お兄ちゃん日記

2017年9月14日、今日からこのブログでやってみることにします。

今日から「まん延防止措置」適用に

2022-01-21 04:25:45 | 日記

今日から「まん延防止措置」適用に

 

今年になってからコロナ感染症の変異株(オミクロン)が日本でも急激に感染拡大し一昨日は4万人を超え

どこまで増えるのか見当もつかない。

そして、今日から来月13日までの予定で神奈川県にも「まん延防止措置」が適用された。

今回で何度目なのか判らなくなるほど繰り替えされる防止策だが、効果のほどはパッとしない。

個人的には、ひと月程前から毎日のように、ストレッチと筋トレを行うために、マンション内のフィットネス

ルームを利用していたが、今日から使用禁止になることが一番痛い。

折角、少し筋肉が付いて体重も1.5キロほど増えて、これから少しずつハードなトレーニングに上げて行こうと

思っていたところだったので約3週間のブランクは大きい。

ここまで続けてきたのだから狭い自室で、できる限りのトレーニングを行って来月14日に再開されるまで現状

維持の状態を確保しようと思っている。

その前に、これまで通り感染予防対策をしっかりして感染しないことに努めるのは言うまでもない。

しかし、新型コロナ感染症が日本に上陸してから2年が経過したが、今回で第6波の感染拡大、死者は18,400

名を超えている。

世界中の人々に様々な影響を与え続けている、このウィルスは今も尚、衰える兆しはない。

ここまで脅威的な出来事が3年前に誰が予測できただろか?

本当に世の中、何が起きるかわからないものである。


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本当の絶望とは命を失ったとき

2022-01-20 05:29:49 | 日記

本当の絶望とは命を失ったとき


絶望とは、「希望や期待がまったく失われること」と辞書にはある。

果たして、私のここまでの人生において、生きるための全てにおいて希望や期待をまったく失ったことがある

だろうか?

お金が全てなくなった、家が火災や災害でなくなった、職を失った、事故で手足を失ったなど。

もしも、これらを同時に見舞われても、本当の絶望ではない。

なぜなら、本気になれば、やり直しができることばかりである。

お金がなければまた稼げばいいし、職を失っても再就職すればいい、手足を失ったとしても、義手や義足があ

る。

では、本当の絶望とは、命を失ったときである。

失われた命だけは、どんなに大金や時間があっても、やり直せないし取り戻せない。

命を失ったとき、完全にすべての可能性が失われる。

つまり、生きているうちに、本当の絶望は体験できないのである。

絶望して落ち込んでいるのは、勘違いで全ての希望や期待が失われた訳ではない。

命という素晴らしい宝物が、最後に残っている限り、人生は何度でもやり直せる可能性はある。

生きている限り、本当の絶望ではないことに気づくことが大切だと思う。


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時間を忘れる時間を増やすことが上手な時間の使い方

2022-01-19 04:45:04 | 日記

時間を忘れる時間を増やすことが上手な時間の使い方


人間の人生は、ほぼ3万日で720万時間しかない。

そう考えると意外と短く、無駄に過ごす時間など1秒もない。

その貴重な時間を意識して生きることは大切で、充実した時間を送ることで人生の質を上げることができる。

しかし、時間を大切に使うことを常に意識している状態は、あまり良くない、今に集中できてない状態と言え

る。

時間を忘れるほど集中してる時間を増やすことで、本当に充実した時間を過ごしてると言える。

人と楽しく会話をしているとき時間を忘れる、好きな趣味に夢中になっているとき時間を忘れる、仕事に専念

しているとき時間を忘れる。

本当に充実した時間を送っているとき、人は時間を忘れるもので、意識することすら忘れる。

これこそが、本当に時間を大切にしている状態である。

時間を忘れていることは、集中できている時間であり、充実している証拠である。

時間を忘れる時間を増やすことが、一番上手な時間の使い方なのである。

1日の内に、時間を忘れて集中してる時間を作ることは、人生の質を上げることに繋がる。

貴重な時間を充実した時間にするためには、物事に集中して時間を忘れることである。


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「やりたくない」と「興味がない」とは全く違う

2022-01-18 05:30:58 | 日記

「やりたくない」と「興味がない」とは全く違う


『はじめに、昨日は阪神淡路大震災から27年目でした。

震災でお亡くなりになられた方のご冥福を心よりお祈り致します

 

「やりたくない」と「興味がない」どちらも日常でよく聞かれる言葉である。

響きが似ているため、混在して使っている人もいるが、二つの考え方は意味が全く違う。

「やりたくない」とは「嫌い」という認識がはっきりしていることである。

以前に経験があり、苦い思い出があったり、不愉快になることがわかっていたりするときに使う。

たとえ経験がなくても、あらかじめ自分が不愉快になるだろうと予想できるときにも使う言葉である。

やりたくないことは、嫌で、ただ不愉快になるだけなので、やる必要はない。

無理をしてやっても、余計に嫌いになるだけである。

しかし「興味がない」ことは全く違う。

「興味がない」とは「面白いと思わない、心が引かれない」という意味である。

必ずしも「嫌い」という感情が伴っている訳ではない。

興味がないのは、まだやったことがないせいか、経験があるが面白さや魅力に気づいてないのかもしれない。

興味がないことをやってみると、意外な面白さに気づいて、新しい世界が開ける可能性はある。

「やりたくない」ことはやらない方がいいが「興味がない」ことはやってみる価値はある。

「興味がない」ことでも、やってみることで新たな可能性を発見できると楽しみが増えるかもしれない。


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心の安定とお金の関係

2022-01-17 06:30:19 | 日記

心の安定とお金の関係

 

人間は、物々交換の時代から、お金という便利な道具を作り出した。

そして今では、そのお金は心の安定にまで影響を及ぼす存在になっている。

しかし、お金自体は、善でも悪でもなく単なる道具である。

お金に対する印象は個人によって違うが、多く持ってることに不満を感じる人はいない。

そして、心に余裕をもって生活するには、ある程度のお金は不可欠である。

例えば、今日食べていくのがやっとのほど貧しい生活だと、食べる事で頭が一杯で心に余裕がなくなる。

当然、人を助けたり、優しい言葉をかけたりする余裕などなく、生きることに精一杯になる。

人付き合いも、気持ちはあっても礼儀を欠いたりすることもある。

まずは、お金が前提条件になる。

ある程度のお金あれば生活が安定し、人にプレゼントをしたり、優しい言葉をかけたりする余裕が生まれる。

お金には精神を安定する効果があることは素直に認め、道具として活用することである。

お金の話となると、なんとなく良いイメージではないが、現実的に、ある程度のお金を持つことで心に余裕を

作ることは必要であると私は思っている。


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