カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

ビッグサイト・「旅行博」・26sep2010

2010-09-27 | エッセイ

着いたのは昼頃。


ビッグサイト前の広場・カスケード。


広い。距離感がいつもと違う。


駅からの通路部分。


複合施設の別の部分。


中庭への階段。


中庭。


フジテレビ方面を望む。


広大な広場がここにも。照り返しが強くなってきた時間。


水上バス乗り場。


水上バス。


東京湾遠望。ブリッジが生き物のように・・・。


会場へのコンコース部分。


売店。


通路脇。


通路。天井が低く不思議な感じがする。

9月26日、前日まで雨が残っていたのだが、からりと晴れた。東京湾の有明にあるビッグサイトに出かけた。「旅行博」が開かれていて、どんなものかとの物見遊山だった。
建物もまだ近くで見たことが無かった。巨大なコンベンションセンターなのだが、やはり大味な感じは否めなかった。が、設計側からするとそれは織り込み済みであったかもしれない。鉄骨の架構部材なども巨大過ぎて重たい感じがする部分もあったし、敷地も広大で普段のスケール感覚では、ずれて感じられるのだった。だだっ広い印象からして日常とは違い、非日常のなかに放り込まれたようだった。特に屋外部分のペーブメントについては、この広大な面積を同じタイルで一面ぺろりと貼ってあり、よくこれだけの面積を同じ表情にしたなと思った。無造作過ぎるように思った。今の流行りの様でもある。
 設計はどこかの大手ゼネコンの設計部あたりかと思ったが、佐藤総合計画だと知って驚いた。あまりに巨大過ぎて設計段階で細部まで手が回らず、かなりの部分、ゼネコンの手を借りたのではと思ったくらいである。が、実際は詳しくは知らない。
 丁度、時間的に日中の太陽が日差しを強くしかけていた。目に眩しく薄眼で見ると遠目にその広場の端の柵が見えた。距離感が心もとなかった。広場の向こうの柵まで行けば、広々と海も眺められるかと思い、いつもの感覚で歩きだすと、行けども行けどもそこへたどり着かない感じだった。東京は交通機関が発達しているから楽だろうと田舎の人は言うかもしれないが、歩くことができないとほんとに不便なメガシティーなのである。それと、ここは東京の他の場所と違い、動線が動線の役割しか果たしておらず、横から店の人が呼びとめたり、路地から人が飛び出てきたりといった、ごく日常のこととして起きる実に人間的な楽しみ、自分が飛び出る時も楽しみであるのだが、そういった楽しみが薄いのである。そういった機能一辺倒の通路空間とは裏腹に、会場へ着くと驚くほど多くの人々で展示会場はごった返していたのである。これらの人の流れなど一つとっても、普段の日常の感覚とは大分違うのだった。しかし、そういう異次元の湾岸の、海の見える広々とした空間も、私はある意味楽しめる気がしたのだった。
 以前、まだこのあたりに建物がちらほらとしかなく、埋め立て地のままだった頃、野球場だけは広く取ってあり、そこで工務店の人たちと草野球をして遊んだことを覚えている。その頃に較べると随分と様変わりしたものだなと思った。



展示会場。ひとひとひと。


フラ。催しに趣向が凝らされていた。








ワインの利き酒と即売も。





スイカに彫りものをしているところ。


竹の様なものが並ぶのは、インドネシアの民族楽器。


どこか、アフリカの国のコーナーだったと思うが・・・。
いや、ニューギニアだったかな。何が何やら。
置き物。子供には珍しいらしい。

フラ。ゆっくりと優雅なテンポだった。


その国自慢の試飲のコーヒーを入れてくれる。


迫力。





刺繍をしているのだが、ミシンは足踏みでないとやはり
ダメなようで、驚くことに蛇の目のミシンを使っていた。
日本に来て住んでいるとのこと。

イタリアのブース。やはりどこかシンプルでモダンなデザイン。
椅子などの家具もどこか違っていた。

染物の絵を描いているところ。手が速く、軽い。


帰り。いなければならない義務などないのだが、長時間いて、
かなり疲労した。

帰り、歩きながら見た、東京湾の海の方向の景色。
この頃には曇ってきて、にわか雨なども降った。


                                                                                                   
                                                                                                  
