お兄ちゃん日記

2017年9月14日、今日からこのブログでやってみることにします。

現代社会人は『出ない杭は抜かれる』

2021-07-26 05:20:28 | 日記

現代社会人は『出ない杭は抜かれる』

 

昔は、いや現在でも、「才能・手腕があってぬきんでて

いる人は、とかく人から憎まれる」と云う意味で『出る

杭は打たれる』と言われているが、現代社会の企業や団

体において『出ない杭は抜かれる』的な個人の個性や才

能を重視した企業や団体・集団に変化してきたのが現実

である。

 

未だに教育課程においては「出る杭は打たれる」的なと

ころが根底にあるように思うが、高校以後は自らの個性

・才能を伸ばす教育に変わりつつあるようだ。

つまり、現代の企業・団体・集団においては『出ない杭

は抜かれる』は常識化しているのに対して、義務教育の

場では、集団生活を基軸に於いてるので、個性を伸ばす

教育には至っていない。

 

現代の社会人は、如何に自分の才能や手腕を伸ばすため、

経験や体験を重ね独自の能力(知恵)を高めるため杭を

出していく。つまり、出る杭の背比べである。

それに反して全く頭を出さず、じーっとしがみついてる

人は、やがて抜かれてしまう厳しい社会である現実を、

政治家や公務員や教育者は認識し自らの意識と教育を改

革するべきであると私は思っている。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

有意義で充実した孤独の時間を楽しむ

2021-07-25 06:12:02 | 日記

有意義で充実した孤独の時間を楽しむ

 

私はここ数年一人で過ごすことが多い日常で、ある意味

孤独であるが実感としては孤独感は殆どない。勿論、週

に何日かは外出するが、特に誰かに会うとか旅行へ行く

こともない。週に2回訪問看護のトレーナーがリハビリを

兼ねたトレーニングの指導をして貰っているのでその時に

いろいろ話をする程度である。

 

特にコロナ感染症の影響もあって,人混みを避ける意味で

も外出を自粛しているので必然的に自室に居ることが多い

が不思議と落ち着くようになり、好んで何時間居ても普通

になっている。そこには孤独感の欠片もなく、どちらかと

云うと安堵感すら感じている。

 

まったく社会と関わることなく生活することは不可能だが、

だからと言って孤独ではないとは言えない。結局は精神的

な孤独感に陥らないためにも、上手く一人の時間を有意義

で楽しい孤独にできればと私は思っている。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2020東京五輪開幕

2021-07-24 05:21:41 | 日記

2020東京五輪開幕

 

私は毎朝投稿するブログを前日の日中に書くことが多く、

そんな訳で、テーマも自然と日時に関係ないものになる。

よって、昨日の開会式の様子や感想を書くことは無理であ

る。いろいろすったもんだあったが、なんとか開幕まで漕

ぎ着けた2020東京五輪、開幕前にもサッカーやソフトボー

ルなどの試合が始まった。

 

一昨日は、男子サッカーの日本対南アフリカ戦と、ソフト

ボールの日本対メキシコ戦を見てたが、やはりハラハラド

キドキしながら、つい興奮してしまった。相変わらずコロ

ナ感染者は増加しているが、選手や関係者に感染者が出な

いことを祈るしかない。

 

今日から各競技が東京を中心に開催各地で始まるが、無観

客や一部制限には、一抹の盛り上がりに欠けるが決まった

ことには仕方ない。それでも世界各国から国を代表して誇

りと勇気を持って全力で戦う姿には感動を覚える。

 

我日本選手も胸に日の丸を付けて日本代表の自覚と自己の

目標達成のため精一杯実力を発揮し戦う姿は、同じ日本人

として応援しないではいられない。これは,あえて言うなら

純粋に国民主義からくる感情だと私は思っている。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一生の内に「縁」で繋がる人を大切にしたい

2021-07-23 05:30:41 | 日記

一生の内に「縁」で繋がる人を大切にしたい

 

毎日、こうしてブログを書いてるいるが殆どは読者の参考に

なるものはなく「それがどうした」的なものが多く、私にと

ってはこれが、所謂「自己満足型ブログ」だと思っている。

今回もテーマは「縁」についての私なりの考察である。

 

人間、一生の内にどれだけのに人と知り合う機会を持つのだ

ろうか?家族や親戚は当然だが大体、幼稚園の頃から始まり

徐々に多くの人と接する機会が増えていき社会人になってか

らが一番多くなり、当然に人それぞれ職種や立場や環境によ

って人数的には大きく違うだろう。

 

私の場合は数千人くらいだと思が、別に知り合ってきた人間の

数には、大した意味はなく、その中で何かのキッカケで「縁」

があり繋がりができ、友人・知人・仲間・恋愛や結婚相手なと

様々な形で繋がってきた人達がどれだけいるにかが大切だと思

っている。

 

そう考えると、一生に多くの人と知り合いにはなるが、そこから

偶然的に「縁」があって繋がりをできる人は多くはなく初対面の

時から、なんとなくお互いを意識し様々な関係に発展し人生に影

響を与える関係になるとしたら、正に「縁」は不思議であり大切

にしたいと私は思っている。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史と伝統への拘りを持つことは⁉

2021-07-22 06:06:34 | 日記

歴史と伝統への拘りを持つことは⁉

 

日本の各地域には昔からの歴史や伝統・文化を現在も住民の

意識の中に染み込まれ、それが誇りとか拘りになって色濃く

出ている地域が多いようだ。私は生まれも育ちも北海道で、

歴史も浅く先祖代々という概念が道民には殆どなく、特に拘

ってることはないと思っている。

 

代表的なのが、大阪人は東京人を嫌うのは何かの拘りがある

のだろう。実はここ湘南地方も、拘りがあるようで茅ケ崎か

ら南は湘南とは言わないと鎌倉の人は云うらしい。鎌倉の人

は歴史的にも幕府があったところなので、今でも住民の誇り

とプライドは高いようだ。京都人も排他的だと聞くことがあ

り強い拘りと高いプライドがあると言われているようだ。

 

これらは、我が郷土に誇りを持ち、代々引き継がれてきた伝

統・文化・気性を大切に守り続けていることだと私は思って

いる。しかし、同じ日本人として、行き過ぎた拘りや誇りが

差別に繋がるとしたら、とれも残念なことではある。

 

地域の歴史や伝統に基づく文化や気性を、現在も継承し続け

ることは大切なことだが、他に地域との相互理解と認め合う

心情を持ってこそ、地域住民の誇りとプライドが生きてくる

のだと私は思っている。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする