこか人工的な感じがする。スターバックスは出店時は話題になったけれど集客の多さの秘密はオープンエアであったりロケーションの良さであったり、店のイメージであったりすることが多く、肝心のコーヒーの味は似た並びの安コーヒー店の中でもあまり美味くないと思うのだ。そもそも安コーヒー店の味自体が横並びのソコソコの味だ。
 キーコーヒーの店には昭和の頃に僕はよく入った。昭和50年代くらいだと思う。お馴染みの看板が店の前に出ていた。他にUCCコーヒーの店も数多くあった。西の方へと旅したときなどは、いたる所UCCだらけだったと思う。あと、西の方ではほんの少しだけ、UCというのがあって珍しさもあって入ったことがある。コーヒーは旅に出ると、喫茶店に入って一息つき、落ち着いて旅程を考えたり、旅先からのはがきなど書いたりするので頻繁に飲んだ。だから、いちいちそこのコーヒーの系列などは気にしていなかった。そのくらい頻繁に適当に入っていたのである。入ると、音響機器が良くていい音が鳴っていたり、店内の壁いっぱいに動物、それも哺乳類などの動物を飼育しているガラスケースがあって眺められたりなど、ユニークな店があって楽しんだ。地方へ行くほどそういう店があったように思う。経営に余裕があったのだろう。旅のガイドを見つつコーヒーをすすり、ふと顔を上げるとタヌキなどの動物と目が合うのだ。鳥のさえずりが聴こえたり・・・。もともとそれほどのコーヒー好きではなかったかもしれないが、そうやって数多く飲んでいるうちに味が分かるようになり、コーヒー好きになってしまった。そういう店は味は、普通に美味しい、という感じだ。安コーヒーよりは良いことが多い。
 店舗数は少なくなったとはいえ、今は独自のルートで豆を仕入れる店など多くなっているようだ。それなりに個別の特徴を出そうとしている。美味しいコーヒーを出す店も多い。貿易ルートなどの変遷もその要因として大きいだろう。今ならネットで直接現地から仕入れることも充分可能だ。巨大ナニナニ物産などに一律に頼らなければならなかった時代はとうに終わっている。珍しい豆を独自に入れている店に出くわすと飲んでみる。そして相変わらず、安コーヒーショップやUCCなどの喫茶店にも入る。店内が昭和的、よく言えばクラシカル、普通に言うと少し古びたその感じの店にも何かこちらの側の好みのようなものがあるにはある。あるのだけれど、もう数多く入っているので何とも入り乱れたルースな好み、だ。




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富士の街 旅 2017

2017-05-05 | エッセイ

 旅の三日目に。昼になって腹が減ったのでアーケード街で見つけた蕎麦屋へ入る。「鯛屋」。宿泊もできる、と表の看板に出ている。店を表から見ただけで何か旨そうな予感がした。注文した蕎麦がやって来た。少し茶色がかった麺にツヤがあり、食べると香りが良く、旨かった。とても満足して店を出た。日曜日の午前で、開いている店の少ないそのアーケードを散策し、写真など撮ったりした。単線の鉄道の小さな駅がアーケードの端にあった。
 岩本山公園というところへ行ってもみた。そこからも街の眺めが良いということだった。そこの展望台からは駿河湾が遠くに見え、右手西側にそれほど高くはないが山の連なりがあり、由比、清水などの街とを隔てていた。その辺りで一番高い山を大丸山というらしい。標高572Mほど。富士市の境界からは少し外れるけれど。他に少し低いが金丸山などがある。公園へ行った後に、その辺りの山道も車で走って楽しんだ。ところどころで眼下に駿河湾が見られた。それほど標高は高くないとはいうものの海のすぐ近くの山なので、その落差は大きく感じられた。景色が良かった。






吉原のアーケード街にある蕎麦屋。「鯛屋」




吉原本町駅。 岳南鉄道、単線。
アーケード街の端に位置している。



富士山は見られなかったけれど。









宿の人が教えてくれた公園へ行ってみた。岩本山公園。
市街地から比較的近くにあって、高台にあるので眺めが良い。



同上  短いハイキングコースがあり、歩いた。




富士川。東名高速。遠くに駿河湾。海へと下る山の向こうは由比、清水の街。




富士山裾野あたりに茶畑が広がっていた。










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富士の街 旅 2017

2017-05-03 | エッセイ


富士市の街の朝。









場所を教えてもらった。jazzの店。




アドニスという名の喫茶店。
富士市にはつけ麺のパスタの店が何軒かあると聞いた。確かにメインの通りにはラーメンのつけ麺店は多くあった。
この店はつけ麺のパスタの始まった店ということだった。朝でもあり自分は特につけパスタより、コーヒーを飲みたかったので、
パスタはパスしてモーニングを頼んだ。安くて嬉しかったが、トースト薄く、とにかく付いています、という感じのものだった。
肝心のコーヒーもよく見かけるキーコーヒーだったけれど、とにかくコーヒーを飲めただけで満足。店の人の感じも良かった。
少し懐かしい感じの喫茶店だった。