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八ヶ岳美術館を訪ねて・12月2007

2010-09-24 | 旅行
      八ヶ岳美術館・12月2007

2007年の年の瀬も押し迫った頃、中央線の各駅停車に乗って、八ヶ岳美術館へと出かけた。どこかへ出かけられればよかった。旅がしたかった。その美術館は村野藤吾の設計と知ってはいたが、まだ見たことがなかったので丁度よかった。時間的にも朝早く出れば、日帰りができそうだった。「ふじみ」駅だったか「すずらんの里」駅だかで降りて後は歩けばよいと思いつつ出かけ、結局歩きに歩いた。余談だが、後で思い返せばその時、余り体調がよくなかったのだが特に自覚はなかった。偶然、検査でそれが分かり、その後は体重を落としてほぼ健康になっている。
 美術館に着いたのは11時頃だったと思う。さすがに原村は村自体が標高が高く、山の冷たい空気がピンと張りつめていて気持ちがよいのだった。片道8キロくらいの距離だったと思うが空気が旨いので、さして疲れもせず、飽きもせず歩くことができた。
 冬の木立の隙間に収まるような格好で美術館はあったのだが、想像していたより小ぶりの感じがした。敷地は塀などで囲われているわけではないので、広々とした山麓の雰囲気を十分に感じ取ることができた。屋外空間も、林の中の庭園といった風情で、散策できるのだった。
 建物の内外をゆっくり見ることができた。他の名所などを見る予定などはなかった。展示は常設の彫刻、絵画など。企画展は丁度、フィンランドのクビカス織作家の加藤玲子さんの個展などが開かれていた。内部スペースが、特徴的な円形なのだが、それも気にせず、上手く展示されていた。
 結局そこに、2時間ほどいたと思う。何を2時間もというかもしれないが、傍らの椅子に腰かけたり、立って歩きまわったり、受付の人とその建築の使い勝手やら細かなところを話すうち、そのくらいの時間は経ってしまったのである。
 帰りは「樅の湯」温泉までとりあえず歩き、そこで温泉に浸かったかどうかは忘れたが少し休憩した後、「あおやぎ」駅までまた歩いた。一日でかなりの距離を歩いたという印象が残っている。距離にして計20キロくらいか。帰り道のスーパーで買ったワンカップの日本酒が旨かったのを覚えている。
 その程度歩くのはへのかっぱである、と言いたいところだったが、さすがにこの時は少し疲れた。
 
(原村歴史民俗資料館は八ヶ岳美術館の中に併設された形になっていて縄文土器、石器などの考古学的資料が展示されている)



 

















 (2007年当時のパンフレット。クリックで拡大後、%拡大可。)

                                         

                                             
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江の島ハワイアンフェスティバル・19sep2010

2010-09-23 | エッセイ


境川・相模湾に流れ込む・天気が良かった・秋空


江ノ島線・片瀬江の島駅前・いつもと変わらぬ風景


遊覧ボート乗り場・境川河口


江の島の中・通りいっぱいに観光客が歩き、今日も盛況





江の島の中にある郵便局・島内に住んでいる人も多い


江の島コッキング苑・展望塔


ステージ・観客


この日は南佳孝が好演奏を披露していた・懐かしいナンバーも聴かせてくれた


江の島ハワイアンフェスティバル・2010
ハワイアンダンス・動画(画面のタイトルをクリックするとyoutubeに移行します)


観客の前で、ポーズ


苑内レストラン・出番が終わってくつろぎの時間?


ミラー映し込み





何の木だろう?

