お兄ちゃん日記

2017年9月14日、今日からこのブログでやってみることにします。

「まん延防止措置」の目的と効果

2022-01-26 05:44:50 | 日記

「まん延防止措置」の目的と効果

 

先週21日に出された「まん延防止措置」から今日で6日目その間、神奈川県も感染者が増え続け、一昨日には

5200人を超え拡大が止まらない。

各自治体は、感染者の状況と病床使用率を見定めて、国に「まん延防止措置」の要請をしている。

結局、適用になると飲食店などへの時短営業やお酒の提供に制限を設ける要請をする代償として、保証金を国

が負担する「お墨付き」のようにも見える。

今回のオミクロン株の急激な感染拡大は、その重症率や年齢層などの特徴にあった対策が必要である。

「まん防」を発令して具体的な感染防止策を自治体独自で都道府県民に示さなければ、いままで通りの習慣化

された感染予防策を行うしかない。

「まん延防止措置」も「緊急事態宣言」にしても、名ばかりの対策では、感染防止には繋がらないのは当然で

一定期間ある程度の強い規制が必要だと私は思っている。


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改めて体幹トレーニングの必要性を知る

2022-01-25 04:53:54 | 日記

改めて体幹トレーニングの必要性を知る

 

14年前に脳幹梗塞で倒れて以来、後遺症の一つに体幹機能障害がある。

少しの動作でバランスを崩しそうになったり、長時間良い姿勢を保つのが辛かったりする。

そもそも、体幹とは、頭部と四肢(手足)を除く胴体のことを指す。

そして体幹トレーニングとは、胴体部分を強化するためのトレーニングで、特に腹部の深層部のインナーマッ

スルを鍛えるトレーニングである。

体幹を鍛えることで、身体を安定化させ、バランスをとりやすく、良い姿勢を保ちやすいなど、私にとっては

不可欠なトレーニングである。

一度ダメージの受けた神経細胞は、回復するのは困難とされているが、決してそんなことはない。

現に私は退院時には、数歩歩くのがやっとだったが、今では普通に歩けるし小走り程度なら可能である。

完全復活とまではいかないが、日常生活には支障のない程度まで回復できた。

これも、体幹(特に腹筋)トレーニングを続けてきたお陰だと思っている。

現在は「まん防」の適用中なので、自室で腹筋やバランス強化のトレーニングを中心に毎日行っている。

今後は、加齢と共に衰えていく体力を,強化するというより、現状を如何に長く維持するかを目標に

体幹トレーニングを続けていこうと思っている。


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自分の内面と向き合うことは、つらい作業である

2022-01-24 04:23:31 | 日記

自分の内面と向き合うことは、つらい作業である

 

人は生きて行く時に、あらゆるところで目的が必要となる。

あらゆるところで目的を考えると聞くと、難しそうに聞こえるが、常に目的を考えてから行動している。

例えば、目的もなく電車に乗る人はいない、目的地が先にあってこそ、行き先がわかり乗る電車が決まる。

しかし、人生では目的もなく行動して生きている人がたくさんいる。

人生も、目的が先にあって向かう方向、必要な仕事が見えてくる。

真剣に人生と向き合うためには、まず目的を考える作業は必要である。

仕事をする目的について考えると「お金が欲しいから」という理由になっている場合が多い。

そういう人ほど、週末だけが生きがいになってしまう。

やりたい仕事ではなく、とりあえず稼ぎのいい仕事を基準にアルバイトをしている自分に気づく。

そこで「こんな人生でいいのか」と考える、これが自分と向き合うことである。

なぜ、やりたい仕事が見つからないのか、その原因は何かを考えると心の内面に空虚感があることに気づく。

更に「心の空虚感ができた原因は何か」を考える。

それこそが、自分の内面と向き合っているということである。

本来、自分を真剣に見つめることは、つらい作業で、思っても見なかった、本当の自分が見えてくることもあ

る。

目的を考える時に、自分にとって納得できる目的を考える作業が、自分の内面と向き合うということである。


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高齢になると「教える姿勢」より「教わる姿勢」が必要

2022-01-23 05:07:32 | 日記

高齢になると「教える姿勢」より「教わる姿勢」が必要

 

毎年年齢が高くなるということは、年下が増えるということである。

そして、知っていることが増えるということは、教える機会も増えることになる。

しかし、現代社会では知識を教える必要性は少なく、体験や知恵を教えることで役割を果たすことだと思う。

昔のように、高齢者は知識も経験も豊富がたら教える機会も多かったが、現代は、逆に教わる機会の方が多い

ような気がする。

勿論、知っていることを聞かれれば快く教える姿勢は大切である。

しかし、高齢になったからといって、何も新しいことにチャレンジしない訳ではない。

そんなときは、わからないことは勇気をだして素直に「教わる姿勢」が必要である。

多少の恥ずかしさとプレッシャーはあるがそれらを嫌がっていると、いつまでも新たな行動がしづらくなる。

興味をもって行動しようとした時は、「教えて貰いに行こう」という気持ちでいれば、新しい行動がしやすく

なる。

高齢になっても「教える姿勢」より「教わる姿勢」を心掛けることが必要だと思っている。


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人生は今の連続である

2022-01-22 05:01:57 | 日記

人生は今の連続である

 

我々は今という単位の連続で生きている、つまり「今」という一瞬の集まりが人生ということである。

この瞬間でさえ「今」が連続で過ぎ去って、やってきた瞬間に終わる。

よく「いつか人生を変えたい」と願う人がいる。

そうした考えを持つこと自体は素晴らしいと思う。

しかし、「いつか」という言葉は、漠然としていて行動するキッカケが、なかなか定っていない。

以前に流行った「いつしますか?」「今でしょう!」というフレーズがある。

人生を変えようと思ったら、今しかないのである。

「今しかない」という言い方は、差し迫った様子を表すが、そもそも人生は今しかないのである。

人生は、今という一瞬の集まりであるという、意識に変えるということである。

変えようとするエネルギーの矛先は、常に今である。

人生を変えたいと思った時が絶好のチャンスでキッカケを掴む行動に出るのも今である。

我々の人生は、今この瞬間の連続で生きているという意識を持つことで、人生を変えるチャンスを掴むことが

ことができると思う。


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