アーケード街
日曜日の午前中とあってか人通りは多くはなかったが、
店が集積していて、歩いていて楽しかった。




  富士の街というのは製紙工場などが多くある街だ。商店街などの通りを歩いていると建物の合間から赤白の煙突が垣間見られる。静かな煙突ではなくて、まさに今も煙を天空に向かって挙げている、そういう煙突の姿だ。街が動いているという印象を持つ。上空で風にたなびく煙を見ていると、ふと愛知県の名古屋近郊の自分が生まれた街を思い浮かべる。生まれ育った街もそういった街だった。工場のある街というのは、商店街以外の場所などで時として普通の街と異なった感じがすることがある。建物などが建つ土地の間合いが大きかったりするのだ。どこか大雑把な感じがする。粗削りなコンクリートの施設が目に入る。あまり小さなことを気にしない。その代わり事故などが起きるような危険性のあることには意外と敏感だ。道は車道が真っすぐで広かったりする。トラックなども走らねばならないからだ。そして、それ以前の歩き感覚の、小さな間合いの街とが混在するようなその感じ。自分にはなぜかフィットするその感じだ。おまけに富士市は海があり港がある。港の埠頭近辺などは空き地が多くあって、なおさらその感じが強い。やって来た人々も車を広々としたコンクリート舗装のその辺りに停めている。
 
 もっとも、今自分は東京近くにながく住み、小さな商店などが所狭しと立ち並ぶ賑やかな街並みや通りの楽しさももちろん知っている。煙の絶えることのない煙突がそこここに建つような工場のある街が好ましく感じられるのも、しばらくぶりにそういった所へ行くから言えることなのかもしれない。忘れている感覚が呼び覚まされるというような意味で・・・。車で街を走っていると標識などもはっきりしていて間違った方向へ行くことはなかった。 

 ところで、ここは製紙のみならず、お茶や海のものも特徴的だ。富士山の裾野の方向へと車で登っていくと、かまぼこが並んだようなグリーンの茶畑が見え始め、振り返るとなだらかな斜面の下には遠く、煙の昇る煙突が立つ市街地が眺められ、そして、その向こうには海が広がっている、そういう風景がいろいろなところから見られた。天気が良かったので、裾野づたいに車を運転しながらそんな景色を楽しんだ。富士山はこの日は雲に隠れて見られなかった。上の公園の展望台から眺めると、広がった海の向こうに伊豆半島が見え、右手には清水の方へと続く海岸線やその海岸線へと下り落ちる山々が眺められた。







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富士の街 旅 2017

2017-05-01 | エッセイ


韮崎から富士川に沿って富士の街へ向かう。




富士川  この日、雲が多く、山は隠れがち。




道の駅 富士川楽座で
コーヒーを飲みソフトクリームなど食べ、しばし、のんびりした。



田子の浦 港の倉庫 その先に海辺の公園がある。




夜、車を運転して富士市の街をぐるぐると回った。




ホテル近くの鶏料理の店。歩いて。
夜になってもこの車道は車が多かった。その車道沿いにこうこうと灯りが付いていた。
元が九州の鶏の店なので、置いてある酒も焼酎の良いのが多くあった。
白麹の焼酎を飲んでみた。柔らかなまろやかな良い香りだった。
肴に鶏刺し、レバーなど。

 

  二日目、富士市へ移動することに。宿は早朝にスマホから富士市で安めの宿を取った。宿泊した伊那の街には天竜川が流れている。暴れ天竜と言われて知られている川だ。暴れ、とは言いながらそこから受ける恩恵もまた大きいに違いない。何十年も昔に天竜川の飯田の辺りで河原近くにテントを張り増水などを恐れながら友人と何日かキャンプをしたことを思い出した。今回初めて訪れた高遠の街にも川が流れていた。三峰川と呼ばれている。始め知らなかったので字を見て、みつみねがわ、と読んでいた。正しくは、みぶがわ、というそうだ。高遠の街から天竜川へと流れ込んでいる。桜は今年はなにか観たくなって3,4か所、観た。いつもという分けではない。桜の花見に特別な思いがある分けではないのだが、周期的にまとめて観たくなる年があるようで、自然に任せている。高遠の桜も観たし、伊那の街でも飲んだし、天竜とも別れて、高速に乗る。バスガイドなどだと、ここで天竜川ともお別れです、伊那の街を後にし、これからバスは一路、富士へ向かって参ります、などと言いながらフワーッと歌でも歌い出すところだ。こちらは今回、運転しないと前へ進むことができないので、ひたすら運転せねば。
 中央道を東京方面へ取り、韮崎から南下して身延を通って富士市へ抜けたいと思った。TVでちらりと中部横断自動車道が開通したというニュースを見た気がしていた。全面的に開通したのかと思っていたら、違っていた。開通したと言っていたのはそのほんの一部のことだったらしく、六郷、増穂間の約10キロほどのことで、車であっという間だった。道なりで一般道に自然に降りてしまい、そのまま街、村を抜けつつ走ることに。事前に調べていてそれほど時間はかからない様だったのでのんびりと周りの景色を見ながらドライブした。富士山を左手に、南アルプスを右手にしながら、その間の緑豊かな道を走る格好だ。ここにも川が流れている。富士川。川の流れに沿って富士市へ、海へと向かった。
 3時ごろ富士市到着。ホテルチェックイン。少し早めだったのでまだホテルの人が掃除をしているところだった。それでも快く部屋へ案内してくれた。荷物を置いて、海を見に行った。以前にも来たことがある。田子の浦の海だ。富士市は何回か来ているので見るところは概ね見てしまっている。日が暮れてから歩いてホテル近くの店などへ行き、少し飲み、食べた。
 翌日は、宿の人に教えてもらった店へ行き、jazzのライブハウスも朝早くて閉まってはいたが見るだけは見に行き、商店街でモーニングのコーヒーを飲み、蕎麦屋で旨い蕎麦など食べ、その後、斜面に広がる茶畑や、丘の上の公園に行き、街の西に位置する山の曲がりくねった道を走って楽しむうちに日が暮れ、見つけていたラーメン屋へ行き、そうこうするうちに帰る時間になった。帰路は御殿場へと富士の裾野を通る道を走ることにした。




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