ハワイの空気に浸った一日


                                          
                                         

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追記

2010-09-23 | エッセイ

9月15日2010付けのblogに気付いた事の追記を簡単に入れました。

 

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今日のあれこれ・・・ 22sep2010

2010-09-23 | エッセイ


中秋の名月ということだったそうだが、出ていた月を撮ると、こんな風
だった。

           
       
                    
          カッキ―YAMAから見た北の方角の積乱雲。他は晴れ渡っ
        ているのに、そこだけ積乱雲が立ちあがっていた。ちょうど
        熊谷か前橋辺りか。都内よりは遠くだろうと思った。
        稲光がしていた

                                                                

                                    
                                          
ジブリ美術館へ行った時の入場券。
good design! 自室の机の上に
置いたままになっていた。今日、
改めて手に取って眺めてみた。3枚の
絵が少しずつ違う。



                                                

                                             

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drawing  sep2010

2010-09-21 | アート

◆drawing◆



drawing                                  sep2010






drawing                                  sep2010





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サントリーミュージアム天保山・ポスターなどなど・・・・

2010-09-17 | エッセイ
このところ、公共の建物などで来場者の減少が特に2008年、09年頃から続き、閉館に追い込まれるケースが見られるようだ。ここ1,2年で来館者が減ったからといって急に閉館というのもおかしくも残念な話で、公共の建物ならそのあたりのところは予測の範囲内であるはずだと思うし、またそのくらいの余裕がなければやれないとも思うのだが、その余裕というのが無くなってきているのかもしれない。あるいはそういった世の中の雰囲気に流されているか・・・。これとは逆に民間の建物で市の方へ譲渡されるということで話題となっているのが、大阪のサントリーミュージアム天保山である。市の第3セクターである「大阪ウォーターフロント開発」が経営を引き継ぐ方向で調整しているそうだ。ここもここ数年で来場者が減っていたようである。

関連記事
http://www.asahi.com/national/update/0916/OSK201009160163.html
http://www.asahi.com/national/update/0629/OSK201006290008.html
http://www.suntory.co.jp/news/s_museum2010/sm0112.html


収蔵品についてはよく知らなかったのだが、今回少し調べていて、ポスターの収蔵が驚くほど豊富なことを知った。先日、銀座松屋のアールヌーボーのポスター展を観に行ったこともあって、関心冷めやらぬところである。その数4600点からなる「グランヴィルコレクション」も含まれるそうで、経営以外のそこのことだけならさぞや大阪の人々も自慢できるところなのだろう。こちらからすると近くでそれらコレクションを見られるというのはうらやましい限りである。しかし美術館自体の経営が立ち行かなくなったということであれば、大阪の市民も喜んでばかりもいられないはずだが、これまでの所有者のサントリーもそこは大阪有数の文化施設ということで最大限、考慮したようだ。以前から話題の建物の方も、まだ実際には見たことがない。ぜひ一度観に行って体感してみたいところだ。


                                                                                                    
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ニュ~スなど、いろいろ。 15sep2010

2010-09-15 | エッセイ

                                     
                                           今日の麻生川。昨日の雨の影響
                    による増水は見られない。

              
       先日、都庁へ行った時。展望台のラウンジ。
       ピンボケ・・・雰囲気のみ


今日は切れていた薬を病院へ貰いに行った。気が抜けると直ぐに横着になる。昨日と打って変わって涼しい。これはもうほんとに秋の気配だ、と思う。いつしか虫の鳴き声も聴かれるようになった。
今日の日銀の為替介入で少し円高に触れ、株価も輸出関連株を中心に若干高めに回復した。ニュースで伝えている。小出しなのか・・・。実感としてこれまでガソリンの価格など、余り円高の利点は反映されていなかったように思う。ガソリンの価格というのはどうやって決まっているのだろう。
チリの銅鉱山の落盤事故、救出まで当初4カ月ほどかかり12月頃の予定と言っていたのが、あと2カ月、11月中に短縮して救出できるというめどが立ちつつあるらしい。閉所恐怖症の人など見ているだけでおろおろする映像だろうと思う。事故にあった人たちの穴ぐらでの生活に興味を示すのもほどほどにして、とにかく安全で一刻も早い救出を、と思う。救出第一!


                                          

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SALE(セール)などなど・・・  15sep2010

2010-09-15 | エッセイ

アメーバblogに少しだけコメントを付けたいと思い、その欄を開くと、IDとパスワードを入れるように、と表示される。アメーバ会員にならないとコメントできないそうだ。この方法だとマイページからの返信が可能になって便利であるらしい。しかし、反面、面倒だな、と思う。簡単に「同感です!」とか「頑張れ~!」とか言いたいだけの時もメンバー登録をしていないとダメらしい。この「軽~いハードル」が何とも言えず、気に入らない。それでアメーバblogにはコメントをしたことがない。仕方がないのでコメントだけのために登録しようかと思っている。この、仕方がないので、というところが軽く嫌なところである。ワクワクしないじゃん。

アメリカのサイトに、タレントのフォトグラフや、ムーヴィーなどを売るサイトがある。だから大きく「SALE!」などと書いてあるわけだが、何となく「売れ!」の意味と読んでしまっていて、買い取ってくれるのかと思いつつ眺めてしまっていたのである。「売れ!」なら「sell」だなと後でぼんやりと気付いた次第。英語は普段使っていないし、状況と意味をいつもよく読み取っているわけではないのでそんなところである。日本でよくあるバーゲンセールのセールと同じなのだが、バーゲンセールの方も頻繁に行くわけではない。あそこはおばちゃんたちの独壇場だ。そもそもあの人だかりの激しい、押し合いへしあいする悪条件の中で買うものを選別するという、あの熾烈な戦いが苦手である。男の場合、そういう人間は多いのではと思う。おばちゃんたちのあのバイタリティーには圧倒される思いだ。バーゲンセールの記憶というと、子供の頃、親について行き、何が何やら分からないまま巻き込まれ、おばちゃんたちのお尻の間に挟まれて窒息しそうになったり、弾き飛ばされそうになったりという記憶ばかりである。そのうち、その間の時間の過ごし方を覚え、少し離れたところで遊ぶようになった。大人になってもそういう「避難中」といった風情の男をセール会場などで見かけると「確かに!」と思うのである。


                                          

追記:その後、少し調べるうちに、上記のアメーバblogのコメント欄については、他のblogとほとんど変わらないことが分かりました。上記の様に会員にならないと送れないのはメッセージというものでした。他のblogでは会員登録の必要はないことが多いようです。コメントはいずれのblogも、気楽につけられるようです。以上こまごまと後で気づいた事など・・・(9月23日)


                                          

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給食のことなど・・・ 12sep2010

2010-09-12 | エッセイ
今日の新聞をぱらぱらとめくっていると、安野光雅さんの読書エッセイが載っている。昔の学校での昼食の「弁当」のことについて書かれてあって、よく分かる話だと思った。何となくつられて全部読んだ。幸いと言えるのだろうが私自身は、小学校の頃には、既に弁当から給食に切り替わっていた世代である。脱脂粉乳からビンの牛乳に変わったのを記憶している頃の世代である。あの時は驚いてクラスの皆で狂喜の歓声を上げたほどである。だから、安野さんの弁当の話は、遠足とか、運動会とかといった特別の日のこととしてしか実際には知らないのである。しかし大いに想像はつく。そして、給食に変わった私たちの時代では、今度は居残りで食べさせられる人が出現したのであった。
 給食は、それぞれの好みには関係なく全員同じメニューである。人によってはどうしても食べられないものもあるはずなのだが、そこは一律同じメニューである。中に嫌いなものがあれば残せばよいと私は思うのだが、厳しい先生がいて全部食べるまでその人だけ解放されないクラスもあったのだ。食べるのがゆっくりの人もそうである。先生にしてみれば何らかの理由でそれが教育の一環だということだったのだろう。が、私にはよく分からなかった。保育園の時の話だが、無理やりにスプーンを口に突っ込んで食べさせる先生もいたのである。子供は泣きながら旨いとも思えないものを食べさせられていたわけだ。
 欠食児童の私はがつがつと食べ、給食の時間が終わって放課となり、遊びに出ようと他の教室の前を通るとガラス窓越しに、一人居残って食べている人などを見かけたりした。少し日の陰った教室で・・・。
 早く、遊びに行こうぜ!

                                          
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